Eros act-5 07

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 麻紀からの電話で話を聞かされた時は、一瞬、本気でムッとした。
 皆を疑われている気がして、思わず口に出して抗議してしまったけど、麻紀は笑いながらあっさりと否定してくれた。


 改めて説明されたら麻紀が知りたい事も理解出来るし、状況も何となく分かってきた。
 確かに、麻紀もそう言っていたけど、ジェイや一稀と個人的に面識がある台湾人なんて、俺でも直ぐに思い浮かぶ程の人数だし、ましてや彼等に恨みを持っていそうな人物なんて、いくら考えてみても心当たりの欠片もない。
 どう考えてみても麻紀が予想している通り、誰かに頼まれて動いたんろうだとは思われるけれど、それも少々納得が出来ずにいた。


 深夜にジェイ達を襲った連中が、普通のチンピラだとは考え難いって言う噂話は、ジェイが病院に担ぎ込まれた時点から情報の一つとして伝わっていた。
 一稀やティコは別として、見るからに喧嘩慣れしているジェイと中川店長を相手に、しかも、かなり大勢の野次馬を前に冷静に一撃を狙った挙句、追いかけてきた皆を振り切って易々と逃げ延びるなんて、どう考えても普通の連中の仕業じゃない。
 そう言われてみれば、「無言で逃げているにも関わらず、やけに統制がとれていた」と話していた皆の証言も、何となく納得出来る。
 俺は台湾マフィアの連中と仲が良いだけで、彼等と共にそういう行動をした経験は無いから憶測でしかないけど、やっぱり言葉で足がつく可能性もある事だし、実行中は出来る限り無言になるかも……とは思えてくる。
 ましてや、台湾人の闇医者を頼って治療した人物となれば、間違いなく俺の同胞だろうし、少なくとも単なる在日台湾人ではなく、マフィアの連中と何かしらの接点がある奴だとしか思えない。
 でも、麻紀は俺達の習俗を知らないから簡単に結論付けてしまったけど、俺には何となく引っかかる部分が残っていた。


 俺の知っている誰が、ジェイを襲った実行犯なんだろうって予想に異論はない。
 ただ、仲間内での小競り合いならともかく、阿公の許可を得ずに、誰かの依頼を受けて日本人を襲うために動く奴がいるなんて、こうして話を聞きに向かいながらも、どうしても信じられずにいた。






 ちょうど出勤準備を始めようかなと思っていた所に、麻紀からの電話はかかってきた。
 やたらと記憶力の良い麻紀だから、俺の出勤時間も大体把握していた様で、このまま準備をして出勤前に話を聞いてから、店で待っている麻紀に報告する事になった。
 とりあえずトミーの所に行こうと思って歩いていたけど、分かれ道の所まで来て、やっぱり気が変わった。
 もし、二人に何も情報が伝わってなかったとしたら、また阿公にも説明に行く事になるし、既に知っているのなら阿公に聴いた方が話も早い。
 阿公にまで話が伝わっているのに、俺に何も連絡が来ないとは考え難いし、まだ伝わっていない可能性が高い気がする。
 それとも、つい数十分前に話を聞かされて驚いた俺と同じく、阿公達も情報の真偽を確認中かもな……とか、あれこれと取りとめもなく考えながら、幼い頃から通い慣れた阿公の所にへと向かっていった。






 阿公が経営している漢方薬店の裏口から声をかけると、休憩中だった薬剤師のおじさんが「阿公が奥の部屋で待っている」と教えてくれた。
 10分程前まではトミーが来ていたそうで、彼が帰った後に一旦表に出てきた阿公が「次は祐弥が来ると思うから……」と、皆に話して部屋に戻ったらしい。
 帰る間際のトミーの様子を聞いてみると、どうやら少々機嫌が悪かったらしいけど、彼が怒りっぽいのはいつもの事だから、それだけじゃ何とも判断が付きそうにない。
 普段と変わらず、とても和やかに教えてくれた薬剤師さんにお礼を言って、阿公がいる奥の部屋にへと向かった。


 阿公は基本的には店に出て、お客さんと話をしている事が多い。
 俺達が遊びに行った時も店頭で話をする場合がほとんどだけど、誰かが訪ねてきて個人的な話をしたり、表の人達に聞かせたくない話をする時の為に、店の一番奥に部屋がある。
 阿公が台湾出身で、日本に住んでる皆の相談役だと店の人達は知っているから、俺達が訪ねてきて裏で話をしていても、向こうの話をしてるんだろうな程度で、特に不可解には感じていないらしい。
 途中で顔を合わせた薬剤師達にも挨拶をしつつ、阿公が待っている部屋のドアを開けた。




 ソファに座ってお茶を飲んでいる阿公の顔を見た瞬間、何となく話の伝わり具合が分かってしまった。
 向かい側に腰を下ろした俺の前に、既に用意してくれていたお茶を注いでくれる阿公を見詰めながら、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
「トミーとは入れ違いになったのか。もう少し急いで来れば良かったかな」
「いや、丁度良かったと思う。あまり早くに到着しても、祐弥には何の話も出来なかったし、逆に説明を受けなきゃいけない所だった」
 普段とまったく変わらない様子の阿公から、ほとんど予想した通りの答えが返ってきた。
 やっぱり、唐突に情報が入ってきて困惑した俺と同じく、阿公やトミーも突然、何処からか報告が舞い込んできていた。


「ちょうど、仕事に行こうかなーって準備を始めた時に、麻紀さんから電話がかかってきたんだ。それで『色々と聞いてきて欲い』って言われたんだけど……阿公、やっぱり本当なんだ?」
「そうらしいな。怪しい奴を治療した者が慶に事情を伝えた後、そのまま私の所に連絡を寄こしてきた。私もそれを聞いて初めて知ったし、トミーも初耳だったそうだ」
「あぁ、そうか。麻紀さんの前に、慶さんがいるのか……何処からそんな話を聞いてきたんだろう? って不思議に思ったけど、慶さんなら納得だな」
 麻紀が色んな所に顔が効くのは重々承知しているけど、同胞の俺達より先に、一体誰から台湾人の情報を仕入れたのか疑問だったけど、その相手が慶なら納得がいく。


 麻紀以上に顔が広くて人気者の慶なら、変な探偵や警察なんかより情報収集能力はあると思う。
 情報を隠していた闇医者って人も、訊ねてきたのが誰にでも優しくて信用のおける慶だから、きっと正直に白状したんだろう。
 もし、俺達より先に警察に情報が流れての事情聴取だったら、やっぱりどうしても警戒心が先に立って「何も知らない」で終わっていた可能性が高いと思う。
 一番最初に問いかけたのが慶さんで良かったなぁ……と、つい無意識に甘えたくなる穏やかな雰囲気の姿を思い浮かべた。




「私は直接会った事が無い人だが、その慶と言う男が気付いて電話で問い合わせてきて、観念したそうだ。聞いてきた慶とは、何年も前からの知り合いだったらしい。アイツの他にも何人か闇医者はいるけど、一番腕が立って口が重い男だ。だから治療を頼まれたんだろう。朝になってからの報道を見て、色んな事実関係に気付いた後は、彼も相当に悩んでいたようだな。詳しい説明より先に『今まで黙ってて悪かった』と私に謝ってきた」
「今まで黙って……って。もしかして、あの街にも出入りしてるヤツ? ジェイの事件を知ってて隠してたって事なのかな?」
「そうだ。多分、祐弥も顔を見れば知っている男だと思う。慶がホステスをやっていた頃からの客で、今も彼の店には入り浸っているそうだ。私はジェイの所でしか遊んでないが、あの店でも見かけた事がある。祐弥達がいう両刀ってヤツなんだろう」
「マジで? 全然思い浮かばないけど、そんな人がいたのか……麻紀さんは名前を言ってなかったし、俺も皆の裏家業を全部知ってる訳じゃないもんな。でも、言い出せなかった気持ちは分かるな。それが俺だったとしても、やっぱりどうするか悩むだろうなぁ」
 あの辺りでそんなにウロウロしてるんなら、絶対に俺も知ってる人だろうとは思うけど、未だにまったく何の心当たりも浮かんでこない。
 思い起こしてみれば、そもそも阿公がジェイの店で遊んでいた事にも気付いてなかった位だから、俺の持ってる情報網なんて、皆と比べたら物凄く貧弱な物でしかない。
 あの街で遊んでいる皆の事位は、それなりに詳しく知っているつもりだったけど、やっぱり意外と分からないもんだなぁと驚きながら、阿公の淹れてくれたお茶を一口味わった。


 文字通りに色んな意味で、どっちの人達を取るかなんて決められる訳がない。
 結果的には双方から咎められず、あっさりと許して貰えたから良かったものの、片方を取ればもう片方を裏切る結果になるのは事実だし、ひとつ言い方を間違えれば、双方を敵に廻す事になってしまう。
 どうしても言い出せずにいた闇医者を責める気分にはならないし、それはきっと、阿公も同じ考えなんだろう。
 普段から物静かな阿公だけど、いつも以上に穏やかな顔をしている彼の方に視線を向けた。




「じゃあ、俺が麻紀さんからの電話を受けてる時に、阿公に連絡が入った感じなんだな」
「時間的にも、ちょうどそれ位のタイミングだろうな。私も聞いて驚いている所だし、トミーが真剣に怒っている。名前は聞いてなかったそうだし誰かは分からないが、容貌の特徴に当てはまる者が何人かいる。トミーが事実を確認に向かった所だ」
「そっか、やっぱりなぁ……そういえばトミーってさ、引き受けた奴等に対して怒っているんだよな? 隠していた医者じゃなくてさ」
 ふと気になって念の為に聞いてみると、阿公は軽く頷いた。
「そうだな。少なくとも私自身は、治療した彼を咎めるつもりはない。何も事情を知らなかったのは事実だし、直ぐに言い出せずにいた気持ちは理解出来る。報道されている話や私達の反応を見て、台湾マフィアとしての組織的な関与ではなく、怪我をした奴等が個人的に動いての結果だと想像がついたんだろうし、ましてや、襲われたのがジェイだからな。迂闊に声を上げるのを躊躇って当然だ。本人も知らないうちに巻き込まれていた、彼もジェイと同様、被害者だろう」
「そうそう! 俺も麻紀さんから聞かされて、まずソレが不思議でさ。阿公やトミーに無断で動く奴がいるとか、ちょっと信じられないんだけど……」


 こうして阿公と話しつつも、やっぱりどうしても納得出来ない。
 異国で暮らす少人数の集まりな上に、独自のルールを持つ裏社会で行動する彼等は、俺なんかが接している以上に、厳しい上下関係を持っている。
 彼等にとっての阿公は雲の上の存在だから、俺みたいにラフな話し方で阿公に接している奴なんて、トミーを筆頭にした少数の幹部達以外には、絶対に許されていない。
 皆で話をしたりする時は、俺が仲良くして貰い始めた頃からそんな光景が当たり前だし、それを破ってしまった奴も今まで一度も見た事がなかった。
 俺はマフィアとは関係なく、小さな頃から阿公と個人的に親しくしてるから此処にいる奴なんだと、皆からは思われている。
 阿公の孫みたいな位置付けだから普通に話してても咎められる事は無いけど、皆が俺みたいな態度を取ってしまったら……それこそ、大変な制裁が待っていた。


「いや、心当たりが無い訳じゃない。日本人ではあるけど、皆と個人的に親しくしている奴はいる。台湾人の誰かが関わっているらしいと話を聞くまでは、まったく頭に浮かんでこなかったが……ほぼ間違いないだろう」
 あっさりとそう呟いた阿公の言葉に、思わず苦笑してしまった。
 トミー達は普段から皆には厳しく接して様々な規律に拘っているし、特に阿公の言付は必ず厳守するよう、煩い位に言い渡しているけど、阿公は部外者の俺にだけこっそりと「ああやって厳しくしていても、ちょっとだけ決まり事を破る奴はいるもんだ」と楽しそうに教えてくれた事がある。
 とても物知りで人生経験の豊かな阿公は、誰よりも先に色んな揉め事を解決してくれる。
 きっと阿公は話を聞いた時点で、今回の真犯人と実行犯、どちらも分かってしまったのかもな……って、そんな気がしてきた。




「そうなんだ……麻紀さんも何となく、依頼者に心当たりがある様な口振りだったんだ。それを裏付ける為に、俺に確認してきて欲しいって感じだったしさ。阿公が考えてる奴と同じなのかな。俺は全然、思い当たる人がいないんだけど……」
「あまり気にするな。あと数日で全て解決だ。私の予想が当たっているなら、恐らく呆気に取られる程、簡単にカタが付く筈だからな」
「ホントに? それなら良いけど、タカの時みたいに皆が怒ったりしないかな? って心配なんだ」
「その名前ならジェイから聞いたな。随分とやんちゃな奴がいるそうだな。今回は少し違う決着になるだろう。話が解決すれば、もう何も問題はない。来週辺りにはジェイも退院出来そうだな」
 壁にかけてある小さなカレンダーを確認しつつ、そう話した阿公と同じ方に視線を向けた。
「あ、そうなんだ。翔や麻紀さんから様子を聞いてるだけで、俺は見舞いに行くのは遠慮したんだ。何かすごい普通じゃない病院に入院してるみたいだからさ。阿公はジェイに会いに行ったんだ?」
「数日前に行ってきたばかりだ。今日辺り、抜糸するとか言っていた。ティコに頼まれたし、私もそのつもりで薬を用意していた。入院先に立派な先生達がいるだろうから、治療の邪魔にならないよう、体力回復を主に考えて渡してきた」
「俺も阿公と一緒に見舞いに行けば良かったな。あの噂話を聞いただけで驚いたし、俺なんかが行っても良いのかなぁ……って感じで、なかなか足が進まなくてさ。ジェイは普通の育ちじゃないのは分かってたけど、あれは本当にビックリした」


 ジェイが怪我を負った報道と同時に判明した、彼の実態には真剣に唖然とした。
 ハーフな上に20代そこそこの若者なのに、日本有数のゲイタウンのド真ん中にあんな店を出せる位だし、俺とは違った意味で、何か普通じゃない環境で育ったヤツなんだろうなとは察していたものの、あれを予想していた奴はいないと思う。
 何よりジェイとかなり親しい翔も知らなかったみたいだし、ソッチ方面で交流があった人達以外、ほとんどの人が初耳で、襲ってきた犯人達の話題と同じ位のレベルで、その話でも持ち切りになっている。
 クラブJの常連客に政治家や何処かの社長なんかが多いのも納得だなぁと改めて思い出しながら、壁時計をチラリと確認した。






「そろそろ戻らなきゃ。麻紀さんには今、確認中だ……で良いかな? 実行犯が台湾人なのは間違い無さそうだけど、依頼者までは分かってない、ってさ。」
「あぁ、それで良い。明日までには判明するし、何か分かり次第すぐに連絡を入れよう……落ち着いたらジェイや皆にも、私の事を伝えておいた方が良さそうだな。間に立っている祐弥にも迷惑をかけてしまった」
 苦笑しつつ答えた阿公に微笑み返しながら、ゆっくりとソファから立ち上がった。


「俺は全然迷惑とか思ってないけど、阿公の事を教えとくのは良いんじゃないかな。他の人達はどうか分からないけど、少なくとも麻紀さんやジェイ達は、阿公が台湾マフィアの首領だと知っても今までと何も変わらない筈だしさ。阿公も皆とそういう話を出来た方が、何かと楽なんじゃないかな」
「そうだな。ジェイもそうだが、麻紀という人も懐が深そうな男だ。話をしただけでも分かる」
「ホント、麻紀さんはそんな感じ。ちょっと気が短いけど良い人なんだ。今回の事も、麻紀さんは全然怒ってない。実行犯が誰かは興味ないみたいだし、俺達は頼まれただけだと分かってくれているから。ジェイもああいう人だから、多分、そんなに驚かないと思う。アメリカにいた頃はスラムで遊んでたそうだし、皆とも気が合うんじゃないかなぁ」
 やたらと大人っぽく見える貫禄充分なジェイの姿を思い出しつつ、阿公にそう答えて歩き出す。
 穏やかな微笑で見送ってくれた阿公に軽く手を振って、部屋の扉を静かに閉めた。




 故郷を離れて異国で暮らす数少ない同胞達と、人間的なカテゴリーで少数派に属する同性愛者達は、それぞれ、どちらも俺にとって優劣なんて付けられない、とても大切な仲間だと思っている。
 それは皆も同じだろうから、自分達の仲間が関わった事件ならば、自分達で解決しなきゃいけない。
 あの街に関わっている麻紀達は、今回の事件を企てた張本人だけが相手だろうけど、此方側にいるトミー達にとっては、阿公や幹部達に断りも無く日本人からの襲撃依頼を受けてしまった実行犯を探し出し、問い詰める必要がある。
 どちらにも関わっている、俺はどうすれば良いんだろうな……と考えながら、数十分前に通ったばかりの道を静かに引き返していった。






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2010/10/16  yuuki yasuhara  All rights reserved.