秋桜 03

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 お昼の休憩時間に買い物と下ごしらえを済ませていたから、夕飯の準備は直ぐに出来上がった。
 凛はまだ小さいし夕食は早めの方が良いから、保育園が終わった後の平日は母の所に連れて行ってあげて、俺の両親が面倒を見つつ晩御飯の日が多い。
 でも今日は両親とも二人揃って出かけてしまったから、俺が晩御飯を作ってあげて此処で食べて帰る事になっている。
 最近は帰宅が早めで落ち着いていた姉も、週末の今日は久しぶりに上司のお供で接待に駆り出される事になった。
 だから義兄も帰宅後の夕食が無くて、仕事帰りにコッチで夕食にするかも……と午前中にメールが来ていた。
 最近は将貴さんと二人だけの晩御飯が多くなっていたけど、今日は久しぶりに賑やかな夕食になりそうな感じだなぁと弾んだ気分で、将貴さんと俺に凛ちゃんも含めた三人と、仕事帰りに立ち寄るかもしれない義兄も入れた計四人分の夕食を滞りなく作っていった。




 人数が決まってなくて時間もバラバラ……と、以前の俺なら困ってしまう状況だけど、もうこの生活にも慣れてきたから、特に迷う事もない。
 まだ小さな凛が大好きで、いつも沢山食べてくれる野菜たっぷりのホワイトシチューを多目に作って、サラダも大皿から取り分ける様にして沢山用意しておいた。
 明日は土曜日だから、サラダが残っても昼食のサンドイッチとかに使えるし、シチューの残りもクリームコロッケやドリアに出来る。
 今日は食後も時間があるし、のんびりしながら食べる用に……とデザートも作りながら、リビング横の和室で大人しく一人で遊んでいる凛の方に視線を向けた。


 最初はあまり気にしてなかったけど、保育園で他の子達と接する機会が増えてくると、確かに男の子にしては静かな子だなと分かってきた。
 俺が小さい頃も「女の子みたいに大人しい子だね」とか言われてたけど、凛も負けず劣らず大人しい方だと思う。
 男の子達のお母さんは「一人で運動会やってるみたいだ」とか「大人しいのは悪戯してる時だけ」と愚痴っているけど、凛と一緒にいてそういう面で困った事は一つもないし、俺も何となく記憶に残っている通りに「奈宜が小さい頃も同じだった」と両親や姉が懐かしそうに話している。
 少し前までの凛は積木やレゴブロックがお気に入りだったけど、保育園のお絵描きの時間に先生達から「凛ちゃん、上手に描けたね」と褒められてからは、お絵描きも楽しくなってきたらしい。
 ペタンと一人で畳の上に座り込み、楽しそうにお絵描きして遊んでいる凛の姿を眺めながら、俺もこんな風に見えてたのかなぁ……と、何だか少し不思議な気持ちになってきた。






「奈宜ちゃんママ、ごはん終わった?」
 料理が終わらせキッチンを出てリビングの一角にある和室に向かうと、物音に気付いた凛が顔を上げ、嬉しそうに問いかけてきた。
「もう終わったよ。遅くなってごめんね、凛ちゃん。今日は『奈宜ちゃんママ』の日なんだ?」
「うん、奈宜ちゃんママ! ママ奈宜ちゃんがいい?」
「どっちにしようかなぁ……じゃあ、今日は奈宜ちゃんママにしようかな」
 ニコニコと上機嫌な凛に答えてあげると、楽しそうに笑いだした。


 普段は凛から「ママ」と呼ばれる事が多いけど、俺が「奈宜ちゃんだよ」って答えるからか、凛は時々二つを合体させて俺を呼んで、こっちの反応を見て遊んでいる。
 凛ちゃんにママと呼ばれても嫌じゃないし、むしろすごく嬉しいくらいだけど、本当のママになる姉に悪いかなと思うし、男の俺が凛ちゃんに「ママ」と呼ばれてたら事情を知らない人がビックリするだろうから、一応「俺はママじゃないよ」と教えてあげる事にした。
 まだ舌足らずな凛ちゃんは「奈宜」って言いにくいみたいで、時々「奈宜ちゃん」が「にゃぎちゃん」になったりするから、それでママの方が呼びやすいんだろうなぁとは思っている。
 俺としては内心、もっと正確に教えてあげる方が良いんじゃないかなーと思っているけど、皆は「本当のパパとママは誰なのか理解しているし、もう少し大きくなったら自然と区別するから大丈夫」とか言って全然気にせず、凛の好きな様に呼ばせている。
 だから凛ちゃんの話の中では、俺と姉さんがどっちも「ママ」で、将貴さんとお義兄さんが「パパ」になっているけど、一応、話の流れでどっちのパパとママかは区別が付くから、確かに大きな問題ではない。
 もしかして、俺が小さい頃も凛ちゃんと同じ様に、姉さんの事を「ママ」と呼んだりしていたのかなぁ……と少々不安になりつつ、ご機嫌な凛の隣に腰を下ろした。


「奈宜ちゃんママ、キリンさん描いて!」
「え、俺が? 凛ちゃん、お絵描きに飽きたんなら積木を出してこようか? すぐ出せる所にあるよ」
「お絵描きがいい。凛ちゃん、たくさん描いた。だから次はね、ママが描くの」
「あー、そういう意味なのかぁ。じゃあ、凛ちゃんが言った物の絵を、奈宜ちゃんが描けば良いのかな」
 座った途端に腕を取って抱きついてきて、そう強請ってきた凛からクレヨンを受け取りながら、何となく納得してしまった。
 甘えたがりの凛ちゃんは、一人きりで遊ぶよりも誰かと一緒の方が好きだから、大人しく俺を待っていてくれてたけど、本当は少々寂しく思っていたのかもしれない。
 もうあまり詳しく覚えてないけど、俺が凛と同じ年頃だった頃も、キッチンと居間を行ったり来たり……とソワソワしながら、夕食の支度を終えた母が戻ってくるのを待っていたような気がする。
 嬉しそうにぺったりと引っ付いて横に座ってきた凛が、あれこれとリクエストしてくる動物の絵を出来るだけ可愛く描いてあげながら、あと少しで帰宅する将貴さんを待つ事にした。






 先週末、両親とお祖父ちゃんにお祖母ちゃんの五人で遊びに出かけた凛は、大きな動物園に行って沢山の動物を見てきたらしい。
 それが随分と楽しかったらしく、保育園のお迎えに行った月曜日は朝からその話ばかりしていて、保育園でも仲良しの大吾くんを相手に、一日中、見てきた動物について楽しそうにおしゃべりを続けていた。
 凛は大きな犬でも怖がらず、自分から駆け寄って触りに行ってしまう位の動物好きだから、きっと本当に楽しかったんだろうなぁと微笑ましく感じたし、見ている此方まで何だか嬉しくなっていた。
 お絵描きを始めた最初の頃は、パパとママなど身近な人達をモデルにお絵描きしていた凛だけど、やっぱり動物園の印象が相当強かったみたいで、今週に入ってからは色々な動物の絵を飽きる様子もなく、楽しそうに描いている。
 週の半ば辺りにお祖父ちゃんが動物の絵本を買ってきたから、夕食後からママが迎えに来るまでの時間は、絵本で動物のお勉強もしているらしい。
 やっぱり興味のある事は色々と覚えるんだなぁと、予想以上に沢山の動物を次々にリクエストしてくる凛ちゃんにビックリした。


 今年で三歳になる凛は同年代の子供よりも言葉が早いみたいで、保育園の先生やお母さん達からも「おしゃべりが上手だね」といつも驚かれている。
 まだ単語をいくつか並べた程度で舌足らずな所はあるけど、確かに保育園で同じ歳になる子達と比べるとはっきりとした口調だし、内容も分かりやすくてちゃんとした会話になっている。
 そう考えてみると、凛を保育園に入れると決めた姉さん達は凄いなぁと、改めて感心してしまった。


 姉の仕事復帰が決まった時、まだ小さな凛を保育園に預けると聞いて、ちょっとだけ反対した。
 まだ言葉も片言な位に小さいのに、知らない人ばかりの所に一人で預けるのは可哀想だし、俺や母さんが交代で凛の面倒を見れるんだから、無理をして保育園に行かせなくても……と言ってみたのに、姉夫婦は「凛は大丈夫だから」と決めてしまった。
 凛ちゃんは全然人見知りをしない子だし、変に暴れたりする事もなく、大人しい性格をしている。
 それに一人っ子で周囲も大人ばかりだから、同じ年頃のお友達と遊ぶのも大切な事だ……と、姉ばかりじゃなく母にも同じ事を言われて渋々ながらも納得した。
 姉達の言い分は充分に理解出来るけど、それでもやっぱり俺としては心配でしょうがない。
 保育園への送り迎えついでに、遊んでいる様子をちょっとだけ見学させて貰ったりとオロオロしている俺を余所に、凛ちゃんは持ち前の人懐っこさで、あっという間にお友達を沢山作ってしまった。


 一番仲良しになった大吾くんは凛より少し年上の子で、性格もしっかりしてるし、話し方も上手な子だから、それも良い刺激になっているのかもしれない。
 そうこうしている間に俺の方まで保育園に馴染んでしまって、今では凛と二人一緒に毎日、保育園へと通っている。
 最初は少し不安に思っていたけど、保育園に入って良かったなと、いつも楽しそうに遊んでいる二人の様子を思い返しつつ感じていた。






*****






 またお絵描きしたくなってきた凛と交互に、色んな動物の絵を描いて遊んでいると、玄関にあるインターホンを押された軽やかな音が聞こえてきた。
「あっ、ピンポン鳴った。パパ、帰ってきた!?」
 途端に顔を上げて問いかけてきた凛に、和やかに頷き返した。
「そうだね。今日は早く帰ってくる日だし、きっとパパだな。凛ちゃんもお迎えする?」
「凛ちゃんも行く! パパお帰りなさい、ってする」
 週に何度かはこうして一緒に過ごしているから、凛は将貴さんにもすごく懐いていて、本当のパパ同然に甘えている。
 玄関の方に顔を向けて嬉しそうな凛に答えてあげると、二人一緒に立ち上がって、急ぎ足の凛ちゃんに続いて玄関にへと向かった。


 将貴さんは自分でも鍵を持っているから、玄関のインターホンを鳴らして合図をした後、俺が迎えに行くまでの間に、自分で鍵を開けて家の中に入っている事が多い。
 今日も既に俺達が辿り着く前に玄関を開けて、靴を脱いで上がりつつある将貴さんの元に、凛が嬉しそうに駆け寄った。
「パパ、おかえりなさい!」
「ただいま。凛ちゃん、良い子にしてたか?」
「してた! あのね、ママとたくさんお絵描きした。動物さん描いたよ」
 足元に絡み付いてくる凛ちゃんの頭を撫でてあげている将貴さんは、何だか本当の親子みたいでとっても微笑ましく感じてしまう。
 先立って歩きつつ、楽しそうにおしゃべりを始めた凛の話を聞いている将貴さんに並んで、彼の鞄を持ちながら、部屋の方にへと向かった。




 スーツから部屋着に着替えている将貴さんとお話をしていた凛は、クレヨンなどを出しっぱなしにしている事を、ふと思い出したらしい。
 元気に「凛ちゃん、お片付けしてくる」と言い残し、和室にへと向かった凛の様子に頬を緩めながら、壁時計に視線を向けた。


「将貴さん。今日は早く帰ってくる日だけど、それでも普段よりちょっと早かった気がするんだけど」
 改めて時間を確認しつつ問いかけると、彼も時計の方へと視線を向けた。
「あぁ、そうだな。いつもより早めに退社したが、時間そのまま早くなった感じだな。家庭の都合で早退した者がいて、それで何となく皆も帰る準備を始めた。終了時間直ぐに帰宅出来たからな」
「そうなんだ。この時間帯は電車も多いし待たなくて良いから、それもあるのかな。俺は少しでも早い方が嬉しいけど」
 ほんの数十分程度ではあるけど、やっぱりちょっとでも早く帰ってきてくれると嬉しいなって、彼と一緒に暮らし始めて何年も過ぎた今でもそう思う。
 あれこれと話しながらリビングへと向かう途中、頬を緩めた将貴さんと軽くキスを交わした瞬間、パタパタと軽やかな足音が聞こえてきた。


「あー! パパとママ、チューしてる。凛ちゃんもー!」
 予想外の可愛らしい大きな声もだけど、その内容にも驚いた。
 一瞬、何と答えれば良いのか言葉を出せずに固まってしまった俺の隣で、普段と変わらぬ表情を浮かべた将貴さんが、駆け寄ってきた凛を抱き上げた。


「こら。凛ちゃんはパパとママがキスするの、こっそり覗いてたのか?」
「違うもん! クレヨンお片付けしたのに、パパとママ来ないからお迎えに来た。凛ちゃんもママと一緒に、良い子でお留守番してた。だから凛ちゃんも!」
「あぁ、なるほど。ママだけじゃなくて、凛ちゃんにもキスしろって事か」
 納得顔の将貴さんが、抱き上げた凛の頬に軽くキスしてあげると、それで満足してくれたみたいで大人しくなってくれた。
 いきなりだったし、一体、何を言い出したのかとドキドキしたけど、どうやら凛ちゃんはほっぺにキスして貰いたかっただけらしい。
 望み通りに頬にキスして貰って、とっても嬉しそうな凛の様子にホッと胸を撫で下ろしながら、皆でリビングの方にへと向かって行った。






 二人だけで夕食の時はリビングのテーブルで夕食にする事が多いけど、今日は凛がいるから和室で夕食にしようと考えていた。
 特に将貴さんには伝えてなかったけど、和室に座卓を出しているので分かったみたいで、凛を抱っこしたまま和室にへと連れて行ってくれた。
 クレヨンなどはきちんとお片付けした凛も、お絵描き帳だけはまだ残しておいて、夕食前に将貴さんへ見せようと考えていたらしい。
 畳の上に広げて「これはママが描いた。コッチは凛ちゃん」と絵を指差し、将貴さんに一生懸命説明している凛の様子を気にしながら、夕食の準備に取り掛かった。




「あ、そういえばさ。凛ちゃんはどうして、良い子でお留守番してたからパパにチューして貰おうって思ったの?」
 これ位の年頃の子供は全員そんな感じだけど、頭に浮かんだ言葉だけで話してくるから、何かと唐突な言動になる事が多いのは分かっている。
 それは理解しているものの、先程のおねだりに関しては、やっぱり少々繋がりがはっきりしない。
 晩御飯を座卓にへと運びつつ、ふと思い出して問いかけると、凛は不思議そうに首を傾げた。


「凛ちゃん、良い子にしてたらごほうびあげる、って言われた。ママはパパが帰ってくるまで良い子でお留守番したから、パパにごほうびのチューしてもらったと違う……?」
「そっか、ご褒美でほっぺにチュッなのかぁ……凛ちゃん、それは誰に教えて貰ったの?」
「おじいちゃん! あのね、凛ちゃんが『保育園で仲良く遊んだ』って言ったら、良い子だからチューしてくれる。抱っこもしてくれた」
 話を聞いた瞬間、何となく大体の話が予想出来てしまったけど、やっぱり案の定、思い浮かべた通りの名前が返ってきた。
 確かに俺も小さい頃、父からそれと似た様な事を言われて抱っこされていた気がするな……と、溜息混じりで遠い昔の記憶を辿っていると、凛の相手をしつつ話を聞いていた将貴さんがククッと小声で笑った。


「まぁ、間違いではないな。ママがとっても可愛いから、パパがご褒美をあげた様な感じだ」
「良い子だけじゃなくて、可愛くてもごほうびあるの?」
「そうだな。凛ちゃんも同じだと思うぞ。良い子にしてたのと可愛いのと、両方合わせてのご褒美だな。明日になっても覚えてたら、おじいちゃんに聞いてみるといい」
「うん、分かった。でも、明日まで覚えてるかなぁ……」
 凛は素直な性格の子だから、いつも皆から言われた事について疑いもせず、何でも真面目に聞き入れている。
 ジッと顔を見上げている凛の頭を撫でであげつつ、そう話しかけている将貴さんの姿に、今度は違う意味で溜息を吐いた。


「もう……父さんだけじゃなくて、将貴さんまでそういう事ばっかり教えるんだから。凛ちゃんは素直だから、そういうのはしっかり覚えちゃうと思うんだけどな」
「良いんじゃないか? 間違った答えじゃないし、お父さんも凛にキスしてあげる理由が増えて喜ぶだろう。それにしても、ご褒美でぽっぺにチュッか。凛ちゃんを喜ばせようと、お父さんも色々と考えているんだな」
 何故だか妙な所で感心してしまったらしく、将貴さんが意外と真面目な声色で呟いた。


 確かに凛ちゃんも喜んでいるけど、小さい頃から父の言動を見ている俺の考えでいえば、将貴さんの感心事とは、ちょっとだけ違う気がする。
 父の場合、どちらかというと自分が一番楽しんでるんじゃないかなぁ……と想像しながら、またお絵描きの話に戻った二人を前に、夕食の支度を整えていった。






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