Eros act-5 08

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 予想外な人物からの連絡は、基本的にあまり歓迎されるべき物ではない。
 特に今回「大至急」の一言も付け加えての連絡を寄越してきた者の場合、特に良い連絡ではない事は分かっている。
 二人だけで話をしたいらしい、その用件とやらも、本来、彼が関わっている筈のない事柄だから余計に訝しく感じてしまう。
 何となく嫌な予感を抱えたまま、此方が現在地を返した途端、即座に到着した彼が待つ部屋にへと向かった。






 ドアを開けた瞬間、ソファに座っている彼がチラリと視線を向けてきた。
 長い時間をかけて身体に染み付いた習性からなのか、普段から人並以上に無表情な彼を観察した所で、何を考えているのか読み取るのは、かなり困難な事柄なのは間違いない。
 挨拶の言葉すら発する事なく不気味な程に静かな雰囲気で座ってる彼の前に、同じく無言のまま腰を下ろした。




 ジェイの事件について耳に入れておきたい事がある……と、そう話してきた寺尾警視監は、現在、公安部を纏めている。
 刑事部の奴等ならともかく、何故、公安部の彼がジェイの話を振ってくるのか――――その意味が分からなかった。


 古くからの台湾マフィアの親友を持ち、常は極右と政界との間で動いていた祖父は警察庁警備局とも繋がっていて、当然、警視庁公安部も抑えていた。
 高校に入ったばかりの俺が祖父と行動を供にし、様々な裏社会の掟を学んでいた頃、キャリア組の彼は公安部に配置されたばかりの一介の警部補でしかなかった。
 その彼を甚く気に入った祖父は、俺に対するのとは別の意味で彼に様々な事を教え込み、俺の代での強固な地盤作りにおいても抜かりなく、揺ぎ無い繋がりを築いてくれていた。
 彼が公安切っての精鋭として今の地位まで登り詰めた背景には、俺の祖父の意向が多大にあった事は間違いないものの、理由はそれだけではない。
 御しやすさだけで通ずる相手を決める祖父ではないし、俺自身、互いにこの世界に足を踏み入れたのが同時期だった縁もあり、彼が持つ能力の高さは充分に分かっている。
 今では持ちつ持たれつを繰り返し、祖父が残してくれた当時以上の強固な繋がりを持っている彼を前に、置かれているカップを手に取り、軽く喉を潤した。


「ジェイの事件に関する事だと言ったな。先に概要を聞かせて貰おう」
「そうだな。今回の件に関しては細かな説明が必要だろう。何故、俺があの事件に関わる事で連絡を寄越してきたか、不審に感じているだろうが。まぁ、それも直ぐに分かる」
 表情ひとつ変えず、淡々と話す彼の言葉を聞きつつ、思わず苦笑してしまった。
 自身の言動に関して対する相手がどう感じるのか。それを先に読みつつ行動する癖は、もう現場から離れた今でも身体に染み付いているらしい。
 何の特徴も無いように見えて、実は人並み外れた曲者でもある元精鋭機密部員の寺尾警視監を前に、大きく一息吐いてみた。
「だろうな。その辺りは分かっている。それで、何か動きがあったのか?」
「動きがあった……というより『止められた』と言う方が正解だな。ジェイの事件に関して、警視庁としては手を退く事に決まった」
 普段から必要最低限な事しか口に出さず、感情をあらわにする彼ではないけど、それにしても唐突過ぎる。
 淡々と結果のみを告げてきた彼の顔を、暫くの間、ジッと見つめた。


「――――……止められた……か。刑事部の本意では無いんだな?」
 問いたい事が有り過ぎて、咄嗟に言葉が出てこない。柄にもなく端的な物言いで訪ねてみると、彼は無言で頷いた。
「話に驚いた……と言う事は、やはりお前の意思は入ってないのか。それを確認するのも目的の一つだ。ジェイを直接襲った実行犯は台湾人だ。あの御大が認めているかどうかも分からないし、日本語も覚束ない位の来日したてな奴らしいが。事実上のマフィアに違いないと思われる。間に何人か入っている様だが、今回の事件で直接動いたのは全て台湾の連中だ。お前の指示じゃないのか?」
 先程までと全く変わらず、無表情で問いかけてくる彼の顔を、返す言葉もなく無言で見詰めた。
「台湾マフィアが実行犯だと……それは確かなんだな。刑事部が掴んだのか?」
「その辺りは確実だ。だが、現時点で詳細な個人の特定までは至っていない。『ジェイの事件前後から、様子のおかしな台湾人がいる』とか、そんな程度の情報だ。それでも有力な手がかりには違いない。ようやく動けると意気込んだ瞬間、そこで刑事部にストップがかかった」
「台湾マフィアが絡んでいるから、公安に廻ったんじゃないのか?」
「俺もそう思っていた。組織的な関与も窺わせる雰囲気もあるし、マル暴かウチの外事二課にでも任せるつもりで手を退いたのかと思ったが、そうではない。捜査そのものが事実上の打ち切りになった。お前が動いた訳ではないんだな?」


 再度、同じ事を問いかけてきた彼の前で、大きく息を吐いて考えを纏める。
 台湾マフィアを動かし、それに捜査の手が及びそうになった瞬間、動きを制す――――それが可能な者として思い浮かぶ人物など、俺が考えても只一人しかいない。
 事件の詳細が伝わり始めた当初から、衝動的な犯行ではなく、組織立った者達による犯行である事は分かっていたし、その実行犯がもし彼等だとすれば不可解な点は何も無い。
 台湾マフィアを動かしている黒幕は俺じゃないのか……と、どうやらそれを確認に来たらしい寺尾警視監を、真正面から見詰めるしかなかった。




「……そうだな、確かに『俺』なんだろう。だが俺ではなく『俺の名を使って動ける者』の指示だ。ジェイの身辺に関しては、俺の方でも事件後に再度の探りを入れているが、台湾マフィアとの繋がりはない。彼が個人的に彼等から狙われる理由はない筈だ。誰かの依頼を受けて動いたとしか思えない」
「その点に関しては、俺も同じ見解だ。お前経由以外で彼等と通じている者はいないのか?」
「俺の知り得る限りでは、そういう人物は存在しない。仮に阿公にそういう話が通れば、俺に必ず連絡が入る筈だ。俺も無闇に彼等を動かす訳ではないし、俺の名を使って、現在は立場的には無関係のジェイを襲撃する話があれば、阿公は必ず不審に思うだろう。だから、今回の件に関しては阿公を通さずに成された可能性が高い」
「なるほど、個人的に直通って訳か。お前以外でそれが可能な奴がいるのか?」
「あぁ、一人だけ存在する。だが……」
 該当する人物など、たった一人しか存在しない。それでも、その名前を簡単に口に出してしまう事に、一瞬だけ躊躇を感じた。


 俺の意を受けて彼等と接する機会が多く、その間に意気投合してしまったのか、アイツは台湾人達とプライベートでも親しくしている。
 アイツが個人的に頼み事をすれば、友達を手伝う気分で深く考えずに引き受けてしまう奴がいても、何らおかしな話でもなかった。
「お前と同等に動ける奴は決まっている。考えるまでもない、深水しかいないだろう」
 俺の戸惑いなど意に介さず、即座に名前を出してきた寺尾警視監の声に、彼から視線を外したまま、つい苦笑してしまった。


 普段は俺と行動を供にしている場合が多い深水は、今は本来、俺が予定していた所に代理として向かっている。
 寺尾警視監の訪問を受けての別行動だけれど、偶然にも、そんな時に彼の話題になってしまった。
 今はこの場を離れているものの、いつも一緒にいる深水の様子から、そんな気配を感じた事はないし、彼の方からジェイの話題を振ってきた記憶もない。
 事実のみを考えれば、深水が真犯人だとしか思えない。でも、彼がそうする理由は全く思い当たらなかった。


「そうだな。アイツしかいないだろう……だが、動機が全く思い浮かんでこない。深水は政治関連の事柄しか任せていないし、俺がジェイと話をする機会があった時も同席していなかった」
「深水が政界を主に動いているのは知っている。でも、それだけではないだろう。お前にとっては参謀に近い立場にいる。当然、他の話も聞かせてはいるんだろう?」
「その辺りに異論は無い。確かに、あの界隈に出店する話は伝えてあるが、二人のジェイが同一人物だと分かったのは事件後だ。それ以前に、事の成り行きは深水もほとんど全てを知っているだろうが、彼がジェイを襲撃する理由が何一つ見当たらない」
「やはりそうか……俺も考えてはみたが、同じ見解しか導き出せない。お前の意向でないのなら、他は深水しか該当者は上がってこない。俺の知らない情報があるんだろうと考えたんだが……どうやら、そう簡単な話ではなさそうだ」
 お互いに裏社会の右も左も分かっていない、何も知らない頃からの付き合いだから、互いの手の内は充分に理解している。
 彼の方でも事のあらましを聞きつけ、俺に関する知り得ている情報をかき集め、様々な予測を立ててみたに違いない。それでも行き詰まって答えが出ず、直接問いかける事にしたんだろう。
 それは説明されずとも分かるものの、話を聞いたばかりの俺にとって、直ぐに答えが出てくる類の問題ではなかった。




 基本的に大人数を従える趣味はないし、人一倍疑り深い性格をしてると自負している。
 身近にいる部下にさえ、本心を悟られぬ様に逆の感情を示す場合も多い俺が、ある程度の本音と手の内を知らせ、腹心として頼りにしているのは深水だけだと、自他共に認めている。
 それは外の奴等から見た関係だけではなく、深水本人も熟知している筈だと、訳もなく信じていた。
 腹心だと思っていた深水に裏切られた気分だとか……そんな三流映画に出てくる様な甘ったるい感傷は浮かんでこない。
 只、彼が何を企み、どんな理由で彼等を動かしてしまったのか――――それが気になってしょうがなく、そんな自分の気持ちにも戸惑っていた。






「マル暴に中川の息子がいる。彼が東郷側の意向を伝えてきた。刑事部の動きを止めたのも、アイツが手を廻したかもしれないな。お前だと思い込んでいたから、その辺りは調べていない。念の為に詳細を押さえておこう」
 唐突に話題を変えてきた寺尾警視監の言葉に、無意識に俯いていた視線をあげた。
「中川? 何となく聞き覚えがある名だが……誰だ」
「多分、事件の報道で聞いたんだろう。東郷氏の護衛をやっている中川という男の長男だ。末っ子はクラブJの店長をやっている。今回、ジェイと一緒に襲われた中の一人だ。ジェイとは兄弟同然の仲で、同じマンションの別階で恋人と暮らしている。中川の息子と恋人、それとジェイに、彼の恋人の一稀を入れた4人が、今回襲われた現場にいた全員だ」
「中川の息子も当事者なのか。それにしても関係性が深いな。親子揃って……ってヤツだろうが、父親同士の関係は仕事上だけなのか?」
「いや、彼等が学生時代に知り合ったのが始まりになるらしい。それまでは接触はなかった。中川の方もそれなりに面白い家系だから、放っておいてもいつかは接点が出来ただろうがな」
 世間的にも名が知られている東郷氏やジェイならともかく、その近辺にいるだけの筈な中川の方も、何かの事情があるらしい。
 マル暴にいる中川が、どの程度の役職なのか分からないまでも、それなりの発言権を持っている様子が今の話からだけでも伺えた。


「そうだな。親父が東郷氏の警備で、息子はマル暴に風俗店店長とは変わった家系だ。裏社会に廻ってもエリートだろう」
「親戚筋には海外で暗躍している奴や外人部隊にもいると聞いた覚えがある。ジェイの息子と店をやっている奴も、以前アメリカの警察学校辺りで修行していたらしい。今回も彼の応急処置が的確だったお陰で、ジェイは大事に至らずに済んだ」
「なるほど、只者ではなさそうだ。両極端で面白いな。その彼とも話をしてみたい」
 ジェイの存在を知った時と負けず劣らず、彼の身近にいる「中川」という男達の事にも興味を感じた。
 その気持ちを告げてみると、寺尾警視監が珍しく微笑んだ。
「マル暴にいる中川なら直ぐにでも会談可能だ。今後も役立つだろうし、近いうちに話をつけておく。父親の方と店長をやっている息子の方は、俺個人では繋がりがない。それは自分でやってくれ」
「あぁ、分かっている。それで東郷側の意向とは何だ?」
「捜査終了を求めている。ジェイ本人が希望しているそうだ。ジェイを襲った犯人について、今後一切不問に処す。適当に世間体をあしらっておけば良いそうだ。多分、彼等も実行犯まで辿り着いたんだろう」
 そう答えた寺尾警視の言葉に、軽く溜息を吐いた。


「……間違いなくそうだろう。この時期に唐突に終了させるとすれば、裏事情にも気付いている可能性が高い。これは単なる傷害事件ではない。犯人が法的に処罰を受けた所で、あまり意味がないと考えたんだろう」
「中川が身内にいるって事は、お前の手の内は知られている。東郷側も深水の存在に気付き、真犯人だと考えているんだろう。お前に任せるつもりだ」
「分かっている。後は俺の方で始末をつける。今から阿公と連絡を取り合っておく。まだ何も気付いてないのか、調査中だろうとは思うが、早い方が良いだろう。事実関係が判明次第、俺の方で片をつける」
 事件の解決を任された俺にとっては、簡単に処罰を口に出せるほど単純な話ではない。
 その辺りを充分に理解している寺尾警視監は、これ以上の答を求める事無く、静かに部屋を後にした。
 部屋を出て行く彼の後姿を見送りながら、何となく動く気になれずにいる。
 ソファに一人腰を下ろしたまま、ジッと無言で考え続けた。




 今回の事件を企てたのが他の奴なら、何も迷う事は無かっただろう。即座に本人を呼び出し、事の真偽を問い質し、事実ならば制裁を加えて放り出す……只、それだけで終わりだった。
 替えなど多々ある奴ならともかく、深水の場合、そう簡単に動く訳にはいかない。
 もし彼の関与が事実であれば、むしろ俺にとって大きな問題になってしまっていた。
 阿公に無断で動いてしまった台湾マフィアと同様に、俺に無断で彼等を動かせばどうなるか……それが分からない彼ではない。
 事が表面化しなければ何事も無く終わっただろう。でも、相手がジェイである限り、絶対にそうならない事は分かりきっている。
 それなのに、人一倍慎重で思慮深く、俺の気質までをも知り尽くしている筈の深水が取ってしまった行動の意味が、どうしても理解出来なかった。


 いくら考え込んでいても、現段階で深水の考えが分かる訳がない……そう自分に言い聞かせて、何とか気分を落ち着ける。
 かつて経験した記憶のない、苦く重苦しい気分を感じたまま、携帯電話に手を伸ばして阿公の店につながる番号を呼び出していた。






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2010/10/30  yuuki yasuhara  All rights reserved.