HoneyDrops 08

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 元々お互いに口数の多い方じゃないから、話が終わると無言になるパターンが多い。
 そういう理由もあってか、チラチラと走らせていた視線を通り過ぎて、もはやガン見状態で窓の外を見詰めている兄と一緒に、奈宜がやって来るのを静かに待った。


 時間にしたら5分程だと思うけど、奈宜の到着を待ち侘びている兄にとっては、長い時間だったのかもしれない。
 突然、嬉しそうに頬を緩めて、窓の外に向かって軽く手を上げた兄の様子だけで、ようやく奈宜が到着したんだなと容易に判断が付いた。
 相手は恋人の奈宜だから単純に比べてもしょうがないけど、それにしても、この態度の違いは酷いと思う。
 俺が目の前にある椅子に座った時は、チラリと横目で確認しただけだったのに……と呆れつつ、兄が見詰めている方に、何気なく視線を向けた。




「……母さんから聞いてたけど。奈宜ちゃん、ホントに可愛くなったな……」
「あぁ? だから先程から、俺が何度も説明してるじゃねぇか。てめぇ、聞いてなかったのか?」
 速攻で荒っぽく罵られたけど、兄の顔はデレデレと緩みっぱなしだから、全然怖くも何ともない。
 視線すら向けずに言葉だけを返してきた兄の前に座ったまま、近寄ってくる姿を、少々驚きつつジッと見詰めた。


 母から「昔の印象と変わらない」と聞いていたから、それなりに想像していたつもりだったけど、これはかなり予想外だと思う。
 ちょっと華奢だなぁとは思うけど、身体つきは男の子だし、別に女っぽくナヨナヨしている訳でもない。
 嬉しそうに口元を綻ばせて足早に近寄ってくる姿は、どう見ても極普通の高校生男子なんだけど、何故だかやたらと可愛いらしくて、心の底から驚いてしまった。
 何をどうやったら、こういう愛くるしい男の子に育つのか分からないけど、確かにこれなら「嫁にしよう」とか考えても不思議じゃない。
 自分達が高校生だった頃を基準に想像してたけど、それはかなりの間違いだったと思う。
 むしろ、その頃に付き合っていた彼女を基準にすれば良かったんだな……と省みながら、兄の隣に腰を下ろす奈宜の姿を、呆然と見守った。




「少し遅かったな。迷ったのか?」
 そう問いかけた兄に向かって、荷物を脇に置いている最中の奈宜が、楽しそうに頬を緩めた。
「ううん、迷ってない。一本乗り遅れたのと、駅のロッカーが空いてたらコレを入れて行こうかなぁと思って、ちょっとだけウロウロしてきた」
「あぁ、ソレか……意外と沢山あるな。重かっただろう」
「そうなんだよな、本だからさ。見た目より重いかも。結局、どこのロッカーも空いてなかったから持ってきた」


 俺に話しかけてくる時とは大違いな、兄の不気味な位に優しい口調にもビックリするけど、近くで見ても正真正銘可愛らしい奈宜の方に、もっと大いに驚いてしまった。
 こんな可愛いのがやってきて家族になるんだから、そりゃあ母さんも喜ぶだろう。
 喧嘩ばかりだった男臭い兄弟が比較対象だろうから、華奢で可愛い奈宜は男だけど嫁同然だなと、つくづく納得していると、急に此方に視線を向けてきた奈宜が、ニコリと可憐に微笑んでくれた。


「達兄ちゃん、お久しぶり! ちょっと待たせちゃってごめんなさい」
「あー、全然大丈夫。俺も来たばかりだから。それより、母さんからも聞いてたけど、奈宜ちゃんはホント可愛くなったなぁ」
「え、そうかな? 自分じゃ分からないけど。でも、ありがとう。達兄ちゃんも元気そうで良かった。俺も森崎さんやお母さんから、達兄ちゃんの事は色々と聞いてたんだ」
 あの頃と同じく、「達治」という名前の一字を取って「達兄ちゃん」と無邪気に呼びかけてくれる姿に、無意識に頬が緩んでしまう。
 確かにこれだけ可愛ければ、兄が自信満々で「そこら辺の女以上に可愛らしい」と自慢するのも頷ける。
 幼い頃から全く変わらず人懐っこい笑顔の奈宜と話していると、彼の隣に座っている兄が、やけに顔を顰めているのに気付いた。


「――――……おい、奈宜。何でアイツは『達兄ちゃん』で、恋人の俺が『森崎さん』なんだ? 俺の方が他人行儀に聞こえるじゃねぇか」
 奈宜から「森崎さん」と呼ばれている兄は、俺が昔通りに「達兄ちゃん」と呼ばれたのを聞いて、いたく憤慨してしまったらしい。
 腕を組んでムスッと顔を顰めたまま、不満気に詰問してくる兄を見詰め返しながら、隣に座る奈宜は苦笑いを浮かべて、ちょっとだけ肩を竦めた。


「別にそんなんじゃないけど。昔から、そう呼んでたからさ。何となく……って感じかな?」
「それは分かるが。恋人の俺が『森崎さん』なのに、他のヤツを名前で呼ぶってのは、どう考えてもおかしいじゃねぇか。少なくとも俺は『将貴さん』で、アイツを『森崎さん』だろう」
「え、そうなんだけど……まだちょっと恥ずかしいんだってば。俺も『森崎さん』じゃなくて、そろそろ名前で呼ばなきゃとは思ってるんだけど」
「だから、いつも『将兄ちゃん』でも良いと言ってるじゃねぇか。『森崎さん』と呼ばれるより遥かにマシだ」
「うーん……どうせなら、ちゃんと名前で呼びたいな。でも、まだちょっと照れちゃうんだよなぁ。達兄ちゃんみたいに、昔と同じ気持ちだったら恥ずかしくないんだけど」
 頬を染めて恥らう奈宜と、それを甘々な口調で責め立てる兄は、最初は確かに名前呼びの話をしてた筈なのに、そのまま痴話喧嘩に移行してしまったらしい。
 きっと、いつもこうして遊んでるんだろうな……と考えながら、いちゃいちゃと仲の良い二人を、呆気に取られつつ眺めてしまった。


「……まぁ、いきなり名前呼びは無理だって。少し練習してからでも良いんじゃね? 注文終わってから、ちょっとやってみれば良いと思うな」
 いつまで経っても痴話喧嘩は終わりそうにないし、とりあえず腹も減ってきた。
 一旦中断させて注文しようと、場所を忘れて戯れている彼等に呼びかけてみると、ようやく二人だけの世界から戻ってきた兄が、チラリと視線を向けてきた。


「そうだな、とりあえず注文しておくか。料理が来るまでの間に少し練習してみよう」
「え、良いけど……ちょっと恥ずかしいな。達兄ちゃんにも聞かれるしさ」
「馬鹿、コイツが聞いてる位で照れていたら、いつまで経っても呼べねぇだろう。それに、コイツが勧めてくれたんだからな。奈宜が遠慮する事はない」
 掌中の珠と愛でるお姫様な奈宜に比べたら、弟の俺なんか、下僕同然の立ち位置になって当たり前だと思う。
 それに反論する気も全くないから、サッサと通り掛った店員を呼び寄せると、アレコレと話し続けている二人に横槍を入れつつ、宥めすかして好みを聞き、勝手にパスタを注文してあげた。


 何とか注文を終わらせると、今度は無口な観客となって、奈宜の練習に付き合う役目が待っている。
 もっとも、人一倍恥ずかしがり屋らしい奈宜が一度で呼べる筈もなく、是が非でも「将貴さん」と甘く名前を囁いて貰いたいらしい兄と、また痴話喧嘩を始めてしまった。
 本気の喧嘩なら仲裁しなきゃと思うけど、どう見ても恋人同士の喧嘩ごっこだから、このまま放っておいても大丈夫だと思われる。
 色んな意味で賑やかな二人の様子を肴に、真昼間のパスタ屋の片隅で食事が到着するのを、ぼんやりと待ち侘びた。




 それにしても、奈宜が到着した後の、兄の予想外な変貌ぶりには本当に驚いてしまう。
 少なくとも、恋人に名前を呼んで貰えないからと拗ねて強要している姿なんて、想像出来る範囲を軽く超えてしまっている。
 兄貴って、昔からこんなキャラだったかなぁ……と真剣に悩みながら、崩壊していく自分の中の兄貴像に、一人静かに思いを馳せた。


 以前にも、何度か兄のデート現場に偶然遭遇した事はあるけど、こんな甘ったるいやり取りは、今まで一度も見た記憶が無い。
 女の子に連れられるがまま面倒臭そうに歩いていて、もし、気軽に名前で呼ぼうものなら「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇ!」と怒り出しそうな雰囲気すら漂わせていた。
 そういう冷酷でクールな性格の兄貴だと思っていたけど、あれは世を忍ぶ仮の姿で、コッチが兄本来の姿なんだろうな……と、奈宜を相手にデレデレと頬を緩めている兄を見て、冷静に確信した。


 兄の事は20数年間見続けてきて、もう何でも知ってると思っていたのに、どうやらそうでもなかったらしい。
 こんな甘々な雰囲気で、「奈宜が恋人になったから、これから同棲して……」などと説明されれば、昔の兄を知っている分、何の心配も無く納得出来る。
 兄貴って意外とツンデレだったんだな……と新たな発見に驚きつつ、奈宜を相手に「『将貴さん』と呼べ!」と強制している兄の姿を、若干心弾ませながら楽しく観察していった。






*****






「そういえば、奈宜ちゃんって本好きなのかな? 随分と沢山入ってそうだけど」
 予想外に口に合うパスタに舌鼓を打ちつつ、ふと思い出して問いかけると、フォークを置いた奈宜がゴソゴソとバッグの中を漁り始めた。
「本は嫌いじゃないけど、コレはちょっと違うかな。全部、料理の本なんだ。レシピブックって言うのかな?」
「え、料理の本なんだ。作り方が載ってる本?」
「そんな感じ。姉さんがお嫁に行く時、お友達がプレゼントしてくれたんだって。もうパソコンに取り込んだから、本の方は俺にあげるって言われた」
 そう説明しながら、一番小さくて薄い本を差し出してきた奈宜から受け取り、中をパラパラと眺めてみた。
 確かに料理の作り方ばかりが載っている本を見詰めながら、男の子なのにこんなの読んで勉強するんだなぁと、変な意味じゃなく感心してしまう。
 とはいえ、俺が見ても何の事やら……だから、美味しそうに撮られている料理の写真だけを眺めて、奈宜の手元に返した。


「ホントに料理の本だな。俺なんかが見ても、写真眺めて『美味しそうだなー』位しか分からないけど」
「あ、俺も似た様な感じかな。今までお手伝い程度だったから、まだ練習中だしさ」
「でも、ちゃんと作ろうとか思うだけで凄いと思うな。それにしても沢山あるよな……」
 チラッと見えただけでも5、6冊は入ってそうなスポーツバッグを見詰めて、思わずそう呟いた。
 読み捨ての週刊誌と違い、何度も読み返す目的で綺麗な紙に印刷してあるから、確かに見た目より重いだろう。
 これじゃあ、持ち歩かずにロッカーに入れておこうかと悩むだろうなと納得してると、無言で話を聞いていた兄が、フンと軽く鼻で笑った。


「アイツの事だ。俺と奈宜の休日を邪魔しようと考えてるんだろう。平日の奈宜は実家で暮らしているんだから、お母さん経由で実家に持っていけば充分だろう。わざわざ土曜日に呼びつける理由がない」
「あぁ、なるほど……そういう下心が含まれている可能性もあるのか」
「間違いねぇだろうな。だから今日も『弟と昼食を食べに行く予定があるから、早く帰してくれ』と、お兄さんにメールを打っておいた。アイツにメールした所で『見てなかった』と白を切られて終わりだからな」
 大昔はそれなりに恋人同士だった二人だけど、どうやら今は、奈宜を巡る攻防戦を激しく繰り広げているらしい。
 何気に巻き込まれてしまっている姉の夫に対して、色々と大変だな……と秘かな同情を感じていると、レシピブックを仕舞った奈宜が、少し困った表情を浮かべながら、またフォークに手を伸ばした。


「姉さんは昔から、ちょっとだけ過保護なんだよな。俺は男の子だし、そんなに心配しなくても大丈夫だって言ってるんだけど」
「まぁ、少しはしょうがないかな。歳も離れてるし、色々と気になるんだろうな」
「そうみたい。今日もすっげぇ聞かれた。俺も休日は森崎さんと沢山一緒にいたいから、どうしようか迷ったんだけど。でも、料理の本は欲しいし、ちょっとだけ顔出して貰って来れば良いかな? って、取りに行ってきた」
 小さな頃から家族思いで優しい性格の奈宜だけど、今は最愛なる彼氏と一緒に、少しでも長い時間を過ごしたいらしい。
 姉もそれが分かっているから、あの手この手を使って、奈宜があっさりと断ってこない用件を色々と考えてるんだろう。
 当分は続きそうな騒動に、出来るだけ巻き込まれない様にしなきゃ……と改めて思いながら、兄と並んで美味しそうにパスタを食べている奈宜に視線を向けた。


「俺なんか、カップラーメンのお湯を沸かすだけでも面倒だから、絶対に料理とかダメだろうな。そんなに楽しいかな?」
「うん、やってみたら結構楽しかった。美味しく作れたら嬉しいし、もっと上手にならなきゃ! って思う。同級生の女の子達も、見終わった料理の本を貸してくれるんだ。夏休みの間もソレ見ながら、ずっと母さんに教わって作ってたし。今なら学校の中でも、俺が一番上手に作れるかも」
 二人きりの楽しい夕食を思い出したのか、嬉しそうに頬を緩めた奈宜が、声を弾ませて教えてくれた。
「――――え、同級生? じゃあ、学校の皆にも、兄貴との事は教えてるんだ?」
「うん。もう教えてる。最初は皆には内緒にしてたし、変な目で見られるかな? って迷ったんだけど。『恋人はいない』って事にしてると、皆が色んな子を紹介してくれそうになるんだ。それなら、ちゃんと恋人がいるって言った方が良いからさ」
「へぇ、そうなんだ……皆は普通に聞いてくれた?」
「俺も心配だったけど、全然大丈夫だった。皆にも『奈宜くんなら、年上の男の人が恋人でも納得!』って言われた。俺、小さい頃から森崎さんが大好きだったからさ。やっぱりそういうのって、言わなくても分かるのかな」
 初々しくはにかみながらも、無意識に惚気まくっている奈宜の話を、兄は緩みそうになる頬を必死になって堪え、パスタを食べて誤魔化しながらジッと無言で聞いている。


 奈宜は多分、学校の友達相手でもこの調子で、教室の片隅に集まった皆に向かって、甘々な打ち明け話を繰り広げているに違いない。
 毎日毎日こんな話を延々と聞かせられたら、そりゃあ皆も問答無用で納得するしかないだろう。
 本人に自覚は無いまま、ある意味、強烈な力技で有無を言わさず、周囲を次々と説き伏せている奈宜の天然ぶりに、ほんの少し畏敬の念を感じてしまった。


 ともあれ、奈宜と一緒に薔薇色の人生を手に入れた兄の事を、何だか色々と羨ましいなぁ……と本気で思う。
 俺も時々ちょっぴりで良いから、こういう甘い時間を過ごしてみたい。
 結婚式に情熱を燃やし過ぎて、新婚生活が燃え尽き症候群になりそうな彼女に、お手本として甘々な兄と奈宜の新婚生活を見せておかなきゃ……と考えながら、「新しい家に引っ越したらお弁当も作ってあげる!」と、今年の冬を通り越し、早々と来年の春の話をしている二人の声を聞きつつ、黙々と美味しいパスタを平らげていった。






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2010/03/01  yuuki yasuhara  All rights reserved.