春雷 21

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 目を閉じていても歩ける位に通り慣れた自宅の廊下を、少々俯き加減で歩いて行く。
 血の繋がった両親と話をするだけなのに、意外と緊張するもんだなぁ……と、広石達に俺と話し合う様に勧められても、どうしても自分からは言い出せなかったらしい葵の気持ちが、ほんの少し分かった気がした。


 それなりに反抗期っぽい口答えをしていた時期もあるけど、基本的に両親とは仲が良い方だと思う。
 わりと何でも隠し事をせずに話していた方だと思うし、両親も、自分達の意見だけを頭ごなしに押し付けてきた事もない。
 ようやく意味の分かる話が何とか出来る位の、まだ幼い子供の頃から、両親は俺の意見もちゃんと選択肢に入れてくれて、家族の色んな事を決めていった。
 そういう家族の在り方に関しては、葵の両親も似た感じの性格で、子供達の色んな意見を聞いてくれる人達だったから、こんなに違和感なく、家族ぐるみで親しくなれたんだと思う。
 数年前の面影で止まっている葵の両親の姿を偲びながら、両親がいるリビングのドアを開けた。






「どうした、佑輔。すごい顔してるぞ。葵と喧嘩でもしてきたか?」
 ドアを開けて視線が合うなり、和やかな笑顔で問いかけてきた父の前に座りながら、思わず苦笑してしまった。
「……別に喧嘩って訳じゃないんけど。何でそう思ったんだ?」
「大きな声がしていたからな。楽しそうな声色じゃないし、お前達にしては珍しい。酷くなる様なら覗きに行こうかと迷っていたら、佑輔がそんな顔してやってきた」
 楽しそうな笑顔で答えてくれた父は、一応そう答えてはいるものの、結局、俺と葵が本気の喧嘩をする訳がないと思っているらしい。
 のんびりとリラックスした雰囲気のまま、こちらの答えを待っている父の前で、大きな溜息を吐いてみた。


「喧嘩じゃない。でも、意見の食い違いがあって、それを色々と話し合っていた――――……俺と葵の関係についてだ」
「あぁ、その事か……佑輔が女の子から告白されて、葵がそれを見てしまって怒ってるとか?」
 軽い口調ではあるものの、心配そうに真顔で問いかけてきた父の様子に、逆に一瞬、たじろいでしまった。


「……やっぱり、親父も気付いてたか。言ってくれれば良かったのに」
「まぁ、そう思ったんだが。それこそ今更だし、お前の受験などもあるからな。ここまで聞くのが遅くなったし、『どうせなら、もう少し落ち着いてからの方が良いだろう』って、母さんと話し合っていた所だ」
「そうか……俺もそうしようと思ってたんだが、少し早くなった。今言った様な、そういう簡単な問題なら良かったんだけど。別の事を気にして、葵が色々と悩んでいる。親父達にも関係する話なんだ――――だから、それを相談しにきた」
 そう答えると、父が少し顔を顰めた。
 寛いでいたソファに座り直し、いつになく真面目な表情に変わった父と、夕食の片付けの手を止めはしないものの、キッチンの方から耳を澄ましている母に向って、葵と話した時よりは少しだけ冷静な頭で、出来る限り順序立てて今までの事を話して聞かせた。




「――――そうか、葵がそんなに俺達の事で悩んでたとはなぁ……逆に、早く話をした方が良かったんだな」


 話を聞き終わってボソリと呟いた父は、まるで葵の悩みが伝染してしまったかの様な、辛そうな表情を浮かべている。
 葵を猫可愛がりしている父からすれば、彼が自分達の事で心を痛めてるなんて、本当に落ち着かない気持ちなんだと思う。
 無意識にドアの方に父が視線を向けたのと同時に、俺の話に耳を傾けながら家事を終わらせた母が、普段と変わらない様子で、ローテーブルに静かにカップを置いてくれた。
 見慣れた四つ並んだカップのうち、二つだけを俺達の前に置いた母は、そのまま残る二つのカップが乗ったトレーを持って、静かに部屋を出て行った。


「……葵の方は、今日は母さんに任せておけば大丈夫だろう。俺よりも冷静だろうからな」
 狼狽えてしまった自分に苦笑しつつ、溜息混じりで呟いた父が、母が置いていってくれたカップに手を伸ばした。
 それに倣って一息吐きながら、淹れられているハーブティの良い香に、ちょっとだけ気分が落ち着いてくる。
 「葵が色んな事に悩み過ぎていて、今、かなり混乱している」と説明している俺の話を無言で聞いていた母は、最近ハマっているハーブティを淹れる事にしたんだろう。
 これで葵の気持ちも、ちょっと落ち着いてくれれば良いんだけど……と願いながら、ジッとカップを見詰めていると、少し気持ちが落ち着いてきたらしい父が、また一つ溜息を吐いた。


「――――それにしても、葵がそこまで思い詰めてるとは思わなかった。まぁ、葵の性格を改めて考えれば、容易に予想出来る事なんだけどな……」
「俺も全然気付いてなかった。広石や桑原が、かなり相談に乗ってくれていたらしいし、それで気が紛れていたってのもあるだろう」
「そうか……彼等にも、今度遊びに来てくれた時にでも、お礼を言わなきゃだな。それにしても、俺は自分が情けない。葵と一緒に暮らしていて、毎日こんなに沢山話をしていたのに、全然気付いてなかったとは……父親失格だ」
 悔しそうに呟く父の前で、また少し考え込んだ。


 気持ちが動き過ぎて取り乱している葵本人からは、まだ詳しい本音は聞けていない。
 でも、広石から聞いた話や、先程口走っていた様子から考えても、葵が親父達の反応を気にしている事は確かだと思う。
 それが解決したら、少しは葵の気も落ち着くだろうから……と考えつつ、ハーブティを飲んでいる父の方に視線を向けた。


「葵も気が動転してるし、どれが一番の原因なのかは聞いてない。でも色々と思い詰めてるのは確かだし、俺と別れて、此処を出て行った方が良いんじゃないか……とまで考えているらしい。だから、親父からも葵に言って欲しい」
「そうだな。葵がこの家からいなくなるのは寂しい。俺も嫌だと思うから、葵に出て行くなと言ってみよう……でも、だからといって『佑輔と別れるな』ってのは無理だな。それは佑輔が、自分で何とかするしかないだろう」


 途中までホッとしながら聞いていた父の言葉の最後で、一瞬、思考を止めてしまった。
 思わず顔を上げて見詰めた視線の先で、父は見慣れた穏やかな笑顔で微笑んでいた。




「ちょっと落ち着け、佑輔。お前らしくないぞ。さっきも答えた通り、俺も母さんも、お前達が付き合っていく事に反対はしない。むしろ、葵がずっと本当の家族でいてくれる事になるから、逆に嬉しく思っている位だ。でも、実際にその関係を決めるのは、佑輔と葵だからな。俺が『佑輔の恋人でいてくれ』って、葵を説得するのは筋違いだし、葵自身が納得しなきゃ何も始まらない」
 静かな声色で諭してくれる父の話を聞きながら、何だか急に笑いたくなってきた。
 葵が酷く混乱してる……と思っていたけど、それは彼だけじゃない。
 思いがけない事を聞かされ、内心戸惑ってしまっている、自分だってそうじゃないか……と、ようやく気付いた。


「――――確かにそうだな。俺と葵の関係については、俺達が話し合って決める事だ。親父が葵を説得する様な話じゃないよな。これは俺が自分で葵と話し合おう」
「その方が良いだろう。広石くん達も言ってた通り、もっと二人で話し合うべきだろうな。同性愛って事になるし、世間的には本当に辛い立場になる。今の状態のまま、俺達が葵を説得したとしても、それは家の中だけで上手くいってるに過ぎない。外で何か言われる度に、葵の気持ちは揺らいでしまう。佑輔も葵も、もっとその覚悟を固めた方が良い」
 今、父が話してくれている様な事は、もう充分に考えてたつもりだったけど、きっとそれは『考えてみた』というだけで、その覚悟は出来てなかった。
 皆が勧めてくれる通り、俺達はもっと話し合うべきなんだろうな……と実感しつつ、真顔で見詰めてくる父に、しっかりと頷いてみせた。


「分かった。もう一度、葵と納得出来るまで話し合ってみる……もし、葵と離れる事があるとすれば、きっと親父達の反対が原因だと思っていた。それだけじゃなくて、俺も原因の一つになって、葵が自分の意思で出て行こうと考えるかもしれないとか……全然、予想もしてなかった。だから今は、俺も少し気が動転してるのかもしれない」
「それは当然だろう。俺だって真剣に驚いたからな。冷静なのは母さんだけだ。今頃、母さんが葵を慰めて『二人が付き合っていく事に反対しない』って気持ちを伝えてくれてるだろう。葵も少しは、気が楽になってくれると思うぞ」
「そうなれば良いんだけど……でも、ホントに少しショックだな。葵から見ると、俺は簡単に浮気するヤツだ……って、そういうイメージなのか?」
 父と話しているうちに気分が落ち着いてくると、今度はそれが気になってきた。


 葵以外の誰かなんて、視界にすら入ってないと言うのに、肝心の葵にその気持ちが伝わってなかったとすれば、これは本当に話し合いどころの騒ぎじゃない気がする。
 溜息混じりに思わず愚痴をこぼすと、また美味しそうにハーブティを飲んでいた父がククッと笑った。


「まぁ、葵は多分、そういう意味で心配してるんじゃないと思うぞ。俺は何となく、葵の気持ちが分かる気がするな」
「……じゃあ、どういう意味なんだ? 葵は、俺に好きな女の子が出来て『別れよう』って言われるのが嫌だと言ってたけど……?」
「それは、お前達が恋人同士だから、そういう表現になるんだろう。俺が美術学校で隆史が大学生になって、高校の頃より会う時間が減った時、もう、友達関係は終わってしまうんだろうなぁ……と寂しく思った。多分、あの時の俺の気持ちと、今の葵の気持ちが、言い方が違うけど同じなんじゃないか? って気がするなぁ」
 懐かしそうに呟く父の姿を眺めつつ、ハーブティを一口飲んで、その気持ちを考えてみた。
「……やっぱり、俺にはちょっと分からないな……大学には遊びに行く訳じゃないし、昼間にちょっと離れる時間が増えるだけで、別に葵に対する気持ちが変わるとは思えないんだけど」
「そうか。佑輔は隆史と同じ考え方のヤツだな。アイツも『何、馬鹿な事ばっかり言ってるんだ?』と呆れて、まったく相手にしてくれなかった」
「だろうな。俺は隆史おじさんの言う事の方が、何となく理解出来る。結局、それで疎遠にはならなかったんだろう?」
「まぁな。これは性格なんだろうな……特に『何が』って理由はない。漠然と不安なんだ。あの時、不安を感じた俺と同じ様に、其々に離れる事を葵は怖がってるんじゃないかな。でも、結局そうならなかったし、佑輔と葵はもっと幼い頃からの付き合いだから、きっと大丈夫だろう」
 やけに自信満々で言い切った父の姿に苦笑しながら、ふと、葵の泣き顔を思い出した。


 小さい頃、別々の家に帰る別れの時に似た、寂しそうな表情を浮かべて泣いていた葵は、確かに、そういう不安を感じているのかもしれない。
 ずっと一人で考え込んでいたし、ましてや、親父達に反対されるかも……と悩んでいたら、そう思ってしまうのも無理はない。
 何でこうなるまで、俺は気がつかなかったんだろう……と、また心苦しく思いながら、もうすっかり安心しきった表情を浮かべている父の方に、またチラリと視線を向けた。


「――――……親父は、結局、いつまで不安だったんだ? おじさんが大学に入っても付き合いが途絶えなかったら、それで納得出来たのか」
「いや。本当に安心出来たというか……隆史とずっと親友でいられると確信したのは、アイツが社会人になってからだな。アイツの就職が決まって、仕事にも慣れて、それを楽しそうに話してくれる隆史を見て、ようやく安心した……って感じだ」
 随分と先になる時期を告げてきた父の答えを聞きながら、軽く溜息を吐いてしまった。
「そうなのか? じゃあ、もしかしたら最悪の場合、葵が安心してくれるまで、同じ位の年月がかかるかも……って事か……」
「ありえるかもな。葵はああいう性格だし、自分の我侭を強く通す方じゃない。俺と同じ位、グダグダと心配し続ける可能性はある。でも、あれを乗り越えたから、今でもこうしていられるんだと思っている。時間はかかるかもしれないけど、お前達も絶対に上手く行くだろう」
 そう励ましてくれる父に苦笑を返しながら、また大好きな姿の泣き顔が、脳裏に浮かんだ。




 誰よりも愛おしいと想っている葵を、あんなに哀しませてしまった。
 だからどんなに時間がかかったとしても、彼が本当に安心していられる様にしてやりたいと考えている。
 葵を宥める手立てを考え始めた父と言葉を交わしながら、まだ全然思い浮かばない『自分が葵にしてやれること』を、必死になって考え続けていた。






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