Eros act-5 06

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 各々の店は通常営業に戻ったけど、やはり気軽に話し合えるまでには至っていない。
 街に戻ってきた客と色んな噂話を交わす事はあるものの、それも結局、皆が知っていて当然な話しか出てこなかった。
 只、どうしても消えずにいた微妙に張り詰めた緊張感に関しては、かなり和らいできたと感じている。
 まだ事件の解決には程遠いものの、あれからそれなりに時間も経っているし、ジェイの怪我も治りつつあるから、皆も安心してきたってのが大きいんじゃないかと思っている。
 この場で交わされる会話も、以前と比べたら肩の力が抜けた、随分と落ち着いた物に変わりつつあった。






 ジェイの店は営業時間になっているけど、僕の所は開店時間が遅い方だし、もう少し時間的に余裕がある。
 そろそろ戻って来る頃だから、僕がお店に行くまでの間に話が聞けるかな……と時間を確認しつつ、ゆっくりとお茶の用意を整えていると、大きなドアがガチャリと開いた。


「あ、おかえり。どうだった?」
 姿を現した二人に声をかけると、麻紀が軽く頬を緩めた。
「予定通りだな。午前中に抜糸は済ませたそうだ。それで一応、外科的な治療は終わりになるけど、ジェイの場合、そう告げると平気で退院しそうだからさ。とりあえず『まだ病室で安静にしておく様に』と言っているみたいだな」
「あー、分かるかも。ジェイってさ、意外と自分の身体に無頓着な所があるよね。今は一稀が付き添ってるから大丈夫だけど、一人ならサッサと退院するだろうな」


 今日は抜糸をする予定だと聞いていたから、お見舞いついでに中川と麻紀が様子を見に行ってくれた。
 三上も一緒に行きたがっていたものの、残念ながら仕事が入って、別行動になってしまった。
 先日会見を行った、隠れゲイな父の隠れ蓑として名前を出されたから、最近は芸能界から離れ、僕の店を手伝いつつ悠々自適な日々を送っている彼の存在を、皆も思い出したらしい。
 あの日以降、何故だか突然舞い込み始めた仕事の多さに、本人が一番うんざりした表情を浮かべていた。
 彼の場合、仕事が嫌だとか云々以前に、早起きがとても苦手な人だから、どちらかと言えばソッチの方で参っているんだと思う。
 そろそろ気分転換が必要だろうなと思うし、彼もジェイに会いたがっているから、昼前に向かった仕事が夕方までに終わったら今日中に、無理だったら明日、彼と一緒にジェイのお見舞いに行こうと決めていた。


 戻ってきた二人に珈琲を淹れてあげて、一稀から頼まれた足りない物を麻紀から聞いている途中、中川が何処かに電話をかけ直しているのに気付いた。
 最初に聞いた時は口調的にも、電話の相手は店に残って仕事をしているティコだなと分かったから、あまり気にしてなかった。
 その電話をいつ切ったのか分からないけど、どうやら僕達が気付かぬうちに別の所にかけ始めていたらしい。
 ティコと話していた時とはまったく違う、普段より硬い口調の中川の様子に、麻紀と二人で顔を見合わせてしまった。




「中川、誰と話してたんだ? 最初に話してたのはティコだよな。今のは真面目な話っぽかったし、口調も違ってたけど」
 携帯を切るなり問いかけてきた麻紀の方に、ポケットに携帯を突っ込みつつ中川がチラリと視線を向けた。
「あぁ、ちょっと気になったから警察に状況を問い合わせてみた。どうだろうと思って聞いてみたが、捜査は進展していない様だな」
「随分と手こずっているんだな。まったく手がかりは無いのか?」
「どうなんだろうな。少し視点を変えるとは言っていた。一稀絡みの捜査では、結局、怪しい人物には行き当たらなかったそうだ。基本的に一稀は街の連中以外との交流はほとんど無いからな。せいぜい通信制の高校で出会った同級生程度だし、彼等にはプライベートな話は教えていないと、一稀本人が言っている。その関係では無いだろう」
 警察からの情報を説明する中川の話を聞きつつ、淹れてあげた珈琲を飲んでいた麻紀が、深々と溜息を吐いた。
「やっと納得してくれたか。俺が何度も『真の標的はジェイだ』と言ってるのに。一稀の身辺関係を探ってみても、犯人に辿り着くわけが……」
 うんざりした表情で呟いていた麻紀が、唐突に言葉を切った。


 そのまま考え込んでしまった麻紀と目が合った瞬間、多分、麻紀が思い当たったのと同じ可能性が、頭の中に浮かんできた。
 微かに口元を緩め、俺に視線を向けてきた中川も、きっと同じ事を考えている。
 僕自身が皆に情報を教えてあげていたのに、あまりにも色んな出来事が多過ぎて、すっかり頭の中から抜け落ちていた。




「なるほど……意外と盲点だったかもしれないな。裏で指示を出したのが彼だったとしたら、動機も幾つか思い当たる。不自然ではないよね」
「俺もそう思った。慶の方で、何か調べる手段はあるか?」
「本人に直接は無理かな。個人的に話をした事は無いし、連絡先も知らないんだ……ちょっと別方向から確認してみる」
 問いかけてきた麻紀に答えながら、ふと思い出した人に聞いてみようと携帯を取り出した。


 皆も僕が話していた事は覚えていても、犯人の目的はジェイかもしれないと考えていたから、逆に思い浮かんでこなかったんだろう。
 何かを企んで行動を起こす動機が、その相手個人に対する直接的な感情によるとは必ずしも限らなかった。
 そんな事を考えつつ、先日もかけたばかりの番号を探しだして、とりあえず鳴らしてみる。


 改めて気にしてみると、確かに数日前に営業再開を伝えた時から、何となく普段と違う雰囲気を感じていた。
 その時は「きっと来客中なんだろう」程度であまり気にせず、逆に手短に用件だけを伝えて電話を切った位だけれど、もしかしたら、彼なりに気になっている事があり、後ろめたい気持ちになったのかもしれない。
 連絡後も結局、まだ来店していない人物の番号を鳴らしていると、思ったより早く、呼び出し音が途切れた。


「もしもし、慶だけど……あ、今日はソッチの話じゃないよ。ちょっと聞きたい事があってさ…………うん、そんな感じ。あのさ、左側の腕か肩辺りを怪我した男が治療に来てないかな? ジェイの事件直後辺りにさ」
 改めて電話がかかってきた時点で、彼もある程度は予想していたのかもしれない。
 一瞬の沈黙はあったものの、軽く息を整えた彼は、いつもより重い口振りで話し始めた。
「……そうなんだ……うん、中川店長から聞いている状態と一致してるし。僕も間違いないと思う……いや、名前は良いよ。僕が聞いても知らない人だよね? じゃあ遠慮しとくよ…………あぁ、それは安心して。僕等は黙っておくから心配しなくて大丈夫……うん、分かった。僕は全然怒ってないし、皆もそうじゃないかな……大丈夫、平気だよ。待ってるからさ。教えてくれてありがとう」
 そう言ってあげると、彼もようやく安心してくれたらしい。
 最初に話し始めた時と比べると、まるで別人みたいに軽い口調になった彼にお礼を告げて、僕の方まで晴れやかな気分を感じつつ電話を切った。




「実行犯が見つかったよ。僕がホステスやってた頃から馴染みのお客さんの中に、台湾人で闇医者をやってる人がいるんだ。ジェイの事件直後に、デッドアーム症候群を起こした奴が治療に来たらしい。左肩だってさ。本人はゲイじゃないし、この街には何も関わりは無いそうだ。やっぱり誰かに頼まれたんだろうな」
 ジッと無言で僕の電話が終わるのを待っていた二人に、携帯を仕舞いつつ笑顔で告げると、二人は同時に大きな溜息を吐いた。


「やっぱり予想通りだな。怪我の治療を頼んできたのも台湾人なのか?」
 ようやく辿り着いた推理が一発で当たって、麻紀も安心したらしい。
 いつになく嬉しそうに問いかけてきた麻紀に、頷き返した。
「そうらしいね。まだ日本に来て間もないみたいで、紹介されて治療に来たってさ。怪我した時期も同じだし、中川店長が考えた症状とも一致する。湿布を多めに欲しがってたそうだから、ジェイに殴られた奴も怪我してるんじゃないかな」
「ジェイも手加減する余裕なんて無かっただろうし、ほぼ確定と考えて良さそうだ。それにしても闇医者か……探しても見つからない筈だな。向こうの連中にとっては、日本人よりも信頼出来るんだろう」
「言葉も通じるし、軽い症状なら頼ってしまう気持ちは分かるよね。治療にきた奴は『草野球で痛めた』と説明してたらしいけど、とてもそういうスポーツをする奴には見えないし、何かおかしいなとは感じたらしい。翌朝になってジェイの事件を知って、色々と悩んでたみたい」
 事情を話し終わった後の、随分と明るくなった彼の口調を思い出した。
 きっと重い気分を抱えたまま、相談する相手も思い浮かばず一人で悩んでたんだろうなと考えると、今まで黙っていた彼を咎める気になれなかった。


「だろうな。それは分かる。その闇医者はゲイなのか?」
「はっきりとは聞いてないけどバイだと思うな。向こう側の風俗でも遊んでるけど、コッチでもボーイを買ってるみたい。当然、ジェイの事は知ってるから捜査に協力したい気持ちはあるけど、そうすると仲間を売る感じになってしまうからね。どうしても言い出せなかったみたい」
「あぁ、その気持ちは理解出来る。それに関して責めるつもりはない。本人が一番、辛かっただろう。直ぐに口に出せる情報じゃないだろうからな」
 そう話した麻紀が、机の上に放り出していた携帯を手に取った。




 事の是非は承知の上で、悩みつつも同郷の者を庇ってしまった闇医師の気持ちは、多分、この街で過ごす僕達と同じだろう。
 それが悪い事だとは、僕は今でも思っていない。『普通』と呼ばれるカテゴリーから外れている僕達にとって、同じ部分を持っていたり認めてくれている少数の仲間達は、血の繋がった身内以上にかけがえのない存在だった。
 こういう行動を非難する「普通の人達」がいる事は知っている。だから表に出ない道を選んだ。
 普通じゃない僕達を受け入れてくれない人達とは別世界の、自分達だけの戒律で過ごす街の住民達との生活が、何よりも大切な日々になっていた。




「……祐弥か? 麻紀だけど。今は仕事中じゃないよな……そうか、出勤は遅れても良いから、大至急聞いてきて欲しい事がある」
 サテンドールに出勤前の祐弥を、運良く捕まえる事が出来た。
 普段以上の早口で説明する麻紀の話に、中川と二人で聞き入った。
「以前、台湾マフィアの知人に色々聞いてきてくれただろう。そいつの所に行ってくれ…………そうだ。ジェイの事件後、闇医者で腕の治療を受けた奴がいる。症状から察するに、中川が相手をしていた奴に間違いない…………あぁ、祐弥の知っている連中の中に、様子のおかしい仲間がいないかどうか、それを少し探って欲しいんだ」
 単刀直入に用件を伝えた麻紀に向かって、さすがに祐弥が不満の声を上げたらしい。
 電話の向こう側の声を聞いていた麻紀が、楽しそうに口元を緩めた。
「……馬鹿、勘違いするな。俺は祐弥の友達を疑っている訳じゃない。台湾の連中が個人的な理由でジェイを襲うはずがないだろう…………そうだな。誰か、彼等に依頼をした奴がいる。俺はソイツを探しているんだ」


 言葉的には足りない部分が多々あるけど、ストレートに自分の考えを伝える麻紀の話には、嘘や言い訳は欠片も含まれていない。
 気性が激しくて苦手だと言う人は多いけど、でも街で一番信用され頼られているのは麻紀以外に見つからなかった。
 キッパリと言い切った麻紀の言葉を聞いて、祐弥も納得してくれた様だ。
 携帯越しに祐弥の話を聞いている麻紀が、手元のカップを持ち上げ、一口飲んで喉を軽く潤した。
「……あぁ、心配するな。実行犯が分かったとしても警察に売るような真似はしない。俺が必要なのは『ソイツはマフィア絡みの奴なのか?』って事と、ソイツ等に『ジェイ達を襲うように依頼した奴』の2点だけだ。実行犯は誰だとか、そういう部分は必要ない」


 もし、今回の事件の真犯人が「表側にいるジェイを狙った」者であるなら、何も考えずに捜査陣に連絡し、彼等の手に委ねると思う。
 だから今まで警察の捜査に協力してきたけど、もし、それを企てた者が街に関わっている奴だとしたら――――自分達で解決する道を当然選んだ。
 それは街で過ごしている祐弥も、充分に理解している。
 祐弥と話し終えて携帯を切った麻紀が、満足気な面持ちでソファの背に身体を預けた。






「今日中に判明するとは限らないけど、数日中には何かしらの答えが出るだろう。それで、慶はどう思う? 藤原が絡んでいる可能性があると思うか?」
「そうだね……台湾マフィアが絡んでたら、ほぼ間違いないと思う。但し、彼がどの程度まで携わっているかは分からない。もしかしたら、本人はまったく気付いてないかも……」
 今回の襲撃に台湾人が絡んでるとしたら、その事件について、藤原の近辺にいる誰かが関与しているのは間違いないと思われる。
 でも、僕達が思い浮かべた人物が真犯人だったとしたら、恐らく、彼は未だにまったく何も気付いていない。
 ……いや、藤原が『何も気付いてない』からこそ、今回の事件が起きてしまった。


 きっと間違いないと思われる真犯人を、どうしても咎める気になれずにいる。
 ――――もし、僕が彼の立場になったとしたら、同じ事を考えたかもしれない……
 随分と穏やかな口調になった麻紀と、すっかり普段通りの表情に戻っている中川も、そう思っているのかもしれなかった。




「中川、ソッチはどうするんだ? 詳細が判明するまで、様子を見ておくのか?」
 そう問いかけた麻紀の前で、腕を組んだままの中川が暫くの間、考え込んだ。
「そうだな。とりあえず、その方面に動くのは確実な情報を掴んでからにしよう。安易に手を出さない方が良いだろう。俺の方でも調べてみるか。個人的に兄貴にだけ話して、捜査一課には廻さない様に頼んでおこう」
「あぁ、その方が良いだろうな。台湾人絡みだとすれば公安も関係してくる。そうなると伝えるだけ無意味だし、少々面倒な動きになってしまうからな。台湾マフィアが絡んでたとして、それはそれで、祐弥達の中で解決すれば良いだけの話だ」
 慎重派な中川らしい提案に、麻紀と同じく納得して頷いた。


 大きな回り道をしてしまったけど、関係している人物が分かってしまえば、本当に単純な事件に過ぎない気がする。
 麻紀が話している通り数日中には判明する事を願いながら、互いに連絡を取り合う事を約束しつつ、其々の店にへと向かって行った。






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