LovelyBaby 09

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 あまりにも予想外な森崎との遭遇にかなり混乱したまま、気付けば彼のマンションの前に立っていた。
 とりあえず森崎に言われた通り、郵便受けから届いていた物を取り出し、それを持って、もう通い慣れた彼の部屋に一人だけで向っていく。
 エレベーターに乗ると、ようやく少しだけ気持ちも落ち着いてきて、いつも通りのペースで切り替わっていく階数表示を眺めながら、大きな溜息を一つ吐いた。




 壁を向いて座った俺の向かい側で、店内も見える方にいた友達は、自分達が座っている席の後に、スーツ姿の男性が座った事に気付いていた。
 でも、アイツは森崎の顔を知らないから、それがまさか話題になってる本人だとは思ってなかったらしい。
 喫茶店の外に出た途端、ゲラゲラと腹を抱えて笑い出した友達の横で、俺はもう、ホントに頭を抱えて座り込んでしまった。
 彼は何にも言ってくれなかったけど、絶対に、全部聞かれたとしか思えない。
 「あの顔は怒ってなかったし、鍵も貰えたから大丈夫だ」って、涙を流して笑いながら慰めてくれる友達と駅で別れて、一人でオロオロしたまま、彼の家にへとやってきた。


 確かに友達が励ましてくれた通り、森崎が怒ったのなら、鍵は渡してくれないと思う。
 とりあえず、その辺りは大丈夫なのかな……と、悶々と考え続けながら、初めて彼の部屋の鍵を開けて、中にへと入っていった。




「……あれ……急いでたのかなぁ?」
 今まで遊びに来た時とは、全く様子が違う部屋の中に驚きながら、持ってきた荷物を部屋の隅に置いた。
 朝、出勤前に使ったらしいマグカップはテーブルの上に置きっ放しだし、雑誌も読みかけで広げたまま、床の上に転がっている。
 脱ぎ捨てて行ったらしいパジャマが辛うじて隅に引っかかっている、寝起き状態で乱れているベッドの方を眺めながら、いつも割と綺麗に整えられている部屋しか見た事なかったから、ほんの少し驚いてしまった。
 きっと朝は忙しくて、片付ける暇がなかったんだろうな……と思いつつ、マグカップをキッチンの方に持っていって、水道の蛇口を捻って洗いながら、普段の部屋の中を思い返してみる。


 彼の家に遊びに来るのは、いつも土曜日の午後からだったし、そういえば、俺が部屋に入って荷物を置いたり、上着を脱いだりしている最中、森崎がゴソゴソと何かを片付けている時もあった。
 片付けてある部屋しか見た事ないのに、彼が「普段は散らかしてる」って言うのを不思議に思っていたけど、きっと平日はこんな感じなんだなぁと、ようやく少し理解出来た。
 俺だって自分の部屋はこんな感じだし、全然気にしなくても良いのになと考えつつ、置きっぱなしになっている物を、簡単に仕舞ってあげた。




 綺麗になった部屋の中、ぼんやりとローテーブルの前に座っていると、喫茶店で会った森崎の姿が頭の中に蘇ってきた。
 久しぶりに見たスーツ姿の森崎は、やっぱり大人っぽくてカッコ良いなと思ったけど、今はそんな呑気な事を考えている場合じゃない。
 彼の勤め先が近いのは聞いてたけど、普通に考えても仕事中な時間だったし、まさかあんな所に来るとは思わないから、本当に油断してた。
 いつから聞いてたのか分からないけど、友達の話だと、結構早い段階から俺の後ろに座っていたらしい。
 どの辺りから聞かれたのか、凄く気になってしょうがないけど、それ以上に『聞かれた事』自体が、かなり問題な気がする。
 特に最後の方なんか、かなり凄い事を言ってたよな……と自分で思い返して、またそわそわと落ち着かなくなってきた。


 森崎の事を考えると、大好き過ぎて胸が苦しい。本当に一人で考え込むのが辛くなってきたから、一番仲の良い友達に色々と悩みを打ち明け、解決しなくても良いから話を聞いて貰う事にした。
 ちょうど彼との待ち合わせもあったし、「金曜日にちょっとだけ話がしたい」って友達を誘うと、「夜にバイトがあるから、駅前の喫茶店がいいな」と返事が返ってきた。
 あの喫茶店はテーブルと席が広くて、其々の席も観葉植物やオブジェで区切ってあるから、ちょっとした隠れ家みたいになっていて、こっそりと内緒話がしやすい。
 だから友達とは、あの喫茶店で待ち合わせをして、話を聞いて貰う事にした。
 最初は確かに、一緒に「これからどうするか?」を考えて貰ってたけど、途中からは何だか俺一人で、あれこれと話していた様な気がする。
 ずっと誰にも気持ちを言えずに我慢していたから、友達が相手ではあるけど「森崎さんが好き」って口に出してしまった途端、もう止まらなくなってしまった。
 普段から隠し事はしないで、割と気軽に色んな人と話をする方だし、何より森崎本人にさえ「好き」って言うのを黙ってたから、色々と喋りたくてしょうがなかったのかもしれない。
 俺が一人で悩んでる間、ちょうど彼女が出来た友達の惚気話を延々と聞かされていたから、その鬱憤もちょっと溜まっていたんだと思う。
 普段、友達から聞かされているのに負けるもんか! と意気込み、最後辺りになったら、どれだけ彼の事を大好きだと思っているかを、声高に力説していた様な気がする。


「――――うわーっ……恥ずかし過ぎる……」
 それを思い出しただけで、頬が染まっていくのが自分で分かる。
 何だか耳まで熱くなってきて、もう真剣にいたたまれず、傍に置いてあるクッションを拾って顔を埋めた。


 森崎がいつから聞いてたのかは分からないけど、アレを本人に聞かれたとなると、もう本当にこのまま消えてしまいたい位に恥ずかしい。
 友達も、普段は鬱陶しい程に恋人の自慢話をしてくるけど、あれは本人には言ってないって事くらいは想像がつく。
 だから俺も、絶対に本人には言えないから……と思って、まさか彼が聞いてるとは知らずに、ここぞとばかりに話してしまった。
 俺から時間一杯まで「どれだけ森崎さんがカッコ良くて、俺は好きだと思っているか」を聞かされた後、その本人を目撃した友達は「確かに大人でカッコ良いな!」と言ってくれたけど、あまり慰めになっていない。
 クッションを抱えて顔を埋めたまま、床をゴロゴロ転がって身悶えていると、ガチャリと玄関が開く音がした。




 森崎が帰ってきたんだ、ってのは分かるけど、どんな顔して逢えば良いのか……と困ってしまう。
 もうどうしようもないから、クッションを抱き締めたまま床に転がっていると、部屋に入ってきた森崎が、ククッと小声で笑っているのが聞こえてきた。
 荷物を置いた彼がクローゼットを開けて、着替え始めた気配がする。
 微かに聞こえてくる衣擦れの音を聞きながら、ずっとこのまま悶えている訳にもいかないし……と、ようやく決心がついた。


「……森崎さん、どの辺から聞いてた……?」
「そうだな……奈宜は俺を好きなだけで、男が好きな訳じゃない、って所からだな」
 普段通りの声色で、あっさりと教えてくれた森崎の言葉を聞きながら、またクッションに埋めたままの頬が染まっていくのを感じた。
「マジで……それ、ほとんど全部だ……」
「そうなのか? まぁ、途中から聞いた割には話も分かったし、まだそんなに時間は経ってないんだろうとは思ってたが」
「その前は、今の状況を説明しただけ……じゃあ、俺が嘘吐いてる、ってトコも聞いてた?」
 それを聞くのが一番怖い所だけど、ここまで来たら、もうハッキリと聞いてみるしかない。
 床に転がったまま、恐る恐る問いかけてみると、服を着替えた彼が近寄ってきて腕を引かれ、膝の上にへと抱きかかえ上げられた。
 向かい合って抱き合ってみると、もうすっかり身体に馴染んでしまった、彼の腕が心地好い。
 でもやっぱり顔を見るのが恥ずかしくて、直ぐに肩口に顔を埋めると、また軽く笑った森崎が背中を軽く擦ってくれた。


「あぁ、聞いていた。俺は全く気付いてなかったから、少し驚いたけどな」
「……嘘吐いてたから嫌いになった? 怒ってる?」
「怒ってねぇよ。心配するな」
「ホント……? でも、本当にごめんなさい。嘘吐いたらダメだよなって思ったけど、言っちゃいけないのかなぁ……って」
「あぁ、分かってる。だから気にするな。言えなかったのは、俺も同じだ。奈宜だけじゃねぇから大丈夫だ」
 髪を撫でながら、優しく囁いてくれた彼の言葉の意味が、一瞬理解出来なかった。
 ゆっくりと肩口に埋めていた顔を上げて、ジッと彼の眸を見詰めると、軽くキスをしてきた彼は嬉しそうに笑ってくれた。
「森崎さんも同じ……って?」
「俺も奈宜の事を好きだと思っている。でも、奈宜が最初に言ってた事を思い出して、お前には、きっと好きな女がいるんだろうなと、そう判断してしまった。だから俺も黙っていた。『好きだ』って言った方が良いのか悩んだけど、奈宜は他に好きなヤツがいるんだろうと思っていたからな。俺の気持ちが奈宜の負担になって、もう来なくなるんじゃないか? って……そう考えると言えなかった。俺はずっと奈宜と一緒にいたいと思ってる。だから、奈宜が友達に話しているのを聞いて、本当に嬉しかった」
 穏やかな声で話し続ける森崎の顔を見詰めていると、途中から視界がぼんやり霞んできた。
 溢れそうになった涙を隠そうと、彼の肩にまた顔を埋めると、ぎゅっと強く抱き締めてくれた。
 密着した彼の胸の鼓動が、いつもよりドキドキと高鳴っているのが伝わってくる。それをすごく嬉しく感じながら、流れ落ちた涙を拭った。


「……聞いてたと思うけど、俺は……男だから、言えなかった。森崎さんは女の子としか付き合ってない、って知ってたから。だから、森崎さんに新しい彼女が出来るまでの間だけのつもりで……でも、やっぱり諦められなくて……」
「その気持ちは俺も分かる。俺も、奈宜が離れていくまでの間だけは……って思っていたからな」
「やっぱり、俺が最初に変な言い方したのが悪かったんだな……でも、好きとか言ったら迷惑だろうし、気持ち悪いって思われたら、もう会って貰えなくなるって思ったんだ」
「そうだな、それは俺も同じ様に考えていた。だが、奈宜も言ってただろう? 俺も、男が好きな訳じゃない。いくら頼まれたからと言っても、好きでもない男は抱けねぇよ。分かるか、奈宜」
 そう耳元で囁かれ、森崎に抱きついたまま考えてみる。
 言われた意味が分かった瞬間、思わずクスッと笑いながら、彼の背中に廻した腕にギュっと力を込めた。




 直ぐに同じ力で抱き返してくれた、彼の大きな腕の中に穏やかに包まれていると、今まで以上の安心感を覚える。
 彼以外の男と抱き合う事なんて考えられない気持ちと同じで、『抱いて欲しい』って、俺の言葉に応えてくれた彼も、最初から俺と同じ気持ちだった。




「……ん、分かった……そうだよな、俺と同じなんだよな。何でそんな簡単な事に気がつかなかったんだろ……」
「それは、俺にも言えるだろうな。気付いてみれば、最初から答えが出てたも同然なんだけどな。俺も少し、思い詰め過ぎてたんだろう。色々と心配させて悪かった、奈宜。もう大丈夫だ」
 涙声の呟きに答えてくれた彼の言葉に頷きながら、初めて、本当に素直な気持ちで頬を寄せて甘えてみる。
 今までだって何度もこうしていたけど、いつも胸の奥が痛くて、抱き合っているのに寂しくてしょうがなかった。
 それと全く同じ仕草なのに、森崎が「もう大丈夫だ」って言ってくれただけで、全然違って感じている。


 男同士の恋人なんて、きっと色々と大変だろうな……って、まだ子供の俺でも予想出来てしまう。
 ――――でも、彼が一緒にいてくれるなら、絶対に大丈夫。
 だからもう、彼を愛する事に、何の迷いもなかった。
 ようやく気持ちが落ち着いてきて顔を上げたら、直ぐに頬にキスされた。
 嬉しそうに微笑む彼の顔を見詰めながら、やっと大好きな彼と真っ直ぐ向かい合えた様な気がしてきた。


「……森崎さんも、俺が男だったから『好き』って言うの、迷ってた?」
「それが一番、大きな理由だろうな。俺は奈宜をずっと大切にしていく自信はあるが、やっぱり色々とあるだろうからな。お前にそんな思いをさせて良いのか……それで少し悩んでいたのも、言えなかった理由の中にあるだろう。あとは、奈宜に良い所ばかりを見せようとしていたからな。俺も少し、無理をしていた」
「俺に……? 森崎さん、無理してたの?」
「まぁな。今日、部屋の中を見て分かっただろうが、普段はあんな感じだ。それに言葉使いだって、もっと乱雑だし口が悪い。遊びに行った時だって、俺は自分からジュースなんか買いに行かねぇよ。きっと同年代の他のヤツより、俺は我侭な方だろうな。奈宜に嫌われたくないから、無理して落ち着いた大人のフリをしていた。どうだ、ガッカリしたか?」
 子供っぽい笑みを浮かべた初めて見る彼の姿に、何故だか今までより、ずっと近い距離を感じる。
 俺には手の届かない所にいる――そう思いこんでいた彼は、本当はこんなに傍にいたのに、気付いてなかった。
「全然。ジュースとか、俺が買いに行くから平気。部屋の片付けも楽しかった。俺もすごく無理してたから同じかも。もっと森崎さんに似合う位の大人にならなきゃ……って、頑張り過ぎてた」
「そうか。奈宜は普通にしてるのが、一番可愛い。だから、無理しなくてもいい。逆に俺の方が、何年か先のお前に怒られる様になるんじゃねぇのか? 『もっと大人になれ!』ってな」
「そうなのかな? でも本当にそうなったら、ちょっと嬉しいかも。俺、絶対に森崎さんには追いつけない、って思ってたからさ。同じ位になれたら良いな……」
 そう答えると、軽くキスしてくれた森崎に抱き締められたまま、ゴロリと一緒に床に転がった。
 今までと同じ様に抱かれているのに、全く違う穏やかな雰囲気が心地好い。
 恋人同士の真似をして貰ってるって思ってたけど、あれは全然違ってたんだな……と、ようやく気付いた。


 好きな人に「大好きだ」と伝えて抱き合う事を、こんなに幸せに思うなんて知らなかった。
 ずっと重苦しくてしょうがなかった気持ちが、嘘みたいに和らいでくるのを感じながら、彼の胸元に頬を寄せる。
 ゆっくりと髪を撫でてくれる彼の大きな掌と、背中に廻された腕に身を委ねたまま、愛されるってこんな感じなのかな……と、ぼんやりと思う。
 お気に入りの場所で微睡む仔猫みたいだなって、自分の姿に口元を緩めながら、大好きな彼に一杯甘えて、沢山のキスをして貰って、穏やかな一時を過ごしていった。






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