HoneyDrops 01

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 週末の慌ただしさで帰宅も少し遅くなってしまったけど、見上げた部屋の灯りが目に入ってきた瞬間、疲れも癒える気がして自分でも可笑しく思う。
 俺がこんな風に思う様になるなんて……と、自分で不思議に思いながらエレベーターに乗り込み、部屋にへと向っていく。


 今までだって、そういう機会は沢山あった筈なのに、それは全て俺自身が拒絶していた。
 付き合っていた女性の何人かは、こうして日々の夕食の支度や、部屋の片付けをやりたがっていたけど、平日の短いプライベートな時間まで、他人に気を使いたくないと考えて、それは全て断ってきた。
 自分のペースを乱されるのはストレスだと思うし、何より、俺がいない間に部屋の中を好き勝手に触られてしまうなんて、不愉快以外の何物でもない。
 一事が万事この調子だから、誰かと一緒に暮らしたり、ましてや結婚なんて無理だと思う。
 俺はきっと、このままずっと独身で過ごしていくんだろうと考えていたのに、年頃になった奈宜と再会した瞬間、そんな気持ちは何処へやら、跡形もなく消え去ってしまった。


 よくよく考えてみれば、部屋の合鍵を渡したり、自由に出入りするのを許したのは、奈宜が初めてだと思う。
 部屋を勝手に触られるのを不快に思うどころか、逆に「今夜も一緒に過ごせるんだな」と嬉しく思ってしまう自分自身に、俺が一番驚いていた。




 お互いに気持ちを伝えあい、奈宜が本当の恋人になった日に言っていた通り、夏休みに入った彼は、ほとんど毎日、俺の部屋に泊まっていく様になった。
 卒業後は大学に進学予定らしいけど、推薦で入れる大学に決めたから、そんなに必死になって受験勉強に励まなくても良いらしい。
 掃除や洗濯をやってくれた後、昼間は自分の家に戻って勉強したりしているそうだけど、夕食の時間になると、またこの部屋に戻って来て食事の準備を整え、俺の帰りを待っていてくれる。
 そんな彼の元へ早く帰らねば……と思うから、奈宜が夏休みに入ってからは、付き合いの飲み会も極力断って、そそくさと真っ直ぐ家に帰ってきている。
 きっと『新婚生活』というのは、こんな雰囲気なんだろうなぁ……と、緩みそうになる頬を必死になって抑えながら、人の気配がするマンションのドアを開けた。






「あ、おかえり。ちょうど準備も出来たトコ。大体の時間が分かってきたかな」
 玄関を開けて直ぐに、浴室やトイレと部屋とを隔てる廊下代わりの小さな通路があるけど、仕切っているのは薄いドア程度だから、玄関を開けた音は部屋まで聞こえる。
 靴を脱ぐ間もなく、満面の笑みで部屋から出迎えに来てくれた奈宜が、手にしていた鞄を受け取ってくれた。


「ただいま。奈宜、別に急ぐ必要はないぞ。今までは、これから自分で食事の準備だったからな。それをやってくれているだけで助かってる」
「そうだけどさ。でも、こんな時間まで仕事してたら、やっぱりお腹空いてるだろうし。直ぐに食べられる方が良いから。森崎さんの仕事って、ホントに遅くまで大変だよな……」
 極普通のサラリーマン程度の残業をしているだけで、取り立てて忙しい方じゃないけど、奈宜は大変な仕事だと思っているらしい。
 彼自身はバイトの経験もない高校生だし、もう管理職の上の方で悠々と過ごしている父の仕事ぶりしか知らないから、そう思うのも分かる気がする。
 もっとも「早く帰って来い」と無条件に責められるより、こうして「大変だな」って言ってくれる方が、その言葉だけで、何となく疲れが消える様で気分が良い。
 何にせよ、そう思って貰えるだけでも嬉しいもんだなと感じながら、随分と大切そうに鞄を抱えて、神妙な顔付きで後をついてくる奈宜を振り返って、軽く頭を撫でてあげた。


「俺は慣れてしまっているから、もう全然平気だ。奈宜の方こそ、俺が戻ってくるのを一人で待ってるのは暇なんじゃないか?」
「大丈夫。雑誌読んだりしてるし、色々とする事はあるから」
「そうか。先に少し食べてれば良いのに。奈宜の方こそ、腹が減ってるだろう」
「割と平気かな。友達んトコ遊びに行ったら、これ位の時間から晩御飯の時もあるしさ。それもだけど、森崎さんはまだ仕事してるのに、俺だけ先に食べてるってのも嫌だし……やっぱり森崎さんを待ってて、一緒にご飯食べる方が良いな」
 スーツを脱いで普段着に着替えつつ、ゴソゴソとミニキッチンとテーブルとを往復している奈宜に話しかけると、そんな可愛らしい事を答えてくれた。


 こういうセリフを映画やドラマで見ても、空々しさを感じて白けてしまうけれど、奈宜の場合はその真逆で、本心からそう思ってくれているのが伝わってくるから、真剣に嬉しく思う。
 幼い頃から本当に可愛かった奈宜だけど、俺の恋人になってから、ますます可愛さが増していると、絶対に贔屓目じゃなく実感している。
 晩飯より先に奈宜を食べたくなる気持ちを必死になって抑えながら、料理を運んでいる彼を捕まえてキスするだけで我慢して、普段より少し遅めの夕食を二人一緒に取り始めた。






*****






 一人暮らしの社会人の男なんて、誰でも似たり寄ったりだと思うけど、奈宜が来ない時の平日の夕食は、良くても弁当屋で買ってくる程度で、コンビニで適当に買ってみたり、それさえも面倒な時はインスタントラーメンで済ませている。
 それを考えると、こうも毎日、暖かくてまともな夕食を取れるのは、本当に有り難い事だな……と考えた瞬間、ふと思い当たって目の前の奈宜を見詰めた。


「……奈宜。お前、コレを一人で全部作ってるのか? 毎日、かなり立派な夕食ばかりだが……」
 夕食も作るから……と軽く言われたし、特に何も考えずに材料費程度の食費を渡したけど、よくよく考えてみれば、奈宜も普通に男の子だし、特別に「料理が得意だ」って話も聞いた事は無い。
 その割には手が込んでいる料理が多いし、普通に美味しい日々の夕食を思い返して問いかけてみると、おかずの生姜焼きを食べている奈宜が、楽しそうに口元を緩めた。


「うーん、半分位かな? 今日の分だと、コッチのマッシュポテトは、森崎さんを待ってる間に俺が作ったんだ。生姜焼きのタレは母さんが作ったのを貰ってきた。材料を切ったりも向こうで準備して持ってきたから、俺がココで焼いて……って感じかな?」
「あぁ、なるほど。家から貰ってきたりするのか。深く考えてなかったけど、これを全部、奈宜が一人で作ったのか? と思い始めると、少々驚いたからな」
「今までお手伝いでしか作った事なかったし、いきなり全部は無理かなぁ。だから、姉さんと一緒に覚えてるトコ。母さんに色々教えて貰ってるんだ」
 全部の料理を奈宜一人で作っているんじゃなくて、どうやらかなりの部分は、彼の母が用意してくれているらしい。
 特に無理をさせている訳じゃなさそうで安心したのも束の間、また少々意外な事を言い出した奈宜の話に、彼の家庭料理を味わっていた箸を止めた。


「――――姉さんと……って。もしかして、姉さんの花嫁修業に奈宜も混ざって、か?」
「そんな感じ。姉さんも今まで仕事が忙しかったから、料理とか全然なんだよな。だから多分、今の俺と一緒くらいかな? 母さんも『もしかしたら、奈宜の方が上手かもしれない』って言ってくれた」
「……それじゃあ、本当に文字通り『姉さんと一緒に』料理の練習中なのか?」
「そんな感じだと思う。夕方になったら母さんに教わりながら、三人で夕食の支度してるんだ。小さい頃のお手伝いみたいで、ちょっと楽しいかも!」
 かなり意外な事だと思うけど、奈宜は特に変だとは思っていないらしい。
 ニコニコと上機嫌で食事を続けつつ、楽しそうに報告してくれる彼の話を聞きながら、美味しいご飯に手を伸ばした。




 ようやく嫁入りが決まった彼の姉は、可愛らしくて甘え上手な奈宜とは全くの正反対で、男勝りで勝気なサッパリとした性格をしている。
 奈宜の姉の事は今でも嫌いではないし、結局、俺の恋人としての関係は上手くいかなかったものの、一番長く付き合ったし、今でも友人としての親しい交流は続いている。
 家事一切の経験が無いのに、平然と嫁に行くつもりの娘を心配した母の説得で、ほとんど未使用だった有給休暇を使って花嫁修業をしているけど、奈宜の話によると、結婚後はまた仕事に戻る予定にしているらしい。
 確かに、社会人になってからも男並にバリバリと働いているキャリアウーマンまっしぐらな彼女より、奈宜の方が家庭的と言えるかもしれない。
 だからといって、花嫁修業の姉と共に、高校生の男の子である奈宜が「俺も料理を覚えたい」とか言い出しても、奈宜の家族は誰も不思議に思わないのかな……? と、少々微妙な気持ちになってきた。


 ずっと外泊する事になるから心配させてはいけないだろうと、奈宜が夏休みに入る前に、久しぶりに電話で話した北岡家の御両親は、その口振りから考えても、相変らず奈宜には甘く接している雰囲気を感じた。
 きっと「俺も一緒に覚える!」とか言い出した奈宜の言葉通りに、それをあっさりと認めてるんだろうな……と、母娘と何故だか息子の三人でキッチンに並んでいる様子を想像しながら、今日も美味しくて栄養バランスも満点な夕食に、次々に箸を伸ばした。




「……って事は、この夕食は北岡家の晩飯と一緒って事か?」
 念の為に問いかけると、奈宜はコクリと頷いた。
「うん、大体一緒だと思うな。俺がココで自分で作った分だけは違うけど、基本的には5人分準備して、俺と森崎さんの分だけ取り分ける感じ。出来る所までアッチで作って、保冷バッグに入れて持って帰ってるんだ」
「そうか……確かに奈宜も手伝ってるが、俺の分まで奈宜のお母さんの世話になってるみたいで、何だか申し訳ないな。手間じゃないのか?」
「あ、全然そんな事ないから平気。母さんは逆に、俺がずっとコッチにいるから、森崎さんに面倒かけて悪いなぁって。だから、丁度良いんじゃないかな」
「そう言って貰えると助かるな。姉さんの件が落ち着いたら、ちゃんとお礼に行くからと伝えておいてくれ」


 もう10年ほど前の高校時代から知ってる御両親だし、こんな関係になるとは考えてもいなかったけど、姉に続いて奈宜とも付き合う様になってしまったから、これはもう『縁がある』としか言いようがない。
 俺の所に入り浸っている奈宜の事を、一体どう考えているのかは分からないけど、奈宜とは本気で付き合っていくつもりだから、いずれにしても、そのうち正式に挨拶に行く必要はある。
 奈宜との関係を報告する時も、彼は息子だけれど俺の所に来る訳だし、やっぱり『結婚の挨拶』になるんだろうか……? と一人で頭を悩ませていると、味噌汁を啜っていた奈宜が、思い出した様に笑顔を浮かべた。


「今はちょっと無理だけど、冬休み位になったら、俺一人でも色々と作れる様になってると思うんだ。でも、ココのキッチンは、ちょっと狭いし……やっぱり、家で作って持ってきた方が良いかな?」
「あぁ、そうだな。このキッチンだと軽食程度しか無理だろう。鍋を洗うのも一苦労だし、こういう料理を全部作るのは厳しいだろう」
「だよな……やっぱり家のキッチンと比べると、ちょっと難しいかなーとは思ってたんだけど。俺も一人で迷った時は困るし、冬は母さんと二人で準備して、コッチまで持って来る様にする」
 納得した様子で頷く奈宜と、楽しく食事を続けながら、ワンルームの部屋の片隅にあるミニキッチンに、チラリと視線を走らせた。




 自分で料理をしようという気なんて本当に更々無かったから、飲物と軽食程度が作れれば充分だから……と、全く何も考えずに部屋を借りた。
 今まではコレで充分だったし、俺一人なら問題は無いけど、奈宜と一緒に暮らすとなれば、やっぱりこの部屋では色々と無理だと思う。
 予想以上に家庭的な奈宜は、どうやらこの先も料理を作ってくれる様だから、彼が快適に使える様に、ちょっと大きめのキッチンも欲しい。
 一緒に過ごすのが良いから沢山の部屋は要らないと思うし、不要な荷物をお互いの実家に置ける様に中間辺りに借りれば便利だろう。
 きっと彼の母親が頻繁に訊ねてくる様になるだろうから、やっぱりベッドルームは別れていた方が……などと考え出すと、広めの1LDK位は必要になるかと思う。


「奈宜。お前の必要な荷物って、どれ位あるんだ?」
 考えても分からないから聞いてみると、奈宜は不思議そうに首を傾げた。
「え? 必要な……の基準が色々だけどさ。ココに泊まりに来る時は、バッグ一つで充分かな。自分の部屋は6畳くらいだと思うな」
「6畳か……半分位は置いておくとして、やっぱり1LDKで大丈夫か……」
 ブツブツと一人で呟いていると、奈宜が箸を止めてジッと見詰めてきた。


「森崎さん……何、ブツブツ言ってるの?」
「いや、次に借りる部屋の広さを考えていた。高校生の間は、さすがに何かと問題があるだろうが、大学生になれば俺と一緒に住んでても大丈夫だろう。年が明けてからだと引越しのシーズンで混み合いそうだし、年内に決めておく方が良さそうだ。奈宜の希望はあるか?」
 そう答えてやると、一瞬キョトンとした表情を浮かべた奈宜が、満面の笑みに変わった。
「え、ホント!? 二人で一緒に暮らすって事?」
「そうだ。奈宜の両親の許可が出れば……になるけどな。此処よりも、もう少し奈宜の家に近い所で、キッチンも大きい所を探そう。その方が便利だろう」
「うん、俺はその方が良いけど。森崎さんの方は平気? 仕事に行き難いとか、そんなのは……?」
「大丈夫だ。この辺りなら奈宜の家に近い方に移っても、せいぜい駅が一つ二つ変わる程度だからな。あまり部屋が多いのも持て余すだろうし、ベッドルームだけ別にして、1LDKでも良いんじゃないかと思ってる」
「ん、俺もその位が良いな。あんまり広いと森崎さんとくっつけないし。家にいる時は、ずっと同じ部屋にいたいから、間取りはそんな感じがいいな!」




 まだ高校生の奈宜は、そういう事を考えてなかったのかもしれないけど、俺の方は彼を恋人にしようと決めてから、ずっと色々と考えていた。


 同じ歳になる彼の姉も結婚する事だし、確かに周囲もちらほらと、そういう話が増えつつある。
 男同士の奈宜とは正式に結婚出来ないけど、他の誰かと結婚する気なんて全然ないし、奈宜より可愛らしくて好きになるヤツが現れるなんて、絶対にありえないと思う。
 むしろ、奈宜と正式に結婚出来ないからこそ、早めに一緒に暮らしておかないと……と、不安になってしょうがない。
 姉に続いて奈宜まで出て行くとなると、やっぱりご両親が寂しがるだろうし、彼の実家の近くで……などと考えながら、嬉しそうに声を弾ませている奈宜と二人で、のんびりと夕食を取りつつ、週末の夜を過ごしていった。






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