Eros act-5 04

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 俺がクラブJに勤めだしてから初めて……と言うより、多分、クラブJが開店して初めての連続休業が終わった。
 お正月辺りに一応3日間程度の連休はあるけど、基本的に年中無休で店は開けているから、こんなに長い期間に渡って仕事をしなかったのは、きっと初めての事なんじゃないか? と思う。
 今回は理由が理由だから、何もせずにゆっくりと休んでた訳じゃない。
 ジェイのお見舞いに行ったり、店に行って雑用を片付けたりはしていたから、やっぱり普通の連休とはちょっと違う。
 それでも、本当に久しぶりの営業だから、ほんの少しそわそわと落ち着かない気持ちになっていた。




 昨夜の寝る間際からそんな気分になっていたせいか、自分でも気付かぬうちに緊張していたみたいで、普段より少々早めの時間に目が覚めてしまった。
 それでも疲れた感じはないし、むしろ、ちょっと早めに出勤しようかな? とすら思ってしまう。
 ジェイの容態も安定して落ち着いてきたし、そういう部分で安心した事も大きな要因の一つにあるのかもしれない。
 俺が入店した当初と比べたら彼が顔を出す機会は減ってきているものの、やっぱりクラブJは「ジェイの店」なんだと、今回の件で改めて実感した。
 だからより一層、彼の怪我も順調に回復しつつあり、無事にお店も再開出来る事を嬉しく思いながら、お昼近い朝食の準備をのんびりと続けていた。






「あ、もう起きたんだ……まだ結構早いし、時間になったら起こしに行くから寝てても良かったのに」
 微かに響いてきた物音に気付いてリビングに視線を向けると、店長がソファに座ろうとしていた。
 慌ててそう声をかけてみると、そのままソファに腰を下ろした彼が、大きく伸びをしつつ、此方に視線を向けてきた。
「いや、もう大丈夫だ。ずっと夜が早かったし、睡眠時間は充分過ぎる。逆にダラダラと眠る癖がついてしまうと、明日からが大変だからな」
「それは分かるな。俺も同じ様な感じだった。すごく早く目が覚めちゃったから、早めに準備しとこうってさ」
 仕事熱心な彼だから、やっぱり気が急いているのかもしれない。
 もうすっかりいつも通りの表情でリビングにやってきた姿に、半分笑いながら話しかけた。


 普段よりまだ少しだけ早いし、食事は下準備だけにしておこうかなと思っていたけど、彼も起きてきたのなら、逆に早めに食べ終えてのんびりと出勤準備にした方が良さそうな気がする。
 パジャマ姿のままソファで寛ぐ彼を横目に、また料理中の手元に視線を戻そうとした瞬間、テレビから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「――――……ティコ。今、少し手を離せるか」
「大丈夫だけど。何かあった?」
「まぁな。テレビを見てみろ。かなり面白い事になってるぞ」
 テレビの画面を見詰めたまま、そう話しかけてきた店長だけど、声はやけに真剣そのものだし、顔だって全然笑っていない。
 思わず首を傾げつつ、とりあえず言われた通りに、濡れた手を拭きながらリビングに向かった。


 促されて視線を向けた先には、昨夜、電話で話したばかりの人物が映っている。
 相変わらず元気そうだなと思うものの、今日は一段と、いつも以上に元気が良過ぎる様な気がしてきた。
「……店長、……この武内先生って、かなり真剣に怒ってるんじゃないかな……?」
「あぁ、俺もそう思う。多分、話しているうちにヒートアップしてきたんだろう。国会での演説以上に熱弁だな」
 流れているニュースを眺めつつ感想を述べると、彼も直ぐに同意を示してくれた。


 軽い話題のワイドショーじゃなくて、お昼直前の真面目なニュースの時間帯だから、きっと最初は政治の話などをしていたんだと思われる。
 取り囲んでいる、いかにも記者クラブ員という感じの男達を前にして、久しぶりに見た武内代議士は何故だかジェイに関する取材攻勢に対して、真剣な面持ちで抗議の矛先を向けていた。
 お店に遊びに来た時の武内代議士は、大勢のボーイ達と賑やかに飲むのが好きだけど、それは店の中だけのプライベートな時間に限られている。
 時折テレビで見かける彼は、真面目一筋の堅物政治家といった雰囲気で、パフォーマンスの大きな他の政治家達とは違って、記者達に声高に自分の意見を主張する事は少ない。
 その武内代議士が大袈裟に眉をひそめて、本来はプライバシーが保護される筈の一般人であるジェイの私生活を暴露する報道に関して、かなり強い口調で無作法を咎めていた。
 普段の会見ではお堅い政治の話ばかりをしている人だから、唐突に彼の方から振ってきた一般的な話題に驚くと同時に、やけに神妙に聞こえてしまう。
 それは周囲で取材を続けている記者達も感じている様で、話し続ける代議士の言葉を遮るきっかけも無いまま、戸惑った表情を浮かべて、彼の話に聞き入っていた。


「……武内先生、昨日の夜に電話した時は、すごく機嫌が良かったんだけどな……」
 昨日の夕方、地下の集合場所で「全店一斉に営業を再開する」と決まった後、店長と手分けしてあちこちに電話をかけた。
 その時に直接話をした武内代議士は、本当に上機嫌で「明日の夜には、早速遊びに行くから」と言ってくれた。
 代議士に繋がる前に電話に出てくれた秘書の話によると、事件後からずっと機嫌が悪かったと言っていたし、街の再開が決まって喜んでいるんだなと、直接話をした時にはそう感じられた。
 それなのに、何でこんなに怒っているんだろう? と少々戸惑いつつ眺めていると、隣に座っている店長が、テレビに映っている竹内代議士を見詰めたまま、楽しそうに口元を緩めた。


「まぁ、アレだな。本気で怒っている訳じゃない。威嚇している様なモンだろう」
「え? 威嚇って……誰を?」
「今、取材にきている奴等だけじゃなく、マスコミ全体に向けてだろう。とにかく、ジェイに関する報道はこれで終わりにしろって事だろうな」
「あー、そういう意味か。確かに今の状態じゃ、街に近寄る事も難しいからなぁ」
「通常営業に戻る店も増えてきたし、そろそろほとぼりが冷めても良さそうな時期だ。俺達だけじゃなく客の方も動き出して、一気に追い出したいんだろう。代議士の場合、ジェイと仲が良いのは以前から知られている。とりあえず先陣を切って代議士が……って所なんだろうな」
「なるほど、それであんなに強く言ってるのか。武内先生を怒らせたら怖そうだし、意外と適任かも」
 そう言われてみれば確かになぁと、妙に納得してしまった。
 久しぶりの営業再開だし、まだ周囲も騒々しいから来店するお客さんも少なくて暇だろうと思っていたけど、案外、そうでもなさそうな気がしてくる。
 今夜から忙しくなりそうだなと思いながら、食事の支度を続けに、またキッチンにへと戻っていった。




 大勢の取材陣がウロウロしていたら、遊びに行こうと思ってみても、足を向ける事すら困難な立場の人達が、あの街には多数存在している。
 単純に取材を規制するだけなら、それが可能な立場の客を、軽く何人かは思い浮かぶ。
 ただ、ここまで大きくなってしまった騒動を違和感なく、静かに終焉させる為には、見ているだけの者達を納得させる、有無を言わさぬ説得力を持った者達の力が必要だった。


 政治の世界には詳しくないから分からないけど、武内代議士が話をしていたのは、やっぱり何かの会合後に行われた囲み取材の真っ最中だったらしい。
 表向きは無関係な政治記者達を相手に、一人熱弁をふるっている武内代議士の姿を見て、他の議員達も集まってきた。
 彼に同調の意を示し、さり気なく援護している街の常連客でもある議員に混ざって、同性愛者ではない普通の議員も、この会話に参加して報道の行き過ぎをたしなめてくれている。
 連日の報道に関しては、俺達とは全く関係の無い普通の人達から見ても、少々度の越えた物だったのかもしれない。
 あちこちとチャンネルを変えて報道をチェックしている店長が、キッチンで食事の支度をしている俺に向かって、判明しつつある状況を楽しそうに伝えてくれた。
 やっぱり客の間でも打ち合わせがあった様で、あの街で過ごす有力者達が、こぞってジェイを庇いたてて、あちこちで話題として出てきているらしい。
 手早く朝食の準備を済ませると、リビングの方に運んで、店長と二人で朝食を食べつつ、色んな番組を見て回った。






 各々の贔屓店から営業開始の連絡を貰った客達は、多分、昨夜のうちに皆で申し合わせたんだろう。
 多種多様な業種に跨がるあの街の客達が、各々の立場からマスコミを相手に、一連の報道に関する非難の声を上げ始めていた。
 その中でも三上の父が、現在報道されている中で対マスコミ相手では一番の大物だと思えるし、色んな意味で過激な態度を示していた。


 元々、彼の息子はゲイを公言しているから、その話題を出す事に関して、何の問題や躊躇いがない。
 むしろ、逆に大手を振って抗議出来る事もあって、かなり真剣に会見を開いて話をしていた。
 今、連日の様に話題に上がっているジェイは、息子の親友で何度も顔を合わせて親しくしているし、ゲイである息子の恋人は男で、あの街で水商売をやっている。
 ジェイが同性愛者である事や風俗店に係わっているのを悪く言うのなら、それは私の息子が非難されているも同然。非常に不愉快で悲しい事だ……と、いつになく沈痛な面持ちでインタビューに答えているのを、店長と二人で朝食を食べつつ、のんびりと見守っていった。


 もっとも、店に遊びに来た時の隠れゲイの彼は、息子と同様、とても陽気で精神的に打たれ強い人だし、何より屈指の演技派として名を馳せている俳優だから、何処まで本気なのかは少々図りかねる部分はある。
 それが嫌って位に分かっていても、芸能人相手の取材がメインなマスコミ連中としては、有名俳優の怒りは買いたくないらしい。
 先頭に立って騒ぎ立てているマスコミは、何も事件が無い日常は芸能人を追っかけている事が多い。
 だから、業界でもかなりの実力者でもある三上の父を敵に廻すと、後の仕事に差し障りが出てくるんだと思う。
 武内代議士の苦言以上に、同性愛者の身内を盾にした名俳優の牽制の方が、対処に苦慮している様子が伝わってきた。




 時期的にも、そろそろ騒ぎを沈める頃合いだったんだろう。
 一連の非難の動きを報道しつつ、身内である筈のコメンテーター達も同調する発言で促し、さりげなく撤収の動きに入りつつあった。
 こういう時の撤退については、マスコミに身を置いてないから知らないだけで、もしかしたら日々の取材についても、こんな感じのパワーバランスがあるのかもしれない。
 何だか上手く纏めるもんだなぁと店長と二人で感心しつつ、報道の行方を見守った。


「皆、すごいなぁ……でもさ、こんなに早く収集出来るのなら、もっと早く動いてくれれば良かったのに」
 思わず独り言を呟くと、どうやら向かい側で食事中の店長にも聞こえたみたいで、彼が軽く口元を緩めた。
「あまり早く動き過ぎると、何か裏があるのでは? と感付かれる。そうなると別の意味でも面倒だろう。皆も話題に飽きてきた、これ位の時期が丁度良いんじゃないか」
「そうなのかな。でも俺としては、もうちょっと早い方が良かったかな。やっぱり仕事してないと、何となく落ち着かなくて……」


 ジェイの意識が戻ってなかった数日間は、本当に心配でしょうがなく、確かに仕事どころじゃなかった。
 でも、無事に回復してホッとした後は、普段は仕事をしていた時間帯に何をしてれば良いのか、全く思い浮かばなくて困ってしまった。
 街の外に出れば一緒に働いている皆とも会えるけど、話題はどうしてもジェイや一稀の話になってしまうから、周囲の目もあって自由に話が出来ない。
 かといって、皆を此方に呼ぼうにも取材陣がウロウロしていて、普段の出勤時と同じ様な感覚とは、全然違う雰囲気になっている。
 結局、車を出せるヤツが街の外で皆を呼び寄せ、一気に何人か集まって集合場所の地下室に来るしかなくて、かなりの不便を強いられてしまった。
 俺は車の免許を持ってないから手伝えないし、仕事の合間を縫って協力してくれた拓実や橋本達にも「ありがとう」と、簡単なお礼を言う位しか出来ずにいる。
 それが本当に歯痒くて、だから、もう少し早く落ち着いてればなぁ……と、そう考えてしまった。
「確かに落ち着かなかったな。俺もジェイの件で色んな所を廻って、妙に疲れてしまったからな。店で仕事をしているのが一番リラックスできるかもしれない」
「ホント、俺もそんな感じだった。もう生活の一部になってるんだろうなぁ……」
 あの場所を作ったのはジェイだけど、俺にとっては恋人と出会えて一緒に仕事をしている、本当に大切な場所になっていた。




 今更あの店を離れ、皆のいない所で働くなんて、欠片も考えられなくなってしまった。
 傷も癒えて元気になったジェイと一稀が戻って来るまでの間に、今までと何も変わりない位にまで、あの街を戻しておきたい……
 そんな事を話しつつ店長と二人で食事をしながら、見慣れた顔の常連達をテレビの画面越しに眺めていた。






*****





 昼前に飛び込んできた報道を、もう何度も見返している。
 こんな事にすら気付けずにいた自分自身に苛立つと同時に、何もかもが後手に廻っている今回の事柄の複雑さに、正直、戸惑いを隠せずにいた。
 どうしてこんな事態になってしまうのか、今でも何一つ理解出来ない。
 只、それを紐解けるかもしれない人物が身近に居た事だけは、充分に理解していた。


 手元の携帯を手繰り寄せ、いつもの名前を探し出す。此方側には関わっていない深水は、取材を受けていた代議士と近い場所にいる筈だ。
 ほとんどワンコールに近いタイミングで聞こえ始めた声も、報道を見た俺が連絡を寄越してくるのを、予想していたのかもしれなかった。
「――――武内代議士にアポを取ってくれ…………あぁ、そうだな。恐らく、向こうも分かっているだろう。『藤原が大至急、話がある』と言えば、それで通じる筈だ」
 短い承諾の言葉と共に通話の切れた携帯を、静かにテーブルの上に戻す。
 テレビのチャンネルを幾つか変え、また流れ始めた武内代議士の映像を見詰めながら、一人無言で考え続けた。




 彼本来の性格上、例えどれだけ近しい間柄だったとしても、武内代議士が特定の個人に関して援護の発言をするなどとは、到底考えられる事ではない。
 あの武内代議士が、そんな異例中の異例な行動を起こすほど、彼等は強固な繋がりを持っていた。
 深夜にジェイが重傷を負って運び込まれた病院にも、まだ報道陣すらも出揃っていない時間帯に、早々と駆け付けた武内代議士の姿が目撃されている。
 その後も毎日の様に病院に顔を出し、頻繁にジェイの見舞いに訪れる様子が、幾度となく報道陣の目に留まっていた。
 年齢は親子以上に離れているし、職業的な繋がりも見当たらない。共通点など何一つ見付からないジェイと武内代議士が、何故、そこまで親密な交流があるのか?――――
 たった一つで最大の理由が持つ意味に、今、ようやく気付いた。


 ジェイと武内代議士が親しく交流している事自体は、かなり以前から知っている者も多かったし、今回の会見を見ても、特に違和感を持たない者がほとんだろう。
 それは本人も分かっているからこそ、あえて率先して発言を行い、周囲の行動を呼び起こそうと目論んだと思われる。
 事実、武内代議士の発言と同時に、方々から同意の声が上がり始めていた。




 鳴り始めた携帯電話の音で、テーブルに視線を向ける。
 手にした携帯越しに、武内代議士からの返事を深水が伝えてくるのを聞きつつ、ソファから立ち上がった。
 予想以上に早い時間を指定してきた話し合いの場は、やっぱり武内代議士も連絡が来るのを予想していたからに違いなかった。


 ジェイの事件後、何一つ分からずにいる街の事について、少しは情報を得られるだろう。
 未だに音信不通が続いている慶とも、武内代議士は連絡を取り合っているのかもしれない……
 ふと頭に浮かんだ考えを否定出来ぬまま、武内代議士が待つ一室に向けて、静かに一歩を踏み出していた。






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2010/09/03  yuuki yasuhara  All rights reserved.