Eros act-5 05

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 案内された応接室の中で、既に武内代議士がソファに座っていた。
 やはり、あの会見を知った俺が訪ねてくると、あらかじめ予想していたんだろう。直ぐに飲み物を運んできた秘書が部屋を出ると、二人だけになってしまった。
 俺が来る前から人払いをしてくれていた彼も、それなりに深い話をするつもりなのかもしれない。
 シンと静まり返った部屋の中、普段通りの雰囲気で美味しそうに茶を飲んでいる武内代議士の方に視線を向けた。


「随分と返事が早かった。予想通りに……って所なのか?」
「そうだな。藤原とは、もう少し込み入った話をする事になるだろうと考えていた。直ぐに連絡がくるだろうから、時間と場所を空けておく様にと言っておいた」
 普段と何ら変わらぬ面持ちであっさりと認めた武内代議士を見詰めていても、未だにその事実が信じられない。
 ジェイの事件を知った時と同じく、あの界隈に纏わる様々な現実は、俺の理解を超えた所に存在していた。


「ひとつ聞きたい。貴方は、あの街の住民なのか?」
 此処で一人考え込んでいても、何も答えは出てこない。
 短い言葉で単刀直入に問いかけると、彼はあっさりと頷いてくれた。
「あぁ、そうだ。黙っていて悪かった。お前に隠すつもりはなかったんだが、声高に言う事でもない。知られなければそれで、何も問題はないからな」
「その辺りは理解している。プライベートな事柄だし、私を蔑ろにしての結果ではないだろう」
「そう思ってくれると僕も気が楽だ。ジェイだけではなく、藤原も親しい知人の一人だと思っている。仕事上の付き合いもあるし、今更この程度の事で仲違いはしたくない」
 口先だけのお世辞ではなく、案外、本気でそう思ってくれているのかもしれない。
 かなり微妙なニュアンスを含む事実でもあるから、彼としても、この情報を知り得る者は極少数に留めておきたいんだろうと、その気持ちは理解出来るし、それを咎めるつもりはない。
 真顔で答えてくれた武内代議士の姿を前に、ほんの少し口元を緩めた。
「貴方とは祖父の代からの付き合いだ。私も特別な存在だと思っている。だが、貴方にとって別格なのはジェイなんだろう?」
「そうだな、否定はしない。彼とは、あの街の中で親しくなった。同じ部分を持つ者同士、ジェイに対して単なる知人以上の気持ちがあるのは自覚している。ジェイが店を出そうと考えた時、彼は真っ先に相談に来てくれたし、僕も様々な意見を提案して一緒になって考えたからな」
 あっさりと肯定してきた彼の態度に、不思議と嫌悪感は持てずにいる。
 むしろ、何となく羨ましさすら感じてしまう自分自身の気持ちの方に、自分でも戸惑っていた。




「あの会見を見ただけでも分かる。貴方がああいう行動を起こすのは珍しい。それだけ繋がりが深いのなら、当然、私の進出話に関しても、ジェイから聞いているんだろうな」
「僕が一番最初にジェイから話を聞かされた。あの日、少し遅れてだが僕もパーティには参加していた。僕が見つけた時には、既に二人が話している最中だった。邪魔をしては悪いと思って、後からジェイに声をかけた」
「そうか……随分と早くから耳に入っていたんだな」
「本当に偶然だか、そうなった様だな。藤原と僕の関係についても、ジェイには説明してある。慶が以前、お前の店に勤めていた事も僕が教えた。後は皆で話し合った様だが」
「なるほど。それならやはり、ジェイが指揮を取って俺の進出を阻んでるって事か」
 もし、それが事実だったとしても特に腹立たしく思ったり、嫌悪感を抱いたりはしていない。
 逆の立場になったとして、俺が多数の店を構える風俗界にジェイが進出してくる事になったとしたら、やはり黙って見過ごす訳にはいかなかった。
 その内容は分かっていないものの、ジェイと慶は俺に何かを伝えようとしていた。
 その気持ちは理解出来るし、俺が彼の立場であれば、冷静な場で一度は話し合いを持ちたいと思う。
 だからきっと、彼等からその話を聞かなければ、俺はあの界隈の連中には認めて貰えないのだろう。
 彼がクラブJのオーナーだと分かった瞬間から、そう予想している結論を何気なく呟いてみると、目前の武内代議士が顔をしかめた。


「それに関しては先に誤解を解いておく必要があるな。ジェイが何かを企んで、皆に指示を出している訳じゃない。彼も僕と同じく、あの街で過ごす者達の一部に過ぎない。かと言って、ジェイ以外の誰かが指示を出している訳でもない」
 真顔で言い募る武内代議士の姿を見詰めながら、苦笑しか浮かんでこない。
 もう何度も聞かされているその言葉を、武内代議士までもが口にするとは考えてもいなかった。
「聞いているかどうかは分からないが、先日、慶とも話をした。ジェイの事件で流れてしまったが、彼が経営している店に向かう手筈になっていた。その話をした時、慶も同じ事を言っていたが……簡単に『そうなのか』と納得出来る話じゃないだろう。纏める者が存在しない集団が、これほどまで足並みを揃えられるとは考え難い。少なくとも、組織だった系統はある筈だ」
「そう考えるのが普通だと思う。だが、本当にあの場にはそういう立場の奴はいない。お前が組織的な気配を感じたとすれば、それは『容易に場を荒らして欲しくない』と願う、僕達全員の気持ちだろう。理解し難い気持ちは分かるが、それが事実なんだ」


 互いの側近も退けた二人だけの部屋の中、武内代議士の声だけが響いている。
 彼が俺に事実以外の事を伝えてくるとは思えないし、そうならないだけの信頼関係を築いている。
 金や利権で買った支持者で立場を持った政治屋達とは違い、本人の実力で長い時間を政治の中枢で過ごしている彼は、俺の立場で考えれば御しがたく、その分、対等な意見で話し合える数少ない政治家の一人だった。
 裏で手を廻す必要もない程の人徳を持ち、政界屈指の実力者である彼唯一のウィークポイントが、同性愛者である事なのかもしれない。
 それを認めた上で話をしてくれている武内代議士が、その場凌ぎの戯れ言でやり過ごそうと考えている筈がなかった。


「貴方が私に適当な事を言っているとは思えない。だから、その話は真実なんだろう。だが、貴方がそれで満足しているとは思えないな。何故、貴方が場を取り纏めようと考えないんだ? それに関しては理解出来ないな」
「あの街のスタンスに関しては、いくら僕が権力を持っていたとしても変えることは出来ない。もちろん、僕自身がそんな考えは更々持っていないが。それはジェイや慶だって同じ事だ。個々に自分の意見を述べる事はあっても、皆を支配しようとは思わない」
 当然の如く、同じ事ばかりを繰り返してくる「あの街の住民達」の意見には、もう返す言葉が見つからない。
 自身が快適に過ごせる小さな城を築く事にこだわり、それで満足している慶ならともかく、目前の代議士がその他大勢の立ち位置で満足するとは、到底、納得出来る答えではない。
 そう考えてしまう反面、それは事実なんだろうと感じている部分も確かにある。
 彼等が口裏を合わせて俺に偽の情報を伝えなければならない必要性が、全く思い浮かばなかった。




「ならば、どうすれば良い? ジェイの怪我が完治して、彼の店に招待されるまで待つしかないのか?」
「それ以前に動きがある。どの方向へ転がるかは僕にも予想がつかない。だが、藤原が考えているより遥かに早く、事態は解決するだろう。それまでにもっと街を知るべきだ。あの街に集う奴等が何を考えているのか。同性愛者の気持ちが分からなければ、結局、あの街に入り込む事は不可能だ」
 普段、彼と政治の話をしている時と変わらぬ力強い口調で、武内代議士がきっぱりと言い切った。
 あの街の連中は、よほど以心伝心な付き合い方をしているらしい。
 もう何度も繰り返し聞かされている台詞を前に、苦笑しか浮かんでこなかった。
「それなら既にうんざりする程に言われている。慶もまったく同じ事を言っていたからな。そこまで話をしておきながら街の詳細を教えようとしない所もそっくりだ」
「だろうな。結局、言葉で説明しきれる事ではない。実際に自分で身を置き、あの空気感を体験するより方法はない」
「あぁ分かった。貴方が無理な事柄なら、他の奴等に可能な筈がない。大人しく慶からの連絡を待つとしよう。一稀……と言っていたか。ジェイの恋人に会った事はあるのか?」
 結局の所、武内代議士も慶と同じく助言をくれるだけで、俺が街に入り込むのを周囲に取り成すつもりは無いらしい。
 さり気なく質問を変え、気になっていた事を問いかけてみると、微かに笑みを浮かべたままの代議士がお茶を一口飲んで頷いた。


「あぁ、もちろん知っている。ジェイに紹介して貰った。ボーイとして客を取る事はしていないが、裏で店の手伝いをやっている。僕が遊びに行った時はジェイがいなくても表に出てきて、一緒に酒を飲んで話し相手になってくれる」
「そうか、店にいるのか。それなら、ジェイの店を訪ねた時に会える可能性があるな。どんなヤツだ?」
「極普通の少年だ。その辺を歩いている子達よりかは可愛らしいが、特別な部分は何も無い。慣れてくれば平気だけれど、元々は人見知りが激しい性格をしている。一見だと、とても大人しいヤツに思うんじゃないかな。僕だけじゃなく、ジェイの父も一稀を可愛がっているそうだ」
 長い付き合いを持つジェイと同様、彼の恋人である一稀の事も、武内代議士はかなりお気に召しているらしい。
 上機嫌で答えてくれた代議士の前でカップを手に取り、一口飲んで喉を軽く潤わせた。


「わざわざ言う程の事ではないが、貴方の件に関しては当然口外するつもりはない。その点については安心してくれて良いだろう」
「あぁ、そうしてくれると助かるな。今更だが、僕の妻を演じている彼女にも面倒をかける事になる。ここまでくれば、もう最後まで嘘を吐き通した方が良いんじゃないかと思っている所だ」
「その方が無難だろう。貴方の場合、今回のジェイ以上の騒ぎになるのは確実だ……ところで、ジェイの容態はどうなんだ? 意識が戻ったまでは聞いているが」
 相変わらずのゴシップ記事は流れ続けていたものの、現在のジェイに関する報道は、時折簡単な説明があるだけで、表には一切発表される事はなかった。
 ふと思い出して問いかけると、彼は軽く頬を緩めた。
「大丈夫だ、何も心配は要らないそうだ。元々若くて体力があるし、初期治療も早かった。普段通りとまではいかないが、病室の中程度なら普通に歩き回っている。今週中には抜糸する予定になっているが、退院はまだ先になるだろう。出血がかなり多かったし、体調が完全に回復するまで……多分、一ヶ月程は養生するんじゃないかな」
「そうか……だが、それまでに犯人が見付かっていない場合、あまり外には出ない方が良い。俺がジェイと再会が叶うのは、それ以降になりそうだな」
「いや、退院直後にでも会えるだろう。今回の件絡みで、彼が襲われる心配は一切無い」


 返ってきた思いがけない答えに、一瞬、言葉が詰まってしまう。
 そんな此方の様子を気に留める素振りすらなく、素知らぬ顔で茶を啜っている武内代議士の姿を、ただ無言でジッと見詰めた。




「――――……貴方は……もしかして、ジェイを襲った犯人に心当たりが……?」
 どれだけ深く考えてみても、あの言葉の裏にある意味なんて、そうとしか考えられない。
 訝しく問いかけてみると、彼は当然の如く頷いてきた。
「本人に問い質した訳ではないが、まず間違いないと思っている。少なくとも、深く関わっている事は確かだろうな」
「そこまで言い切れるのなら――――何故、捜査に協力しない? ジェイを襲った実行犯の手掛かりすら、未だに何一つ見付かっていないと聞いた。あの界隈の連中はマスコミ相手だと口が固い様だが、捜査には協力的だ。それなのに、どうして貴方が犯人を庇う様な真似をしているんだ」
 此処に向かってくる途中、ふと思い立って捜査一課の奴に確認を取った。その時に聞かされた情報だから、今でも手掛かりは掴めていない筈だ。
 他の奴等ならまだしも、ジェイと深い繋がりを持つ武内代議士が、彼を襲った犯人を隠匿している理由が全く思い浮かんでこない。
 少々苛立ちつつ問いかけると、武内代議士が見慣れた静かな微笑を浮かべた。


「今はそうだろう。だが、皆も真犯人に辿り着けば様子が変わってくる。事は警察の介入出来ない次元の話になってくる。捜査は途中で打ちきりになるだろうな」
「……一課の捜査としてではなく、捜査そのものが打ち切りになるとでも?」
「そうだな。少なくとも、捜査一課ごときが手を出せる相手じゃない。街の皆もそろそろ気付く頃だし、捜査陣も辿り着く。数日中には何かしらの動きがある筈だ」
「あの街に関わっている人物が犯人なのか? それで捜査が打ち切りになるとは……」
 まるで禅問答の様な真意の捉え難い武内代議士の話を聞きながら、無意識に顔を顰めてしまう。
 その意味を考えようと言葉を切った俺の前で、彼は随分と楽しそうに笑い出した。




「慌てなくて良い。直ぐにお前の耳にも入ってくる。それまでの間、自分なりに様々な事柄について考えておくと良い。皆が犯人に気付いた後にでも、慶から連絡が入ってくる筈だ」
「……あぁ、分かった。それで慶はどうしている? ジェイの報道が出始めた直後に、何度か慶の携帯を鳴らしてみたが、やはり出てくれなかった。何処かに潜んでいるのか?」
「そんな感じだ。慶だけでなく皆が息を潜め、裏で話し合いをしていたからな。彼の店やクラブJを含め、今日からほとんどの店が営業を再開する事になった。僕達が遊びに行く為には、報道陣が詰め掛けていたら少々具合が悪い。だからサッサと出て行って貰おうと思って、会見ついでに牽制をかけておいたんだ」
 昼前の会見で、やたらと渋い表情を浮かべて威嚇していた武内代議士は、胸のうちでそんな計算をしていたらしい。
 やたらと上機嫌な武内代議士を前に、手元のカップに残っていた飲み物をゆっくりと飲み干した。


「あの界隈への出店に関しては、一旦中断させている。ジェイの退院を待って、彼と話をしてから考えようと思っている」
「そうか。僕としては、当然、歓迎したいと思っている。ジェイの店で一緒に飲めれば、こんな楽しい話はないからな。そういえば、ジェイが『藤原は怒ってるんじゃないか?』と気にしていた。そんな気は無かったものの、結果的に騙していた事になってしまったからな」
「別に怒ってなどいない。数日後には彼と再会出来る筈だった。状況を考えれば、あの時点で詳細が分かっていないのは当然だろう。ジェイの店に行く前に静かな所で二人だけで話をしたい。ジェイの退院後に此方から連絡を入れると伝えておいて欲しい」
 そう言いながら立ち上がり、満足気な武内代議士に言伝を頼んだ。
 微笑を浮かべたまま頷いてくれた代議士の姿を背に、ゆっくりとドアの方に向かって歩き出した。




 あの街に関する事は聞き出せなかったものの、その代わりに興味深い情報を聞かせて貰った。
 武内代議士は犯人に心当たりがあるらしい素振りを見せているけど、さほど重大な事とは捉えていない様に思える。
 自身が身内同然に可愛がっているジェイを襲った犯人を放置している、その意味が掴めなかった。
 捜査陣も手を出せない程の大物が絡んでいるのなら、尚更、その沈黙の理由が分からなくなってくる。
 数日中には明らかになるらしい事件の核心について考えながら、通い慣れた武内代議士の事務所を後にした。






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2010/09/11  yuuki yasuhara  All rights reserved.