春雷 19

Text size 




 数ヶ月前までは当然の様に皆で集まって遊んでいたコートも、今では下級生が中心になってしまって、同級生の姿は少ない。
 そういえば、去年もこの時期になったら、もう三年生の人達が来るのも少なくなってたよな……と思い返しながら、教室の窓から見えるコートの方をぼんやりと眺めた。
 今でも時間があれば誘い合って遊んで帰る事も多いけど、こんな感じで色々と用事が入る場合が多くて、去年よりかは確実に減っている。
 全員同じクラスになってて、本当に良かったなと改めて思った瞬間、ドアの方でガタンと、人が入ってくる物音が聞こえた。




「あれ? 葵、まだ残ってたんだ」
「うん、佑輔が一番最後だからさ。今、行ったばかりだし、もうちょっとかかると思うな……それより、広石は一番最初だったよな? まだ残ってたんだ」
 もうとっくの昔に帰ったとばかり思ってたのに、ひょっこりと戻って来た広石に答えながら、その姿を眺めつつ首を傾げた。


 今週に入ってから、放課後を利用して個別の進路相談が行われている。
 毎日何人かずつ順番に廻って、確か、今日の一番最初が広石だったよなぁ……? と思い返していると、前の席に座ってきた広石が、俺と同じ様に窓の外に視線を向けつつ、楽しそうに頬を緩めた。


「おう、他のクラスを覗いて遊んできた。去年同じクラスだったヤツとか、皆、何処に行くんだろうなー? とか思ってさ。聞き取り調査してきた」
「そういわれれば、確かに他のクラスの皆には聞いてないかも。広石と同じ大学希望のヤツ、誰かいた?」
「どうなんだろ? 俺、別にドコでも良いかなって感じだからさ。先生には『佑輔と同じ大学が良いんだけど、今の状態で無理っぽかったら、勉強するか、志望先を変えるから言ってくれ』って頼んできた。だから、俺の行先も今頃決まってるんじゃないかなぁ」
 澄ました顔で平然と答える広石を、一瞬、呆気に取られて見詰めた後、我慢出来ずに声を上げて笑い出した。
「ホント!? 広石、マジでそう言ってきたんだ。だから、あんなに早く終わったんだな」
「そんな感じ。先生も『聞く順番を間違えたなぁ』とか言ってたしさ。次からは、佑輔が俺より先になるんじゃないかな……ってかさ、もう皆、帰ったのかよ?」
「そうだぜ。桑原も『今日は用事がある』とか言って、面談終わったら速攻で帰った。俺達が一番最後だな」
「へぇ……皆、帰るの早いな。じゃあ、葵一人だったのか。残ってて良かった」
 ホッとした表情で呟いた広石の様子に、窓の外を眺めていた視線を向けた。


「何で? 俺に何か用事でもあった?」
「いや、何も無いけど。葵は寂しがり屋だからさ。一人で佑輔を待ってるの、ちょっと寂しいだろうなーってさ」
「あ、ひどいな! そりゃあ、賑やかな方が好きだけどさ。そういう言い方したら、俺が留守番出来ない子供みたいに聞こえるだろ?」
「まぁ、確かにそうだけどさ。でも、葵って最近、一人になるとすごく寂しそうにしてるから、ちょっと気になって。今だって、何か泣きそうな顔して外見てたぜ。佑輔と喧嘩でもした?」
 数日前に兄に言われたのと全く同じ言葉を、兄に似た優しい口調で問いかけてきた広石の言葉に、身体が無意識にビクリと震えた。
「――――別に……喧嘩なんかしてない……」
「そっかぁ、それなら良いけど。佑輔と一緒にいる時は楽しそうだし、違うかな? とは思ったんだけどさ。でも、葵がそんな顔するって、佑輔絡みしか思いつかないんだよな。アイツに直接言い難い事でもあるなら、俺が代わりに話してやるぜ。ずっと前にも言っただろ。覚えてる?」


 和やかな笑顔で問いかけてくる広石の顔を、ちょっとビックリしながら見詰め返す。
 まだ二年生だった頃で、もう随分と前の話だし、確かに彼が言い出した事ではあるけど、会話のついでに何気なく口走っただけの約束を覚えているとは、全然思ってもなかった。


「……覚えてる。俺と幼馴染だったら良かったのにとか……そういう話をした時だよな」
「そうそう、それそれ! あの時も言ったけど、俺は葵が大好きだからさ。葵が寂しそうにしてると、俺も辛いんだよな。だから俺に出来る事があれば、いつでも相談に乗ってやるぜ」
「ありがと。俺も広石の事、大好きだぜ……あの時にさ、俺が『良いお嫁さんになりそうだ』って話したの、覚えてる?」
「覚えてるぜ。ってか、それって俺が言い出した話じゃん」
「だよな……もしかしたら、広石は気付いたから言ってくれたのかもしれないけど……あれは本当なんだ。俺は小さい頃から、佑輔がすごく大好きで……本当に佑輔のお嫁さんになりたかったけど、俺、男だから……」
 頑張って話してみたけど、もう喉がヒクッてして声が出ない。代わりにポロポロと流れ始めた涙も、もう止める事が出来なかった。




 あの時、広石の言葉を聞いた瞬間、一気に色んな事を思い出した。
 物心つく前から当たり前の様に一緒にいて、いつも仲良く遊んでくれる佑輔の事が、本当に大好きでしょうがなかった。
 まだ小さな子供だったから、男同士の俺達は、どんなに大好きでも結婚出来ないんだとか、そんな事が分かる筈もない。
 おじさん達や兄さんも忘れてるだろうし、子供の話だから半分聞き流してただろうけど、佑輔を大好きだった小さな俺は、あの頃から皆に向かって「俺は大きくなったら、佑輔のお嫁さんになる」って、そうハッキリと宣言していた。




 俯いて泣きじゃくり始めた俺の頭を、広石が優しく撫でてくれた。
「そっかぁ……佑輔だって同じ様に、葵しかお嫁さんにしたくない、って考えてると思うけどな。佑輔は違うって言ってた?」
「……言ってない……俺の事、好きだって言ってくれる」
「だろ? 佑輔がそう言ってくれるんだから大丈夫。それだけじゃダメ?」
「……でも、俺は男だから……佑輔が大学生になって、俺と一緒にいる時間が減ったら……好きな女の子が出来るかもしれない……」
「うーん、それはないと思うけどなぁ。葵は佑輔とずっと一緒にいるから、逆に分かんないのかもな。佑輔はマジで葵を大好きなんだろうなーって、俺から見たら分かるんだけどな。アイツは気持ちがフラフラするヤツじゃないし、そんなの全然心配しなくて良いと思う。それ、佑輔に聞いてみた?」
 普段と変わらない人懐っこい笑顔を浮かべ、優しく問いかけてくれる広石に向って、涙を拭いながら頭を振った。


「まだ……聞いてない。だって、こんなの聞いたら……佑輔、怒るかも……って」
「なんだ、葵も分かってるじゃん。アイツは絶対に『馬鹿な事、言ってんじゃねぇ!』って怒るだろうな。それでも安心出来ない?」
「……うん。だって、色々あるだろ……佑輔んちのおじさんにも、まだ言ってないから。俺……なんて言えば良いのか分からないし……」
「あー、そういうのもあるんだな……やっぱり、ちょっと言い難いよな。佑輔とそういうのを話合ったりとか、全然してないんだ?」
 少しだけ顔を顰め、心配そうに聞いてくる広石に、コクリと微かに頷いた。
「ちょっとだけ言ってるけど、全部は言ってない……俺が色々考えてるって分かったら、佑輔の方が悩むだろうから……」
「そりゃあ、そうだろうな。葵が色々悩んでるって知ったら、佑輔は黙ってないだろうからさ。じゃあ、葵はずっと、一人でこうやって悩んでたのか? お兄さんにも相談してなさそうだけど」
「……誰にも言ってない……あの時、広石に相談しよう、って思ったんだ。でも、やっぱり言い出せなくて……」
 そう答えた瞬間、また胸がキュッと痛んで、涙がじんわりと滲んできた。




 一人で考え込んでるのが辛くて、春休みの時間がある時にでも広石と桑原に相談しようと思っていたのに、とうとう言い出せないまま、三年生になってしまった。
 そうしている間にも時間だけがズルズルと過ぎてしまって、結局、広石がこうして問いかけてくれるまで、自分の口から話す事が出来なかった。


 大学生になる佑輔と離れている時間が多くなるのが不安だとか、家族になんて話せば良いんだろうとか――――それを気にしてるのも確かだけど、一番辛い原因は、自分にあるんだと気付いている。
 佑輔の事が本当に好きで、その気持ちに間違いはないと思っているのに、どうしても皆に言えない自分自身が、本当に嫌になっていた。
 悪い事をしてるとは思っていないし、佑輔以外の誰かと恋人同士になるとか……そんな事は考えられない。
 俺達は「男同士だ」って事がちょっと違うだけで、好きな気持ちは他の皆と変わりないと思っているのに、どうしても、自分から皆に言い出す事が出来そうになかった。


 そんな意気地の無い自分自身が、本当に悔しくてしょうがない。
 自分達以外の全員に反対されたとしても、「俺は佑輔が好きなんだ」って言い切れそうにない、自分の少し弱い気持ちが、辛く感じる一番の原因になっていた。
 佑輔を本当に好きなのに、何でそれを皆に言えないんだろう? と自分自身に苛立ってしまう。
 そして俺は、ずっとこんな事を考え続けていくのかと思うと、もうどうしたら良いのか分からなくなってきた。




 またポロポロと流れてきた涙を拭っていると、広石が頭を撫でてくれた。
「もうちょっと早く聞いてみれば良かったな。ごめんな、葵」
「……何で、広石が謝るんだよ……全然悪くないし……」
「そんな事ねぇよ。葵が時々、寂しそうにしてるなーって気付いてたのに、そのままにしてたから。もっと早く聞いてれば、葵もちょっとは気持ちが楽になってたのにな」
 何故だか物凄く申し訳なさそうに呟く広石の姿に、顔を上げて泣きながら無理矢理笑顔を作ってみた。
「大丈夫……ありがと、広石。話しただけでも、ちょっと気分が落ち着いてきた」
「そっか、それなら良かった……とりあえず、今日はそろそろ泣き止もうぜ。佑輔に見つかったら、すっげぇ大騒ぎされるから。アイツ、葵にだけは過保護だもんな」


 そう言いながら俺のスポーツバッグを手繰り寄せて、タオルを取り出して頬を拭ってくれる広石の仕草に、今度は本当に笑顔を返した。
「そうだな……広石が俺を泣かしたとか勘違いされたら、本気で怒られそうだよな」
「おう、絶対そうなるって! 佑輔は葵の事、ホントに大事にしてるからなぁ。それでも、やっぱりちょっと心配なんだ?」
 ニコニコと笑顔を浮かべて、そう問いかけてきた広石に、少し考えてから頷いた。
「うん、そうかな……色々考え過ぎて、俺も自分でよく分からない。とにかく今は、どうしたら良いのか分からない……って感じ」
「そっか……でも、ちょっと分かる気がするな。とりあえず、俺は男同士とか全然気にしないし。好きなヤツ同士で仲良くしてるのが、一番良い事だと思うからさ。だからそれは心配しなくて大丈夫だぜ。今日はもう時間ないから、また今度ゆっくりな。俺も一緒に考えてやるから」
 普段と変わらない態度で優しく宥めてくれる広石に向って、目元をタオルで拭いながら素直に頷いて応えた。




 広石に本当の事を話しただけで、気分がほんの少し軽くなった。
 まだ何にも解決してないし、この先どうすれば良いのか分からないけど、やっぱり相談出来る相手が見つかっただけで、本当に気が楽になってきた。


 男同士でも気にしない――――そう言い切ってくれた広石が、何だかやけに羨ましい。
 俺も同じ事を言える位、強くなれたら良いのに……って考えながら、違う話題で笑わせようと話しかけてくる広石と二人で、佑輔が戻ってくるのを夕暮れの教室で待っていた。






BACK | TOP | NEXT


2009/9/23  yuuki yasuhara  All rights reserved.