LovelyBaby 08

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 奈宜と約束している時間までに、何とか仕事を終えたいと思い、少々急ぎながら会社への道を急いでいた。
 金曜日の今日は特に仕事帰りの予定も無いし、仕事的にも早めに帰れそうだったから、奈宜が今晩のうちから泊まりに来る事になっていた。
 彼が週末に遊びに来る様になって数ヶ月が過ぎたけど、金曜から泊まりに来るのは、今日が初めての事だった。
 学校が終わって泊まりの準備をしたら、どうやら俺の会社がある駅前で待ち合わせるのに、丁度良い時間になるらしい。一応、もしかしたら残業が入るかも……とは言ってあるけど、出来るだけ約束の時間には間に合わせたい。
 この調子で行けば、何とか間に合うかと考えつつ、チラリと腕時計を確認した。


 社内でゴソゴソと仕事をしてれば、また何か急用が入るかもしれない。そう考えたら、少し纏めて帰った方が良いなと思いついて、会社近くの喫茶店にへと足を向けた。
 此処で少し休憩も兼ねつつ、報告を仕上げてしまって、後は提出だけでサッサと会社を離れてしまえば、今日の仕事は終われそうだ。
 そう考えながら、通い慣れた喫茶店の扉を開けた瞬間、一番奥の席に見える人影に、一瞬、足が止まった。
 無意識に声をかけようと思った奈宜は、どうやら以前話していた、この近所に住んでいる友達らしき少年と話をしている。
 私服姿の奈宜が浮かべている、やけに沈んで深刻そうな表情は、今まで俺には見せた事の無い、思い詰めた顔だった。
 無言でそっと歩み寄っても、小声で何かを連れの少年に話しかけている奈宜は、此方に気付いた様子も無い。
 飾られている観葉植物で互いの姿は見えない、奈宜の直ぐ後の席に腰を降ろすと、注文を取りに来たウェイトレスに指先でメニューを指して飲物を頼み、ボソボソと時折聞こえてくる、その会話に無言で耳を傾けた。




 他の客に怪しまれない様に、鞄の中からノートパソコンなどを取り出しつつ、頭の中は先程見たばかりの、奈宜の思い詰めた表情だけが浮かんでいる。
 いつも明るい笑顔を浮かべている奈宜が、あんな顔をして、俺に何か相談を持ちかけてきた事はない。
 だからその様子に本当に驚きつつも、勝手に思い浮かべてしまったその内容に、胸がざわついてしょうがなかった。
 何でも包み隠さず話してくれていると思っていた奈宜が、俺に話してくれない事となると、本当に限られていると思う。
 ――――だから、彼が好意を持っている女の事なんじゃないか?
 そいつと上手く行きそうにないのか、それとも……などと考え始めたら、もう居ても立ってもいられなくなってしまった。
 奈宜の横に置いてあるバッグは、きっと今夜、俺の所に泊まりに来る為の荷物だと思う。
 それが有る事にホッとしつつ、運ばれてきた珈琲を片手に、途切れ途切れに聞こえてくる奈宜の声に、静かに耳を澄ませてみた。




「……へぇ、そんな事になってるんだ。見つかった、までは聞いてたけど。その後は俺も忙しかったし、全然違う話題ばっかりだったもんな。奈宜が行ってる学校の友達には、話してないんだ?」
 コソコソと小声で問いかけてきた友達らしい少年の声に、奈宜が溜息を吐いたのが聞こえた。
「うん、何か言い出しにくくてさ。中学の同じ歳のヤツでは、俺だけがあの高校に行っただろ? すごく仲良い子とかは出来たけど、やっぱりまだ付き合いも浅いし。こういう話はしない方が良いのかな……って」
「あー、確かに。付き合いが浅いと言い難いよな。変な目で見られるんじゃないか? とか、考えるかもな。俺は奈宜が、本当はソッチ系じゃない、って分かってるけど」
「だろ? 俺だって、森崎さんが好きなだけで、別に男が好きな訳じゃないんだけど。でもソコだけ聞くとさ、やっぱり相談より先に、変な誤解するヤツもいるだろうし……」


 唐突に聞こえてきた自分の名前に、思わず飲んでいた珈琲を吹き出しそうになった。
 必死で咳き込みそうになるのを堪えている背後の様子には気付いてないらしく、奈宜は此方の気も知らず、呑気にまた大きな溜息を吐いた。


「あ、そうだ。相談って何だよ? 上手くいってる様にしか思えないけど。今日も、その森崎さんの家に泊まりに行くんだろ?」
「うん、そうなんだけどさ……確かに、今はすごく仲良くしてるんだけど。俺、最初に嘘吐いちゃったんだよな。それで今の関係になったんだけど」
「……は、何が? 意味分かんね」
「だから、森崎さんに『好き』とか言って、付き合って貰ってるんじゃないんだ。俺、『そういう事したことなくて、女の子に馬鹿にされんの嫌だから教えて欲しい』って……それで恋人同士の真似事みたいな感じで、付き合って貰ってるんだ……」
 ボソボソと告白する奈宜の言葉を聞きつつ、向かいの少年が呆れた様子でカップを手に取る音が聞こえてきた。
「……お前、何でそんな事になってんだ? 最初から『好きだ』って言えば良いだろ。何でそんな風に変な言い方したんだよ」
「ばか、だって男の人だぜ。昔は姉さんと付き合ってたし、その後も全部、女の子ばっかりだからさ……男の俺が告白して、気持ち悪がられたら嫌だなって思ったんだ。それで『もう来るな』とか言われたら困るし……それに、俺の事をまだ子供だって思ってるから」
「なるほど。まぁ、そう言われれば分かる気もするけどさ。でも、今は上手く行ってるんだろ? 今からでも、そう言えば良いんじゃねぇの?」
「ホントに……? でも、嘘吐いちゃったから怒られないかなぁ……って」
「じゃあ、黙っとくか。上手くいってるんだし、それでも問題ないと思うけど」
「でも、そしたら森崎さんに好きな女の子出来たら、ソッチに行っちゃうかもしれないだろ? 俺が好きなの知らないんだからさ」
「それが気になるんなら、やっぱり今からでも言った方が良いと思うな。奈宜も、そんなの考えながら一緒にいるって、気が重いだろ」
「うん、すっげぇ落ち着かない。でも、なんて言えば良いのか悩んじゃって……本当に嫌われたくないからさ」


 ボソボソと続いている奈宜と友達の会話を盗み聞きしつつ、何だか頭を抱えたくなってきた。
 確かに小声で話し合ってはいるものの、こうして後に座っている俺の方まで、しっかりと会話の内容が把握出来る位には聞こえてくる。
 背後に座ったのが俺だったから良いものの、他の知り合いだったらどうするつもりだったんだ? と、聞いてる俺の方がやきもきしてきた。
 何でこんな所で、そんな話をしてるんだ? と、心底呆れてしまうけれど、何だかそれも本当に奈宜らしくて、無意識に口元が緩んでしまう。
 本当に可愛いヤツだなと、改めて思いながら、取り出したまま放置していたノートパソコンの電源を入れて、仕事の続きに取り掛かっていく。


 顔は見えないから分からないけど、奈宜も友達に相談して少しは気が楽になってきたらしく、最初に聞いていた頃より、随分と明るい口調になってきた。
 アイツも色々と悩んでいたんだな……って、その事に気付いてやれなかった自分自身の余裕の無さを詫びつつ、友達を相手に、沢山の愛情が篭った気持ちを話している奈宜の素直な告白を、背中越しに聞いていた。






 友達がバイトに向う時間が迫ってきたらしく、背後で立ち上がる音が聞こえてきた。
 ゴソゴソとバッグを引き寄せている奈宜の気配を感じつつ、とりあえず大きく深呼吸をして、気持ちを何とか落ち着かせた。


「……奈宜」
 まったく気付く様子も無く、通り過ぎようとしていた彼を呼び止めると、その身体がビクリと震えた。
「――――森崎さん、……」
 このまま倒れるんじゃないか? って位に目を瞠って、面白い位に驚いた表情を浮かべている奈宜に、頬を緩めて笑いかけた。
「ソッチは、この近所に住んでいると言ってた友達か?」
「……あ、うん……バイト前で、あんまり時間がなかったから。駅に近い所で話そうか、って……」
 そう説明してくれる奈宜の言葉を聞きながら、横に放り出していた鞄を漁った。
「少し残業になりそうだ、あと30分位だな。先に帰って部屋で待ってろ。郵便がきてたら、それも部屋に入れておいてくれ。俺が帰ってから、一緒に食事に出よう」
「あ、うん……分かった……」


 キーホルダーに吊るしていた全く同じ鍵の一つを取り外して手渡すと、奈宜は素直に受け取ってくれた。
 それをしっかりと握り締めたまま、ボーッと放心状態で立ち尽くしている奈宜を、背後で聞いていた少年が腕を引いて引き摺って行く。
 和やかな笑顔を浮かべて会釈をしてくれた少年に苦笑いを返しながら、そういえば、ファーストフード店のバイトだって奈宜が教えてくれた事を、愛想の良い雰囲気の少年の姿を眺めつつ、思い出した。
 ようやく我に返ったらしい奈宜が、自分のキーホルダーにしっかりと鍵を通しているのが遠目で見える。
 どっちが奢るかで、ぎゃあぎゃあとレジ前で賑やかに騒いでいる二人の声を聞きつつ、とりあえず早く終わらせようと、またパソコンのモニターに視線を戻した。




 奈宜に渡そうと思いつつ、いつまでも躊躇っていた合鍵を、ようやく渡す事が出来た。
 あの話を聞いて、その上で合鍵を渡したとなれば、もうそれが答えではあるけど、あの奈宜の様子じゃ、まだ気付いてないかもしれない。
 随分と人懐っこい友達が、奈宜にそっと教えてあげるかもしれないけど、それとは別に、きちんと自分の気持ちも奈宜に話してやろうと思う。
 背中越しに聞いた彼の本当の気持ちが、心の底から嬉しかったから、同じ気持ちを奈宜にもちゃんと伝えてあげようと、そう心に決めた。


 こうして落ち着いた気持ちで考えてみると、奈宜の行動の答えなんて、最初から分かっていた。
 他人を騙したりする大人びた計算なんて出来る訳がない彼が、『抱いて欲しい』って言ってきた――――
 その行動そのものが、彼の気持ちの全てだった。
 今となれば単純に思える、そんな事にも気付けない位に、俺も奈宜に嫌われたくなくて、少しばかり自分を飾り立てていたのかもしれない。
 とっくの昔に気持ちは通じ合っていたのに、あれこれと悩み続けていた自分達の姿が、何だか自分でも愛おしく思えてきた。




 進むも留まるも自分次第だったのに、そんな事も分からずにいた。
 純粋な奈宜と比べて、随分と冷めた大人になったと嘆いていた自分の中に、こんな不器用で無垢な気持ちがあっただなんて、今まで気付いてもいなかった。
 でも、それはきっと、奈宜を愛してるって思わなければ、きっと一生知らずにいた一面なんだろう。
 そんな事を思いながら、ありふれた日常になっている仕事を無意識のうちに片付けていた。






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2009/3/26  yuuki yasuhara  All rights reserved.