春雷 20

Text size 




 進路相談では真っ先に「佑輔と同じ大学が良い」と平然と答えた広石に、先生は俺の希望を聞いてから、後日「佑輔と同じ位、頑張って勉強すれば大丈夫だろう」と伝えたらしい。
 その助言を素直に受け取り「一緒に勉強しよう」と誘ってくる様になった広石と二人で、今まで部活をしていた時間を使って、学校の図書室で勉強する事になった。
 マイペースで自由気侭なヤツだけど、意外に真面目で頭の回転も良いから、学校の成績は悪くないし、少なくとも、コッチの足を引っ張って遊ぶようなタイプではない。
 俺にとっても、まだ日本に戻ってなかった一年生で勉強している範囲の事を聞けるし、逆に色々と助かっている。
 大学進学の予定が無い、葵と桑原にはバスケでもしながら待っていて貰う事にして、放課後の二時間程を広石と二人で、真面目に受験対策に励んでいた。


 校庭のバスケットコートが見える、いつもの窓際の席を占領して、とりあえずは普段通りに其々の勉強を始める。
 今日は割と静かだな……と、珍しく人影も疎らな図書室の雰囲気を心地良く感じていると、向かいに座る広石が周囲を伺いながら、ボソボソと意外な事を話し始めた。




「――――……葵が? アイツ、そんな事を悩んでいるのか?」
「そうなんだよな……他にも、今言ったお前んちの両親や、葵の兄さんとの事もあるだろ? 何か、かなり煮詰まってるみたいだな。話を聞いてやってれば、そのうち気持ちも落ち着いてくるだろうから……って考えてたんだけど。やっぱ、葵の性格的に考え込んでしまうんだろうな」
 ノートを纏めていた手を止めて、真顔で言い募る広石から視線を外し、眼下のコートで楽しそうに下級生達とバスケをして遊んでいる葵の姿を眺めた。


 親父や母さん、兄の大祐が自分達の関係を知ったら……と、葵が気にしているのは知っている。でも、それとは別に、俺との事でも悩んでいるなんて、まったく想像もしていなかった。
 唐突に話し始めた広石や、今、葵と楽しそうに遊んでいる桑原が、俺達の関係に気付いていたのにも驚いたけど、それ以上に、聞かされた葵の気持ちに困惑してしまう。
 ずっと葵の相談相手になっていてくれたらしく、心配そうな表情を浮かべて見詰めてくる広石の前で、少し気を落ち着かせようと軽く息を吐いた。


「そうか……悪かったな。余計な心配をかけてしまった」
「俺と桑原は、葵の話を聞いてやったり、ちょっと励ましてた程度だからさ。そういうのは気にしなくて良いぜ。逆に、俺達が話を聞くだけじゃ、もうこれ以上は無理だろうなって感じたから、こうやって佑輔に話す事にしたんだし。むしろ、あんまり役に立てなくて悪かったな……とかさ」
「いや、俺は葵がそんな事を考えてるとか、まったく気付いてなかったからな。アイツも少しは、それで気が紛れてたんだろう」
「まぁ、それはあるんだろうな……俺達もさ『そんなに心配するんなら、佑輔と一度、ちゃんと話し合ったほうが良い』とは言ったんだけど、葵に言わせると『こんなの言ったら佑輔は怒るかも』とか『逆に佑輔を悩ませてしまうから』って感じなんだよな。それが葵らしい所なんだけどさ」
 苦笑混じりで葵の様子を教えてくれる広石の目前で、ほんの少し考え込んでしまった。


「――――多分、俺が悪かったんだろう。葵との関係を隠すつもりはないけど、微妙な問題であるのは確かだからな。必要な時が来れば、その都度、相手を見て考えながら説明すれば良いと思っていた。今の状態で闇雲に皆に知らせても、それが葵の負担になるだろうと思ったんだけどな……逆効果だったのか」
「そんな事ねぇよ。俺が佑輔でも、きっと同じ様にしてると思うぜ。だから佑輔のせいじゃない。でも、葵の気持ちも何となく分かるんだ。佑輔んちのお父さんやお母さんの世話になってるし、色々と優しくして貰ってるのに……って、それを気にしてるんだろうな。葵は気を使うヤツだからさ」
「まぁな……ガキの頃からの付き合いだけど、やっぱりそういう遠慮はあるだろうからな。俺が葵の両親に面倒みて貰ってたら、葵と同じ様に考えるかもしれない。そういう意味では、まったくの初対面の奴を相手にするより、何かと考えてしまうだろう」
「難しいトコだな。葵は、自分では『俺は優柔不断だから……』って言ってるけど、そうじゃなくて、気を使い過ぎてるんだと思う。自分の願望より相手がどーのこーのって、そっちを考えてしまうんだろうなぁ……」
 広石なりに色々と手を尽くし、気持ちが揺れ動く葵を宥めようと頑張ってくれたんだと思う。
 もどかしそうに呟く広石の姿に、何故だかやけに穏やかな雰囲気を感じて、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。


「葵は昔から、そういう性格だったからな。それが分かっているのに何もしなかった、俺の態度に問題があった。皆に知らせない俺の態度を見て、葵は逆に『俺達の関係を隠したがってるんだ』とでも、捉えてしまったのかもしれない」
「結果的には、そうなるのかもしれないけど。でも、本当に佑輔は全然悪くない。葵にも言ったんだけど、ずっと佑輔と一緒に居過ぎたから、逆に冷静に見れなくなってるんだと思う。俺や桑原から見れば、佑輔の気持ちなんて聞かなくてもバレバレだからさ。葵があんなに心配する意味が分かんないんだよな……」
 意外と頑固な所のある葵に、少々手を焼いてしまったのかもしれない。
 校庭で無邪気に桑原と遊んでいる葵を見詰めつつ、心底困り果てた様子で呟く広石の様子を、口元を緩めて眺めながら、また少しだけ考え込んだ。


「――今夜にでも、葵に色々と聞いてみる。お前から聞いた……と言っても良いのか?」
「おう、それで良いぜ。一応、俺達も『佑輔と直接話した方が良い』って、何度も言ってるからさ。別に驚きはしないと思うな」
「分かった……本当に迷惑をかけた。広石だって忙しいのに悪かったな」
「だから全然平気だって! 葵にも謝ったんだけど、もっと早く聞いてやれば良かったんだよな……何となく、佑輔がいない時の葵の様子がおかしいって、大分前から気付いてたのに」
「そうか……俺は、それすら気付いてなかったからな。葵の気持ちに慢心していたんだろう。身近な存在になり過ぎて冷静に考えられないのは、きっと、俺もアイツと同じだ」
「そんなに自分を責めんなよ。葵だって、佑輔を嫌いになった訳じゃない。逆に、大好き過ぎるから色々と悩んでるんだしさ。佑輔まで悩みモードに入っちまったら、葵が心配してた通りになるだろ?」
 若干沈みそうになった気持ちを察したのか、いつもの雰囲気に戻った広石が、明るい口調でそう答えてくれた。


 マイペースな態度の影で、いつも皆の様子を冷静に感じ取っている彼の心遣いに、さり気なく励まされた気がする。
 それを心強く感じながら、ジッと視線を向けてくる彼に笑顔を返した。


「葵が簡単に納得してくれるかどうかは分からないが……とにかく、俺はアイツと別れるつもりはない。それだけは断言出来る」
「だよな。佑輔の口からハッキリと聞けば、葵も少しは安心出来ると思うぜ。ただ、佑輔達の場合、周囲の反応とかもあるから……そういうのが大変だろうけど。今度からは佑輔の話も聞いてやれるしさ」
「あぁ、そうだな。一人で考え込むより心強い。葵の相談にも乗ってくれてありがとう」
「別にお礼を言われる様な事じゃねぇよ。葵もこれで落ち着いてくれると良いんだけどなぁ……」
 ホッとした表情で呟いた広石が、またノートにへと視線を戻した。
 それを合図に、また何事もなかったかの様に静かな時間にへと戻りながらも、頭の片隅では、今の話の続きを考えていた。


 葵の気持ちを察してやれなかった俺は、広石に話した通りに、色々と軽く考え過ぎていたんだと思う。
 聞かされた葵の言葉の一つひとつを思い返しながら、時折、窓の外から聞こえてくる葵のはしゃぎ声に、静かに耳を傾けていた。






*****






 肩に寄りかかってきてテレビを眺めている葵は、やっぱり、今までと何も変わってない様に思う。
 ――そういう、独り善がりな考えが悪かったんだろうな……と反省しながら、寄り添っている身体に腕を廻した。


「葵、少しだけ話がある」
「うん、どうしたの? 大事な話?」
「そうだな、かなり重要な話だろう。俺達の事だ」
 そう答えてやると、腕の中にある身体が微かにビクリと震えた。
 一瞬黙り込んだ葵の答えを待っていると、大きく深呼吸をした彼が、強張った笑顔を浮かべて見詰めてきた。


「……広石から聞いた?」
「あぁ。大体の話は聞いている。後は俺達で話し合った方が良いんじゃないか……って、広石も勧めてくれた」
「そっか……ずっと前から、その方が良いって言われてたんだけど。やっぱり、ちょっと言い出せなくて……」
「その気持ちは分かる。だから俺は怒ってないし、葵を責めるつもりもない。逆に、気付いてやれなくて悪かったと思っている……」
 そう答えながら、葵の様子をジッと見詰める。
 俯いて無言で話を聞いている葵の姿が、今までとはまったく違って、二人でいるのに本当に寂しそうに見えてきた。
 こんな様子に気付かなかった俺は、一体、葵の何を見詰めていたんだろう――?
 そう考える自分自身が、本当に情けなくてしょうがなかった。




「俺は、葵との関係を隠すつもりは全然ない。ただ、それを皆に伝えるのは少し早いと思っていた。俺達はまだ高校生だし、少なくとも自立した大人じゃない。親父達の世話にならなきゃ学校にも行けないし、養って貰っている立場だからな。せめて兄さん位の年齢になって、皆を納得させるような立場になってから、親父達に話そうと思っていた。だから俺は今でも、葵と別れようとか……そんな考えは全くない――――これを聞いてもまだ、葵は『俺達は別れた方が良い』って、そう思うのか?」


 もっと上手い言葉が沢山ある気がするのに、頭の中が一杯で、そんな言葉が浮かんでこない。
 葵の肩にかけた指先に力を込めたまま、拙い言葉で気持ちを告げると、俯いて聞いていた葵が、泣き出しそうな表情を浮かべた。


「俺だって……佑輔が大好きだし、ずっとこのままが良いと思ってる。でも、俺は男だから……」
「そんなの、最初から分かってるじゃねぇか。俺は葵が男でも構わない。ずっと前から、俺は冗談半分なんかじゃないと、そう言ってるだろう」
「今はそうだけど、でも、そんなの分からないだろ!? 佑輔が大学生になって、俺と離れてる時間が増えてきたら……もしかしたら、やっぱり女の子の方が可愛いって思うかもしれないし。俺、佑輔の事が好きだから、そんな時になって『別れよう』って言われるの……絶対に嫌だ……」
「だから『今のうちに別れよう』ってなるのか? そんなの、全然意味が分からねぇ。どうして、ありもしない先の事を考えて、今、別れようって話になるんだ!?」
「だから、俺達は男同士だから……そんなのずっと続けるのは無理だろ! 兄さんに彼女が出来た時、父さん達はすごく喜んでた。だから、おじさん達も絶対に、佑輔が彼女作ってくるのを楽しみにしてる。それなのに、俺が佑輔と付き合ってたら彼女も出来ないし……そしたら、おじさん達が悲しむから……」


 ボロボロと涙を流して、そう叫ぶように言い募る葵の華奢な身体を、思わずギュッと抱き締める。
 こんなに哀しそうな表情を浮かべ、混乱している葵の姿を、今まで一度も見た事がない。
 彼がたった独りで、ずっとこんな事を考え続け……そして、その原因が自分にあるって事を、身を切られる様に痛感していた。


「――――落ち着け、葵。俺はお前と喧嘩をするつもりはないし、今は親父達の事も関係ない。とにかく、一つずつ考えよう。分かったな?」
 ギュッと強く抱き締めたまま、軽く背中を擦って小声で宥めてやると、泣きじゃくったままの葵が、それでも、しっかりと頷いてくれた。
「……ごめん、佑輔……」
「いや、俺が悪かったのは確かだ。葵には言葉で伝えなくても、勝手に分かってくれるだろうと思い込んでいた。とりあえず、俺は葵と別れるつもりは全然ない。葵が『別れたい』って言っても……だ。それは分かるな?」
 自分自身にも確かめつつ、そう彼に問いかけてみると、葵はコクリと頷いてくれた。
 その様子にちょっとだけ安心しながら、また腕の中の身体を抱え直した。
「だから、俺が大学に行くようになったら……とか、その心配はしなくていい。それは俺自身の事だから断言出来る。次は、親父達の問題か……それは今から、俺が話し合ってくる」
「――――……佑輔、今から……?」


 弾かれた様に顔を上げ、ジッと見詰めてくる葵の顔を、口元を緩めながら見詰め返す。
 潤んだ眸で驚いた表情を浮かべている、葵の頬を濡らしている涙を指先で拭いとって、いつもと同じ様に、軽いキスを落として頭を撫でてやった。


「大丈夫、心配するな。多分、親父達も気付いてると思う。広石や桑原が気付いたのに、一緒に暮らしている親父達が、何も感じない訳がないだろう」
「……あ、そうかも……」
「俺が言ってくるまでは、親父達も様子を見るつもりだったのかもしれない。どう思ってるかは分からないから、それを今から聞いてくる。葵はとりあえず、此処で待ってろ」
 幼い子供を宥める様に背中を軽く叩きながら答えてやると、葵は素直に頷いてくれた。
 ちょっと不安そうな表情を浮かべる葵と、また軽くキスを交わして、彼を残して一人で立ち上がり、ドアの方にへと歩いて行く。




 いつまで経っても、葵の支えになってやれない。
 「佑輔は大人っぽい」と葵は言ってくれるけど、今の俺は彼を安心させてやる事も出来ない、不甲斐無いガキでしかなかった。
 色んな事を冷静に考えれば、葵の言う通りに今のうちに別れて、父親達がそうしていた様に仲の良い親友関係になるのが一番良い方法なのかもしれない。
 でも、もうそうする事が出来ない位に、葵の存在は自分の中で本当に大きな物になっていた。


 あんなに哀しそうな葵を見ても、それでも、彼を手放せない俺は、本当に我侭なヤツなんだろう。
 こうする事が正しいのかどうか……その答えも見つからないまま、纏まらない気持ちを抱えて、両親の元にへと向かって行った。






BACK | TOP | NEXT


2009/9/27  yuuki yasuhara  All rights reserved.