春雷 17

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 数日前に通ったばかりの道を、今日は一人きりでのんびりと歩いて行く。
 単純に時間配分的な事だけで考えれば、母親達が一緒だった数日前の方がゆっくりしていたんだろうけど、一人だけの今日の方が気分的にものんびりしている。
 あの二人は、本当に賑やかだからなぁ……と、歩く速度よりも何倍も速いペースでおしゃべりを続けていた母親達の様子を思い返しつつ、江見家の墓にへと向かって行った。


 佑輔と葵が同じクラスになって仲良く三年生に進級した事は、数日前、母親達と一緒に来た時に伝えたけど、もう一つの大切な話を、まだ隆史達に伝えていない。
 そのうち、祖母にあたる二人とも話し合わなきゃいけないとは思っているけど、その前に、葵の両親である隆史達に、自分達夫婦が決めた事を伝えておきたかった。
 声に出して話したからといって、眠っている彼等と会話が出来る訳でもない。だからこうして、わざわざ日を空けて何度も訪れる事に意味が無いのは分かっている。
 それでも、やっぱり大切な事は頭の中だけじゃなく、直接声に出して伝えようと、彼等の最初の墓参りに来た時から、自分の中で決めていた。






 先日来た時に掃除は済ませているから、今日は簡単に周囲を整えるだけで終わらせた。
 心地良い陽射しの中、いつもの様に彼等の前に座り込み、今までよりスッキリとした気分で彼等の姿をジッと見上げた。


「佑輔と葵の話だけどさ、俺達は『受け入れる』事にしたよ。アイツ等がこのまま愛し合っていくと決めたとしたら、それを応援してやる事にした。別に、二人の関係が急に変わった訳じゃない。もっと昔からそうだったんだよな。だから佑輔と葵にとって、あれが一番自然な関係なんだと思う。それを無理矢理壊した所で、何の意味も無いからさ」
 もしかしたら……と気付いて、あれから何ヶ月も考え続け、ようやく最後の決心が付いた。
 久しぶりに味わう心の底からのサッパリとした気持ちを、本当に楽しく感じてしまう。
 ずっと頭を悩ませ続けていた難題が自分の中で解決した事を、きっと落ち着かない思いで見守っていただろう隆史に向って、頬を緩めながら報告した。




 こんなに真剣に物事を考えた事なんて、今までの人生で初めての経験だったと思う。
 頼りない夫に愛想を尽かす事無く堅実に支えてくれる妻や、しっかりとした性格の息子に囲まれているのを良い事に、自分の好きな事ばかりを気侭にやって過ごしてきた俺にとって、本当に重過ぎて戸惑うばかりの難問だった。


 それでも、こうして隆史の元を訪れて愚痴を溢しつつも、簡単に妻の和枝に問いかける事をせず、まず自分自身で「答えを出そう」と精一杯考え、真剣に悩み抜いた。
 母親である彼女も、きっと二人の関係に気付いてるだろうなとは思ったけど、相談するつもりは最初から無い。
 其々の立場で色んな事を考え、しっかりと気持ちが固まってから、彼等の母親でもある妻と、ようやくお互いの気持ちを話し合った。




「和枝も俺と同じ考えだった。いつまでもアイツに頼ってるのも情けないし、今回は別々に考えて、最後に二人で話し合った。結局、同じ所に行き着いたけどさ。でも、アイツの方が少しだけ早く決心していたらしいんだ。やっぱり母親は強いよな……」


 もし、其々に選んだ答えが逆だったら……と心配したけど、それは杞憂に終わった。
 沢山の時間をかけて考えあぐね、彼等の親として、ひたすら悩み抜いて出した答えを、お互いに心の底から晴れ晴れとした気分で、ゆっくりと伝え合った。
 こういう場合に親として選ぶべき態度は、きっと親子の数だけあると思う。
 だから、隆史達夫婦が今でもこの場にいて、佑輔と葵の事を四人で話し合ったとしたら――――もしかすると、違う答えになっていたのかもしれない。
 でも隆史達は此処にいないし、俺達夫婦だけで二人を見守っていかなきゃいけない。
 自分達が彼等に対し、どう接するのが一番良い選択なのか?
 それを最優先で考えると、やっぱり最後には「彼等の選択を尊重して、それを最後まで見守ってやる」と、その答えしか頭に浮かんでこなかった。




「もしかしたら、隆史の思いとは違う答えになってるかもしれない。でも、俺はこうする事を決めた。二人の父親として、俺に出来る事はなんだろう? って考えたら、多分、この答えが一番良い方法だと思ったんだ。俺は隆史みたいに出来の良い父親じゃない。お前の真似するなんて無理だからさ。アイツ等に何か上手い言葉をかけて、俺が導いてやろうって背伸びするより、何があっても味方になってやる事に決めたよ」
 自分が『父親らしくない親父』だって事くらい、もう充分に自覚している。こんな俺が賢しら口で、もっともな事を説いたとしても、佑輔と葵は納得してくれないと思う。
 それ以上に、当たり前の常識論を振りかざして彼等を追い詰めたくないから……と、そんな気持ちが、どうしても先に立ってしまっていた。


 聡明な佑輔と感受性の豊かな葵は、彼等なりに悩み続けながら愛し合っていくんだろう――――それは痛い位に理解しているから、俺は二人を認めてやりたい。
 少し考えれば分かる位の一般論なら、彼等自身が充分に分かっていると思う。それでも尚、愛し合う事を二人が選んだのなら、もう俺からの助言なんて必要なかった。
 無意味な事をしたり顔で説教するのは、二人をよく知らない他人に任せておけばいい。無責任な中傷を受ける事もあるかもしれない二人と一緒になって、同じ立場で戦ってやる方が、きっと自分には似合っている。
 母親らしい無償の愛で、彼等の関係を受け入れた和枝とは違う意味で、俺も自分に出来る事をやって、二人を見守ってやろう――――それだけを心に決めて、この難問に結論を出した。




 ――――幼い頃と違っている……
 そう思ってしまった、抱き合って眠る佑輔と葵の姿は、本当は『何も変わってない』んだと、あれからずっと彼等と一緒に暮らしながら考え続けているうちに、そう思う様になってきた。
 昔と違うと感じてしまったのは、きっと二人が少しずつ大人に近付いてきて、その気持ちを表現出来る様になったからだと思う。
 『好き』という言葉の意味も分からない子供の頃から、佑輔と葵は、お互いの事が大好きだったんだろうな……
 その存在も忘れる程の遠い昔に自分が描いたスケッチブックを眺めながら、今頃になって、ようやくその事に気付いた。


 遊び疲れると佑輔に寄りかかる葵の癖も、ぴったりと寄り添ってきた彼の髪を撫でる佑輔の仕草も、あの頃から何一つ変わっていない。
 偶然にも全く同じ構図になってしまった二枚のスケッチ画を眺めながら、あどけない笑顔でじゃれあう幼い彼等の姿を、まるで昨日の事の様にハッキリと思い出した。




 あんなに小さくて無邪気に笑う、可愛い子供だった佑輔と葵も、もう立派な大人に近付きつつある。
 そんな彼等の成長していく様子にオロオロと悩み捲りながら、幼い頃から現在まで彼等と共に過ごしてきて、ようやく俺も、父親って者になれたのかもしれない。
 生来の性格から考えても、先頭に立って皆を引っ張っていくタイプじゃないから、随分と時間がかかってしまった。
 何かにつけて頼りにしていた隆史が亡くなって、頼りないながらも父親としての自覚が出来た気がする。
 幼い彼等と一緒に沢山の時間をかけて、俺も父親として成長したんだろうな……って、そんな事を考えながら目前の隆史を見上げた。


「そんな事は無さそうだけど、もし、アイツ等が恋人として別れる事になったとしても、葵はちゃんと俺が息子として面倒みるから心配するな。お前達は葵に甘かったし、一番心配な事だろう? もちろん、大祐も息子として思ってるけど、アイツは佑輔以上にしっかりしたヤツだからな。それに、あの可愛い彼女とも仲良くやってる様だし、彼の方は何の心配も無さそうだ」
 兄の大祐に関しては既に成人している大人だし、落ち着いた思慮深い性格で、付き合っている彼女や、その両親とも上手く行ってるから、俺がアレコレと心配してやらなくても大丈夫だと思っている。
 そう考えるとやっぱり、佑輔と葵の事が一番心配だなぁ……と、まだまだ若くて元気の良い二人の姿を思い浮かべて、無意識に口元を緩めてしまった。


 今現在は愛し合っている佑輔と葵が、この先、どんな関係に進んで行くのか。それはきっと、本人達にも分からない。
 男女の恋愛だって、こんなに若い頃から続いていく方が珍しいと思うし、この先、喧嘩をする事だって沢山あると思う。
 彼等よりは少しばかり沢山の経験をしている自分でも、これだけの時間をかけて悩んだのだから、彼等も本当に答えを出すまでに時間がかかるだろうなって、何となくそんな気もしている。
 色んな出来事を経験した彼等が、この先、恋人としては別れる事を選んだとしても、それでも二人が俺の息子である事には違いない。
 まぁ、喧嘩したりする事はあるだろうけど、アイツ等は結局、ずっと付き合っていきそうだけどなぁ……と考えながら、無言で聞いている隆史を見上げた。




「隆史の気持ちとは違う結果になってるかもしれないけど、だからって俺を恨むなよ。俺を残して、先に逝ったお前が悪い。凄く寂しいし心細いけど、それなりに頑張ってるつもりだ。でもやっぱり隆史には、色々と相談したいからさ。これからもずっと来るから。また話を聞いてくれよな」
 彼が今回の決断をどう思ってくれたか……それはもっと時間が過ぎて、彼の元に行ってからじゃないと分からない。
 だから、少しだけ言い訳をしながら、久しぶりに穏やかな気持ちで、姿の無い隆史に向って語りかけた。


 佑輔と葵の関係とは違う意味になるけど、俺は紛れもなく江見隆史を愛していたんだと、二人の事を考えながら、そう気付いた。
 男とか女とか……そんな事を通り越して、人生を通して付き合っていく人間の一人として、彼を心の底から愛していた。
 彼のいなくなった穴は埋め様がないし、彼の代わりになる人物なんて他にいる訳がない。
 だからこうして今でも彼に話を聞いて貰って、彼が此処に存在していたという事実が、大きな心の支えになっていた。




 最愛の男だった隆史の忘れ形見を、彼以上に可愛がっていこうと思う。
 そんな自分の気持ちがあるから、やっぱりどう考えても、愛し合う佑輔と葵の仲を引き裂くなんて、出来る筈がなかった。
 愛する人と離れる寂しさを、自分の身を持って痛感している真っ最中だから、佑輔と葵に対しても、そんな気持ちを強いたくはない。
 こんなオッサンになっても、やっぱり心細い事だからなぁ……と、しみじみと感じながら、遠い所にいる最愛の人に向って、今日も皆の様子を事細かに報告していった。






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