秋桜 02

Text size 




 会社を出て駅へと向かう途中、携帯電話から保育園へと連絡を入れて、今朝言ってたよりも迎えの時間が早くなる事を告げた。
 保育園としては時間が変更になっても問題は無いらしく「分かりました。いつでもどうぞ」と和やかに返事を貰って、ようやく色々と気分的にも落ち着いてきた。
 一つが片付くと今度は違う方が気になってきて、寝ている邪魔になるかなぁと考えながらも、一応、自宅にへも電話をしてみた。


 やっぱり具合が気になるし、二人の体調も考慮して夕食のメニューを考えないと、逆に負担をかける事になってしまう。
 いつもより少し長めのコールで出てくれた義母に「少し早めに帰らせて貰えた」と告げると、ホッとした声色で喜んでくれた。
 一応、朝から「今日はパパの仕事が終わってだから、ちょっとだけ遅くなる」と説明はしているし、お迎えが遅くなっても駄々をこねる息子じゃないけど、祖母としては少々気になっていたらしい。
 寝込んでいる二人の具合もかなり良くなってきた事を聞いて安心しつつ、先ずは保育園にへと向かっていった。






「こんにちは、宮下です。お迎えに来ました」
 入り口のドアを開けつつ声をかけると、床に座って他の園児と遊んでいた息子が顔を上げた。
 皆で遊べる庭や遊具がある幼稚園の場合、お迎え時の手続きなどが少し違うらしいけど、此処は駅前にあるビルのフロアを一つ借りてやってる保育園だから、ドアを開けると園児達が遊んでいる部屋になっていて、その様子を見ながら話をする事になる。
 対応に出てきた保育士さんから、入り口近くに置かれたカウンター越しに今日の出来事を聞きつつ、促されるまでもなく帰る準備を始めた息子の様子を見守った。


 特に厳しく躾をした記憶は無いけれど、息子はお片付けや身支度に関する事は、自分で几帳面にやっている。
 家でもおもちゃで遊んだ後は必ず自分で決めた位置に戻しているようだし、寝る前に翌日の保育園に持っていこうと考えたらしき物を、通園バッグの横に整然と並べている姿を目撃した時には、本当に驚いてしまった。
 俺が子供の頃は人並みに忘れ物をしたり、出した物は片付けろと親に叱られていた記憶があるし、嫁に義父母も極普通の生活スタイルで特別に几帳面な方ではないと思う。
 一体、誰に似たんだろうなぁ……と改めて不思議に思いながら、保育士さんの手を借りる事なくサッサとおもちゃを片付け、通園バッグを背負って身支度を整えている息子の姿を眺めた。




 息子の前にいた年少の園児も、楽しそうにおもちゃを差し出したりして息子と並んで片付けた後、通園バッグを腕に通して帰る準備を始めている。
 随分と慣れた手付きで小さな子の身支度を手伝ってあげていた息子が、そのまま彼の手を引いて二人並び、トコトコと駆け寄ってきた。


「こら、大吾。お友達を連れてきちゃダメだろ」
 すっかり帰る準備を整えている子供達に声をかけると、息子の大吾は不満気に首を傾げた。
「えっ、なんで? 凛ちゃんと一緒に帰らないの?」
「お祖母ちゃんとママは風邪ひいて寝てるだろ。お家で遊んだりも出来ないし、今日はパパが迎えにきたから時間も遅いんだぞ」
「あ、そっか……じゃあ、お買い物も行かないで帰る?」
「それは奈宜先生に聞いてみないと。パパが勝手に決められないかな。奈宜先生の買い物がまだだったら一緒に行けるけどさ」
 いつもお友達の凛ちゃんと帰宅しているから、今日も当然そうすると思っていたらしい。
 普段と違う状況に少々戸惑った様子で聞いてくる大吾と話をしていると、小走りに駆け寄ってくる足音が聞こえてきた。


「大吾くんのパパ、こんにちは。意外と早く帰れたんだなぁ。ちょっと驚いたかも」
「こんにちは。奈宜先生がいる間に迎えに来れて良かった。凛ちゃんが帰ってしまうと、大吾も一人で待ってるのは退屈だろうからさ」
「最初からギリギリまで残ってるつもりだったんだけど、それよりも早くお迎えに来れるって電話があったから。それなら一緒に帰ろうと思って、大吾くんのパパが来るまで待ってる事にしたんだ」
 どうやら俺のお迎え時間が早くなるのを耳にして、凛ちゃんと二人で帰宅するのを待っていてくれたらしい。
 自分の荷物を抱えてやって来た奈宜先生も入れた4人で連れ立ち、保育園を後にした。




 初対面の時、「可愛らしいけど、随分とボーイッシュな先生だなぁ」と思ってた奈宜先生は、本当に男の子で、しかも俺と同級生だと聞かされた時は、真剣に腰が抜けそうな位に驚いた。
 俺と同じ歳になる奈宜の事を、皆は普通に「奈宜先生」と呼んでるけど、本当は先生じゃなくてアルバイトで来ているらしい。
 まだ奈宜が大学生だった頃、仕事を持っている姉の子供である凛を保育園まで送り迎えしている間に、保育士達や園児の親達と仲良くなって、大学卒業後は凛と一緒に保育園にお世話になっているそうだ。
 男性にしては随分と華奢な方だと思うけど、やっぱり女性よりかは力もあるから、女ばかりの保育士さん達から雑用係として重宝されているみたいだと、ずっと前のお迎え時に奈宜先生本人から聞いた事がある。
 そういえば森崎部長の奥さんも、奈宜と同じ成り行きで保育園でアルバイトを始めたそうだし、案外こういうきっかけでバイトを始める人は多いのかなと、意外な共通点に驚いてしまった。


 俺が保育園に来る機会なんて滅多に無いから、奈宜とはまだ数回ほどしか顔を合わせた事は無いけど、ちゃんと俺の顔を覚えてくれているし和やかに話しかけてくれる。
 二人で手を繋いで楽しそうに歩いている息子達の後ろに続いて歩きながら、のんびりとした会話を続けていった。




「あ、そうだ。奈宜先生、買い物は?」
 分かれ道近くで思い出して問いかけると、奈宜はちょっとだけ顔を顰めた。
「それがさ……皆がお昼寝してる時間に休憩を貰って、先に買い物に行って来ちゃったんだ。仕事帰りにお迎えだし、もっと遅いと思ってたから。こんなに早いんなら待っとけば良かったな」
 大吾と凛ちゃんは仲良しだし、帰り道も途中までは同じになるから、大吾をお迎えに来た義母と4人で、いつもスーパーで一緒に買い物をして帰ったりしているらしい。
 子供みたいな口調で少々残念そうに答えた奈宜の姿に、思わず口元が緩んでしまった。
「やっぱりそうだよな。どっちにしても、この時間から買い物に行ってたら奈宜先生の夕食の準備が遅くなるし、今日はそれで良かったと思うな。本当はもっと遅かったんだけど、金曜日は定時退社日だから少し早めに帰って大丈夫だって許可をくれてさ」
「そうなんだ。ウチの人も金曜日は定時で帰ってくるし、そういう会社は多いのかな」
「曜日は違ってたりするけど、一応、定時退社日を決めてる職場は多いみたいだな。そういえばさ、まだまだ先の話だけど奈宜先生は凛ちゃんが卒園後はどうするの? バイトは終わり?」
 仕事の話でふと思いついて問いかけると、彼は真顔になって考え込んだ。
「うーん……まだはっきりとは決まってはないけど、このままお手伝いを続けると思うな。もしかしたら、ちゃんと保育士さんの資格も取りに行くかも。子供は好きだから楽しいし、先生達も『凛ちゃんが卒園しても辞めないで』って言ってくれるんだ」
「そうなんだ。奈宜先生には似合ってて良いと思うな。俺は普通のリーマンだけど、奈宜先生はこういう仕事より、やっぱり子供と遊んでる方が向いてそうだしさ」
「ホント? ウチの人にも同じ事を言われるんだ。だから保育士さんになろうかなって、真剣に考えてるトコ。俺のお給料で生活する訳じゃないからお小遣い程度を稼げれば良いし、好きな事を楽しくやれる仕事を選ぶといいってさ」


 保育士さんやママ達の間では以前から有名な話らしいけど、奈宜先生はすごく年上の恋人と二人で同棲生活を送っているそうだ。
 その恋人が生活費全般を受け持ってくれて、奈宜が食事の支度や掃除などの家事全般をやってるんだろうなと、今の会話から想像出来てしまった。
 他所のお宅の話だから……と、義母や嫁は詳しい内容までは教えてくれないけど、俺が不在な休日に二人が大吾を連れて遊びに行った時、デート中な奈宜達と偶然バッタリ出会った事がある。
 随分と年上で頼もしそうな恋人を紹介された瞬間は、一瞬言葉が出なかった位に驚いたけど、同時に「だから奈宜先生はこういう雰囲気なんだな」と、物凄く納得してしまったと二人揃って話していた。


 それ以前に「ウチの人」って言い方は、どっちかって言うと奥さん的な立場の人が、旦那さんを例える表現じゃないのかなーと思うけど、あまりにも自然に言われてしまうと思わず聞き流してしまいそうになる上に、彼の場合、そもそもあまり違和感が無かったりする。
 奈宜は普段から女性に囲まれて生活してるし、義母達の目撃情報も入れて考えると、奈宜は普段から本当にお嫁さん的な生活をしているのかもしれない。
 仕事的にも俺達みたいなサラリーマンと違って、家庭を持っている年上の女性と接する事が多いから、やっぱりこういう雰囲気になってしまったのかなぁと、何となく分かった気がした。




「ママ、抱っこー!」
「あ。凛ちゃん、また間違えてる。俺はママじゃないよ、奈宜ちゃんだよ」
 スーパーへの分かれ道で立ち止まって話をしてると、大吾と手を繋いだままキョロキョロと俺達の顔を交互に見詰めていた凛ちゃんは、今日は一緒にお買い物はしないで帰るんだなと理解したらしい。
 腕を伸ばして抱っこを強請ってきた凛ちゃんを抱き上げて、ニコニコと楽しそうに話しかけている姿を、大吾の手を取ってあげながら一緒に眺めた。


「ママかぁ……これだけ毎日続けて面倒を見てたら、確かにママと同じだよな。奈宜先生とお姉さんって似てるの?」
 いくら保育園で仕事をしていて子供の扱いに慣れてると言っても、やっぱり、あまりにも拍子抜けする位に違和感が無い。
 本当の親子みたいにそっくりな凛ちゃんから「ママ」と呼ばれて上機嫌な奈宜に問いかけてみると、嬉しそうに頷いてきた。
「うん。俺も似てるなと思うし、周囲の皆からもそう言われるかな。身長が同じ位だし、顔も似てるからさ」
「そうなんだ。じゃあ、本当にママと間違えてるのかな?」
「凛ちゃんは『ママは二人いる』と思ってるみたい。性格は姉さんの方がしっかりしてるんだ。ウチの人は『奈宜の方がママに向いてる』って言ってたな。姉さんも子供好きだけど、仕事してる方が似合ってる。キャリアウーマンって言うのかな」
「奈宜先生に似ててキャリアウーマンなのか……ちょっとピンとこないな。一度会ってみたいかも」
「そのうち会えると思う。運動会とかお遊戯会は見に来る予定になってるんだ。去年は産休から復帰後の仕事が片付かなくて無理だったけど、今年は余裕があるから大丈夫みたい」
 そう話してくれる奈宜に抱かれたままの凛を見て、大吾も安心してくれたらしい。
 和やかに笑いながら「バイバイ」と手を振ってくれる二人に、時折後ろを向いて手を振り返しながら、随分としっかりした足取りになってきた息子と二人で、スーパーに向かって行った。






「それにしてもさ、大吾はホントに凛ちゃんと仲良しだな。パパが保育園にお迎えに行ったのは、まだ数回ってトコだけどさ。全部、凛ちゃんと遊んでた気がするけど」
 ふと思い出して聞いてみると、大吾はコクリと頷いてきた。
「うん。凛ちゃんはすごく可愛いから大好き。保育園で一番仲良しだと思う」
「そっかぁ……でも、凛ちゃんは男の子だもんな。大吾は保育園で、好きな女の子はいないのか?」
「いない。だって、凛ちゃんが一番可愛いよ。皆も凛ちゃんが一番可愛いって。その次が奈宜先生かなぁ。僕はどっちとも仲良しだから、いっつも皆に『いいなぁ』って言われてる」
 どうやら保育園の男の子達から一番人気があるのは凛ちゃんで、彼と一番の仲良しな息子は、皆から羨ましがられているらしい。
 少々自慢気に教えてくれる大吾の話を聞きつつ、父親としてはちょっぴり残念な気持ちになった。
 確かに、凛ちゃんと奈宜が一番可愛いなと思うけど、残念な事にどちらも男の子だし、大吾がいくら頑張ってみても凛ちゃんをお嫁さんには出来そうもない。
 奈宜先生にそっくりで可愛いし、性格的にも素直で大人しい良い子な凛ちゃんだから、本当にああいう子が大吾のお嫁さんに来てくれたら良いのになぁ……と、まだ少なくとも十数年は先の事を気に病みつつ、上機嫌な息子と二人でスーパーの中に入った。


「パパが一つだけおかずを作ろうと思うんだ。大吾は何が食べたい?」
 料理なんてさほど得意じゃないから、考えてみても、メニューも良さそうなのが思い浮かんでこない。
 こういう時は……と、義母や嫁に連れられて何かと買い物慣れしている大吾に問いかけてみると、ちょっとビックリした表情で見上げてきた。
「え、パパが作るの? じゃあ、ハンバーグかなぁ。ママのお手伝いした事あるから、丸くするの出来るよ」
「じゃあ、そうするか。サラダは買って帰ろうな。ドレが美味しいんだろう」
「うーんとね……この中じゃなくて、あっちに並んでるお店に美味しそうなのがあるよ! かぼちゃのサラダが食べたい」
「あぁ、専門店の方にあるのか。やっぱりスーパーで何を売ってるかは、大吾の方が物知りだな。パパはあんまり来ないからなぁ。ドコに何があるのかも分からないしさ」


 正直、時々は給料を全部使って遊び放題な、同期の友人達を羨ましく思う事もあるけど、やっぱりこうして息子の相手をしてると楽しくて、そんな気持ちもいつの間にか忘れている。
 俺と同じ歳の奈宜先生も、こんな気持ちで凛ちゃんの面倒を見てるのかなぁ……と考えながら、随分と慣れた様子でスーパーの中を案内してくれる大吾に連れられ、順調に買い物を済ませていった。






BACK | TOP | NEXT


2011/07/12  yuuki yasuhara  All rights reserved.