春雷 18

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 ちょうど一年前の夕方は、毎日、一人でこの道を往復して高校まで通っていた。
 電車の乗換があまり上手くいかない時とかは、どうしても二時間位かかる事も多いし、少し慣れてきたばかりの部活も止めるしかなかった。
 放課後に友達と遊んだりするのも出来なくなってきて、少し寂しい気持ちを抱えたまま、こんな感じで高校生活が終わってしまうのかな……と、半ば諦めかけていた所に、佑輔達が海外から帰ってきた。
 それだけでも本当に嬉しいのに、話を聞いた彼等は、俺を家族として迎えてくれた。
 もう随分と前に感じてしまう、そんな出来事を思い返しながら、通い慣れた道を久しぶりに一人無言で歩いて行った。




「あれ、今日は一人か。佑輔は?」
 リビングのソファに腰掛けたまま、顔を見るなり不思議そうに問いかけてきた兄の言葉に、思わず苦笑してしまった。
「一緒に来る筈だったけど、何か急に大学の説明会みたいなのするから、って先生に呼ばれたんだ。先生達向けの大学説明会があって、そこで聞いてきた事を教えるから……ってさ。佑輔から『週末に行く』って、兄さんに言っとく様に頼まれた」
「あー、説明会かぁ。そういや、そんなのも色々あったな。今日、佑輔とは大学の話をする約束してたんだ。逆に丁度良かったのかな、その説明会での話も聞けるし。葵、何飲む?」
 納得した表情を浮かべて立ち上がり、キッチンの方に向う兄の後姿を、何となく目で追った。


「俺、ココアが良いな……あのさ、兄さんと佑輔ってさ、いつもそういう話してるの?」
「いや、最近になってからだぜ。佑輔って中学一年の時に海外に行ったからさ、コッチの大学のイメージってのが、どうもピンとこないらしいな。ほら、『どこの大学が人気あるのか?』とか『勉強しやすい雰囲気なのは、どの大学か?』みたいな。そういう、学校からの情報では分からないのを聞きたいらしい」
「あ、そういう事か……確かに、それは俺でも説明出来ないから、兄さんに聞いた方が早いよな。電話で話してるの?」
「今のトコ、メールが多いかな。時間を気にしなくて良いしさ。でも、やっぱり伝えきれない部分もあるから、コッチに遊びに来た時に話そうぜ、ってメールしといたんだ」
 そう教えてくれる兄の姿を眺めながら、何故だか気分が少しだけ重くなってきた。
 佑輔と今みたいにずっと一緒にいれる訳じゃない。いつかはこうなるって分かっていたのに、やっぱり、いざそれが近付いてくると、不安だけが増してきて、そわそわと落ち着かなくなってきた。


「そっかぁ……あのさ、大学って高校と全然違う?」
「普通の高校と比べたら結構違う。でも、お前等が今通ってる高校って、かなり自由な所みたいだからさ。それしか知らない佑輔は、そんなに違和感は無いかもな。葵が最初に行ってた高校とは全然違うんだろ?」
「うーん、先生の雰囲気とかは違うな。それもだけど、大学ってクラス別とかじゃないんだよな? 仲の良い友達とかって、サークルで作るの?」
「多分、そういうヤツが多いんじゃないかなぁ。俺がアイツと知り合ったのだって、サークルの友達経由だったしさ。講義だと同じヤツとばかり会えるとは限らないし、一応真面目に勉強してる最中だから、雑談の機会も少ないだろ? そうなってくると、同じ趣味持ってる者同士で集まるサークルの方が、やっぱり友達も作りやすいんじゃないかな」


 マグカップを二つ持って戻ってきた兄が、俺の分をローテーブルに置いて差し出してくれた。
 ほんのりと甘くて優しい味に、何となくホッとした気分を感じていると、向かいに座った兄が楽しそうに口元を緩めた。


「佑輔も同じ様に、大学の事について聞いてきてるけど。やっぱり、興味の対象が全然違うんだな。佑輔はホントに講義についてとか、ソッチばっかりだぜ。サークルの事も説明したけど『興味ない』で終わったしさ」
「そうかも。佑輔って自分から友達作ろうとしないから。でも、そんなのしなくても、皆の方から佑輔に声をかけてくるんだよな。佑輔、愛想悪いのに人気者だから」
「あぁ、すっげぇ分かる。佑輔は小さい頃から『葵とだけ仲良くしてればいい』みたいな所があるよな。まぁ、そう思ってるのは本人だけで、アイツ自身は人に好かれる性格だからさ。大学でも、勝手に友達が増えていくんじゃないかな。葵は年上の友達が増えるかも。喫茶店だし、場所的に大学生は少ないかもなぁ」
 腕を組んで考え込みつつ、そう話す兄の言葉に、何気なく目を向けていたつけっ放しのテレビから視線を戻した。
「あ、喫茶店の場所が決まったの?」
「第一候補は決まった……って感じかな。駅前の商店街で店舗付住宅になってる所があるだろ? 花屋さんとか入ってる所。あの角が空いてるんだ」
「うん、場所は分かる。そう言われれば、アッチ方面って喫茶店が無いんだな。駅も近いし、お客さんも多そうな感じする」
「だろ? あの辺りの皆に聞いて廻ったんだけど、皆も『喫茶店なら絶対に大丈夫!』って言ってくれたから。ってか、俺達がココに来る直前まで喫茶店だったらしいぜ。あそこなら二階に俺が住んだりも出来るから、何かと便利だしさ。色々教えて貰ったから、明日にでも管理会社に行って話してくる」
「へぇ、元々は喫茶店だったのか……何で止めちゃったんだろ?」
「引越したらしいな。売り上げが悪かったとかじゃなくて、家庭の事情で田舎に帰る事になったから、それで閉めたんだってさ。その時から繁盛してたし、もしかしたら冷蔵庫とか、そういう大きい設備が残ってるかもしれない。居抜きで使えたら楽なんだけどなぁ」
 半ば独り言の様に呟いた兄の言葉に、ココアを飲みつつ考え込んだ。


「……兄さん。居抜き、って何?」
「内装や備品とか、そういう設備系がそのまま残ってるお店の事を、居抜き店舗って言うんだってさ。大きな物を揃えなくて良いから、直ぐに開店出来るし楽だろ? シャッター降りてるから分からないけど、以前のオーナーさんは急に閉めて帰ったそうだから、多分、そのまま残ってる可能性が高いってさ。同じ『喫茶店』をやるから、もし残ってる物があれば、ほとんど全部使えるんじゃないかな」
「へぇ、そういう呼び方するんだ……初めて聞いた」
「だよな。俺もアッチのお父さんから言われた時、葵と同じ事を聞いたぜ。俺達の父さんはサラリーマンだったから、こういう話をした事ないし。普通は何の事だか分からないよな。喫茶店やろうかなーって考えだしてから、アイツんちのお父さんに色々相談に乗って貰ってるんだけど、やっぱり勉強になる。その時に『居抜き店舗を探せば、初期投資が少し減るから楽かも』って教えて貰ったんだ。父さんも物知りだったし、色々話してても楽しかったけどさ。違う仕事してる他の家のお父さんも、色んな事知ってて凄いよな」
 その言葉を聞いた瞬間、今現在、本当に優しく話しかけてくれる、血の繋がりの無い父の姿が頭に浮かんだ。


 亡くなった父さんも優しくて大好きだったけど、今の父さんも穏やかな性格で話も楽しいし、頭の中じゃ、本当の父親だと思っている。
 彼女のお父さんに相談を持ちかけたりしてる兄さんも、俺と同じ事を思ってるのかな……と感じながら、和やかに話しかけてくる兄に向って、カップを手にしたまま頷いた。


「うん、そうだよな。おじさんもさ、父さんとは違う雰囲気だけど、色々教えてくれて勉強になる。兄さんも、アッチのお父さんと仲良くやってるんだ」
「そうだな。親同士でも何回か顔を合わせた事があるし、今の状況も分かってくれてるから。俺の方から聞きに行かなくても、先に気を使って問いかけてくれるんだよな。すごく助かってる」
「そっかぁ……じゃあ、そのうちお姉さんと結婚したら、向こうの家に行く感じになる?」
「最終的には、多分そうなると思うぜ。でもまだ、すっげぇ先の話だろ。おばあちゃんが元気な間は、俺もこの近所から離れるつもりは無いしさ。だからお店もココから近い所に決めたし。あの辺りなら、おばあちゃんも毎日遊びに来れるからさ」
「そうだよな……兄さんがお店の二階に住むんなら、俺がコッチに戻ってこようかな……」
 ポツリとそう答えてみると、少し頬を緩めた兄がチラリと視線を向けてきた。


「どうした? 佑輔と喧嘩でもしたのか?」
「ううん、そんなんじゃない。全然、喧嘩とかしてないけど……おばあちゃんが一人になるから、何となくそう思って」
「それだけなら、全然気にしなくて大丈夫だと思うな。今でもおばあちゃん同士で行き来して、其々の家に泊まり合ってるからさ。おばあちゃんも前みたいに、毎日この家にいる訳じゃないから平気だ。今だっていないだろ? また『向こうの家に泊まりに行く』ってさ。ホント、俺達より元気になったぜ」
「それなら安心だけど。でも一人になる時間とか、おばあちゃんも寂しいと思うから……」
「まぁ、そういう時があれば、俺もコッチに戻ってくるしさ。歩いて直ぐだし、何が何でも店の二階に住まなきゃいけない、って事でもないから。それより、葵がそんなの言い出す理由は、おばあちゃんの事だけじゃなさそうだけど。アッチの家で居心地悪いトコがあるなら、俺からおじさんに相談してやるぜ」


 何にも言わずに「そうか」って許してくれると思ったのに、意外とすんなり納得してくれそうにない。
 ニコニコと笑っているけど、ちゃんとした理由を聞かなきゃ許してくれそうにない兄の姿に、軽く溜息を吐いて苦笑した。


「アッチの家に不満とか無い。すごく優しくして貰ってるし、それは全然大丈夫。そうじゃなくて……俺はもう、バイト以外は遊んでたら良いけど、佑輔は大学生だし、これからも勉強が沢山あるだろ? だから俺が同じ部屋にいたら、ちょっと邪魔になるかなぁ……って」
「なるほど。そういう理由なら、部屋を半分に区切るとかでも解決出来そうだけど」
「うん、それも考えた。でも、やっぱり物音は聞こえるだろうし……それに、俺の知らない友達とかも出来るだろ? そういう人達との話を聞いたり、佑輔が大学の友達と遊びに行ってる間、俺一人で部屋で待ってるのって……すっげぇ寂しいから……」


 実際にそんな事があるかどうかは分からない。まだ想像してるだけの光景なのに、それを口に出しただけで、喉の奥がヒクッとしてきた。
 何だかちょっと泣きそうになって、思わず俯いた瞬間、腕を伸ばしてきた兄が、頭を軽く撫でてくれた。




「そっか……佑輔は葵と遊んでるのが一番楽しいと思ってるだろうけど、それなりに『付き合い』ってモンが出てくるだろうからなぁ。確かにそういう機会は、何度か目にするかもな」
「……だよな……だって、大学生の終わりの方とか……今の兄さんと同じだもんな……」
「葵もさ、そういう時だけ、コッチに戻って来れば良いんじゃないかな? おばあちゃんがいない時は、俺の方に泊まっても良いだろうしさ。そういうのを見るのが嫌だから、葵が完全にコッチに戻る……とか言ったら、今度は、おじさんとおばさんが寂しがると思うぜ。佑輔もすごく怒るだろうしさ」
 聞き慣れた優しい口調で宥めてくれる兄の言葉に、素直にコクリと頷いた。
「分かった、もうちょっと考える……でもやっぱり、時々は戻ってくるかも……」
「うん、コッチは心配するな。葵が好きな様にすれば良いからさ。それより、今は佑輔んちも俺達の家族だろ? とりあえず、浜砂の父さんと母さんにも相談した方が良いと思うな。一人じゃ言い難いなら、俺も一緒に話するけど」
「大丈夫、一人で話出来る……それから考えて、また兄さんにも相談する」
 沢山話してると本当に泣いてしまいそうだから、とりあえずそれだけを答えて、眦に滲んできた涙を拭った。
 また腕を伸ばしてきて、小さい頃みたいに頭を撫でてくれる兄に向って、俯いたまま頷いた。




 今、兄に話したみたいな気持ちもあるし、佑輔と本当は恋人同士だって事も、そのうち皆に話さなきゃいけない。
 頭の中が色んな事で一杯になっていて、もう、どうすれば良いのか分からなくなってきていた。


 佑輔と恋人同士なのは事実だけど、それを聞いたおじさんとおばさんがどう思うか……優しい二人に迷惑かけるんじゃないか? って、それが不安でしょうがない。
 それもすごく気になっているし、兄に話した通りに、大学生になってしまう佑輔と、今まで通りに仲良くやっていけるのか……それも不安でしょうがない。
 大学生になって、もっと大人っぽくなった佑輔は、そのうち可愛い女の子を好きになるかもしれない。
 そうなってしまった時、俺は一体どうすれば良いんだろう……って、そう考えただけで胸がギュッと痛くなって、本気で泣きそうになってしまった。
 佑輔が女の子と仲良くしてる所を見てしまうなんて、絶対に、俺は耐えられないと思う。
 まだ起こってもいない事が気になって、胸が痛くてしょうがなくて、もう、本当に疲れていた。


 だからいっそ、コッチに戻ってきた方が楽なんじゃないか……とか、そんな事を時々考えてしまう。
 ――――おじさん達に相談した方が良いのか、それとも、先に佑輔と話すべきなのか……
 纏まらない頭でそう考えながら、優しく違う話題に変えてくれた兄と二人で、気持ちが落ち着いてくるまで、沢山の事を話していった。






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