同棲事情 04

Text size 




 いつも通りに駅から奈宜にメールを打っておくと、電車の到着を待っている間に「食事の準備をしてマンションに戻ってる」と早々と返事がきた。
 ちょっと意外な返信に驚きつつも「それなら真っ直ぐマンションに帰る」と電車に乗り込みつつ返事を出して、空いていた車内の吊革に掴まった。


 今日は大学の授業が午前中までで終わりだったそうで、午後から余裕のあった奈宜が、母と一緒に途中まで準備した夕食を、マンションの方まで運んでいた。
 奈宜の実家は居心地も悪くないし、奈宜も何かと楽だから、向こうで晩御飯にするのが当たり前になりつつある。
 だからよく考えてみると、休日ならともかく平日に二人だけの夕食は、かなり久しぶりな気がしてきた。
 今日はほとんど定時近くで帰ってきたから、夕食後も普段よりも余裕がある。
 これなら奈宜とゆっくり過ごせそうだなと嬉しく思いながら、通い慣れた電車の中、窓の外を眺めていた。




 いつになく上機嫌で出迎えてくれた奈宜も、「最近、家で晩御飯を食べてないかも」と、ふと思い立ってコッチで食べる事にしたらしい。
 本当に偶然だけど、こういう日に早く帰ってこれて良かったなと嬉しく思う。
 そんな事を話しつつ二人だけの家の中で、久しぶりにゆっくりと晩御飯を味わっていった。




 二人きりで楽しく食事を取った後は、後片付けをしている奈宜を手伝って早々と終わらせ、飲み物を片手にリビングで寛ぐ事にした。
 大きめなソファだから、大人二人が並んで座っても余裕がある。
 飲み物を二つ置いたトレイを持ってきた奈宜が、マグカップと一緒にパウンドケーキが二切れ乗ったお皿を、テーブルに並べて置いてくれた。


「今日はお菓子も作ってたのか。誰か遊びにでも来たのか?」
「ん、智也が来てた。今日のバイトは遅番だし、まだ出勤まで時間があるからって、こっちまで遊びに来てくれたんだ」
「智也くんも時間もあったのなら、沢山話せて良かったな。大学時代のバイトは意外と忙しいからな」
「そうみたい。最近は休み時間に話す位だったから、久しぶりにのんびり出来たかも。パウンドケーキも、ちょっと余るだろうから今日のお夜食に出来るなって位に多めに作ったんだけど、二切れしか残らなかった。智也、すごく沢山食べてたからさ。また作っておいたから、足りなかったら切り分けてくる」
 基本的に少食な奈宜だから、その食べっぷりにビックリしたのかもしれない。
 ちょっとだけ驚いた様な表情で色々と説明してくれた奈宜が、隣に腰を下ろしてきた。
「それだけ美味しかった……って事だろう。良かったじゃないか」
「うん、俺がビックリする位に喜んでた。将貴さんも好きだから自信持って出したけど、智也も『美味しい』とか言ってくれた。今度は大学の休み時間用に作って欲しいって頼まれたし、お菓子も上手に作れるようになってきたかな」
 そう言いながらフォークでパウンドケーキを一口大に切り分けた奈宜が、「はい、どうぞ」と言いながら口元に差し出してくれた。


 ずっと昔に一緒に過ごしていた、奈宜がまだ小学生だった頃、膝の上に座った小さな彼を抱っこしたまま、よくこうやってお菓子を食べさせてあげていた。
 どうやらそれもしっかりと覚えていたらしい奈宜は、今度はそれを真似して俺に色々とやってあげたいらしい。
 あんなに小さかった奈宜も、当時の俺の年齢を通り越して、もう大学生になっている。
 いつの間にか、こんな事を考える位に成長したんだなぁ……と思うと、妙に感慨深く感じてしまった。
 あの頃と変わりなく、いつもニコニコと機嫌が良くて可愛らしいけれど、やっぱり色んな部分で「奈宜も大人になってきたな」と思う時が増えてきた。
 口元に差し出されたパウンドケーキにパクリと噛り付き、とても美味しく頂きながら、今度は自分用に切り分けたケーキを口に運ぶ奈宜の方に視線を向けた。


「そういえば最近、街中でも智也くんに会ってないな。元気にしてるのか」
「うん、すごく元気にしてる。大学の近くにワンルームを借りて一人暮らしを始めたんだ。時々は家の方に帰ってるけど、前みたいに毎日じゃないから。やっぱり将貴さんと出会う時も減ったのかなぁ?」
「あぁ、なるほど。一人暮らしか……智也くんはしっかりしてるし、特に心配は無さそうだ」
「智也も全然平気とか言ってた。でもホントに一人暮らしとか凄いなって思う。俺は絶対ダメかも。一人じゃ寂しいと思うし、晩御飯も母さんと一緒に作ってて、全部を一人で作ったのはまだ何回か位だし……将貴さんも一人暮らしして何でも出来てたのにな」
 大学生になると同時に周囲に一人暮らしの奴が増えてきたから、そこへ遊びに行って皆の暮らしぶりを見る度に、色々と驚いているらしい。
 何となく声のトーンを落として呟いた奈宜の頭を、軽くクシャクシャと撫でてあげた。
「一人暮らしの経験のない奴なんて大勢いる。それに、奈宜は俺の分もあるから二人分じゃないか。いきなり全部をやるのは無理だと思うぞ。一人で出来なくても当然だ」
「ありがとう。将貴さんがそう言ってくれるなら大丈夫かな。でも、もうちょっと頑張らないと。知らない事も沢山あるし、それも覚えていかなきゃ」
 基本的に明るい性格で前向きな奈宜だから、落ち込みかけたのは一瞬で終わって、そちらの方に決意が向かってくれた様だ。
 暗い顔をした奈宜なんて見たくないし、直ぐに機嫌が直ってくれてホッと胸を撫で下ろしながら、真顔で呟いている奈宜の頭を撫でてあげた。


「奈宜はまだ大学生だし、知らない事が沢山あって当然だろう。そう焦らなくても良い」
「そうなんだけど……でも、皆より知らない事が沢山あるみたいなんだ。だから、それと同じ位は覚えなきゃダメだとは思う」
「奈宜は物覚えが良い方だし、俺はそう思わないけどな。そんなに知らない事があるのか?」
「うん、そうみたい……俺、『エッチな事はベッドの中でしかやっちゃいけない』って思ってたのに、それも違ってたみたいだし。俺はそういうの知らなかったから。将貴さん、いつも怒っちゃってごめんなさい」
 唐突に謝ってきた奈宜の言葉に、彼の頭を撫でていた手を止めた。


「いつも怒ってて……って、何の事だ?」
「えっと……キッチンで後片付けしてる時とか、こうやってリビングで遊んでる時に、将貴さんが触ってきたりする事なんだけど。俺を困らせようとして悪戯してくるのかな? と思ってたんだ。でも、こういうトコでエッチな事するのも普通だ、って聞いたから……」
 二人だけしかいない家の中なのに、内緒話をする時みたいにコソコソと声を潜めた奈宜が恥ずかしそうに答えてくれた。
 可愛らしい様子に思わず頬が緩みそうになるけど、そんな事を言っている場合じゃない。
 上目遣いでジッと見詰めてくる奈宜を、彼と同じく見詰め返しつつ、出来る限り優しい声色を装って、再度、彼に問いかけた。


「……奈宜、それは誰から教えて貰ったんだ?」
「智也が教えてくれた。AVで人気があるみたいだけど、皆が『奈宜は見なくていい』って言うから、全然見た事無いんだ。だから分かんなかった。変な事じゃないみたいだし、もう怒らないから」
「……そ、そうか。それで、どうしてそれを教えて貰う事になったんだ? 奈宜が智也くんに相談したのか?」
「あ、違う。偶然かな……? 智也から『喧嘩とかしないのか?』って聞かれたから『喧嘩じゃないけど、将貴さんが時々エッチな悪戯してくる時に怒ったりする』って答えたんだ。そしたら、悪戯じゃなくて普通だって教えてくれた。そんなの全然知らなかったから、ちょっとビックリしたかも。色々覚えようと思って『俺も見る』ってたんだけど、智也が『森崎さんに教えて貰えばいい』って貸してくれなかった」
「ま、まぁ……そうだな。俺が教えてやるから、奈宜は別に見なくてもいい。気にするな」
 何と答えれば良いのか思いつかず、とりあえずそう答えた。
 それで納得してくれたらしく、素直に「分かった」と頷いた奈宜が、またパウンドケーキに手を伸ばすのを呆然と見詰めていた。




 大切に育てられ過ぎて少々世間知らずな所はあるものの、奈宜は極普通の男の子だと思うし、何度か話をした事のある智也も、至って普通の10代後半の少年だと思う。
 個々に話をすればそんな感想しか出てこないものの、何故だかこの二人で話をすると、話が妙な方向に飛躍してしまうらしい事が、最近になって分かってきた。
 一番最初に出会った喫茶店でも「何でこんな場所で、堂々とそういう話をしてるんだ?」と、聞いている俺の方が頭を抱えてしまったけど、どうやら普段から二人で話をする時は、こんな感じの会話を楽しんでいるらしい。
 一度だけ俺が在宅時に智也が遊びに来た事があって、その時の彼等の会話も、とんでもない方向に話がどんどん逸れていって、俺としては呆然と聞き入るしかなかった。


 何でそういう方向に話が向かうのか心底不思議に思うけれど、奈宜にそれとなく聞いてみても、普通に話をしているだけだとしか答えは返ってこなかった。
 奈宜が「一番の親友だ」と言っているから、お互いに何でも包み隠さず話し過ぎて、そうなってしまうのかもしれない。
 他の男友達から教えて貰ったんなら、その話題に至った経緯などを事細かに問い質さねばならない所だけど、教えてくれた相手が智也であるなら、いつもの事だし特に心配する必要はない。
 何にしても面白い二人だなぁと納得しながら、マグカップを手に取り一口飲んだ。




「奈宜、他の友達は遊びに来たりしないのか? 俺は智也くんとしか会った事が無い気がするが」
「うーん……時々は来てるけど、将貴さんが仕事に行ってる時間帯が多いかな。皆、平日しか時間無いし、夜はバイトに行ってる子が多いからさ。遊びに来ても昼間ばかりだから、そういえば将貴さんとは会ってないかも」
「なるほど、そういう事情なら仕方ないな。俺の同僚達が遊びに来てるのに、奈宜の友達はあまり呼んでないのかと思って心配したんだ。俺は別に構わないから、遊びに来たがってる奴がいれば、遠慮なく招待すればいい」
「ありがとう。そのうち、将貴さんがいる時にも会う事になるかも。あんまり長い時間はいないと思うから大丈夫かな」
「俺も奈宜の友達と会ってみたいし、気を使わなくて良い。智也くんみたいに顔を知っておいた方が、俺も何かと安心だ」
 嬉しそうな奈宜にそう説明してあげると、素直に頷いてくれた。
 そのまま二人並んでゆったりとソファで寛ぎながら、自分が大学生だった頃の生活を何となく思い出して、一人大いに納得していた。


 奈宜が俺に遠慮して大学の友人達を招待していないのかと思ったけど、確かに言われてみれば、学生時代は平日の方が何かと余裕があった様に思う。
 それなら未だに顔を合わせてないのも不思議じゃないし、ある意味当然かもしれなかった。
 奈宜の友人は智也しか知らないから、一緒に大学に通っている他の友人達とも会っておきたい。
 他の友人達とは、学校生活の休み時間にどんな会話をしているのかな……とアレコレと考えながら、上機嫌な奈宜と一緒に夕食後の一時を楽しんでいった。






******






 キッチンにへと向かった奈宜の姿を、テレビを眺めつつリビングから見送った。
 また手伝ってやると言ったのに、何故だか「将貴さんはゆっくりしてて!」と強固に言い張る奈宜に、お手伝いを拒まれてしまった。
 別にテレビを見たい訳じゃないけど、奈宜本人にそう言われてしまうと、無理にくっ付いて行って手伝うのもどうかと思う。
 ここは大人しく引き下がって、てきぱきと日々の家事を進めていく奈宜の姿を、ゆったりと見守る事にした。


 とても働き者の奈宜は、一人で家事をこなす事を特に苦痛だとは思っていないらしい。
 テレビを見ている振りを続けつつ、楽しそうに食器を洗っている奈宜を横目でチラチラと観察している最中、ふと、先程までの会話が頭の中に蘇ってきた。




 リビングを抜け出し、食器を洗っている奈宜の背後にそろそろと近付いても、まだ気付いた様子はない。
 無防備な細腰に腕を廻して、少し俯き加減で露になっているうなじに、そっと唇を落としてキスをした。
「あ! 将貴さん、またエッチな事してくるんだから……」
「キッチンでこうやっても大丈夫だ……って、奈宜ももう覚えたんだろう? 智也くんも『森崎さんに教えて貰えばいい』って言ってたそうだから、ちゃんと教えに来たぞ」
「それは分かるけど。でも、まだお片付けの途中だから今はダメ。もうちょっとだから」
 振り向いてきた奈宜が、軽くチュッとキスを返してきつつ、クスクスと笑いながらそう答えてきた。


 「今はダメ」と言われているのに無理矢理に迫る程、無粋な真似はしたくない。
 渋々ながらも大人しく引き下がる事にして、満足気な奈宜の腰から名残惜しくも掌を離した。
「……じゃあ、片付けが終わったら良いんだな? 絶対だぞ」
「うん、それなら良いかな。あとちょっとで終わるからリビングで待ってて」
 家庭的で身持ちが良過ぎる生真面目な奈宜の頭の中では、今はエッチな事よりも、きちんと家事を遂行させる事の方が優先順位が高いらしい。
 とりあえずキスしてくれたから良いか……と、奈宜から離れがたい自分を何とか納得させて、すごすごとリビングに退散する事にした。




 色んな事を覚えてちょっぴり大人になってくれた奈宜自身が「もう怒らない」と言ってたのに、やっぱり今日も怒られた。
 奈宜はちょっと真面目過ぎるからなぁ……と考えながら、良妻過ぎる奈宜の姿をリビングからぼんやりと見詰めた。
 働き者の奈宜の事は大好きだけど、時々は羽目を外して欲望に忠実になっても良いと思う。
 日々の家事も大事だけど、新婚時代は特に「愛の語らい」が重要なんだと、今度は色んな順番についても教えなきゃだ……と硬く心に誓いながら、ようやく腕の中に戻ってきてくれた奈宜の姿を、しっかりと抱きしめてやった。






BACK | TOP | NEXT


2010/08/29  yuuki yasuhara  All rights reserved.