Eros act-5 03

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「あ、おかえり。どうだった? 少しはマシになってるかな」
 普段通りの女装姿の莉緒と連れだって、すっかり日も落ちてしまった外から戻ってきた橋本に問いかけると、苦笑した彼は首を横に振った。


「まだ全然だった。かなりの人数が見張ってる。とにかく何でもいいから情報が欲しいみたいで、通りかかった人を捕まえて、手当たり次第に聞いて廻ってるっぽいな。俺だけならともかく、莉緒ちゃんにまで声かけてきた奴もいたし。慶さんでも聞かれそうだから、三上さんが迎えに来るまで、もう少し時間潰しといた方が良いと思う」
「え、そうなんだ……ごめんね、莉緒ちゃん。嫌な思いをさせちゃって」
 初対面の人は必ず本物の女性だと勘違いするくらい、どうみても男には見えない莉緒にまで、まさか声をかけてくるとは思ってなかった。
 可哀想な事をさせてしまったなと反省しつつ謝ると、莉緒がニコリと笑ってくれた。
「大丈夫だよ、ママ。話しかけられたけど、私は何にも答えてない。全部、裕真くんが相手してくれたし、莉緒一人だけじゃなかったから平気」
「良かった。莉緒ちゃんも、もう少し落ち着くまで此処にいる? 帰りは博人が車で送ってあげるからね」
「ありがとう。お家にいても寂しいし、他に用事はないから遅くなっても大丈夫」
 怖がりな莉緒だけど、今回は橋本と一緒だったから、かなり気が楽だったらしい。
 偵察を終えて戻ってきた橋本と莉緒にお茶を用意してあげながら、未だに減る気配の無いマスコミ連中の執拗さに、皆で心底うんざりしていた。




 ジェイの事件が起こった直後から街に押し寄せてきた報道陣は、彼の意識も回復して落ち着いてきた5日後になっても、まだ諦める様子はない。
 彼の容態が落ち着けば沈静化するだろうと思っていたのに、どうやらそんなに甘いものじゃなかったらしい。
 通りのあちこちで見張られている気配を感じ、どうにも不快でしょうがなかった。
 一体、何処にどれだけの人数が潜んでいるのか気になるものの、車で一気に目的地に乗り付けるのがやっとで、じっくりと観察する事すらままならない。
 おでん屋台の親父さんに提供して貰った地下室で情報を交換している間に、橋本と莉緒が男女のカップルを装って、周囲を偵察に行ってきてくれた。


 地下室に続く一階部分は、普段の営業場所をマスコミ連中に占領されてしまった元極道者な親父さんが、旧知の知人逹や舎弟を招待しておでんを振る舞い、日々大騒ぎをしながら飲んだくれている。
 ある程度の事情を理解している連中を呼んでいるそうで、皆、周囲に遠慮する事なく、親父さんの馴染みでない余所者が姿を見せた途端、威嚇の声を上げて追い払ってくれていた。
 彼等は招待されて飲みに来ているだけで、本当に街の詳細については知らないし、さすがに怒っている彼等相手に突撃してくる連中はいない。
 だから、この通りの一角だけが唯一、マスコミ連中も入り込めない集合場所になっていた。




「莉緒にまで問いかけてくるとか、マジで見境無しなんだな。裕真と莉緒なら平気だろって、俺でも思ってたのにさ」
 半ば呆れ顔でボヤいた拓実の隣に座った橋本が、その言葉に大きく頷き返した。
「ホント。最初は『俺も自分で気付かないうちにゲイっぽくなったのかなぁ?』とか思ったけど、アレは多分違うな。見分けがつかないから片っ端に……って感じ」
「莉緒に声かける時点でそうだよな。俺が見たって、普通に女の子だとしか思えないしさ。莉緒を男だって見抜いて聞いてきたんなら、もう真剣に驚くぜ」
「だよな。あんなに薄暗い中だし、絶対に女の子としか思えない筈なんだけどなぁ。何を聞くつもりだったのかは分からないけど、あれじゃ逆効果なんじゃないかな。あんなに強引に声をかけられたらさ、普通に警戒心を持って話す気も無くなるって」


 同じ年で友人気分もあるからなのか、拓実と恋人同士になった今でも、橋本は何となくノンケっぽさが抜けきれていない。
 そんな橋本と莉緒の組み合わせなら、キョロキョロと周囲を伺いつつ歩いていても、逆に違和感がないと思う。
 話がそう纏まり、報道で事件を知って周囲を見物にきた普通のカップルを装って偵察に出かけたのに、あまり効果はなかったらしい。
 それでも付きまとう連中を無視しつつ、二人で色々と細かい所まで偵察をして来てくれた。






*****





 時折、お茶で喉を潤しながら、待っていた皆に報道陣が詰めている場所を交互に説明している橋本と莉緒の報告を聞き終わった後、麻紀が深々と溜息を吐いた。
「見境無く声をかけているのは、多分、あのバカが話したせいだろうな。誰か一人位は、あんな感じで話してくれると思ってるんじゃないかな」
「あぁ、それはあるかもね……ところで麻紀、タカは何処に飛ばされたの?」
 事件のあった日、取材のお礼金目当てにタカがベラベラと街の事を話してしまったのを知った麻紀は、皆の懸念通りに激怒した。
 その数時間後には姿を消してしまったタカは、それっきり目撃情報が入ってこない。
 また色々と情報が漏れたら面倒だから、取材のこない遠い所に飛ばされたんだろうな……とは予想出来るものの、それにしても情報が無さ過ぎる。
 ふと思い出して問いかけてみると、麻紀が軽く鼻で笑った。
「また直ぐに戻って来られても面倒だ。そう簡単には帰ってこれない場所にした。アイツは意外と精神的にもタフだからな」
「そうなんだ……また沖縄とか、そんな感じ?」
「沖縄は国内だし、タカにとっては簡単過ぎるだろう。少しは反省する様に、しばらくは生活するだけでも若干苦労しそうな所にした」
 あっさりと言い放った麻紀の答えを聞きつつ、皆で顔を見合わせた。


 以前、麻紀を怒らせてしまったヤツは、いつも通りに自分の部屋で眠りについた筈なのに、潮騒の音が心地良い沖縄の海岸で、散歩中の老人に揺り起こされて目覚めたそうだ。
 観光シーズンの沖縄に来れたのは嬉しいけど、枕代わりに頭の下に敷かれていたリュックの中には、本当に最低限の所持品しか入ってなかったらしい。
 戻って来ようにも旅費分には足りないし、その辺りで少々苦労したなぁと、数ヵ月後にようやく戻ってきた時に散々皆に愚痴って廻っていた。
 だから今回も沖縄かなぁと思ったのに、麻紀を本気で怒らせたタカは、もっと遠い所に追いやられてしまった。
 沖縄は国内だから……とか言っているし、もしかしたらインドやミャンマーなどの海岸に捨てられたのかもしれない。
 今回は麻紀だけじゃなく皆もかなり怒っているから、いい加減、ちょっとは反省して欲しい事だし、中近東の激戦区で奉仕作業をさせとくとか、普段よりきつめのお仕置きでも良いと思う。
 どっちにしても当分は静かにしておいて欲しいから、このまま海外にでも放り出しておいた方が、お互いの為になる。
 麻紀の事だから、何だかんだ言っても生命に関わる様な場所だけは避けているだろうし、それなりに見張り役も付けていると思われる。
 今はジェイの事件が最重要課題だから、タカについてはあまり詮索しない事に決めて、無言で皆の話を聞いている中川の方に視線を向けた。


「ジェイを襲った加害者に関して、捜査の方はどうなんだろう。少しは進んでるのかな。何か聞いてる?」
 実際に怪我を負ったジェイだけでなく、一稀が絡んでいる事もあってか、ジェイの父がかなり強く報道規制を申し入れているらしい。
 そういう事情もあって、今回の事件に関する公式な発表はかなり少ない。
 数日前に「ジェイの意識が回復した」と発表があってからは、公式の報道では特に何の進展も見られない。
 実際に事件の現場にも居合わせ、今も一番、詳しい情報を持っている中川に問いかけてみると、渋い表情のまま頷いた。
「一応は都度、連絡が入ってくるから詳細は聞いている。だが、現状は何も進んでいないそうだ。警察は一稀への怨恨を軸に捜査しているらしいけど、何も出てこない様だな」
「そうなんだ……一稀の交友関係には詳しい僕達でも、そういう心当たりは全然無いからさ。多分、普通に聞き込みをした所で無理じゃないかな」
「俺もそう感じている。一稀本人が見当もつかないと言っている位だ。もし、本当に怨恨の線だったとしても、かなり一方的な恨みだろう。そう簡単には行き当たらない可能性が大きい」
 こんな状況は煩わしくてしょうがないし、早く解決して落ち着いて欲しいとは思うけど、本当に犯人についての心当りは全く無い。
 皆で怪しげな奴等がいないか、思いつく限りの出来事を出し合って推測し、あれこれと考え込んでいると、黙って紅茶を飲んでいた麻紀が徐に口を開いた。


「一度、視点を変えるべきだ。狙われたのは一稀だとしても、真の目的はジェイだと俺は思っている。そう考えた方が該当者も多くなる」
「そうだな。俺もその可能性はあると感じている。一稀個人への恨みだけで、あんなに手の込んだ事件を起こすとは考え難い部分も確かにある。一応、事情聴取の時点でも話してきたが……捜査関係者には、あまり意味が通じていない様だな」
「まぁ、それは分かるけど。実際に一稀とジェイの関係を見ていなければ、言っている意味が理解できないんだろう」
 各々に意見を出しあう中川と麻紀の声を聞きながら、何だかやけに気が重くなってきた。


 ずっと前、お店に遊びに来てくれていた一稀から、ジェイと出会うまでの間は、一人きりで寂しい生活を送っていたと、少しだけ聞かせて貰った事がある。
 だから、ジェイの恋人になって精神的にも落ち着いてきた一稀を見て、本当に良かったなと感じていた。
「……ホントに一稀が可哀想になってきた。もし、その通りだったとしても、何でいつも一稀が……」
「仕方ない事だろう。それはジェイや一稀も理解している筈だ。ジェイ自身が、とても一般人とは呼べない立場にいる。アイツと共に生きていくには、それなりの覚悟が必要だ」
 静かな声色で諭してくれる麻紀の言葉に、無言で頷くしかない。
 分かっているけど、それでも、普段の彼等を知っている分、胸が痛んでしょうがなかった。




「俺が最後に相手をした奴は、それなりの怪我を負った筈だ。手加減無しで倒したからな。それなのに、未だに該当者は発見されていないらしい。その辺りも不審に感じて捜査しているそうだ」
 いつしか逸れそうになっていた話と感情が、中川の一言で戻ってくる。
 思い出した様に呟いた中川の言葉の意味に一瞬考え込んでしまったのと同時に、事件後にティコから聞いた「襲ってきた奴等は一言も発してなかった」という話を、唐突に思い出した。
「該当者が……って何がだ? 意味が分からないな」
 回りくどい例え話を嫌う麻紀が、真っ先に顔を顰めて声を上げた。
 その非難に苦笑しつつ、中川が彼の方に視線を向けた。


「悪い、ほとんど独り言になっていたな。ジェイが倒れるのを見た瞬間、相手をしていたヤツの腕を捻り上げた。中途半端にやって背後から襲われるのも馬鹿馬鹿しいし、それ以前に手加減をする余裕は無かった」
「あぁ、分かった。病院などの治療記録に、そういう症状での受診に該当者がいない……って事か」
「そうだ。放置して治そうと考える程度の怪我で済んだとは到底思えない。逃げる後ろ姿をチラリとだけ目撃したが、完全に左腕が動いてなかった。下手をすれば骨折した可能性もあるし、少なくとも亜脱臼程度は負った筈だ」
「なるほど……怪我をさせた本人が言っているんだし、その辺りに間違いは無いだろう。この近辺で診察を受けてない、って事かな」
 納得した面持ちで答えた麻紀に、中川もゆっくりと頷いた。
「その可能性もある。只、捜査官達は別方面も考えているらしいな。あの統率といい撤収の確実さといい、少なくとも、その辺りのチンピラが勢いで襲って来たとは思えない。お抱えの闇医師を持つ組織が絡んだ、大掛かりな犯行の可能性も捨てきれずにいるらしい」
「確かにそう考えた方が自然かもしれない。それが正解だったとしたら、ますますジェイが目的の可能性が強くなるな。少なくとも、一稀が個人的にそういう奴等の恨みを買う事は、まず有り得ないだろう」
「そうだな。いずれにしても、犯人と実行犯は別である事だけは間違いないだろう。実行犯だけは簡単に発見されると思っていたんだが……少し時間がかかりそうだな」
 話し合う中川と麻紀の声を聞きながら、とりあえず考えを纏めていく。


 二人が結論付けている様に、犯行を考えた者と、襲ってきた実行犯とが別人であるのは間違いない。
 一稀も「不審なヤツが見ていた」と言っているから確実だとは思うけれど、その事がますます話を複雑にしていた。
 ジェイの動きを止める為に一稀を狙い、彼も見覚えがある男となると、この街に深く関わっている人物が犯人である可能性が高い。
 それなのに、一稀やジェイだけでなく、中川やティコに目撃者達も含め誰一人として、実行犯に見覚えがなかった。




「ジェイの容態も、かなり落ち着いてきた。もう心配は無さそうだし、明日から店を開けようと思っている」
 今日も結局、今までと同じく、ジェイを襲った犯人に関して新たな情報を得た者はいなかった。
 気を取り直して話題を変えてきた中川の言葉を聞いて、麻紀も素直に頷いた。
「そうだな。いつまでも此処で話し合っていた所で、何の情報も手に入らない。店を開けていた方が皆も戻ってくるし、新しい話も出てくるかもな。慶はどうする?」
「僕の所も開けようかな。皆で一斉に合わせておいた方が監視の目も分散するし、常連さん達も戻って来やすい気がする」
「それは言えてるな。とりあえず今日のうちに、常連達には各々に情報を流しておこう。まだマスコミは彷徨いているけど、遊びたければ自分達で追い払ってくるだろう」


 麻紀は素っ気なく言い放ったけど、本当にその通りだと思う。
 個々に報道関係者の客を抱えてはいるけど、こういう業界全体の動きをコントロール出来る程の力は持っていない。
 後は、ジェイを欠いている僕達より巨大な力を持った誰かが、この騒動を収めてくれるのを待つしかなかった。


「もう暫くの間は、此処も残して置いた方が良さそうだな。まだ全貌が掴めていないし、噂話程度ならともかく、核心部分を店内で不用意に話をするのは危険だ」
「そうだね。もしかしたら、犯人がそ知らぬ顔して来店する可能性もある。重要な事は話さない方が良いよね」
「細かな情報交換や打ち合わせは、少々不便だけど今まで通りに此処を使った方が良い。皆が好きに使えるように、親父さんにも話をしておこう」
 そう言いながら立ち上がった麻紀に続いて、皆も一斉に腰を上げる。
 上階に向かう皆の最後に続きながら、何となく、薄暗い部屋の中を見廻した。


 もう何年も夜の仕事を続けているから、薄暗い場所には慣れている。それなのに何故か、此処は息が詰まりそうになってきて、あまり好きになれずにいた。
 好んで使っている部屋じゃないし、身を隠しての情報交換を強いられての事だから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
 こんな場所で話し合う、重く沈んだ日々が早く終わる事を願いながら、賑やかな飲み会を繰り広げている輪の中に、皆でさり気なく紛れていった。






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2010/08/24  yuuki yasuhara  All rights reserved.