春雷 22

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 両親が亡くなって浜砂家に行き取られ、もう一年以上が過ぎている。
 それ以前の、俺が産まれた頃から家族同然の付き合いだし、もう彼等の事は何でも分かっているつもりだったけど、本当はまだ何も理解出来てなかった。
 佑輔が言っていた通りに、おじさん達は俺達の関係について、もうずっと前から気付いていた――――
 俺達の事を伝えに行った佑輔と入れ替わり、ハーブティを持ってきてくれたおばさんから、そんな話を聞かされた。


 俺達が普通に仲が良いだけじゃなく、本当は恋人同士なんだろうなって気付いたおばさんは、最初は少し驚いたけど、俺達が恋人関係を続けるのなら、それを受け入れて応援しようと考えていたらしい。
 おじさんも同じ気持ちだから、家族の事は何も心配しなくて大丈夫……と、穏やかな笑顔で励ましてくれるおばさんの話に、今度は嬉しくて涙ぐみながら、何度もしっかりと頷いていた。




 男の子の俺が佑輔を好きになってしまったなんて、皆に変な目で見られるだろうし、おじさん達を悲しませてしまうだろうと悩んでいたのに、本当に優しく受け入れて貰った。
 その事については安心しながら、それから毎日、佑輔と二人で、色んな事を話し合った。
 彼も受験勉強があるし、今までみたいに普通の楽しい話題も多くて、そればかりを話してる訳じゃない。
 でも、これは絶対に解決させなきゃいけない問題なんだと分かったから、合間を見つけて少しずつ「俺達は今度、どうするか?」について、沢山の気持ちを伝え合った。
 今まで一人で考えていた事を、佑輔に直接問いかけて答えを貰う。それはきっと、普通の事なんだろうけど、俺達はそれが出来てなかったんだと気が付いた。
 佑輔に嫌われたくなくて、ちょっと臆病になっていたのかもしれない。
 今までより、少しだけ増えてしまった軽い口喧嘩を楽しみながら、ゆっくりと時間をかけて、お互いの気持ちを伝えていった。


 「とにかく、俺は絶対に葵とは別れない」と繰り返す佑輔の姿と、今でも休み時間に話を聞いてくれる広石達、色んな相談に乗ってくれる様になった、おじさんとおばさんの助言のお蔭で、もう辛い気持ちは無くなってきた。
 でも、何だか上手く言えないモヤモヤっとした不安感みたいな気分だけは残っていて、それが自分でもよく分からずにいる。
 絡まり過ぎて混乱していた問題を少しずつ解きほぐして解決していって、最後にこの不安な気持ちだけが、どうしても残ってしまった。
 沢山話し合った今では、佑輔が他の女の子を好きになってしまうんじゃ……とか、そういう心配は無くなっている。コレに関しては佑輔がちょっと怒ってしまっていて、逆に俺が佑輔に「変な事言ってごめん」と謝って許して貰った。




 色んな事を話し合って、今まで以上に佑輔と仲良くなれたと思っているし、おじさん達に迷惑をかけてるんじゃないか? って心配も無くなったのに、その他の一体何を不安に思っているのか、自分でもよく分からない。
 それをどう解決するかを話し合っていた俺達は、今、『しばらく離れてみる』という方法を二人で選んだ。


 俺達は別れるんじゃない。それだけは、確信している。
 それがハッキリと分かっているのに、佑輔が大学に合格して、高校の卒業式も終わった今になっても、気分がどうしても晴れてくれない。
 今の状態でダラダラと話し合いを続けていても、もう何の解決にもならない事が分かってしまったから、自分の気持ちを一人で見詰め直す為に、そうする事を俺達は決めた。







 抱き締められた腕の中は、本当に心地好くて暖かい。
 自分で納得して、しばらく佑輔と離れるって決めた筈なのに、やっぱり少し名残惜しくて、寂しさが募ってきた。


「泣く位なら俺と一緒にいれば良いだろう、葵。父さん達だって反対してない。ずっと此処にいればいいじゃないか……」
 頬を伝い落ちる涙を指先で拭いながら、佑輔がそう耳元で囁いてくれる。
 彼がこうしてくれると本当に安心して落ち着くのに、この腕が離れた瞬間、不安になる。
 それに気が付いたから、俺は少し佑輔と離れて考えた方が良いのかもしれない……と、そう思う様になってきた。


「ありがとう、佑輔……でもこのままだと、俺はずっと我侭ばかり言って、佑輔に迷惑かけるから」
「そんな事ねぇよ。俺は我侭だとは思っていない。だから、それは気にしなくてもいい」
「今はそうかもしれないけど……俺は佑輔の邪魔をしたくないから。俺がもう少し大人になるまで、ちょっとだけ一人で頑張ってみる」
 ずっと佑輔と一緒にいて、それがもう当たり前になっているから、『好き』という気持ちの意味が、いつの間にかあやふやになってしまっていた。
 佑輔が俺を抱き締めてくれるのは、俺の事を好きだから。
 それなのに、俺は何にも疑う事なく、佑輔がギュッて抱き締めてくれるのは『当然のこと』なんだと、理由も無く、そう思い込んでいた。


 彼が俺を置いて、一人で大学に通う事に不安を感じてしまうのは、きっと幼い頃に其々の家に帰る時に感じた、あの寂しさと同じなのかもしれない。
 佑輔は「それは我侭じゃない」って言ってくれるけど、でも、そんな子供っぽい『好き』という気持ちで佑輔を困らせて、彼の邪魔をしてはダメだと思う。
 子供の頃から続いている気持ちじゃなくて、これから大人になっていく佑輔を愛し続けていける様に、俺も彼と同じ位、大人にならなきゃ……って心を決めた。




 大きな掌で髪を撫でてくれていた佑輔が、溜息を一つ吐いた。
 暖かな胸元に埋めていた頬を上げて、視線を向けると、ちょっと寂しそうな笑顔を浮かべた佑輔が、掌で頬をそっと包み込んでくれた。


「――――葵、四年後に迎えに行く。それまでの間に、この先、どんな事があっても、もう俺と離れないって覚悟を決めとけ。俺は絶対に迎えに行くから……」
「ん、分かった……俺、頑張るから――――」
 ジッと見詰めてくる彼に、やっとの思いでそれだけを答えた。
 それが精一杯で、また涙が出てきてしまう俺は、やっぱりまだ少しだけ、佑輔より子供なのかもしれない。
 でも、これでしばらくの間、彼と離ればなれになるから、最後になる今日だけは、このままの気持ちで彼に抱き締めて貰いたかった。


 優しくキスして、首筋を伝っていく唇の動きも、全部覚えていこうと思う。
 全身に施される愛撫の一つ一つを頭の中に刻みつけながら、大好きな彼の背中に腕を廻して、幾度となくキスを交わし、甘い啼き声を上げ続けていた。






*****






 今までと全く変わった様子のない部屋の中を、一人でぼんやりと眺めてみる。
 バッグに簡単な手荷物だけ詰めて、とりあえず祖母の家にへと向かった葵は、これから四年の間、この家と祖母の家、喫茶店を始める兄の部屋……と、三ヶ所を気侭に行き来する事に決まった。
 この家にも頻繁に戻って来るから、ほとんどの荷物は今まで通り、この部屋に置いたままにしている。
 ――――ただ、彼がこの部屋に戻って来るのは、俺がいない時に限られていた。


 俺達は別れた訳じゃない。俺も葵も、恋人は互いの姿だけだと思っている。
 でも、「佑輔に大人の『好き』が言える様になるまで、俺は一人で考えてみたい」と、真っ直ぐな眸で真摯に言い切った葵を、どうしても説得する事が出来なかった。
 子供の頃から続く、幼い恋心の『好き』でもいい。
 葵がそれで満足してくれるなら、いくらでも抱き締めてやるのに、彼はそれを頑として受け入れてくれなかった。


 俺がもっと気持ちに余裕がある大人だったら、そんな葵を笑って受け止め、彼の強張った心を癒してやれたのかもしれない。
 でも実際の俺は子供のままで、悩んでいた葵の気持ちにも気付かない、自分勝手なガキの頃と、今でも大して変わってなかった。
 親父に「ちょっと落ち着け」と窘められる程に、俺だって葵の気持ちに動揺している。
 彼の仕草や何気ない言葉の一つ一つに振り回される、恋愛事に慣れていない、大人になりかけの不器用なガキでしかなかった。




 葵を引き止める術を持たない俺は、葵が俺達の関係に納得してくれるまで、いつまでも待ち続けるしかない。
 それだけが、傷付いた彼を癒してやる事も出来ない、情けない俺が唯一『葵にしてやれること』だった。






 賑やかな話し声が聞こえてきて、軽くドアを叩く音が響いた。
 いつもの飄々とした顔した広石と、途中で母に手渡されたらしく、カップが三つ乗ったトレーを持った桑原が部屋の中に入ってくるのを、顔を上げてチラリと見詰めた。


「早かったな。もう戻ってきたのか」
「まぁな。だって、荷物って程の分量も無かったし。皆で抱えたら一回で運び終わる量だからさ」
「確かにな……数日分の着替え程度だからな。こっちにも頻繁に戻ってくるし、本当はココがアイツの部屋だ」
 葵の簡単な引越しを手伝いに行ってくれた二人に、そう負け惜しみを言ってみる。
 それに気付かないのか、それとも、気付いてない振りをしてくれているのか……その真意は分からないけど、特に何も反論してこない二人は、いつもの様に、好き勝手な所に座って、カップにへと手を伸ばした。


「葵のおばあちゃんの家って、初めて行ったけど、結構広いんだな。ビックリしたぜ」
 どうやら案外気に入ったらしく、嬉しそうに話す広石の言葉に、素直に頷いてやった。
「そうだな。アイツの親父は仕事が忙しくて、通勤が大変だから無理だったけど、アイツが小さい頃は、『家族全員で、あの家で暮らしても良いんじゃないか?』って話もあったらしいな。静かで良い所だろう?」
「かなり良いな! お兄さんの喫茶店も、すっげぇ良い感じだったぜ。俺、バイトしたいんだけど……って頼んできた」
「……お前、兄さんにそんな事を頼んできたのか?」
「おう。葵がいるから、しょっちゅうは入れないけど。でも、最初のうちは大学にも慣れなきゃだし、それ位の方が良いだろ。足りなくなったら、他にもバイト入れれば良いしさ」
 平気な顔でそう話す広石の様子に呆れていると、携帯を触っている桑原がそのままの姿勢で、急に思い出した様な声を上げた。


「俺も、あの店でバイトはやらないけど、結構アッチに行く用事があるんだ。俺の通う美術学校も、同じ路線沿いだから。だからしょっちゅう、遊びに行けそうな感じだな」
「そうか……じゃあ、葵も寂しがらずに済みそうだな。暇な時は遊んでやってくれ」
「もちろん、そうするつもり……あのさ、お前等って、メールも止めとくんだ?」
「当然だろう。そうしなきゃ意味がねぇよ。顔を合わせないのに、ズルズルと連絡だけ取り合っていても、余計に辛くなるだけだろうが――――」
 ボソリと問いかけてきた桑原に、あえてキッパリとそう答える。
 その瞬間、いつも隣から楽しそうな声で、俺の言う事に何でも同調してくれていた姿が、ハッキリと頭の中に蘇ってきて、胸がギュッと鋭く痛んだ。




 彼の物だって、部屋の中に溢れている。
 いつもと同じ様に皆で部屋に集まって、アイツの事を話しているのに、その葵だけが隣にいない。
 その事実をまざまざと実感して、急に涙が溢れてきた。


 俺が弱気になると、葵が不安になってしまう。だから、絶対に泣かない様に……と、そう自分に言い聞かせてきた。
 物心ついた頃から、それだけはずっと守ってきたのに、今はその葵だけが、俺の傍からいなくなってしまった。
 ずっと耐えてこれたのに、もう我慢なんて出来やしない。
 馬鹿みたいに溢れてくる涙を、もう止めようとする気も起こらなかった。




 膝を抱えて泣き出してしまった背中を、優しい掌が軽く叩いてくれる。
 いつもと変わらないその何気ない仕草が、今は本当に心強く感じられた。


「佑輔。四年間なんて、あっと言う間だって! だから心配しなくて大丈夫。それに、見るだけなら大丈夫だろ? 俺、バイト中に葵の写メ撮って、佑輔に送ってやっから。そしたら、葵は元気だなって分かるしさ」
 トントンと背中を叩きつつ明るく声をかけてくれる広石に、泣きながら笑い声を上げて答えた。
「……そうだな、そうして貰うか……」
「おう、沢山撮ってやるからさ。逆に、葵にも佑輔の写メ送らなきゃだよな。俺も結構、忙しいなぁ」
 楽しそうにボヤく広石の声を聞きつつ、携帯をパタンと閉じた桑原も、和やかな笑顔を向けてきた。


「葵にもメールしといた。俺もおじさんに絵の事を聞きに来るから、しょっちゅう佑輔に会うしさ。葵に『佑輔の写メ送るから、専用フォルダ作っとけ』って送ってやった」
「あ、それは良いな。俺も佑輔に送るついでに『葵専用フォルダ』作っとこうかな?」
「ばか、何で広石が葵の写真集めとくんだよ? お前、そういうの見つかると、彼女出来た時に大騒ぎになるぜ」
「大丈夫だろ? 彼女とか作る予定ないし。当分、佑輔と葵の事で忙しいからさ。彼女は大学を卒業してからでいいや」


 またいつもの様に、二人で勝手に話し始めた広石と桑原の会話を聞きつつ、涙を拭いながら頬を緩める。
 荒っぽい彼等なりの励ましが、今は本当に心地良かった。






 今からの四年間を乗り越えたら、もう二度と離れる事無く、葵をずっと抱き締めていける。
 彼と一緒に過ごしてきた時間の長さを思えば、それは大した長さじゃなかった。
 でも、もうこれ以上、彼と一瞬たりとも離れたくはない。
 ――――だから、この四年間で、全てを乗り越えていかなければ……
 改めてそれを心に誓いながら、始まったばかりの新たな時間と、遠く離れた愛しい姿に、静かに想いを馳せていった。






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