同棲事情 03

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「……なぁ、これって手作りだよな。もしかして奈宜が作ったとか?」
 紅茶と共に出されたパウンドケーキを、話をしつつ二切れほど食べた所で、ふと気付いて問いかけてみた。
 何となく答えの予想はつくものの、念の為に確認すると、目前に座る奈宜が嬉しそうに頷いた。
「そうだよ。もう何回も作ってるし、将貴さんも『美味しい』って言ってくれたから。結構、自信作かな」
「あー、褒める気持ちが分かるな。俺もかなり美味しいと思う。奈宜って料理が上手いんだな」
「ホント!? 良かった。多分、将貴さんの会社の人達が遊びに来た時に、おもてなしをしてたからだと思う。毎回同じだと面白くないから、色々と作ったんだ。もう慣れたかな」
「そっかぁ……皆も喜んでるんじゃないかな。やっぱり、手作りの料理で歓迎されると嬉しいしさ」
 十代後半の大学生男子に向かって、こういう褒め言葉はどうなんだろう……? と、言った後から一瞬悩んでしまったけれど、奈宜は喜んでくれたらしい。
 嬉しそうに微笑んでいる奈宜を前に、小さな頃から仲の良い「男友達」が手作りしてくれた美味しいケーキを、また口に運んだ。






 奈宜とは小学生の頃からの友達で、高校は別々の所に通ったけど今でもかなり仲良くしている。
 高校時代も時々は連絡を取って遊んでいたし、同じ学校内で顔を合わせる事が無かっただけで、ずっと友達関係は続いていた。
 だから、偶然にも同じ大学に進学が決まった時は、お互いに本当に喜び合った。
 合格した学部は違うものの、時間帯が合えば一緒に通学も出来るし、休み時間に話も出来る。
 俺のバイトは忙しくなるけど、学校内で話せるから良かったな! とか、そんな話をアレコレとしているうちに、本当に一緒に大学に通う様になっていた。




 奈宜の通っていた高校は体育会系の部活が盛んな所だから、同級生の男連中は、わりと武骨で男っぽいタイプの奴が多かったそうだ。
 だからそれに感化されてしまったのか、奈宜も高校に入ってからは、ちょっと乱暴な男っぽい口調で話す様になっていた。
 俺が知っている中学時代の奈宜は凄く大人しくて、その辺りにいる女の子以上に穏やかな性格のヤツだったから、最初にその口調を聞いた時は少々驚いてしまった。
 身長は普通に高校生男子の平均程度はあるけど、身体は女の子達が羨ましがる位に華奢な方だし、何より顔立ちが柔らかくて男っぽさがあまりない。
 あんまり奈宜らしくないなぁと慣れるまで違和感があったけど、奈宜だってもう高校生になる男なんだから、これ位が普通だよなと考え直した。


 別に女っぽい訳じゃないけど、男の友達とばかり遊んでいた中学時代は「奈宜は大人しいヤツだから助けてあげなきゃな」と、俺達の中ではある意味、ちょっとだけ女の子扱いみたいになっていた。
 そんな立ち位置がとても似合う奈宜だけど、高校に入って同級生の女友達も増えてきたから、奈宜なりに「もう少し男らしくならなきゃ」と考えたらしい。
 とはいえ体格的な部分や性格などは変えようがないから、取り急ぎ奈宜に出来る事といえば、せいぜい口調を男らしくする程度しか無理だと思う。
 何にしても、ようやく奈宜も男の自覚が出てきたんだなと感心していたけど、それは表面的に周囲に合わせていただけで、本質は昔と全然変わってなかったんだと、最近になって気がついた。


 高校3年生になったある日、お姉さんの昔の彼氏で、ずっと「小さい頃から大好きな人なんだ」と慕い続けていた男性の森崎と再会し、何故だか彼の恋人として付き合う様になってからは、段々と昔の奈宜に戻ってきた。
 口調や態度もすっかり昔通りに戻ってしまったけど、この方が聞き慣れているし、奈宜の雰囲気から考えても自然だから、皆もあまり気にしていないっぽい。
 大学に入って紹介して貰った奈宜の高校時代の同級生達も、男性の恋人と同棲して家事に勤しむ奈宜を見ても特に違和感は持っていない様で、ものすごく普通に接している。
 そもそも、初恋の相手が『年上の男性』な時点で、男の子としては少々珍しい性格なのかもしれない。
 きっと奈宜なりに無理して男っぽくしようと頑張っていただけで、本当はこういう事をする方が好きなんだろうなぁ……と、しみじみと実感しながら、紅茶のおかわりを作りにキッチンに向かう奈宜を横目に、五切れ目のパウンドケーキに手を伸ばしていた。






 休日はお互いに恋人と過ごす時間になるから、奈宜とは平日のちょっとした時間を見つけて遊ぶ事にしている。
 場所は喫茶店だったり学食の隅だったりと色々だけど、最近は奈宜の住んでるマンションでのんびりと話をする事が増えてきた。
 中学の頃に遊びに来ていた奈宜の実家近くだから、何かと慣れてて苦じゃないし、一人暮らしの俺の部屋に呼ぶより物品も揃っていて便利だったりする。
 俺の部屋に来た場合、まず座る場所の確保から考えなきゃだもんなぁ……と考えつつ、広々としたリビングの中、キョロキョロと周囲を見回した。
「…………なぁ、奈宜。森崎さんってさ、いくつだっけ?」
「え、年齢のこと? 姉さんと同級生で、俺達の10歳上だけど。だから今年は29歳だな」
「そっか。森崎さんは当然、大学は出てるよな」
「うん、そうだけど。それがどうかした?」
「いや……って事はさ、社会人になって5、6年後には、こういうマンションで暮らせる位に稼いでなきゃいけないんだよな。俺、大丈夫かなぁ? とか、すっげぇ心配になってきた」
 改めて冷静に考えてみると、これはかなり重要な問題だと思えてくる。
 本気で心の底から不安になりつつ、こんな心配なんて一生しなくてもいい奈宜を前に、真剣に考え込んだ。


 俺の実家近くにある会社に勤めている森崎とは、お互いに顔が分かってみれば、意外と頻繁に顔を合わせる事があった。
 俺はバイトなんかであちこちをウロウロしてるし、彼も営業職ではないけど得意先に顔を出すとかで、あの喫茶店で偶然一緒になった時みたいに、社外に出る時間は多いらしい。
 信号の待ち合わせで一緒になったり、駅のホームで出会ったり……と、顔を知ってしまえば色んな所で出会ってしまう。
 そういうちょっとした時間に立ち話をしている間に、奈宜が教えてくれた事以外にも、本人から色んな情報を教えて貰った。
 大人の社会で考えると、まだまだ充分に若い森崎だけど、会社では主任だか係長だかは忘れたけど、そういう何か役職的な肩書きはあるらしい。
 その時は俺も高校生だったし、そういう内容はよく分からないから「へぇ、そうなんだ」程度にしか思ってなかったけど、大学生になって社会人に一歩近づき、彼の勤めている会社の規模や世間の評判を知ってみると、ようやく「それは凄い事だな……」と理解した。
 今から大学に4年間通うとして、卒業して新入社員になった6年後には、彼のレベルで考えてみると部下を持つ身分になって、こんな立派なマンションで暮らして嫁を貰ってなきゃいけない。
 俺も10年後には結婚して、こんな生活が出来てるのかな……? と想像してみても、それは絶対に無理な気がしてきた。


「え、そんなの心配しなくても大丈夫だと思う。将貴さんだって、俺と一緒に暮らし始める前はワンルームに住んでたしさ。智也のワンルームと同じ位の所だったし、最初はそんな感じじゃないのかな。全然平気だよ」
「そうかなぁ……まぁ住む所はともかく、俺は一生、フツーに平社員だと思うな。森崎さんみたいに30歳手前で管理職みたいなのとか、なーんか無理っぽい気がする」
「俺、バイトもした事ないから、そういうのは分からないけど……でも、人数的に考えてもさ、全員が偉い人になれる訳じゃないと思う。だから、それが普通じゃないのかな。それか逆に、人の少ない会社に勤めれば良いかも!」
「あー、それも手段の一つかもな。選択肢に入れておこうかな」
 真顔で助言してくれる奈宜にそう答えながら、結構本気で考えてみた。


 時々話すようになった森崎は、俺から見ても本当に大人で頼もしく思える。
 彼の恋人になった奈宜の今後は安泰だろうけど、俺は森崎の立場になって、奈宜みたいに料理上手な嫁を貰い、家族を養っていかなくちゃいけない。
 本当に幸せそうな奈宜の生活を眺めつつ、色んな事を考えていると、自分の将来に関して真剣に不安になってくる。
 そうやって考えてみると、奈宜って凄く幸せな奴だよな……と、本当に羨ましくなってきた。


 何年も想い続けていた好きな男と恋人同士になれた上に、まだ大学生になったばかりの身で同棲生活を開始して、こんな立派なマンションで暮らしている。
 大学を卒業後も、もしかしたら暇潰し程度に仕事をする事になるかもしれないけど、基本的には生活がかかってる訳じゃないから、きっとバイト程度だろうと思う。
 俺自身は高校生の頃からバイトをやってる位、仕事をするのが好きな方だと自覚してるけど、それとこれとは話が違う。
 バイトと社会人じゃ責任の度合いも違ってくるし、自分の遊ぶ金だけじゃなくて、家族を養っていく分まで稼がなきゃ……とか考え出すと、思わず溜息をつきそうになってしまった。


「……奈宜は良いよなぁ。森崎さんなんて、思いっきり出世コースに乗っかってるしさ。将来は絶対、奈宜のお父さんみたいに偉い人になると思うぜ」
「そうなのかな? 仕事については分からないけど、でも、ちょっとは気になるかな。将貴さんがお家の事は心配せずに仕事に励める様に、俺がしっかりお世話しなきゃ! とは考えてる」
「へぇ、そうなんだ! 奈宜、そんなの考えてるんだ?」
「ちょっとだけ。将貴さんからも『奈宜は外に仕事に出るとか似合わない』って言われたしさ。だから、俺は料理や洗濯を頑張ろうかなって決めてるんだ」
「なるほど……それも仕事みたいなモンだし、確かに奈宜には似合うかもな。良いんじゃね?」
 頑張る方向性は少々変わってるなと思うものの、奈宜なりに考えているのを聞いてビックリした。
 でもやっぱり、どう考えてもソッチの方が良さそうだよなぁ……と、そんな感想も同時に、頭の中に浮かんできた。


 朝から晩まで仕事に出て働いて、満員電車に揺られて帰宅するより、奈宜がやってるみたいに料理を作って、家の掃除や洗濯に励んでいる方が気分的には楽かもしれない。
 今やってるバイトも居酒屋で、元々そういうのが好きでやっているから、森崎みたいに大学卒業後に就職して会社員になっても、今と同じ様に楽しく働けるのかなぁと思い始めると色々と自信が無くなってきた。
 そう考えてみると、奈宜みたいに立派なビジネスマンの恋人になって主婦代わりに留守宅を守っている方が、俺にも向いてる様に思えてきた。
 唯一、物凄く重要な問題なのが「俺は男の恋人になれるのか?」って所ではある。
 奈宜みたいに見た目が可愛い訳じゃないし、そもそも、彼氏がいる自分なんて、ちょっと想像がつかない部分も確かにある。
 でも、世の中には色んな好みの人がいるから、俺みたいなのが好きな男も、よーく探せば一人位は見つかるかもしれない。
 俺もオッサン相手は嫌だけど、森崎みたいなカッコ良い人なら何とか慣れるかもしれないな……と半ば真剣に考えながら、主婦としての心得を得々と語る奈宜の言葉に、パウンドケーキを頂きながら真面目に耳を傾けていた。






「それにしても、森崎さんと奈宜ってホントに仲が良いよな。喧嘩とかしないんだ?」
 今日もいつもと同じ様に、どう考えても単なるお惚気としか思えない話を楽しそうに語り続けている奈宜に、半ば呆れつつ問いかけた。
 彼等が喧嘩する訳がないのは分かってるけど、俺だって彼女を相手に、ちょっとした口喧嘩くらいは結構している。
 何かそういう事もあるんじゃないかなーと考えてみると、小首を傾げた奈宜が真剣に考え込んだ。


「そうだなぁ……喧嘩とかはしないけど、将貴さんが変な事を言ったりするから、その時は俺が怒ったりするかな」
「へぇー、そうなんだ? 森崎さんって、凄い真面目そうと言うか、冗談とか言わなそうだけどな」
「うん……変な事っていうか、ちょっとエッチな事をしてくるからさ……だから俺、どうしたら良いのかな? とか困っちゃって」
 突然、意味不明な事を言い始めた奈宜の顔を、思わずジッと見詰めてみた。
「エッチな事……って、何が? 全然知らないオッサン相手ならともかく、森崎さんとは恋人同士なんだからさ。困る理由が分からないんだけど」
「まぁ、そうなんだけど……ちょっと変な場所で、俺の身体を触ってくるから……」
「変な場所ってドコだよ。電車の中とかじゃないんだろ? 叩いたり縛ったりとか、そういう趣味じゃないから平気だろ」
 人の好みなんて見た目じゃ分からないけど、少なくとも森崎の場合、そんなに妙な性癖があるようには思えない。
 少々不思議に感じつつ聞いてみると、奈宜がますます困った表情を浮かべた。


「あ、そういうんじゃなくて……あのさ、ベッドの中じゃなくて、他の場所でエッチな事してくるんだよな」
「他の場所? 例えばどんなトコ?」
「えっと、キッチンとか……俺が片付け終わるの待ってて、後ろから変なトコ触ってくるんだ。やっぱり触られると気持ち好いから、俺も反応しちゃいそうになるんだけど……でも、そういう所でエッチしちゃダメだよな。だから怒ってみるんだけど、あんまり聞いてくれなくてさ。逆に面白がってるみたいで、もっと沢山してくるから、どうしよう……って……」
 そんなに恥ずかしいんなら適当に話をごまかせば良いと思うけど、素直で生真面目な性格の奈宜は、どうもそれが出来ないらしい。
 ほんのりと頬を染めて恥じらいながら、夜のおつとめ話を赤裸々に教えてくれる奈宜の姿を、少々呆気にとられつつ見詰め返した。


「なんだ、そんな事か。それ、全然変じゃないから。すっげー普通だ」
「――――……え、そうなんだ? 智也もキッチンとかでエッチな事をしたいと思う?」
「皆、そう思ってるんじゃないかなぁ。ってか、そういうAVもあるしさ。奈宜は見ないから知らないだろうけど、わりと人気があるシチュエーションだと思うぜ。俺は森崎さんの気持ちが、すっげぇよく分かるな」
「ホントに? バスルームでもしてくるんだけど、それも普通? お風呂は二人とも裸になってるし、まぁ分かるかなーって感じなんだけど。俺が怒ったりするから、将貴さんがわざと意地悪してやってるのかと思ってた」
 大人の森崎が相手だから、実体験は奈宜が一番豊富だろうなと想像つくけど、逆に下ネタ系の話題については、皆して奈宜にほとんど聞かせた事がない。
 やっぱり奈宜は可愛いなぁと思いながら、本気でビックリしている箱入り娘な奈宜の姿を微笑ましく見守った。




 もし、奈宜の恋人は森崎じゃなくて、普通に女の子だったらどうなってたんだろう……と考えてみるけど、どうにも上手く想像出来ない。
 何故だかトースターでパンを焼くだけでも失敗してしまう俺の彼女より、数百倍は料理上手で家庭的な奈宜は、やっぱり嫁を貰うよりも、自分が嫁に行って正解だよなぁと心底感心してしまった。


 それにしても、男の恋人になって幸せそうな奈宜と、俺より短期間の付き合いなのに奈宜の可愛らしさに気付いて恋人にした森崎といい、ちょっと本気で羨ましすぎる。
 俺だって「奈宜は可愛いヤツだな」とまでは思っていたのに、男の奈宜を恋人にしようとか、欠片も思い浮かんでなかった。
 森崎くらい広い心で接していれば、もしかしたら男だけど、こんなに純情で料理上手で可愛らしい恋人が出来ていたのかも……と考えると、本気で勿体無く思えてきた。
 ちょっぴり残念に思う気持ちはあるけど、奈宜とは今まで通りの親友関係で満足してるし、そもそも、俺が森崎に勝てる訳がない。
 これも一つの判断基準として、もっと大きな心で「大人の男の恋人になること」や「可愛い男の恋人をつくること」も選択肢に入れなければと実感しながら、最近お気に入りのAV話をネタに、純情可憐な新妻の奈宜と二人で、のんびりと夕方までの時間を潰していった。






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