HoneyDrops 03

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 今年の夏が始まる前は、毎日、こうやって自分で鍵を開けていた筈なのに、何故だかやたらと空しく、寂しさを感じてしまう。
 左手にバッグと惣菜屋で買ってきた弁当をぶら下げつつ、ゴソゴソと鍵を探って、シンと静まっている真っ暗な家の灯りをつけた。
 「ただいま」と言ってみても、返事をしてくれる奈宜がいないのは分かっているから、無言で部屋の中に入っていく。
 朝、バタバタと出かけたままの状態で散らかっている部屋の中、弁当をテーブルに無造作に投げ出して、スーツを一応ハンガーにかけて、脱ぎっぱなしでベッドの片隅に放り投げてある部屋着を手に取り、ノロノロと一人無言で着替えを進めた。




 すっかり社会人のペースが身についた俺からすれば、充分過ぎる位に長く感じる夏休みも、過ぎてしまえば驚く程に短くあっという間で、奈宜の学校が始まる季節になってしまった。
 俺の夏休みは数日だけだったから、その間に近場で一泊旅行に出かけた程度で、基本的に大した事はやっていない。
 仕事から戻ってきたら、嬉しそうに出迎えてくれる奈宜に「ただいま」を言いながらキスして、彼が作ってくれた手料理を一緒に食べた後、寝るまでの数時間を過ごし、週に何度か抱き合って、また朝になれば奈宜に見送られて仕事に行く……の繰り返しで、彼の高校生活最後の夏休みが終わってしまった。


 夏休みが終わる前日は、グスグスと涙ぐんで寂しがる奈宜を宥めるのに必死で、彼がいなくなった後の事は考えてなかった。
 可愛らしい涙声で「俺、ずっとココにいたい……」と、潤んだ眸に上目遣いでジッと見詰められながら訴えられると、つい反射的に抱き締め、そのままOKを出しそうになってしまう。
 その気持ちをグッと堪えつつも、抱き締めるのだけは我慢せずに実行しながら、「また学校が休みの時は、いつでも好きな時に来れば良いから」と、膝の上に座る奈宜を抱きかかえて、何とか渋々ながらも納得させた。
 ずっと一緒にいたい気持ちは、もちろん俺だって同じだけれど、やっぱり分別のある大人としては、まだ高校生の奈宜には、ちゃんと家に戻る様に諭すのが筋だと思う。
 ピトッと縋り付いてくる奈宜の華奢な背中を撫でてやりながら、思い付く限りの愛の言葉を耳元に囁き、最後の別れの時を惜しんだ。


 もっとも、また数日後の週末には奈宜が泊まりにやって来るし、基本的には夏休み前の状態に戻るだけで、このまま奈宜と別れてしまう訳でもない。
 だから深く考えずに彼を実家に戻した翌日から、まさか残された俺の方がこんな気持ちになるなんて、まったく想像すらしていなかった。


 以前と変わらず、俺の仕事中の時間帯を外して送られてくる奈宜のメールは、相変わらず可愛らしくて、読んでいるだけで癒される。
 その回数も夏休み前より減ってないし、むしろ、彼との距離が近くなった分だけ、濃密な内容になっていると思う。
 そう考えると、これで充分満足出来る筈なのに、何故だか隣がポッカリと空いてしまった様な……奈宜が実家に戻ってからずっと、そんな虚しさを感じてしまう様になってきた。




 実家を出て一人暮らしを始めた時は、やたらと爽快な気分を感じた。
 掃除や洗濯など、確かに手間で大変な部分もあるけど、それ以上に誰からも文句を言われず、自分一人で好き勝手に暮せる生活を、本当に快適に感じていた。
 数年後も続いていて、全く変わる事がなかった気持ちが少し変わってきたのは、やっぱり奈宜と再会してからだと思う。
 彼と過ごす週末は本当に楽しかったし、合鍵も渡して好きに出入り出来る様にしてやった頃から、ちょっとずつ俺の気持ちも変化していたのかもしれない。
 一ヶ月以上、毎日欠かさず愛らしい笑顔で出迎えてくれた奈宜がいないと、爽快どころか逆に寂寥感すら感じてしまう。
 俺の方がこんな気持ちになるとはなぁ……と、自分でも驚きながらテーブルの前に座り、適当に目に付いたから買ってきた弁当を取り出して、ダラダラと食べ始めた。


 奈宜と一緒に暮す前は、こういう出来合いの惣菜でも充分に満足していたのに、何だか本当に不味く感じてしょうがない。
 奈宜の手料理がよっぽど美味しかったのか、それとも、奈宜と一緒に食べていたから、何でも美味しく感じたのか。
 多分、どっちも正解なんだろうけど、だからといって毎晩夕食を食べない訳にもいかない。
 自分で作る気なんてもっと無いからなぁと我慢しつつ、とりあえずの空腹を満たす為に、機械的に箸を動かし続けた。


 夕食だけじゃなく他の色んな事についても、奈宜がいないと何となくやる気がなくて、適当に済ませている。
 奈宜がせっかく綺麗に片付けてくれていた部屋の中も、ほんの数日で元の状態に戻ってしまったし、洗濯物も溜まっている。
 週末になれば奈宜が来るから、ちゃんと片付けておかねばとは思うけど、今はいないんだから良いだろうと、つい放置したままになってしまう。
 これじゃあ、夏休み前の状態より酷いよなぁと、シンと静まり返った部屋の中で一人弁当を突きながら、思わず溜息を吐いてしまった。


 良い方に考えると、それだけ奈宜と二人での生活は楽しくて快適って事だから、来年からの同棲生活は絶対に上手くいくだろうと予想出来る。
 それが分かったのは収穫だけど、その分、彼と離れている間の日々が、満たされない思いで一杯になっていた。
 奈宜に逢える週末までの数日間が、本当に永遠の様に長く感じる。
 単身赴任のオヤジ達が日毎にくたびれていく気持ちが分かるな……と、しみじみと実感しつつ、味わう気も無く夕食を済ませた。


 とりあえず洗濯か掃除か、どちらかでも済ませておいた方が後々楽だと分かっているけど、やっぱりどうにもやる気がしない。
 奈宜が待っててくれた頃は、帰宅後の時間もあんなに短く感じていたのに、一人だとやけに長く感じて、色んな意味で持て余してしまう。
 こういう時間、俺は今まで一人で何をやってたんだろう? と自分でも疑問に思いながら、とりあえずテレビをつけて、見る気もないドラマをぼんやりと眺めてみた。
 元々テレビドラマを見る習慣はないから、途中から見たこのドラマが一体どういう話なのかは全く分からないけど、何となく「新婚夫婦の話だな」ってのは理解出来た。
 そういう設定自体にも、今の自分が置かれている状況と比べてイラッとするけど、それ以上に、映っている嫁役の女優が「若くて良く出来た奥さん」と評されているのに、ちょっと真剣にムカついてきた。


 確か家庭的な雰囲気が人気の女優だと思うけど、この女優の演技よりも、実際に毎日見てきた奈宜の方が手際が良いし、何より、奈宜の方がよっぽど若くて家庭的で愛らしい。
 まだ高校生の遊びたい盛りの年頃なのに、毎日欠かさず完璧に家事を行い、仕事から戻ってくる俺を健気に待ってくれているんだから、奈宜以外に「若くて良く出来た奥さん」なんて考えられない。
 温かい料理を作って出迎えてくれて、ちょっと不安そうな表情を浮かべて「大丈夫? 美味しいかな?」と小首を傾げて聞かれたりしたら、どんな代物が出てこようと美味しいに決まっている。
 本当に甲斐甲斐しくて可愛らしいし、それに若い所か、むしろ「幼な妻」という表現の方が正しい。
 なんてったって現役の高校生だからな……と、つるつるで手触りの良い奈宜の頬を思い出して、無意識に口元を緩めてしまった。


 男性向けのアダルトビデオでも、童顔の女性を10代に見立てた幼な妻シリーズとかがある。
 今まで興味も無いから気にしてなかったけど、いざ、そういう年頃の奈宜を恋人にして、その魅力を知ってしまうと、アレもなかなかツボを突いているなぁと心底感心してしまう。
 奈宜の場合、本当にまだ現役の高校生だし、バーチャルの幼な妻とは段違いに、本当に可愛らしくてしょうがない。
 大人になったら少し変わってくるんだろうけど、他のヤツならともかく、奈宜は今でも幼い頃の雰囲気そのままだし、きっとこのまま愛らしい姿でいてくれるだろう。


 ドラマで演じられている新婚夫婦の、わざとらしいやり取りには苛々するし、幼な妻と平気で一緒に暮しているアダルトビデオは心底羨ましく思うけど、俺の場合はバーチャルな世界じゃなく、本当に高校生の奈宜が相手だから、少々我慢が必要なのも分かっている。
 でも、彼がいないと寂しくてしょうがないのは事実だから、これは何とか対策が必要だと思う。
 幼な妻のアダルトビデオでも良さそうだけど、あれはそもそも奈宜じゃないし、部屋に置いてて彼に見つかりでもしたら……とか、考えただけでも恐ろしい。
 奈宜をモデルに等身大の抱き枕を特注して、それを毎晩抱き締めるかな……などと考えながら、雑然とした部屋の中、一人でニヤニヤと頬を緩ませつつ、ぼんやりとテレビドラマを眺めていた。






*****






「おかえり! 今日もちょっとだけ残業だった?」
 玄関のドアを開けてくれて、和やかな笑顔で問いかけてくる奈宜の姿を見た瞬間、週末の疲れが一気に何処かに消えていった。


「あぁ、少しだけな。早く帰ろうと頑張ったんだが、少しオーバーしてしまった」
「そっかぁ……やっぱり、今でも森崎さんは忙しいんだな。でも、今日は少し楽かも! もう晩御飯の準備も出来てるから」
 そう言いながら慣れた仕草で鞄を持ってくれる奈宜の姿も、今まで通りに本当に可愛らしい。
 つい緩みそうになる顔を何とか保ちながら、腕を取ってじゃれついてくる奈宜と一緒に、今日は暖かくて居心地の良い部屋の中にへと戻っていった。




 木曜の夜に大慌てで片付けたおかげで、金曜日の夕食前からやってくる予定の奈宜に「帰宅時間が分からないし、先に部屋で待ってろ」と話す事が出来た。
 そのメールに速攻で返事を寄越してきた彼は、その連絡に書いていた通りに、食事の支度をして待っていてくれたらしい。
 ホントに律儀なヤツだなぁと感心しつつ、数日ぶりに再開した奈宜を膝の上に座らせて、ギュッと抱き締めながらキスをしてみた。
 嬉しそうにそれに応えてくれる彼は、相変わらず柔らかな唇が美味しくて、やっぱり本当に可愛らしい。
 ちょっとだけいちゃいちゃとキスをしながら、そのままベッドに直行して、夕食より先に奈宜本人を食べたい気持ちを、何とか理性で抑え込んだ。


 勿論、夕食より奈宜の方が大事に決まってるけど、その夕食も学校から戻ってきた奈宜が一生懸命に作ってくれた物だから、粗末に扱う訳にはいかない。
 久しぶりの姿を膝の間に挟み込み、背中から抱き締めて二人でベッタリとくっ付きながら、時々「あーん」とお互いに食べさせあって、美味しくて楽しい夕食の時間を進めていった。






 夕食を済ませた後も、まだ少しだけ話をしてからお風呂に入る事に決めた。
 ほんの数日間の別居生活だけど、学校も始まった奈宜は、逆に色々と話したい事があるらしい。
 楽しそうに話し続ける奈宜の話を聞いていると、ふと言葉を止めた彼が、急に脇に置いていた自分のバッグに手を伸ばした。


「あのさ、姉さんの結婚式なんだけど。席次が決まったんだ。森崎さんにも見せとかなきゃ」
「へぇ……もう、そんな時期なのか。結婚式ってのも、案外忙しいもんだな」
「そうかも。俺が考えてたのより、もっと多くてビックリした。それもあるけど、これはどっちかっていうと姉さんの性格の方が大きいかも。何か、こういうのはサッサと済ませなきゃ落ち着かないみたい。毎日、仕事中みたいな顔して色々やってる」
 宿泊用の荷物に紛れて、どうやら奥の方に仕舞いこんでしまったらしい。
 バッグの中の物を出しつつ、ブツブツと説明してくれる奈宜の言葉を聞きながら、もう遠い昔の話になってしまった、付き合っていた当時の姉の姿を思い出した。




 昔から手際の良い所のあった奈宜の姉は、とにかく仕切るのが大好きで、生徒会の役員や学級委員長などを率先してやっていた。
 別れてから時々顔を合わせていた時も、その雰囲気は全然変わってなかったし、結婚式の招待の話が出たついでに聞いた仕事も、「役員秘書をやっている」と言っていた。
 時間の計算に強くて仕切りの大好きな彼女だから、それはきっと天職だなと感心したし、実際、結構長期間になる花嫁修業と結婚式での休業明けも「また戻ってきて欲しい」と、今から既に頼まれているらしい。
 きっとそんな勢いで、自分の結婚式のアレコレも旦那に任せず、一人で全部仕切ってるんだろうなぁ……と想像していると、ようやく席次表を探し出した奈宜が、嬉しそうに頬を緩めた。


「あった。落としちゃ大変だから……って、ちょっと奥に入れ過ぎてた」
 楽しそうな奈宜が差し出してきた席次表に目を落とした瞬間、思わず一瞬固まってしまった。
 見間違いか……? と思って再確認したものの、何度見てもそれは同じで、ジッと無言で見詰めてくる奈宜の方に視線を向けた。


「――――……奈宜。この席次は、お前が言い出したのか?」
「うん。だって森崎さんが遠くに行ってて、家族席に俺一人じゃ寂しいから。姉さんに『俺は森崎さんの隣じゃなきゃやだ!』って頼んだんだ。そしたら一緒にしてくれた」
 多分そうだろうとは思ったけど、念の為に聞いてみたら、やっぱりその通りだった。
 ニコニコと上機嫌な奈宜の視線を受けつつ、かなり斬新過ぎる席次表に、もう一度、目を落とした。




 こういう祝い事に興味の無い俺でも、結婚式の席次なんて地域や各家のしきたりで全然違うものらしい……って事くらいは知っている。
 だから正解は無いのも分かっているけど、だからと言って、奈宜と両親が座る家族席に「彼女の元彼でもある俺」がいるのは、普通絶対にありえないと思う。
 しかも、6人掛けの円卓だから数合わせで突っ込まれたのか、それとも、俺だけ浮かない様に配慮の末の結果なのか……
 その辺りの真意は不明だけど、俺の隣には何故だか、奈宜の家のお隣さんと思しき「浜田さんご夫妻」が座るらしい。
 予想外にカオスな席次表に悩みながら、何から聞けば良いのか戸惑いつつ、とりあえず、また奈宜の方に視線を向けた。


「……奈宜。浜田さん……ってのは、『お隣の浜田さん』の事か?」
「そう。姉さんもお兄さんもお友達が多くて、結構キツキツだからさ。浜田のおじさんやおばさんは、本当の家族みたいに仲良しだし、俺も一緒の席が良いなって思ってたんだ」
「そうか……浜田さんは、コレでOKなのか?」
「家族席だからちょっとビックリしてたけど、キツキツならしょうがないよねーって納得したみたい。森崎さんの事も覚えてたみたいで、どっちにしても知ってる人ばかりだから、話も弾んで良いんじゃないかって」
 もう何年も前に会ったきりだけど、当時のいつもニコニコと人の良さそうなご夫婦の印象は、どうやら今でも変わってないらしい。
 それに関してはホッとしつつ、今度は本題の方に取り掛かった。


「まぁ、浜田さんは良いとして……俺が奈宜の隣ってのは、姉さんやご両親は反対しなかったのか?」
「うーん、特に何も。だって、俺が頼んだし『奈宜がそう言うんなら……』って感じかな。だから別に、無理矢理一緒にして貰ったんじゃないしさ。姉さんから『多分、本人の反対は無いと思うけど。念の為に聞いてきて』って頼まれたんだけど……もしかして、俺の隣はイヤ?」
 喜ぶより前に、いきなり奈宜を質問攻めにしたから、急に不安になってきたのかもしれない。
 唐突に表情を曇らせ、寂しそうにボソッと呟いた奈宜の姿に、慌てて笑顔を浮かべながら、彼を膝の上に座らせ、ギュッと強く抱き締めた。


「ばか、そんなんじゃねぇ! 嬉しいに決まってるだろう。心配するな」
「ホント!? 良かった、あんまり喜んでくれなかったから……俺より、お友達とかと一緒の方が良いのかな? って。ちょっと寂しくなった」
「浜田さんと同じだろう。予想外の席次だったから、少し驚いただけだ。姉さん達の反対が無ければ、俺は奈宜の隣が一番良い。姉さんにも『この席で良い』と伝えてくれ」
 そう言われて考えてみれば、彼女と付き合っていた事は周知の事実だし、逆に奈宜と一緒に皆とは遠く離れた家族席にいた方が、色んな意味で気が楽かもしれない。
 奈宜の姉本人が納得している様だし、とりあえず俺からの不満は申し立てず、お言葉に甘えて奈宜の隣に座らせて貰う事に決めた。




 それにしても、相変わらずな奈宜の家族達の甘やかしっぷりは、昔から全く変わっていない。
 普段は何の口答えもせず、素直で可愛らしい良い子だから、余計に甘やかしてしまうんだろうし、ここぞとばかりの我侭くらいは……と、あっさりと認めるんだろう。
 その気持ちはよく理解出来るけど、それにしても、この席順は凄いと思う。
 相変わらず太っ腹なヤツだな……と、良い意味で大雑把な所もある奈宜の姉の性格に、ちょっとした敗北感を覚えてしまった。


 それは横に置いておくとして、先に奈宜のご両親との件が問題だと思う。
 結婚式が終わってからゆっくりとで良いからと、のんびりと構えていたのに、この調子じゃ予想外に早く、ある程度の話を伝える必要がある。
 こんなに可愛い奈宜だから、ご両親も手放したくはないだろうし、きっちりと挨拶しなきゃだろう。
 嬉しそうに頬を緩め、スリスリと甘えてくる奈宜をしっかりと抱き締めながら、やっぱり、結婚式の前に話す方が良いのかな……? などと、急に近くなってきた案件について、一人で頭を悩ませていた。






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2010/01/14  yuuki yasuhara  All rights reserved.