Eros act-5 18

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 窓辺から柔らかく入り込んでくる風が、目の端にある一稀の髪を微かに揺らしていく。
 特に用事もない本当にのんびりとした雰囲気の昼下がりは、彼も俺の話相手をするしかないから、どうしても眠くなってしまうらしい。
 昼食後、本を読んでいる俺の横で楽しそうに話をしていたのに、いつの間にかベッドの端に突っ伏して、ウトウトと夢見心地で微睡んでいる一稀の頭を軽く撫でてあげた。






 昨日の午後、迎えに来たティコと一緒に「夕方には戻ってくる」と言って慶の所にへと出かけた一稀は、日が暮れそうな時間になっても戻って来なかった。
 まだ外も明るい時間帯だし、知り合いばかりの街中だから何も心配ないとは思うけど、やっぱり少し気になってしまう。
 一応、念の為に……と、慶の携帯を鳴らして様子を聞いてみると「今、ちょっと一人で出かけたけど、帰りは病院まで送るから大丈夫」と軽くあしらわれてしまった。
 普段なら何とも思わない所だけど、この時期に一稀だけでの単独行動となるとそれなりに不安を感じる。
 もう少し詳しく行き先を聞き出そうとした瞬間、その前に深水の正体は「皆が『ジャスミン』と呼んでる人」だと、かなり驚く意外な事実を告げられた。
 ジャスミンとは一緒に飲んだりした機会は無かったものの、彼の事は当然の如く知っているし、店にも頻繁に出入りしていた姿を目撃している。
 確かに彼が深水なら、今回の事件の全貌など容易に想像出来て、色々な部分で納得もいく。
 街の常連でもあるアイツが主犯で確定なら、きちんと理由を話して謝罪して廻れば、皆も事情を知って許すだろう。
 それなら解決したも同然だな……と、ホッと胸を撫で下ろしつつ電話を切った。


 何となく話の流れで一稀の行き先を聞きそびれてしまったけど、俺が運び込まれた直後からずっと病室に篭りっきりだったから、彼もそろそろ皆と話をしたい頃だと思うし、もう危険な目に会う事もない。
 ベッドに半分横たわったまま、そんな事をぼんやりと考えていると、一稀と途中で合流した三上から「中川兄弟も居るし4人で食事をして帰る」と連絡が入ってきた。
 警備会社の方に向かった彼等も、映像や入店時の確認書類などから深水はジャスミンだと気付き、本当に心底驚いたらしい。
 詳しい話は明日にでも三上から聞く事にして、久しぶりに病院まで父を呼び出し、賑やかな食事になりそうな一稀達とは正反対に、間近に迫った退院後の予定なども含めてのんびりと会話を楽しみ、静かに料理を味わった。


 かなり遅い時間になってから三上に連れられて戻ってきた一稀は、少々酔っているらしく、随分とテンション高くはしゃいでいる。
 慶の店も閉店間近な時間だから「明日の午後に顔を出す」と言い残し、直ぐに戻ってしまった三上に代わって、一稀が「深水はジャスミンだった」という話をしてくれた。
 一稀も俺と同じく、ジャスミンの顔を知ってる程度で面識は無いらしいものの「確か、漢方薬屋のおじいちゃんと来てたと思うんだけど……」と、真顔で考え込み呟いていた。
 そんな光景は記憶に無い俺と同じく、三上にも「見た事ないと思う」と流された挙句、店長の中川までも「そうだったか?」と簡単に応えられて、あまり相手にされなかったと不服そうに訴えてきた。
 話をしている限りでは割と上機嫌に思えるけど、それには少々腹を立てているらしく、ブツブツと不満をこぼしている一稀を宥め、とりあえず風呂に入れて、昨夜は早めに就寝した。




 普段から朝は苦手な一稀だけれど、今朝は昨夜のアルコールが若干残っているようで一段と寝起きが悪い。
 俺に揺り動かされて、ようやく何とか目覚めた一稀は、朝食後もベッド脇に椅子を置いて、ダラリと上半身を預けて突っ伏したりしていた。
 昨夜は少々飲み過ぎた様だし、ずっと俺の付き添いで病院内でのんびりと過ごしていたから、久しぶりに麻紀や慶だけでなく、他の皆とも沢山話をして少々疲れてしまったのかもしれない。
 深水の正体も分かって安心したんだろうなと、すっかりお昼寝体勢に突入している姿を眺めつつ考えていたら、様子を見にやって来た三上が苦笑混じりで、昨夜の一稀の武勇伝を教えてくれた。


 ほろ酔い気分で上機嫌だった一稀は、話のネタは深水の事ばかりだったし、そんな大冒険については全く一言も触れてもいない。
 出かける前もそんな事を考えていた雰囲気は無かったから、予想外の話を聞いて驚いたものの、一稀の性格を考えると充分にありえる話だと納得出来る。
 そう分かっているけど、あまりにも無謀で危なっかしい敵討ちに少々絶句してしまった。
 一稀に刺された藤原は「医師の治療は必要だったが軽傷で済んだ」と、本人から直接、慶に連絡が入ったらしい。
 とりあえず事を荒立てる気は無く、それは一稀に関しても同じだと言い切り、それを俺に伝えて欲しいと伝言されたそうだ。
 他の事柄ならともかく一稀の件に関しては俺が直接話をすべきだから、藤原へ「退院後に話をしよう」と伝えて欲しいと頼んだ。


 彼等の内部でも色々とあったようで、何故だか深水が売り専クラブの店長をやる事になった。
 どうやら昼辺りから、藤原の部下と共に深水が謝罪と挨拶を兼ねて界隈を廻っていて、此処へ向かう途中の三上が偶然出会い、立ち話ついでに少しだけ事情を聞いてきてくれた。
 ほんの短時間だから三上も詳しくは聞いてないものの、真っ先にクラブJを訪れた深水は、とにかく俺と一稀に謝りたいらしく「退院の詳細が決まり次第、教えて欲しい」と、中川に訴えてきたらしい。
 それと全く同じ事を何度も繰り返し念押しして去って行った、見慣れたジャスミンの物真似に励む三上の様子に笑いながら、何故だか妙に懐かしく感じた。
 三上の上辺だけを見て「軽薄そうな奴だ」と陰口を叩く奴もいるけど、彼の大らかな性格には今までも随分と助けられている。
 今回の騒動の様に、実際の期間的には短かったものの、色々な出来事が絡み過ぎて辛くて厳しい状況が続いた時には、彼の存在のありがたさを特に強く実感していた。
 生真面目な中川では何かと持て余してしまう事の多い一稀の頑固さも、三上ならサラリと受け流してくれるし、逆に気持ちを静めて宥めてくれる事も多い。
 相変わらず底抜けに明るい三上からの報告を聞きつつ、久しぶりに何も考えずに笑えたな……と、そんな事をふと考えた。






 俺達がそんな話をしている間もベッドに突っ伏し、子供みたいな表情ですうすうと眠り続けていた一稀は、三上が戻って小一時間ほど経過した今でも、まだ目を覚ましそうにない。
 三上が帰って二人だけになり、また静かになった病室の中、そんな彼の寝息を聞きつつ手元の本に視線を戻した。
 俺が目覚めた直後はさすがに取り乱していたものの、その後は普通に見えていた一稀も、彼なりに色々と胸を痛め、眠れぬ夜を過ごしていたのかもしれない。
 無意識にずっと続いていた緊張が解けて、一稀もようやく本当の意味で安心出来たんだと思う。
 すっかり安心しきった様子で気持ち良さそうに眠っている頬を軽く突いてみたら、ようやく少し身動いて顔を上げてくれた。


「……あれ、……俺、寝てた……?」
 元々眠るのが大好きな彼は、こんな昼間でも本気で熟睡していたらしい。
 寝ぼけ眼でキョロキョロと周囲を見回し、ぼんやりとした口調で呟く一稀の姿に、無意識に口許が緩んでしまった。
「そうだな、昼食後からずっと寝ていた。三上が来ていたのにも気付いてなかった様だな」
「え、三上さんが? 全然分かんなかった……そんなに寝てたかなぁ」
「まぁな。俺には内緒で、藤原を相手に随分と大暴れしてきたそうじゃねぇか。少し疲れてしまったのか?」
 全てが終わってしまった今頃になって、一稀の行動を厳しく咎めるつもりはないし、そんな事を説いた所で意味はない。
 ほんの少し冗談めかして問いかけると、まだ少しだけ寝起きの気怠さが残る彼は、少々バツが悪そうに顔を顰めた。


「えっと、内緒にするつもりはなかったんだけど……話すの忘れてた」
「他にも色々あったからな。前から考えてたのか?」
「違う。慶の話を聞いてる時、急に思い付いたんだ。でも、ちょっとやり過ぎたかなぁ。中川さんとお兄さんにもすっげぇ沢山怒られた」
「まぁ、気持ちは分かるが。あまり危ない事をするんじゃねぇよ。お前にはナイフは似合わないからな」
 一稀の気持ちは理解出来るものの、それを手放しに誉めてやる気分にもなれない。
 やんわりと無謀さだけを咎めながら、男にしては華奢で小さな一稀の手を握りしめた。
 小柄な身体で可愛らしく誰かに頼るだけではない、一稀のこういう気性の激しさも彼を気に入った理由のひとつだけど、だからと言って心配しない訳じゃない。
 普段見せている気の強さとは裏腹に、臆病で怖がりな所があるのも充分に分かっているから、彼が後で思い出して怯えてしまう様な危険な目に会わせたくなかった。


「ん、もう危ない事はやらない。ジェイがダメって言う事は、絶対にしないから大丈夫」
 一稀なりに鬱憤を晴らし、もうすっかり気分も落ち着いてきたんだろう。
 伏せていたベッドから身を起こし、素直にコクリと頷いてくれた彼に微笑みかけた。
「そうしてくれ。俺は当然だが、周りの皆も心配している。親父に知れたら本気で叱られるぞ」
「あ、ホントだ……お父さんにバレるかな。やっぱり凄く怒られる?」
「さぁ、どうだろうな。俺は内緒にしといてやるが、中川経由で伝わるかもな。『ごめんなさい』って謝る練習でもしておけばいい。とりあえず、中庭へ散歩に行くぞ」
 俺の親父をやたらと慕っている一稀は、やっぱり本当の父同然の彼に怒られるのは堪えるらしい。
 困り顔で座っている一稀にそう声をかけ、読みかけの本を閉じてベッドを降りると、彼は不思議そうに首を傾げた。


「え、散歩? 午前中も外をウロウロしたのに、また歩きに行くの?」
「ずっと寝てばかりだったからな。いい加減、のんびりするのも飽きてきたし、明日にでも退院しようと考えている。そろそろ動くのにも慣れておいた方が良いだろう」
「本当に!? すっごい急な話だなぁ。俺が寝てる間に決まった?」
「もう事件も解決したからな。昨日の夕食時に親父と予定を合わせておいた。それに三上からの伝言だが、ジャスミンが俺達に会いたがっているそうだ。一稀にも謝りたいらしいぞ」
「俺は別に……ジャスミンには怒ってないんだけど。でも、ちょっと話したいかな。よく考えたら真面目に話した事って無いかも」
 嬉しそうに立ち上がり手を握ってきた一稀と並んで、病室の外に向かっていく。
 ほんの数年前、怪我をしていた一稀が退院する直前も、こうして二人で手を繋いで散歩にへと出掛けていたのを、何故だかふと思い出した。


 同年代の他の奴等とは、ほんの少しだけ外れた違う道を歩んでいる俺達だから、その分、何かと普通じゃない出来事に遭遇してしまう事が多い。
 次から次へと色んな事が起こる生活だけど、だからこそ何もない時の静かな日々を、本当に大切だと感じている。
 一つの出来事が解決したから、また元の場所に帰って、新しい日々を重ねていく。
 戻ってきた穏やかな日常を、また二人で過ごしていける嬉しさを実感しながら、隣にいる一稀と手を繋いで中庭へと向かっていった。






*****






 退院してからの日々は、本当に慌ただしく過ぎていく。
 仕事的な面では田上と親父がかなり処理してくれていたものの、退院後の挨拶や事情説明は彼等に任せる訳にはいかない。
 世間的には休日になる日を挟んで退院したから良かったものの、直ぐに方々に駆り出され、病み上がりとは思えない程の激務が待っていた。
 ようやく解放された深夜になると、今度は街の連中達が店で虎視眈々と待ち構えていて、快気祝いだ何だと称し、日々大騒ぎで盛り上げてくれる。
 結局、のんびり出来たのは退院してきた日の夜くらいで、また一つ突拍子もない武勇伝を打ち立てた一稀も合わせて呼び出され、忙しい毎日が過ぎていく。
 そんな感じで、藤原とじっくりと話し合う時間を取る事が出来た頃には、既に退院から一週間が過ぎようとしていた。


 退院と同時に手土産持参で、自宅にまで謝罪に来てくれたジャスミン経由で色々と聞いていたし、合間に何度か電話で軽く話をしている。
 只、やっぱり直接顔を合わせて話し合いたいと、お互いに望んでいた。
 移動途中でバッタリと出会い、近況報告ついでに昼食を一緒にとった武内代議士からの情報によると、藤原が指定してきた場所は、彼が政治家達と会う時に頻繁に利用する拠点になっているらしい。
 何とも表現し難い表情を浮かべて「以前は彼の腹心だった、ジャスミンが根城にしていた場所だ」と教えてくれた武内代議士と別れ、待ち合わせの場所へと向かって行った。




 あまり通い慣れている界隈ではないけど、親父や武内代議士達に連れられ来た事はあるから、一人でも迷う程ではない。
 真っ直ぐに待ち合わせに指定されたビルに向かって行くと、入り口前で意外な人物を発見した。


「あぁ、ジェイ。もう元気になった様だな。復帰祝いの宴会ラッシュは落ち着いたのか」
「漢方薬屋の親父じゃねぇか。そういえば退院後に会うのは初めてなのか。何してるんだ、こんな所で?」
 年配の男性からやたらと可愛がられるタイプの、一稀やティコの会話に頻繁に出てきて話を聞いているから、言われるまで忘れていた。
 彼には縁の無さそうな場所での遭遇を不思議に思って問いかけると、彼は楽しそうに頬を緩めた。
「此処には私が昔から仲良くしている知り合いがいる。ヒロって名前の奴だ。ジェイも彼を知ってるだろう?」
 事務所に皆が注文した漢方薬を持参したついでに、居合わせた一稀をからかって遊んでいる時と同じ笑顔で、嬉しそうに答えてくれた彼の顔を、思わず無言で見詰めてしまう。
 どうやら偶然居合わせた訳じゃなく、この時間に俺が訪ねてくるのを藤原から聞き、その時間になるまで待っていたらしい。
 妙に楽しそうな顔を見詰めたまま、彼につられて自然と頬が緩んできた。


「――――あぁ、親父さんも台湾人だったな。すっかり忘れていた。そういえば、一稀が気に入っている料理屋の店長も台湾人だな。親父さんの身内なのか?」
「トミーは私の次になる。ナンバー2ってヤツだな。一稀が聞いたら本当に驚くだろうな」
「一稀達にあの店を教えたのは祐弥だ。アイツが言ってた『台湾マフィアの知り合い』ってのはトミーや親父さんの事か?」
「その通り。もっとも、私がジェイ達を知っていると祐弥に教えたのは事件後だ」
「意外と身近にいたんだな……そういえば、ティコが親父さんを名前とも違う呼び方をしていた。あれは通称なのか?」
 ふと思い出して聞いてみると、彼は一瞬、真顔になって考え込んだ。


「……あぁ『阿公』の事かな。ティコが『台湾名の発音が難しい』と言うから教えてやった。日本語だと、おじいさんと同義語になる。ありふれた愛称だ」
「そういう意味なのか。それなら、俺も阿公と呼ぶ事にしよう。これなら覚えやすいし、呼びやすい」
 何となく印象深い呼び方だし何らかの愛称に近いんだろうと感じ、ずっと「どういう意味なんだろう」と気になっていた。
 悪い意味合いでないのなら俺達が呼んでも大丈夫だろうし、教えて貰った台湾名より親近感を持てる呼び名に納得していると、彼が軽く声を上げて笑った。
「私も『阿公』で慣れている。異国で暮らす皆の相談役だから……だったが、もう本当にそう呼ばれるのが当然の年齢になってしまった」
「皆の親代わりってトコか。結局、俺達を襲って来たのは、阿公が面倒を見ている奴等で正解だったのか?」
「そうだ。深水から頼まれて襲ったと自白した。ジェイの相手じゃ不足だろうが、あの子達も自国では腕っ節に自信を持っている。負けたのは初めての経験だったらしい。とてもショックを受けていた」
「単なる実行役だと分かってたんだが……悪かったな。俺も手加減する余裕がなかったし、中川もそう言っていた。誰だか調べている途中に聞いた話だが、少し怪我をさせてしまったようだな」
 今まで自分が殴り倒した奴の事など考えもしなかったのに、それが知人の身内だと分かると、急に申し訳なく思えてきた。
 とりあえず詫びの言葉をかけると、阿公は和やかな表情のまま首を振った。


「あの程度じゃ怪我とも呼べない。それにジェイは真っ当な被害者だ。何も気にする必要はない。私だけでなく、皆もそれは分かっている」
「そう言って貰えると助かる。殴られた本人も納得してくれているのか?」
「大丈夫だ。そもそも私やトミーに無断で事を起こした、彼等の方が立場的にも分が悪い。厳しく叱っておいたから問題ない」
 阿公達の方から見れば、襲った相手が俺云々よりも、無断で組織の掟を破った事の方が大問題なんだろう。
 きっぱりと言い切ってくれた阿公の言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。


「それを聞いて安心した。阿公は深水が同性愛者だと知ってたのか?」
「あぁ、もちろんだ。ずっと前から深水とジャスミンが同一人物だと知っている。私を最初にジェイの店に連れて行ったくれたのが彼だ。ヒロは当然だが、他の周囲の皆に隠しているのも聞いていた。だから他言はしなかったが」
「――――……驚いたな。一稀が『ジャスミンは漢方薬屋のおじいちゃんと一緒に来てた』と言い張ってた。でも俺や中川は覚えてなかったし、アイツの勘違いだろうと思ってたんだが。正解だった様だな」
 一稀が接客する事はほとんどないし、表に出たとしても料理を運ぶ手伝いをする程度で、客の顔を覚えておく必要も無い。
 よく似た誰かと見間違えたんだろうと聞き流していたのに、どうやら一稀の言い分が正しかったらしい。
「そうか、覚えていたのか。一稀は人見知りの激しい子だけど、意外と周囲をよく観察している。記憶力の良い子だな」
「帰ったら『阿公が褒めていた』と一稀に言っておく。本当に喜ぶだろう。今回、深水に協力していた連中も、当然知ってての事か……」
「彼と交流がある者は、全員周知の事実だ。私達も彼と同じく、その他大勢とは少しだけ違う立場にいる。だから心を許して本当の姿を見せてくれたんだろうし、私達も深水だけは特別な仲間だと思っている。ヒロとの繋がりだけでなく、個人的に交流を持っている者も多い。今回も『個人的な知人の頼みをきいた』という認識で、あまり深く考えてなかった様だ」
 そう話した阿公が、チラリと自分の腕時計に視線を向けた。


「……そろそろ時間だな。あまり長い間ジェイを引き止めてしまうと、ヒロに怒られそうだ」
「そうだな。一稀も会いたがっていた。見舞いの礼もしたいから、また暇な時にでも店に来てくれ」
「では、明日の夜にでも。時間はティコに伝えておく」
 和やかに応えてくれた阿公は、そう話すと軽く片手を挙げ、駅の方へ向かって歩き出す。
 その後姿を無言で見送っているうちに、何だか急に笑いそうになってしまった。


 裏社会の知人が多く、そんな連中を見慣れている俺でも、彼がマフィアの首領だとは欠片も想像した事すらない。
 年相応な「初老の男性」といった飄々とした風情の背中に、こんなに頻繁に会っていたのに完全に騙されていた。
 今の話から察するに、きっと寸前までは藤原の元で、同じ暴露話を素知らぬ顔で繰り広げ、彼を絶句させていたに違いない。
 周囲にまた一人増えてしまったらしい老獪な首領の姿に苦笑しながら、もう一人の策士が待つ部屋にへと、色々な考えを巡らせつつ向かって行った。






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