HoneyDrops 05

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 本来の主役は結婚する姉達だから、隅の方にいる俺達の事なんて、意外と皆、気にしてないのかもしれない。
 奈宜と一緒に移動した会場の席に座りながら、内心、ホッと胸を撫で下ろした。


 お互いにキャリアがある、ほとんど職場結婚に近い二人だから、披露宴の席順も仕事関係の招待客や、昔からの友人達が中心になっている。
 そんな感じで、俺と奈宜が座る家族席は隅の方になっているから、意外と静かで居心地が良い。
 隣に座っている奈宜も、初めは立派な会場の雰囲気に緊張した面持ちを浮かべていたものの、直ぐに慣れた様で、もうすっかり落ち着いてくれた。
 会場の下見をする姉のお供で、何回か此処を訪れたそうで、その時にコース料理の試食もさせて貰えたらしい。
 随分と豪華らしい料理の事を楽しそうに教えてくれる奈宜は、やっぱり本当に可愛らしくて、つい、此処が何処だか忘れそうになってしまう。
 こんなに楽しそうにしてくれるのなら、非公式ながらも、俺と奈宜の模擬結婚式でも行おうかと、半ば真剣に考えてしまう。
 賑やかな喧騒の中、奈宜と二人でボソボソと話していると、背後を通り過ぎようとしていた男が足を止め、顔を覗き込んできた。




「あ、森崎。こんな所にいたのか。二次会には不参加なんだって? 久しぶりに一緒に飲めるなーと思って、楽しみにしてたのに」
 そう声をかけてきた高校時代に同級生だったコイツとは、彼が去年結婚してから一度も飲みに行ってない。
 新婚早々引っ張り出すのもなぁ……と遠慮していたのもあるし、今年に入ってからは、俺の方が奈宜と付き合い始めて忙しくなり、気付けば連絡も疎遠になっていた。
 其々に家庭を持つ年代だから、そちら優先になってくるのは当たり前だし、意外とこういう機会に纏めて会っておく方が、色んな意味で良さそうな気がする。
 次からはそうしようと考えつつ、久しぶりの顔に視線を向けた。


「今日は遠慮する事にした。奈宜はまだ高校生だから一緒に酒も飲めないし、あまり遅くまで連れ歩くのもな……次の機会には参加するから、その時にでも」
「あ、確かに。酔っ払った大人ばっかりの中でご飯食べても、奈宜ちゃんは全然面白くないよな。お姉さんの結婚式の二次会とはいえ、あんまり夜遊びさせるのも何だし」
 答えた瞬間に「あ……」と思ったものの、言われた方は、さほど不思議に思わなかったらしい。
 あっさりと納得した元同級生を見詰めていた奈宜が、ちょっと楽しそうに頬を緩めた。


「俺は一緒に行きたいなって思ってたんだけど。父さん達や姉さんに『夜中までのお酒の席は、まだちょっと早いかも』って言われたんだ。来年だったら大学生だし、一緒に行けたんだけどな」
「まぁ、それはしょうがねぇよな。それにしても、奈宜ちゃんも大きくなったよな。俺の事は覚えてる?」
「ん、覚えてる。小さい頃、森崎さんといる時に偶然会って、何度か一緒に遊んで貰ったから」
「ホントに? 嬉しいなぁ。もう絶対に覚えてないよなって諦めてたんだけど。あの時は小学生だったけど、もう高校生なんだよなぁ。そりゃあ、俺も年取って当たり前か」
 当時から人懐っこくて可愛かった奈宜に「覚えてる」と言われると、やっぱり嬉しいものらしい。
 久しぶりに会話を弾ませる二人を眺めながら、この状況に何だか妙に納得してしまった。




 10年前の当時も、付き合っていた筈の奈宜の姉とデートに出かけるより、小学生の奈宜を連れて買い物に行ったり、公園で一緒に遊んでいる時間の方が、当たり前に多かった。
 そういう時に高校の同級生に偶然出会う事も頻繁にあったし、中には、奈宜は俺の弟だと、普通に勘違いしているヤツも結構いた記憶がある。
 姉が俺の部屋に遊びに来るのをキッパリと断っても、「もっと一緒に遊びたい!」と強請る奈宜は、しょっちゅう家まで連れ帰っていたし、そのまま俺の部屋に泊まらせて、今みたいに休日を一緒に過ごしていた事もある。
 そう思い返してみると、ある意味、当時から奈宜と付き合っていたも同然だなぁと、自分自身でも驚きながら、さほど気に留める風でもなく、軽く声をかけてくれながら通り過ぎていく友人達に、座ったまま挨拶を返した。


 親族でもない俺が家族席に座ってたり、奈宜が参加出来ないからと二次会の出席を断るのは、よく考えれば少々おかしな話だと思うけど、あの当時の印象が残っていれば、さほど不思議に思わないのかもしれない。
 姉と別れた後、今度は弟と付き合ってるとは誰も想像出来ないだろうし、多分、あの頃の状況そのままに、可愛い奈宜の話相手になってるんだなと、皆も勝手に納得してるんだと考えられる。
 やっぱり変な遠慮するんじゃなかった……と、改めて奈宜と離れていた数十分の挙式不参加を後悔しながら、親族に向けられる祝福の言葉を、奈宜と一緒に家族席でありがたく受け取っていった。






*****






 気配りと段取りのプロである奈宜の姉が、自ら綿密にプロデュースした披露宴は、逆に少々悔しくなってくる位に快適で、楽しい時間が過ぎていく。
 こういう場合の退屈さの原因である祝福スピーチや余興も、かなり綿密に人選と時間を取り決めした様で、もしかしてリハーサルでもやったんじゃないか? と勘繰りたくなる程、飽きる間も無くサクサクと順調に進んでいく。
 基本的には自由に話をしたり、料理を楽しむ方に重きを置いた様で、歓談時間がかなり多い。
 奈宜が絶賛していた料理の数々も出来立てを即座に味わいつつ、分刻みでバタバタと慌ただしそうなスタッフ達を尻目に、お隣の浜田さんご夫妻も含めたテーブル席で、穏やかな時間を過ごしていった。




「森崎さん、本日はどうも。ご挨拶に来るのが遅くなってすいません」
 奈宜と話している最中、まだ聞き慣れない和やかな声に名前を呼ばれ、慌ててその方に視線を向けた。


 うんざりする位に性格も知り尽くしている姉はともかく、今日が初対面の兄となる新郎には、きちんと挨拶しておかなければいけない……と、考えてはいたものの、つい後回しになっていた。
 歓談時間を多く取ったから、色んな意味で余裕があるのか、先方も忙しそうにあちこちのテーブルに顔を出して話し込んでいて、なかなか挨拶出来そうな雰囲気になってくれない。
 もう少し様子を見て、向こうが新郎席に戻って落ち着いた頃に、奈宜と一緒に行くかと思っていたら、その奈宜と話し込んでいるうちに、すっかりタイミングを逃してしまった。


「いえ、此方こそ。挨拶が落ち着いた頃にと思ってたんですが……」
「気にしないで下さい。此方から遊びに行ける様に……と、沢山時間を取ったので。あんな所に座ったままで、皆が楽しそうにしてるのを眺めてるのも嫌ですから」
「確かに。花嫁は皆がチヤホヤしてくれるから良いでしょうけど、新郎は暇でしょうね」
「本当にその通りで。それより、祥子からいつも話を聞いてますよ。森崎さんとは一度ゆっくり話をしたいなぁと、楽しみに待ってました」
 祥子って誰だ? と一瞬頭を過ぎったものの、直ぐに奈宜の姉の名前だと思い出した。




 確かに昔、彼女と付き合っていたけど、あの頃は「北岡」と苗字呼びしていて、名前で呼んでいた記憶はない。
 むしろ、奈宜の方は当然名前で呼んでいたし、10年間ほど離れていた間も、彼の名前を忘れた事など一度も無かった。
 俺は本当に彼女と恋人として付き合ってたのかな……? と、今の奈宜に対する気持ちと比べて、自分でも甚だ疑問に思いつつも、それ以上に、今聞いたばかりの言葉の方が気になってしょうがない。
 奈宜の姉は昔から歯に衣着せぬ物言いのヤツだったし、目前の彼にしたって、やけに楽しそうな含み笑いを浮かべている。
 一体、どんな話を聞かされたんだ? と気になってしょうがないけど、両親やお隣の浜田さんご夫婦が同席しているこの場で、それを問い質すわけにもいかない。
 スタッフから予備椅子を受け取った兄は、隣に座って本格的に話す態勢になってしまった。
 とりあえず当たり障りのない挨拶を交わしていると、反対側の隣から眺めていた奈宜が満足気に微笑んだ。


「姉さんも大丈夫だとか言ってたし、俺もそう思ってたけど。森崎さんも、お兄さんと仲良く出来そうで良かった。今日が初対面だから、あんまり話せないかも……って心配してたんだ」
 俺に対して、そんな事は何も言ってこなかったけど、内心、ちょっと不安に思っていたらしい。
 嬉しそうに呟く奈宜を見詰めながら、兄も楽しそうに頬を緩めた。
「うん、そうだね。すごく話も合いそうだ。此処じゃゆっくり出来ないから、落ち着いた頃に二人で遊びに来ると良いよ」
「そうする。俺達も新しい家が決まったら教えるから。多分、来年になると思うけど、お兄さんもコッチに遊びに来てね!」
 満面の笑みと共に、素直にコクリと頷きながら答えた奈宜の言葉を聞いて、一瞬「……ん?」と考え込んだ。


 それはもう確実な決定事項だし、今日のうちに奈宜の両親に話すつもりだったから、そのお誘い自体は別に何も問題は無い。
 でも、いきなり聞かされのだとしたら、お兄さんは全然意味が分からないんじゃないかな……? と疑問を持ちつつ、今までと全く変わりない雰囲気で話している二人の方に視線を向けた。




「――――……奈宜、もう皆に『一緒に暮らす』って話してるのか?」
 遠回しに聞いてもしょうがないし、念の為にストレートに問いかけてみると、先程からやたらと上機嫌な奈宜が、また満面の笑みで頷いた。
「うん。もう全部話してる。まだちょっと早いかなーって思ったけど、持って行く荷物も選んだりしなきゃいけないしさ」
「まぁ、それはそうだが……じゃあ『どうして一緒に暮したいのか?』についても、もう理由も話してるのか?」
「ん、それもちゃんと話した。ずっと前から『好きな人や恋人が出来たら教える様に』って言われてたから。だから森崎さんと恋人同士になった時に、父さん達にも直ぐに話したんだ」


 素直で隠し事の出来ない性格の奈宜は、どうやら俺達の恋愛事情を一から十まで全部報告していたらしい。
 自分で言った「恋人同士」の言葉に照れてしまったのか、ほんのりと頬を染めて恥らう奈宜が、ちょっぴり嬉しそうに声を弾ませ答えてくれた。
 三十路近い本日の主役の花嫁よりも、遥かに初々しくて可愛らしい姿にドキドキするけど、そんな悠長な事を考えている場合じゃない。
 予想外の事態に戸惑いながらも、とりあえず両親の方に視線を向けると、先程までと変わらない笑顔の母が、穏やかに笑いかけてくれた。


「奈宜は男の子だし、それでも大丈夫なのかしら? と思ったんだけど。奈宜の話だと楽しくやってるみたいだから、森崎さんが気になさらないのなら」
「僕の方は問題ありませんが……あの、本当に良いんですか?」
「えぇ。ちょっとビックリしたけど、奈宜が『俺の恋人は、森崎さんじゃないと絶対に嫌だ』って言うから。奈宜は意外と頑固なのよねぇ」
 それは頑固とかいう問題じゃない気がするけど、北岡家の家族は、それであっさりと納得したらしい。
 何と言って切り出そうか……などと、色々と悩んでいたのは俺だけで、どうやら俺が全く知らない間に、話は全て終わっていた。
 だからこの席に配置されたり、奈宜が夏休みの間中、俺の所で半同棲生活を送っていても、何も問題無かったのかと、今更ながらに理由が分かった。
 もしかしたら姉経由で友人知人達にも、俺と奈宜との関係は伝わっているのかもしれない。
 本当にこれで良いのか? と改めて問い質したい所だけど、あまり言って気が変わられても困るから、もう何も言わない事にしようと思う。
 そうなってくると、逆に少々失敗だったか……と考えつつ、無言で皆の話を聞いている父の方に視線を向けた。


「ご挨拶が遅れまして、大変失礼致しました。今日の佳き日までは忙しいだろうから……と思いまして」
「その辺りの事も、奈宜から全部聞いている。確かにバタバタしていたから、それは気にしなくても良い」
「ありがとうございます……あの、遅くなりましたけど、奈宜を幸せにしますから」
「当然だ。もし、奈宜が辛く感じたり、悲しんだりする様な事があれば、直ぐに此方に連れ戻すぞ。近くで家を決めてくれるそうだが、定期的に確認しに行くからな……」
 つい数分前までは平然とした表情で座っていた父が、突然、目を瞬かせ始めた。


 姉には素っ気なく「早く嫁に行け」と急かしていた父だけど、奈宜を手元から放すつもりは、どうやら更々無かったらしい。
 その対象が本来と若干違っているものの、ようやく『花嫁の父』らしい趣で、切なげな雰囲気になってきた父を皆で宥めていると、ふと背後に人の気配を感じた。




「何だ、もう挨拶は終わったのね。楽しそうだから見逃さない様にって期待してたのに」
 涙ぐんで寂しがっている父の様子を見ただけで、瞬時に状況を察したらしい。
 少々残念そうに呟く姉の姿を、椅子に座ったままジッと見上げた。
「おい。お前、奈宜から全部聞いてたんだろう。知ってたんなら、早く言ってくれれば良かったんじゃねぇのか?」
「だって、黙ってる方が面白そうだったし。森崎君は、何て挨拶するんだろうなーとか考えたらさ。それより、もし、喧嘩でもして奈宜を泣かせたら……分かってるよね?」
 そう言い放った姉は、文字通り満面の笑みを浮かべているけど、目は全然笑っていない。
 両手を腰に当て、椅子に座ったままの俺を見下ろしてくる顔を見詰めながら、遠い昔の高校時代に付き合っていた頃、取っ組み合いの喧嘩の最中、彼女に強烈な平手打ちを喰らった時の事を、唐突に思い出した。


 家を訪ねても奈宜と遊んでばかりの俺を見て、何やら渋い表情を浮かべていた彼女は、俺を独占している奈宜に妬いてるんだろうと思っていたけど、それは俺の大いなる自惚れだった事に、たった今気付いた。
 あれは奈宜に妬いてたんじゃなくて、実の姉より俺に懐いてしまったのが、かなり不満だったんだろう。
 ドスの効いた笑顔の姉を見上げたまま、お互いに血気盛んだった高校時代の闘争心が、ふつふつと胸の奥から蘇ってきた。




「何言ってやがる。俺が奈宜と喧嘩する訳ねぇだろうが。大体、奈宜はお前と違って、本当に素直で可愛らしい性格だからな。言い争う理由もない」
「はぁ? 何言ってんの。いっつも偉そうな態度で、直ぐに喧嘩をふっかけてくるのはソッチじゃないの?」
「偉そうなのは、お前の方だろう。あの頃から上から目線で自分の意見を曲げないからな。奈宜とは本当に大違いだ」
「どうだか。そんな感じで奈宜の意見も聞かず、自分の我侭ばかり通してるんじゃないかしら?」
 ああ言えばこう言う彼女のキツイ性格は、高校時代から10年近く過ぎた今でも、驚く位に全然変わっていない。
 真剣にムカついてきて、再度の反論を試みようとした瞬間、隣に座っている奈宜が、困った表情を浮かべて腕をギュッと握ってきた。


「もう。二人とも、ちょっと落ち着いて。こんなトコで喧嘩しちゃダメ! 姉さんも今日は花嫁さんだし、ドレス着て綺麗にしてるんだから。あんまり怒った顔しちゃダメだよ」
 心配そうに諭してくる奈宜の言葉を聞いた瞬間、ココがどういう場だったか思い出した。
「あ……ゴメンね、奈宜。つい、ヒートアップしちゃって」
「姉さんと森崎さんって、昔から口喧嘩ばっかりだったからなぁ。姉さんもお嫁に行くんだから、もうちょっと大人しくした方が良いと思うな」
 俺の言葉には問答無用で反論してくる姉も、奈宜の助言なら素直に聞き入れるらしい。
 懇々と花嫁のあるべき姿を諭す奈宜に、大人しく叱られている姉の姿を眺めていると、隣からくぐもった笑い声が聞こえてきた。


 浜田さん夫婦は見慣れているみたいで平然としているけど、やっぱり普通に考えたら、ちょっと面白い光景だとは思う。
 どうやら色々と我慢の限界を超えた様で、俯いたまま真剣に笑っている新郎の姿を見詰めながら、彼が新妻から何を聞かされたのか、何となく察しがついた。
 もっとも、こういう諸事情を分かっての結婚なら、此方も遠慮なく、兄と慕って話が出来る。
 新居に遊びに行ったら、彼女がいない隙を見計らって「アイツの何処を気に入って、結婚を決めたんですか?」と聞いてみようと心に決めながら、賑やかな円卓の方に視線を戻した。




 本格的に目頭を押さえ始めた奈宜の父の態度だけは、少々色んな意味で予想外だったかもしれない。
 姉と母が奈宜を猫かわいがりしているのは知っていたから、あらかじめ対処法を考えている。
 けれど、まさか父親の方がここまで奈宜を溺愛していたとは、想定外のダークホースが飛び出してきたのと同じ位に、本当に驚いてしまった。


 奈宜との交際を認めて貰えたのは喜ばしい事ではあるけど、もっと様々な対策を練っておく必要があると思う。
 盲愛する奈宜に会いに、週末毎に押しかけて来そうな両親を送り込めるよう、俺達とは別の寝室を確保しといた方が絶対に良い。
 少々予定を変更して、新居は2LDKのファミリータイプにしよう……と固く心に誓いながら、ようやく自分達の定位置に引き上げていく新郎新婦の後姿を、ぼんやりと目の端で眺めていた。






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2010/02/14  yuuki yasuhara  All rights reserved.