春雷 11

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「あれ? お前等、もう帰るのか。今日はバスケやんねぇの?」
 HRが先に終わったらしく、葵が教室まで迎えに来てくれた。帰る気満々の葵と一緒に教室を出ようとした瞬間、背後からのんびりした口調の広石に、そう言って呼び止められた。




「まぁな。今夜は両親が出かけてるから、家に俺達だけなんだ。晩飯も自分達で考えなきゃだし、真っ直ぐ帰る事にしている」
「あ、そうなんだー。『勉強しろ!』とか、うるさく言われないのは良いけど、メシが無いのはキツよな。佑輔が作んの?」
「考え中だ。二人だけだし好きなのを選べるから、逆に何にするか悩むよな」
 後ろを歩きながら問いかけてくる広石に、時折振り返りながら答えていると、隣を歩く葵が不満気な表情を浮かべた。
「広石、なんで『佑輔が』って限定なんだよ。俺は?」
「葵はメシ作るのとか、絶対無理だろ。お前、何か作れるのかよ」
「……ラーメンなら、俺一人でも作れるぜ」
「だろ? それ位なら俺と変わんねぇし。まぁ、葵は無理すんなって。何でも出来る佑輔が一緒にいるんだからさ。苦手な事は任せとけば良いって。そういえばさ、日曜日ってお前等ヒマ?」
 茶化している様子は無く、いつもの飄々とした顔で答えていた広石が、突然思い出した様子で、最後に一言付け加えてきた。


 頭に浮かんできた事を、そのまま素直に口に出すタイプである彼は、悪気無く率直に色んな事を言葉にするし、会話の内容も唐突にコロコロ変わる。
 最初は少々困惑してしまったけど、今ではすっかり慣れてきた。
 ホントに面白いヤツだよな……と改めて思いながら、頭の中はすっかり日曜日の予定の事に切り替わっている広石の前を、ムスッと不貞腐れた顔で歩いている葵の方に視線を向けた。


「日曜なら、特に予定は無かったと思うが……葵、何かあったか?」
「うーん、今週は何も無いと思うな。バスケやるの?」
 歩きながら振り返った葵が訊ねてみると、広石が素直に頷いた。
「ん、そんな感じ。先輩に『誰か来れそうなヤツ、誘っといて』って頼まれたんだ。あれじゃね? きっと勉強ばっかりで嫌になったんじゃないかな。ウチの部って引退は無いけど、先輩達も平日は来なくなっただろ」
「あ、なるほど。受験勉強って大変そうだもんな……」
「だよな。きっと気分転換したいんだろうな。先輩達がメインだろうけど、皆で集まった方が楽しいからさ。いつもの時間辺りに、適当に来れば良いから。今日も早く聞いとけばなぁ……佑輔んちに遊びに行ったんだけど。また今度、誘ってくれよな!」
 また頭の中が、突然今日に戻ってきたらしい広石が、和やかな笑顔でそう話した。
 上機嫌で手を振りながら校庭の方にスタスタと向っていく彼を、呆気に取られて足を止めたまま見送っていた葵が、ちょっと困った表情で見上げてきた。


「……やっぱり、広石とかも誘ってパーティにした方が良かったのかな? 二人だけも良いけど、皆も夜中までいる訳じゃないし……」
 校門に向って歩き出しつつ真顔で悩み始めた葵の様子に、頬を緩めて軽く頭を撫でてやった。
「ばか、気にするな。アイツも、そういう意味で言ったんじゃねぇよ。別の日に誘ってやれば良いだろう」
「そうだけどさ。でも、おじさんが家にいる日だと、仕事の邪魔にならないかな?」
「あぁ、それなら平気だ。あの部屋は防音にしているし、親父もああ見えて、人と話をするのが好きだからな。自分から出てくるんじゃねぇかな」
「ホントに? じゃあ、家に呼んでも大丈夫かな。桑原が前から『遊びに行きたい』とか言ってるんだ。アイツ、絵が好きだからさ。おじさんのアトリエも、入口からで良いから見たいんだってさ。でも、俺達が騒いだら仕事の邪魔かもな……って話してたんだけど」
 真面目に考え込みながら話しかけてくる葵の言葉に、逆に少々驚いた。
「そうなのか? 別に気にしなくても大丈夫だ。今週はバスケになったから、来週の日曜にでも誘ってみるか。コッチに戻ってきてからは誰も呼んでないけど、向こうにいた時は、俺もクラスのヤツを呼んだりしてたぞ。他に日本人はいなかったし、皆、喜んで遊びに来てたな」
「え、マジで良いのかなぁ……おじさんにも聞いてみて、大丈夫だったら誘ってみる。もっと早く聞いてみれば良かった」
「別に改めて聞かなくても大丈夫だろ。自分の家なんだからな。変な遠慮なんかしなくていい」
 嬉しそうに微笑む葵に答えながら、下校途中の生徒達で賑わう校門を抜け、一緒に家路を辿っていく。


 もし逆の立場なら、自分もそう考えているとは思うけど、やっぱり何かと両親に気を使ってしまう葵の姿に、上手く言い表せない気分を感じる。
 葵は特に、周囲に気を使ってしまう性格だから……と分かっている。彼も無理をしている訳じゃないけど、もっと自分の気持ちを押しても良いのにって、そう思う事が増えてきた。
 葵のそういう所が良いんだと知っていながら、そんな事をグダグダと思ってしまう理由は、きっと、俺達の関係にあるんだと思う。
 分かっているのに、どう彼に伝えれば良いのか迷う気持ちに戸惑いながら、いつになくリラックスした表情の葵と二人で、静かな家にへと戻っていった。






*****






 一旦、家に戻って普段着に着替えて、一緒に商店街に買い物に出かけた。
 メインは「宅配ピザがいいな!」と無邪気に話す葵の提案で決まっていたけど、それとは別に、ちょっと食べられる様なお菓子などを、あれこれと選んでいく。
 とは言え、今日は二人だけのパーティだし、あまり多く買い過ぎて余らせても困るから真剣に悩んでしまう。
 幾つかのお菓子と、ピザと一緒に食べられそうなサイドメニューを考えてレジに向う途中、目に付いたものを一つ取って、カゴの中に放り込んだ。
「あ、佑輔……ソレは無理なんじゃね? レジで怒られるって」
 追加された缶チューハイを見詰めつつ、顔を顰めてボソリと呟く葵の様子に、思わず笑い出してしまった。
「大丈夫だろ。一本だけだし、俺は高校生に見えないからな。何か聞かれたら『親父の分だ』とでも言えばいい」
「そりゃあ、佑輔は大人っぽいから平気だろうけど……俺も一緒にいるし、ホントに大丈夫かな?」
「心配するな。忙しい時間帯だし、そこまで細かくチェックしてねぇよ」
 不安そうな葵と一緒に、夕食前の買い物客で賑わうレジに並んだ。


 落ち着かない様子の葵の心配を余所に、一本だけ入っていた缶チューハイは、あっさりとバーコードを読み込まれて、カゴからカゴにへと移動していく。
 俺が思っていた以上に、葵は内心、どうやらかなり緊張していたらしい。
 店員に支払いを済ませている俺の隣で、ホッとした表情を浮かべて深々と溜息を吐いた彼は、カゴを抱え上げると、そそくさとサッカー台の方に向かって行った。
 夕方の賑わう時間帯で結構待たされたから、親のお使いで慣れない買い物を頼まれた高校生が、レジに並んで待ちくたびれたと思われたんだろう。「随分と待たせちゃってゴメンね」と、和やかに話しかけてくる年配の店員からお釣りを受け取って、ゴソゴソと買い物袋を相手に格闘している葵の所に近付いた。


「良かった……怒られたらどうしようって、マジでビビった。やっぱり、佑輔は大人に見えたのかな?」
 そんなに大した事でもないと思うけど、根が真面目な葵にとっては、ちょっとした冒険だったのかもしれない。
 やけに嬉しそうに頬を綻ばせて、小声でコソコソと問いかけてくる葵から買い物袋を受け取ると、帰宅を急ぐ人の流れに合わせて、二人並んで出口の方に歩き出した。


「さぁ、どうだろうな。1ダースとか買えば不審に思われるかもしれないけど。パーティだし、こういうのも欲しいからな。コレなら苦くないから葵も飲めるだろうし、今日は半分ずつにしよう」
「だよな。俺、こういうのも飲んだ事ないし。佑輔は?」
「俺は普通に飲めるぞ。イギリスで生活していた頃、しょっちゅう親父の相手をさせられていた。向こうの場合、家庭内でならガキでも普通に飲んでいる。日本に戻って来てからは、さすがに親父も自粛して誘ってこなくなったけどな」
「え、そうなんだ? イギリスって、中学生でも平気でお酒を飲んでるの?」
 大きな眸をますます瞠って、真剣に驚いた様子で問いかけてくる葵の表情が可愛らしくて、口元を緩めて頷いた。
「中学生なら余裕だな。法的に決まってるのかどうかまでは知らないが、親の了承があれば、家では5歳から大丈夫だと言ってた。ビールなら16歳になれば店でも飲める。18歳で完全に解禁だ」
「へぇ、すごいな! 日本と全然違うのか……だからきっと、佑輔も大人っぽくなったんだな」
「それは関係ないんじゃねぇか? まぁ、今日は二人だけだ。少し位は良いだろう」
「半分ずつだもんな。すっげぇ楽しみかも。俺、ちゃんと全部飲めるかなぁ……」
 そう呟きながらもニコニコと上機嫌な葵の頭を、歩きながら軽く撫でてやった。
 普段より甘えた口調で話しかけてくる葵も、俺と同じ様に、二人だけの開放感を感じているのかもしれない。
 家に戻って注文するピザの種類を話し合いながら、夕暮れの穏やかな光の中、のんびりと散歩を楽しみつつ、家路を辿っていった。






 宅配を頼んだピザが届くまでの間に、二人でキッチンに立って他の料理を作っていく。
 料理と言ってもフライドポテトやサラダなどの本当に簡単な物ばかりだから、ちょうどピザが届くのと同じ位に、ささやかなパーティの準備も整った。
 いつも家族で食事をしているテーブルじゃなくて、リビングのテレビの前にあるローテーブルの方で、ゆっくりとテレビを見ながら食べる事に決めた。
 普段と違う景色で二人きりの食卓が、やけに新鮮で楽しく感じて、本当にパーティ気分になってくる。
 もう少し大人になって、自分達だけで生活出来る様になったら。毎日、こうやって葵と過ごしていきたい。
 まだ何年も先になるその日を思い浮かべながら、初めてのお酒を興味津々で眺めている葵と、カチンと音を立ててグラスを合わせた。


「あ、意外と美味しいかも。こういうのは苦くないんだな……」
 早速、一口ゴクリと飲んでみた葵が、少々驚いた様子でグラスを見詰めながら呟いた。
「コレは本当にジュースみたいだな。葵は本当に全然飲んだ事がなかったのか?」
「うん、ほとんど初めてに近いと思う。父さんがビール飲んでた時に、一口だけ飲ませて貰った事はあるけど、すっげぇ苦いな……としか思わなかったからさ。あんまり飲みたいとか思わなかったんだ」
「ビールが最初なら、確かにそう思うかもな。俺が飲んでいたのはサイダーだし、ほとんどソレばかりだな。日本だと『リンゴ酒』って名称になるんじゃねぇかな?」
「へぇ、そんなのあるんだ。それも何となく甘そうだし、美味しそうだな」
「かなり飲みやすかった。今日もチラッと探してみたけど、やっぱりスーパーには置いてない様だな。親父も気に入ってたし、母さんが買い物に出た時に探してきて貰うか。クリスマスなら、葵もちょっと位飲んでも構わないだろう」
 クリスマスをどう過ごすか悩んだけど、結局、今年は家族でパーティをする事に決まった。
 葵が家族になって初めての大きなイベントだから、どちらかといえば両親の方が張り切っているし、葵も楽しみにしているらしい。
 俺は葵と二人だけが良かったんだけどな……と、その話題を思い出して何となく黙り込んでいると、隣で機嫌良くピザを食べている葵が、嬉しそうな笑顔で視線を向けてきた。
「佑輔、クリスマスは家族全員で……だから、今日は二人だけでパーティやれて嬉しいかも」
「なるほど、そう考えれば良いのか。まだ早過ぎるけど、今日は二人だけのクリスマスだな」
「そうしようぜ。佑輔と二人きりのパーティもやりたかったけど、おばさんが『イギリスで覚えてきたクリスマスケーキを作る』って、言ってたからさ。それもすごく楽しみなんだ」
「あぁ、アレを作るのか。向こうのヤツをそのままだと、俺には甘過ぎて少々口に合わなかったが。母さんが作るケーキなら、俺達に合わせて作ってくれるから美味しかったな。日本のクリスマスケーキより、俺は気に入っている」
「それも聞いた。佑輔が好きだから、俺もきっと気に入るだろうってさ。兄さんも『ケーキだけ食べに行くから残しておいて』って言ってた。イブは彼女とパーティだから、次の日に遊びに来るんだって!」
 声を弾ませて話し続ける無邪気な彼の笑顔を見ていると、俺の方までやけに楽しみになってくる。
 もう高校生だし、家族でクリスマスもなぁ……と若干躊躇っていたけど、意外とこういうのも良さそうな気がしてきた。


 まだ子供っぽくて素直な葵を、両親が実の子供である俺以上に可愛がる気持ちも分かるし、彼がこの家に馴染んでくれているのも嬉しく思う。
 でも、こうして二人だけの家の中で、単純に「誰もいない」開放感とは少し違う心地好さを感じてしまうのも、確かに心の隅に存在していた。


 グラスに半分ずつのチューハイが適量だったらしく、上機嫌で飲み干した葵は、今度はウーロン茶を注いで飲み始めた。
 肩に寄りかかってきてテレビを見ている葵の、ほんのりと染まった頬を可愛く思う。
 指を伸ばして軽く頬を突いてやると、前に視線を向けたままの彼が、クスクスと楽しそうに笑い出した。
「もう。俺は真剣にテレビ見てるのに。佑輔って、すぐに邪魔してくるよな」
「テレビを見てる時の、葵の顔は面白いからな。中で困った事になると、お前も同じ表情になっている」
「え、ホント? ソレは嫌だなぁ……ちょっと恥ずかしいかも」
 少し酔ってしまったのか、潤んだ眸でジッと見詰めてくる葵の髪を撫でてやると、また彼は嬉しそうに口元を緩めた。
 そのまま視線を戻す葵の肩を抱き寄せながら、彼と同じ様に、静かにテレビの方に視線を向けた。
 ちょっとお酒を飲んで、普段は食べないピザを頼んだりしただけで、結局、普段の生活とそんなに変わらないけど、それでも楽しくてしょうがない。
 誰にも邪魔されずに、葵と一緒に穏やかに過ぎていく時間が、本当に心地好かった。


 両親と俺との間に立ってしまい、葵が俺達の事について色々と悩んでいる事は、何となく分かっている。それを何とかしなくては……と思っているけど、俺自身でさえ、どうすれば良いのか分からず悩んでいた。
 他の奴等はともかく、両親や葵の兄さんには、そのうち本当の事を伝えなければいけないと思う。
 いくら考えても上手く伝えられそうにない、その言葉に悩みながら、無邪気に笑う葵を抱き締め、ぼんやりとテレビの画面を見詰めていた。






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