同棲事情 08

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「ちょっと道が混んでるみたいだから……やっぱり、あと一時間位かな? 最初に考えてた時間通りに着きそうな感じだよね」
 カーナビの画面を確認しつつ、そう問いかけてきた奈宜に、前を向いたまま頷き返した。
「予想通り……ってトコだな。コレ位の渋滞はあるだろうと分かっていたし、その分も考えておいて正解だった。あまり早く着き過ぎても待つ事になるし、丁度良かったんじゃないか」
「そうかも。チェックインの時間より早過ぎても困っちゃうし、少し遅れる位の方が良いのかな。直ぐにお部屋でのんびり出来そうで良かった」
 助手席で楽しそうに微笑み、そう答えてきた奈宜の姿を横目で確認しながら、口元を緩めて返した。




 奈宜と半同棲生活を始めてから、もう少し先ではあるけど一年が過ぎようとしている。
 本来の同棲生活と言えば、結婚しない男女がひっそりと始める生活の事だから、もうちょっと静かな生活だろう。
 でも、俺達の場合は結婚が無理だから「同棲」と言う呼び方になっているだけで、事実上の新婚生活と同じだから、それと同じく多少賑やかな日々になるのは仕方ない。
 そう分かっているものの、いつまで経ってもアレコレとちょっかいを出してくる周囲の者達の言動に、内心、少々閉口していた。


 奈宜はまだ大学生で10代の少年だし、二人きりの生活を送らせるには、それなりに心配だろうなって気持ちは理解出来る。
 だからと言って、入れ替わり立ち代わり毎週の様に顔を出して、誰かしらちょっかいを出してくるのは、本当にいい加減にして貰いたい。
 色々と有意義なアドバイスをしてくれつつ、俺達二人だけの時間も尊重して穏やかに見守ってくれているのは奈宜の母だけで、他は何だかんだと理由をつけては奈宜の元にへとやって来る。
 最近になってようやく週一日程度に収まってはきたけど、やっぱり二人きりの静かで甘い生活には程遠い。
 奈宜は欲張りとは程遠い性格をしているし、同棲開始直後が賑やか過ぎた事もあって、一応は二人だけの時間もあり一緒に暮らせている今の状況で満足している様だけど、俺の方はもう少しくらい奈宜を恋人として独占したいと不満に思う。
 皆もこの状況に慣れてしまえば、そのうち落ち着いてくるだろうと思っていたのに、それはどうやら軽く考え過ぎていた。


 こんな事なら、最初に新婚旅行にでも行っておけば良かった……と後悔しても、今となっては後の祭りでしかない。
 俺自身も、皆から愛されて誰にでも優しい奈宜を大好きなのは事実だけど、物には限度ってモンがあると思う。
 いつまで経っても奈宜を独り占め出来そうにない状況に痺れを切らして、密かに一泊旅行を企てた。
 普通の週末に有給休暇を利用して三連休を作って、土曜の早めの時間帯に出発して一泊後、日曜は帰り道を観光しつつ夜中に帰宅するように予定を組んだ。
 これなら月曜は家でゆっくり出来るし、旅行の帰宅時間は日曜の夜だから、その後に誰かが訪ねてくる可能性もかなり少なくなる。
 我ながら良く出来た計画に満足しつつ、ギリギリまでは皆に内緒にしておいて、寸前になって話をした。
 いつも俺達の味方になってくれる奈宜の母以外の皆からは、当然、苦情の声が多々上がったけれど、予想されていた事だから気にするつもりは更々ない。
 奈宜も皆と過ごすのを楽しく思っているものの、やっぱり最優先は俺と過ごす事だと思ってくれているから、もちろん反対する訳がなく本当に喜んでくれた。
 普段は皆にも好きな様に奈宜と会わせてやっているんだから、せめて年に一度だけでも奈宜を独占させてくれても良いと思う。
 数日前から楽しそうに旅行の準備を整え、とっても嬉しそうな奈宜と本当に二人きりで、近場の温泉旅館に一泊二日の旅にへと出かけた。






「ねぇ、将貴さん。高速も降りたし、ちょっとだけ運転代わろうか? 疲れたでしょ」
 周囲をキョロキョロと眺めつつ、そう問いかけてきた奈宜の横顔にチラリと視線を走らせた。
「車の運転は好きだし、疲れる程の距離は走ってないが。奈宜も座ってるだけだと飽きるよな。少し運転してみるか?」
「うん、ちょっとだけ運転してみようかな。家の近くは普通に乗れる様になってきたし、知らない道でも練習しとかなきゃ」
「そうだな。この辺りは車の通りも少ない様だし、さほど危なくはないだろう。ちょっとだけ乗ってみるか」
 高校生活の終わり辺りで車の免許を取った奈宜は、重い物を買いに行ったりする時に俺の車を使っている。
 奈宜の家には車が無いし、そもそも免許を持っていないから、今まで自転車で買い物に出かけていた奈宜の母も「とても楽になった」と喜んでいた。
 二人で一緒に出かける時は何となく俺が運転してしまって、奈宜の運転する助手席に乗った事はないものの、免許を取ったばかりの奈宜の練習に付き合っていた達治の話だと「意外と上手だけど、かなり慎重派で安全運転過ぎるくらいだ」と言っていたから、きっと大丈夫だろう。
 奈宜本人も運転を交代したがっている事だし、そう考えて適当な路肩に車を止めた。


 一旦、二人で車を降りて初心者マークをしっかりと貼ってあげて、座席を入れ替わって助手席に腰を下ろす。
 それとほとんど同時に運転席の方にへと乗り込んだ奈宜が、ミラーの向きなどをやけに丹念にチェックし始めた。
 運転前にあちこちを自分に合わせる、その行為自体は凄く普通の事だと思うし、逆に疎かにされては真剣に困ってしまう部分ではある。
 それは重々承知してはいるものの、妙に真剣な面持ちで丹念にチェックを続ける奈宜の様子を見ているうちに、何となく嫌な予感が頭を過った。


「……大丈夫だ、奈宜。そう緊張するな。この辺りは道も広いし、車の通りも少ないからな」
 何とか前を向いて運転席に座り直し、シートベルトを着けた途端、大きく深呼吸を繰り返す奈宜に恐る恐るそう伝えた。
「あ、うん。分かった……道があんまり分からないし、ちょっと緊張しちゃって」
「道なら俺が横から教えてやる。奈宜は運転に集中していれば大丈夫だ」
「ありがとう、将貴さん。そうだよな、俺一人じゃないんだから。将貴さんもいるから平気だって……」
 最後の一言辺りは、半ば自分に言い聞かせる様な口調で呟いた奈宜が、ようやく車のエンジンをかけた。


 何故だか尋常ではない勢いで気負っている、奈宜の物凄い緊張感が伝わってきて、俺の方まで何だか息苦しくなってくる。
 まだ動き出してもいない車に乗っているだけで、こんなに尋常ではない緊迫感を感じた事など、未だかつて一度も経験した記憶がない。
 まだ若かりし頃、冷やかし半分でディーラーまで試乗に行った、ちょっとしたファミリー向けマンションなら余裕で買える値段の高級車を運転した時でも、ここまでの重圧は感じなかった。
 奈宜は一体、どうしてこんなに緊張しているんだ? と予想外の事態に戸惑いながら、ようやく動き始めた車の中、何となく汗ばんできた掌をしっかりと膝の上で握りしめた。






 あらかじめ聞かされていた通り、確かに奈宜は教習所のお手本みたいな安全運転で、危なっかしい所など一つもない。
 だからもっと肩の力を抜いて、リラックスして運転しても大丈夫だから……と、車が動き出してからは一言も話さず、ジッと前を見詰めたまま無言で運転を続けている奈宜に向かって、胸の中から必死になって声には出さずに呼びかけた。
 車好きな俺と同じく弟の達治も運転が好きな奴だし、この状態の奈宜を目にしておいて放っておく訳がないから、きっと普段はもう少しマシなんだろうとは思う。
 そう納得しようと努力しているけれど、話しかけるのも躊躇ってしまう妙な雰囲気を漂わせている奈宜を前にしていると、そんな悠長な事を考えている場合じゃない様な気がしてきた。


「――――……奈宜。ココから暫くの間は、脇道の無い大きな道路だ。そう緊張しなくても大丈夫だから……」
「将貴さん、ダメ! 今は話しかけないで!!」
 出来る限り刺激しないよう、そっと小声で話しかけた途端、相変わらず一心不乱に前を見詰めたままの奈宜に、大きな声で怒られた。
 とりあえず「わ、悪かった……」と即座に謝って、また彼と同じく前を向いた。


 運転自体に支障はないから、このまま分岐点が来る度に奈宜に指示を出していけば、安全運転過ぎて少々時間はかかるものの、そのうち無事に宿まで到着するだろうとは思う。
 とは言え、宿に到着まで無言で過ごすのも何だし、こんなに姿勢を正して肩に力が入ったまま時が過ぎれば、宿に着く云々以前に、途中で疲れ果ててしまいそうだ。
 何より、せっかくの楽しい旅行の一時を無言のまま過ごすなんて、あまりにも勿体無い。
 奈宜の視界を邪魔しないよう、そっと腕を伸ばしてカーナビを確認し、目的の場所が目に入る距離になってから、奈宜に向かって声をかけた。
「奈宜、このまま真っ直ぐの所にコンビニがある。トラックでも入れる大きな駐車場が付いてるから、そこで一度休憩しよう。今、後ろからは何も来ていない。その辺りは大丈夫だ」
「わ、分かった……そこに止まる……」
 強張った顔で前を見詰め続けている奈宜も、大きな駐車場で休憩だと聞いたら、素直に頷いてくれた。


 慎重に駐車場まで車を乗り入れた奈宜は、他に車は止まっていないのに何度か出し入れして、線通りに真っ直ぐ車を止めた瞬間、ようやく気持ちが落ち着いたらしい。
 エンジンを止めた瞬間、大きな溜息を吐いた奈宜の頭を、助手席から撫でてあげた。
「悪かったな、奈宜。やっぱり、知らない道をいきなり運転するのは、まだちょっと早かった様だな。疲れただろう?」
「ちょっとだけ……将貴さん、ごめんなさい。途中で怒っちゃったし、あんまり上手に運転出来なかった……逆に迷惑かけちゃったかな……」
 運転席に座ったまま、しょんぼりと肩を落とした奈宜が、涙声でそう答えた。


 俺を初めて助手席に乗せて運転したから緊張している上に、何処に何があるのか分からない道をいきなり運転したから、余計に焦ってしまったんだろう。
 俯いて涙ぐんでいる奈宜の肩を抱き寄せ、頬に軽くキスしてあげた。
「そんな事はない。とても上手に運転出来ていた。達治もそう言ってただろう? 今日は少し余裕が無かっただけだ」
「うん……いつも買い物に乗って行ったりする時は、もうちょっと話したりも出来るんだ。いつも通ってる道だし、特に危ない場所とかも分かってるから」
「そうだな。それを聞いていたから、俺も大丈夫だろうと思ったんだが。知らない道だと、やっぱり怖く感じたのか?」
「何があるか分からないし、運転してみたらちょっと怖くなってきた。将貴さん一人で運転だと大変だし、少しお手伝いしようと思ったのに……」
 まだ免許の取れない高校生だった頃から、奈宜は俺が一人で運転し続けるのを見て「疲れるんじゃないか」と、本当に気にしてくれていた。
 今でもまだ、そう思ってくれる奈宜の気持ちを聞いて、本当に嬉しくなってきた。


「それなら心配するな。以前から言ってるが、俺は車の運転をするのが好きだし、全然苦痛だとは思っていない。だから、その事に関しては気にしなくても良い」
「分かった。将貴さんを乗せて運転するのは初めてだし、誉めて貰おうと思ってちょっと頑張り過ぎたのかなぁ」
「運転自体はまったく問題無かったし、今度は近くに出かける時に、奈宜に運転して貰おう。それなら奈宜も安心だろう」
「うん、次はそうしようかな。最初からそうしとけば良かった」
 話をしている間に気持ちが落ち着いてきたのか、奈宜がようやく笑顔を見せてくれた。


「今日と明日は奈宜は道案内係だな。俺も知らない道ばかりで重要な事だから、奈宜はそちらで頑張ってくれれば良い。コンビニで少しだけお菓子を買って、少し休憩してから出発しよう」
「ん、そっちを頑張る。やっぱり緊張してたのかな、すごく喉が乾いたかも。ジュースも買って良い?」
「あぁ、そうだな。もうすぐ旅館に到着だし、一つずつ買って半分にするか」
 すっかり普段通りの表情に戻った奈宜と一緒に、コンビニの方に足を向けた。
 優しい奈宜の気持ちが伝わってくるだけで、運転の疲れなんて吹き飛んでしまう。
 俺の代わりにちょっぴり疲れてしまった奈宜の髪を撫でてあげながら、都会とはほんの少し雰囲気の違う、のどかな観光地のコンビニで買い物を楽しんでいた。






*****





 到着した温泉旅館を、奈宜もかなり気に入ってくれたらしい。
 それなりのレベルの部屋を頼んだからか、大人数でわざわざ出迎えに来てくれた仲居さん達に面食らってしまった俺と違って、奈宜は極自然に微笑んで和やかに挨拶をしている。
 初対面の人でも緊張の欠片もなく打ち解けて直ぐに仲良くなれるのは、奈宜の一番の長所だろうなと改めて感心した。
 旅館の人達との交流は奈宜に任せ、こっちは宿泊に必要な事務的な手続きを済ませると、年配の仲居さんと楽しそうに話をしている奈宜と二人揃って、部屋にへと案内して貰った。


 単純に旅行だと考えたら豪華過ぎる部屋だけど、俺と奈宜の新婚旅行だと思っているから少々奮発して、かなり良い所に決めた。
 その甲斐もあって、通された部屋は本当に居心地も良く快適そのもので、奈宜もとても喜んでくれた。
 チェックアウトの時間ギリギリまで部屋で過ごす予定だから、これは大正解だったと思う。
 むしろ、もう一泊にしといても良かったかなと残念に思いながら、部屋に着いて暫くの間、窓から見える景色を楽しみつつ、あちこち覗いて無邪気に喜んでいる奈宜と一緒に、ゆったりとした時間を過ごしていった。




 部屋にも専用の露天風呂が付いているけど、共用の大浴場もかなり立派なのが完備してあるらしい。
 色々と話していた仲居さんにも「そっちも入りに行くと良い」とお勧めされたそうで、奈宜の希望もあって、夕食前に大浴場に行く事になった。
 男同士で恋人だと、こういう時にも一緒にお風呂に入れるし、何かと便利だったりする。
 まだ時間的にも早めだから、ほとんど貸しきりに近い広々とした大浴場で、のんびりと話をしつつ疲れを癒した。


 大きな露天風呂を満喫した後は、少しだけ旅館の中をウロウロして遊び事にした。
 お土産物屋さんは明日の出発前にも見るから、今日は軽く眺めて廻るだけにしておいたけど、まだ夕食の時間まで少しある。
 旅館内の喫茶店に入って休憩してから、今度は外に出て旅館の周りを散歩しに出かけた。
 やっぱりこういう日常から離れた所で過ごしてみると、時間がとてもゆっくり感じられて気持ちが良い。
 自然の豊かな景色を充分に満喫してから、部屋に戻ってきてゴロゴロしながら遊んでいると、仲居さんが夕食の支度に来てくれた。
 大きなテーブルに並べられた料理は、どれも本当に美味しそうで、今ではすっかり料理上手になった奈宜が、やけに興味津々で眺めている。
 もしかしたら色々と覚えて帰って、家でも作ってみようとか考えているのかもしれない。
 料理を並べている仲居さんに向かって、奈宜が色々と質問している間に支度も終わって、二人だけの楽しい夕食の時間が始まった。




 美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、チラリと横目で窓の外に視線を向ける。
 他の客達が近寄ってこない離れ形式の部屋になっていて、尚且つ部屋に露天風呂が付いている事を絶対条件にして、あちこちの宿を探した。
 世の中、おおよそ似た様な事を考える奴が多いらしく、意外と沢山の宿があっさりと見つかった。
 予想以上に沢山の候補の中から、部屋から直ぐに露天風呂があって、食事面も充実している、この宿を選んだ。
 俺は部屋から遠くても構わないけど、奈宜は部屋から近い方が何かと安心でリラックス出来るだろうし、風呂から上がって直ぐに部屋で寝転べるのも、かなり魅力的な所だと思う。
「奈宜。食事が終わって落ち着いたら、今度は部屋の露天風呂に入るか」
 そう問いかけると、向かいで料理を楽しんでいる奈宜が嬉しそうに頷いた。


「ん、それが良いな! 俺も今、それを言っておこうと考えてたトコ。お風呂から夜空も見たいし、明日の朝も入れるけど、やっぱり夜のうちにも入っておきたいな」
「あぁ、そうだな。時間を気にする必要はないし、ゆっくりと入れる。食事の後片付けが終わったら、仲居さんはこちらが呼ばない限り、部屋には入ってこないそうだ。二人だけでのんびり出来るぞ」
 暗に「後片付けが完了したその後は、誰も近くに来ないんだぞ」と説明しつつ、奈宜と美味しい食事を楽しんでいく。


 ちょっと時期がずれてしまった新婚旅行に相応しい、豪華なフルコースの食事を堪能した後は、奈宜との甘い一時が待っている。
 大浴場で目にした、ほんのりと色付いた奈宜の裸身は本当に甘くて美味しそうで、色んな事を我慢するのに苦労した。
 二人だけの露天風呂では、その辺りも大いに満喫せねば……と硬く心に誓いながら、浴衣姿も艶かしい奈宜と二人で静かで優雅な一時を過ごしていった。






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