春雷 10

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 数十年の時を経て、病院帰りに待ち合わせて再会した年老いた母親達は、短時間の間にすっかり意気投合してしまったらしい。
 其々に身近な知人達が減ってきて、そろそろ身の周りを寂しく思う年代だし、空き時間と思い出話ばかりが増えているから、息子達が学生時代の数年間だけだったけど、共通の話題があるって事も拍車をかけたんだと思う。
 気分が沈んで体調を崩しがちだった老母達は、二人であちこちに出かける様になってからは、すっかり若返って元気になってしまった。
 だからって、いきなり小旅行にまで行く事はないよなぁ……と、その話を聞いた時の驚きを思い出して、朝食のサラダを作りながら苦笑を浮かべる。
 元気になった母親達だし、電車で数時間の近場ではあるけど、やっぱり二人だけで旅行に行かせるとなると、それなりに心配になってくる。
 妻の和枝がそれに付き添い、女だけの二泊三日の小旅行に出かけてしまった家の中、朝が苦手な子供達が起きてくる筈がなく、やっぱり一人で朝食を作る事になってしまった。


 朝食の準備が終わる時間になっても、二人が起きてくる気配はない。
 きっと土曜の朝も、アイツ等は俺が帰ってくるまで寝てるんだろうな……と苦笑しつつ、コーヒーメーカーをセットして、子供達の部屋に向っていく。
 音を立ててドアを開けてみても、やっぱりベッドで抱き合って眠ったままの二人が目を覚ました様子はない。
 その姿を無言でしばらく眺めた後、彼等に声をかけずに、窓の方にへと向った。


「……おはよ。もう、朝か……」
 カーテンを開け放った瞬間、背後から聞こえてきた眠そうな声に、頬を緩めて振り返った。
「佑輔は毎朝、その挨拶から始まるな。今日まで学校だぞ。頑張って起きろ」
「だよな。明日は親父が帰ってくるまで寝てるだろうな……葵、朝だ。そろそろ起きないと遅刻するぞ」
 抱きかかえている葵の背中を優しく叩き、普段と同じ様に起こしてやっている佑輔の姿を見詰めた後、先にリビングにへと戻っていく。
 ――――とりあえず、俺が考えを纏めてからの方が良い。そうじゃないと、全てを無くしてしまうかもしれない。
 つい急きそうになる自分の気持ちを必死になって宥めながら、眠そうに目を擦りながらやって来た二人に、暖かなカフェオレを差し出していた。






*****






「佑輔が葵を好きなんだろうなってのは分かってる。アイツはきっと本気だろう。でも俺は、葵の気持ちは分からないんだ。やっぱり、離れていた時期が長かったせいかな。隆史が見りゃ、きっと直ぐに分かるんだろうけど……」
 子供達を学校に送り出した後、招待されたパーティ会場に向かうには随分と早い時間に家を出て、そのまま隆史の墓にへとやってきた。
 綺麗に掃除を済ませた墓石の前に座り込み、答えを返す事のない隆史を見上げて話しかけながら、思わず溜息を吐いてしまう。
 それに気付いた今となっても、自分は一体、どうすればいいのか。
 いくら考えてみても、答えが見つかりそうになかった。


 幼い頃と同じだと微笑ましく思っていた、抱き合って眠る二人の様子の意味が、本当は少し違うんじゃないか……と最近になって考え始めた。
 愛おしそうに葵をそっと抱き締めて、優しく背中を擦ってやる佑輔の仕草は、恋人に対するそれと全く同じ物だと、ずっと彼を見詰めていた父親だからこそ、その変化に気付いてしまった。
 昔の印象に惑わされ、最初からそうだったのに俺が気付いてなかったのか、それとも、途中から佑輔の気持ちが変わってしまったのかは分からない。
 ただ、現在の佑輔は葵を本気で想っているんだろうって事だけは、ハッキリと分かってしまった。
 でも理解出来たのは佑輔の方だけで、成長期に何年も離れていた葵の気持ちが見て取れない。
 とりあえず、嫌がってる気配はないんだけどなぁ……と、また声に出して呟きながら、自分が見たままの葵の姿を、父親である隆史に向って教えてやった。


 もし、葵が佑輔の想いに戸惑ってるとしたら、もっと話は簡単なのかもしれない。
 アイツは口が達者で頭も良いから大変だろうけど、それなりの一般論を並べ立てて、「葵も困ってしまうだろう」と説得して彼の想いを静め、仲の良い義理の兄弟関係に戻す事は可能だと思う。
 でも、葵の方も嫌がってる素振りがないからこそ、彼等に対してどんな態度を取るべきなのか――――それをどうしても決められずにいた。


 思春期の男の子だから、そういう事もあるだろうと気にしてなかった、時々鍵がかかる様になった部屋についても、その中に二人でいるとなれば意味が少し違ってくる。
 佑輔の背中に隠れ、時折、不自然に視線を逸らせる仕草を見せる様になった葵の姿を思い返し、いずれにしても、少し気付くのが遅かったのかもしれないと、今頃になって思えてきた。
 葵も佑輔と同じ気持ちで、もう二人は愛し合ってるんだと考えるのが自然な気がする。
 そうなってくると尚更、どうしたら良いのか分からなくなってきた。
 一般的に考えれば、男同士である二人の関係を認める訳にはいかない。
 まだ半分は子供の気持ちの残る二人を説得して、そういう関係を止めさせるのが父親の役目なのかもしれないけど、不用意にその言葉をかけてしまう事に、かなりの戸惑いを感じてしまった。


 同性愛なんて大変だろうと、容易に想像出来てしまう。
 二人が辛い気持ちになっているのを見たくないと心の底から思うけど、だからといって、一度はそんな気持ちを抱いてしまった者を相手に、何も無かったかの様に元の仲の良い状態に戻れるんだろうか? って、そんな風にも思ってしまう。
 それ以上に、もし、どちらか片方だけが考え直してしまった場合、本当に二人の関係が壊れてしまうんじゃないかと、そんな不安を感じてしまう。
 俺の言葉が原因となり、佑輔と葵が本当の意味で別れてしまうだなんて、そんな事は望んでなかった。
 佑輔が好きになってしまったのが葵じゃなければ、何の遠慮もせずに色んな事を言えている。
 でも、彼の相手が葵だからこそ、色んな事を悶々と考えてしまい、全く身動きが取れなくなってしまっていた。




「……だからさ。もし、本気で説得しようとしたら、俺と隆史との関係とアイツ等とは何が違うのか。それを教えなきゃだろ? それが俺にも分からないんだよな……何か上手く言えないからさ」
 沢山の言葉を知ってて、説得力のある親父だった隆史なら、彼等にどんな言葉をかけていたんだろう?
 それをぼんやりと考えながら、また隆史に向って話しかけた。


 恋人同士なのかもしれない二人を受け入れた訳じゃないけど、だからといって、俺が一方的に考えていた彼等の関係と何が違うのか? と聞かれたら、返す言葉を無くしてしまう。
 こうして何かにつけては墓参りにやってきて、もう言葉を返してくれない隆史を相手に、一方的な相談事を持ちかけている俺の気持ちと、一体、何が違うのかがハッキリと説明出来ない。
 ――――それは単純に、肉体関係の有る無しだけなんじゃないか?
 口に出すのは簡単な言葉を必死で飲み込み、遠い空から見詰めている隆史の前で、一人で色んな事を考え続けた。




 月に何度も此処を訪れ、墓石の前に座り込んでブツブツと話しかけている俺の姿は、傍から見れば酷く滑稽な様子だろうと分かっている。
 それでも、何かあれば真っ先に話すのが当然だと思っている、彼に対する俺の気持ちは、隆史が亡くなってしまった今でも、全く色褪せる事なく続いていた。
 そんな俺の隆史に対する気持ちと、愛し合う彼等の互いに寄せる感情との違いは、いくら考えてみても答えが出ない。
 佑輔と葵の問題を考えてる筈なのに、何となく、自分が今でも隆史に頼りきっている事実を暗に責められている気もして、それにも少々狼狽えていた。


 葵を自分の息子として引き取った事を、まったく後悔なんてしていない。彼を本当の息子だと思っているからこそ、佑輔と葵の関係について、真剣に頭を悩ませている。
 反対すべきなのか、それとも認めてやるべきなのか……そんな一番肝心な事ですら、未だに戸惑って決めかねていた。




「――――隆史なら、どっちを選んだんだろうな。さすがにこういう問題になると、お前に直接聞かなきゃ分からないよな」
 隆史を亡くして初めて迎えた難問を前に、オロオロと落ち着かない自分に自嘲しつつ、彼を見上げて問いかけてみる。
 何でも直ぐに決断して迷う事の無かった隆史だけど、流石にコレには悩むだろうな……と考えながら、また色んな事に思いを巡らせていく。


 簡単に答えは出そうに無いけど、とにかく、佑輔と葵を傷つけてしまう様な真似だけはしたくない。
 そして、彼等が永遠に離れてしまう様な事態だけは、絶対に避けるべきだと決めていた。
 これが隆史なら、もっと容易く最善の術を探し出せたと思う。ずっとそうやって頼りにしてた彼は、今頃もどかしく思いつつ、いつまでも不甲斐無い俺の姿を見詰めているに違いない。
 二人の父親として、俺はどう接していけば良いんだろうと悩みながら、遠い所から見守っている隆史に向って、色んな気持ちを話しかけて、答えのない相談を続けていった。






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2009/6/28  yuuki yasuhara  All rights reserved.