Eros act-5 01

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 今朝発行の新聞を拡げ、ジェイに関する記事だけを拾い上げては、隅々まで読み込んでいく。
 思いつく限りの全種類を入手させたおかげで、かなりの数があるものの、何処に載っているんだろう? などと探す必要は全く無い。
 有名人のゴシップ記事がほとんどの大衆紙は当然の事ながら、一般紙や専門紙の社会面に至るまで、どの紙面を見ても、彼の事件が大きく取り沙汰されていた。






 普段通りの朝を迎え、何気なくテレビを点けて朝一のニュースを見た瞬間、目に飛び込んできた見知った顔と報道の内容に、本気で背筋がゾクリと粟立った。
 決して平凡とは言えない日々を送っているし、俺自身、こういう事件に巻き込まれる可能性が高い事もあって、多少の事では動じないと自負している。
 実際に俺自身が襲われた事もあるし、知人の身に降りかかってきても、何ら不思議だとは思わない。
 こんな暴力沙汰程度の騒ぎなど、とうの昔に慣れきっている日常生活を、もう何年間も淡々と続けている。
 それなのに、深夜の繁華街で起こった傷害事件に巻き込まれ、重傷を負ったジェイの事件を報じている画面を、微動だに出来ないまま見詰めていた。




 あの街で過ごす慶の手引きで、来週中には訪れる予定だった売り専クラブJのオーナーが、深夜の帰宅途中、何者かに襲われた。
 全く面識は無いと思い込んでいた彼は、先日、初めて顔を合わせて話し込んだ、もう一人のジェイ『東郷雅章』本人だった。
 少し考えれば気付けた筈だ。あんな気概を持った男が、狭い日本に何人もいる筈がない。
 今となれば、そう冷静に思うものの、実際に目の前で話をしていたジェイを見ても「もしかしたら、彼は同性愛者で、あの街のジェイと同一人物かもしれない」などとは、脳裏を掠りもしなかった。
 本物の女性以上に女性らしいニューハーフだった、淑やかな慶の印象が強過ぎたのかもしれない。
 同性愛者は、皆、慶みたいな奴ばかりなんだと、その思い込みがあったんだろう。
 実際に同性愛者のジェイを前に話をしても、その考えが欠片も思い浮かばない位に、俺は無意識に偏見を持っていた。


 自分でも気付いていなかった、凝り固まっていた思考の一片を、こんな形で突きつけられるとは、想像出来る筈がない。
 あの街の「ジェイ」と、東郷家の「ジェイ」が同一人物だった……――――
 予想外の事実に、文字通り声さえ出せず、テレビから流れ続ける報道を眺めるしかなかった。






 朝のニュースが終わる時間帯まで、チャンネルをあちこち切り替えながら呆然と眺め続けた後、ようやく気が落ち着いてきた。
 大至急で駆けつけてきた部下達が、今朝発行の朝刊を全種類、大急ぎで買い占めてくるまでの間は、ネットでの報道も見て廻った。
 スキャンダルが大好物な大衆紙は当然の事、一般紙も大きな報道態勢を取っている。
 まだ20代半ばで東郷家の御曹司でもある、新進気鋭な若手経営者として注目されているジェイの事件とあって、取り上げる内容の差はあれど、どの報道機関も大々的に取り扱っていた。
 客観的な事実のみを伝えて、傷害事件の被害者としての報道が主な一般紙と違って、同性愛者としての一面ばかりを強調している大衆紙の下世話な記事を、他人事ながらも不快に思う。
 それでも、一字一句洩らさずに読み勧めて行くしかなかった。


 情報の入手先が違うのか、とても同一人物の事件を報道しているとは思えない位に多種多様な内容の一つ一つに、丹念に目を通していく。
 信頼出来る筋が提供してくれる話からは、基本的に信憑性の高い情報しか得られない。
 だから、あえて一般紙や裏を取らないスクープ記事にも目を通しておくと、思わぬ情報が得られる場合があった。
 記事に書かれている内容に関する真偽の程など、現段階では何も気にしなくて良い。
 それは後で整理すれば良いだけの話だから、今はどんな些細な事でも入手しておく必要がある。
 充分に知っていると思っていたのに、本当は何も分かっていなかったジェイに関する情報を、何一つ見逃したくはなかった。






*****






 ひとしきりチェックを終えた所で、携帯を手に取る。
 多分、無理だろうなと思いながらも鳴らしてみた慶の携帯電話は、今はやはり、出てくれそうになかった。


 大慌てで連絡を寄越してきて、そのまま街の様子を見に行ってきた小林によると、既にマスコミが多数徘徊していて、少々異様な雰囲気になっているらしい。
 追いすがるマスコミの取材陣を無視して、足早に走り去る者が時折通り過ぎるだけで、基本的に街の者達は誰一人として姿を現さずにいた。
 夜の街だから昼間の方が閑散としてるのは当然ではあるものの、普通の風俗街以上に人目につきたくないゲイタウンの住民達が、大勢のマスコミが徘徊していると分かっている街に、無防備に立ち入る訳がない。
 姿を隠している者達と同じく、慶も何処かに身を潜めたまま情報を交わして、嵐が過ぎ去るのを待っているんだろう。
 とにかく、マスコミ連中があの街から姿を消さない事には、慶だけでなく、俺の方も表に出る訳にはいかなかった。




 ジェイが同一人物だと分かった瞬間、一瞬、不快な感情が脳裏を過ぎった。
 別人だと思い込んで、その本人に向かって情報を流してしまった自分自身への羞恥もあり、黙っていた彼等の態度を勘繰ってしまったものの、直ぐにそれは違っていると考え直した。
 俺の手の内を知りつつ、「クラブJに来店するように」と勧めてきた慶は、恐らく、ジェイとも連絡を取り合い、俺と会わせるつもりだったに違いない。
 自分自身で街に来なければ……と、しつこい位に繰り返していた慶と、あの場で真実を告げず、慶を介しての再会を目論んでいたジェイは、俺に何かを伝えようとしていた。
 単純にジェイの正体を告げるだけなら、わざわざ彼の店を訪れる必要は無い。
 彼等が俺に何を言いたかったのか――――それが判明する直前、何者かによって、その機会を失ってしまった。






 朝一からずっと情報を集めている間に、もう夕暮れ時になってしまった。
 自分自身で時間と手間をかけて、こんなに真剣に情報収集に励むなど、初めての事かもしれない。
 それでも、今回の件を他人任せにする気は起こらないし、こうしている時間が惜しいとは、ほぼ一日を費やした今でも全く思えずにいた。


 別方面から情報収集にあたっていた小林からのメールを読んでいる最中、つけっ放しにしていたテレビから、突然、聞き覚えのある声が流れてきた。
 夕方辺りに会見を行うとの報道が流れていたから、どうやらそれが始まったらしい。
 いつになく、あっという間に過ぎていく時間に驚きながら、パソコンに向かっていた顔を上げて、その方に視線を向けた。
 親の七光りとは全く無縁の、自分自身の非凡な才で手腕を発揮しているジェイを、東郷氏が本当の意味で可愛がっている事は、既に周知の事実でもある。
 ジェイも「父を尊敬している」と周囲を憚らず公言していて、甘ったるい関係ではないものの、彼等親子の仲の良さは、かなり以前から有名だった。
 だから、ジェイが同性愛者である事や風俗店を経営している事も、東郷氏は既に全てを知って、それを認めていたんだと思う。
 深夜に重傷を負った息子に付き添っていたらしく、話を進める東郷氏は、少々疲れた表情を浮かべてはいるものの、特に慌てた様子はない。
 ジェイの私生活について問いかけてくる報道陣に対し、静かな口調で答えている東郷氏の声を聞きながら、また手元のパソコンに視線を戻し、メールの続きを目で追っていった。




 風俗方面を探ってくれた小林からの情報や、個別に連絡を取ったマスコミ関係者と情報屋、質問に答えている東郷氏の話からは、さほど目新しい情報は浮かんでこない。
 そろそろ出尽くしたか……と思った瞬間、淡々と応えていたジェイの父が、急に声を荒げた。
 突然変化した東郷氏の態度に驚き、テレビの画面の方に向き直って、彼が答えを拒絶している内容を顔を顰めつつ聞き入っていく。
 あまり聞いた事の無い、東郷氏の苛立った声に耳を傾けながら、読み終わったばかりな大量の新聞を拡げ、また丁寧に活字を追っていった。


 今までに知った情報には無かったものの、ジェイが襲われた原因について「連れていた恋人を庇って刺された」という噂が出ているらしい。
 何処かの記者がその事を問いかけた途端、冷静な受け答えを繰り返していた東郷氏の顔色が変わった。
 ほんの数十分程度、軽く会話を交わしただけだから断言は出来ないものの、良い意味で感情を顕わにする印象のあったジェイと違って、東郷氏は物静かなタイプで常に冷静な雰囲気を醸し出している。
 東郷氏と直接会話を交わした事はないけれど、方々で目にしていた彼の姿の中に、此処まで機嫌を損ねている場合は無かったように思う。
 珍しく感情的な口調で回答を拒絶する東郷氏の隣から、同席している警察関係者も、この件に関しては捜査中を名目に一切ノーコメントで通すらしく、何かと口を挟んできて回答を拒み続けた。
 もっとも、質問を投げかけた若い記者は、どうやらかなり正義感が強いタイプであるらしく、険悪な雰囲気になってしまった場を物ともせず、尚も質問を続けている。
 改めて手元の新聞などを軽く読み返してみても、せいぜい「仲間数人で帰宅途中に」程度で、恋人の文字や、ジェイが襲われた理由など、一行たりとも見当たらない。
 これまでの報道では一言も触れられていなかった新情報について考えながら、手元の携帯を取り上げた。




「――――藤原だ。ジェイの事件について、聞きたい事がある」
 元から一番最後に問い合わせるつもりだった彼に連絡を入れる寸前、興味深い話が舞い込んできた。
 報道業界の深い所にいる彼からは、真偽のハッキリとした情報しか入ってこない。
 唐突な問いかけだけれど、向こうも連絡が入るだろうと予想していたらしく、さほど驚いた様子はなかった。
 企業家としてのジェイに興味を持った頃、色々と話を聞いていた事もあり、彼の方でも既に情報収集に動いていた様だ。
 テレビに映っている不機嫌そうな東郷氏を見詰めながら、あっさりと承諾してきた電話の向こう側にへと、気になっていた事を問いかけた。


「ジェイは同性愛者だと、俺は全く聞いてなかったが…………そうか。恐らく、東郷側で口止めが入っていたんだろう……俺も今、会見を見ている…………ジェイの恋人について、何か分かっていることは無いのか?」
 彼自身、ジェイがゲイだと言う情報を、今回の件で初めて知ったらしい。
 改めて聞いてみると、周囲にも個人的に情報を持っていた者は、極少数、存在していたものの、何故だか全く表には出て来なかった。
 その詳細を問いかけてみても、やはり、ハッキリとした答えは返ってこないらしい。
 此処でも変わらず、うやむやになってしまうジェイのプライベートに関する情報は、彼の恋人についても同様で、世間に情報が認知される前に、既に禁忌扱いになってしまっていた。




「…………判明しているのは『一稀』という、名前だけなのか?…………あぁ、その辺りは想像がつく。恐らく、これ以上は無理だろうな」
 今回の事件に関しては、既に東郷家と警察双方から、かなり強い報道規制がかかっていた。
 東郷家側からは、ジェイの恋人である「一稀」という名の男に関して、一切の報道を認めないと圧力が掛かってきたし、警察は「捜査上の理由」の一辺倒で、簡単な時系列の説明があっただけで、事件の詳細についての発表は無いらしい。
 もっとも、ジェイの恋人に関しては、元からほとんど情報を集められずに終わっている。
 現時点で分かっているのは、「一稀」という名前と「20歳前後」という年齢のみで、他は「何も掴めていない」と、いつになく困惑気味の声が返ってきた。


 頑なな東郷氏の受け答えを見る限り、やはり何か裏を感じる。
 東郷氏がジェイの恋人である一稀を認めていないのではなく、むしろ、彼の存在を庇っている様にしか思えなかった。
 今頃は恐らく、傷を負ったジェイと共に、彼が担ぎこまれた病院の中で厳重なガードに護られているに違いない。
 ……やはり噂通りに、今回の事件で狙われていたのは恋人の方で、ジェイは彼を庇って刺されたのかもしれない――――
 そう考えるのが自然だろうと、話を聞きつつ結論付けた。




 相変わらず団結力の強い、あの街の住民達は、警察の捜査には大人しく協力しているものの、マスコミの取材には一斉に硬く口を閉ざしている。
 唯一、報道陣に対して、恋人の話や風俗街でのジェイに関する情報を流してくれた「タカ」と名乗る男とも、一度だけ取材に応じてくれたものの、それっきり連絡が取れなくなってしまったらしい。
 何の確証も無いけれど、多分、あの界隈にいる誰かを怒らせてしまったんだろうな……と、今回の事件同様、依然として実態が判明しない集団の不気味さに、思わず顔を顰めてしまった。


 ジェイの恋人の名前と年齢が分かった程度で、結局、目新しい話は出てきそうに無い。
 納得して電話を切ろうとした瞬間、受話器の向こう側から問いかけてきた声に、軽く鼻で笑ってしまった。
「あぁ、そうだな。ああいうヤツに俺の周りを彷徨かれても困る。消しておいてくれ」
 暗黙の了解を破って東郷氏にジェイの恋人についてを質問した男は、何処かの雑誌社か何かが雇った、フリーのルポライターであるらしい。
 随分と若いヤツだったから特ダネを狙って勇み足になったか、若さ故の直情的過ぎる正義感で、聖域にメスを入れたつもりなんだろう。
 未熟な情報収集能力の為、「一稀」の名を手に入れてなかったおかげで命拾いした事を、奴は一生、知る事はない。
 あの場で一稀の名が出てしまったとすれば、いくら温和な東郷氏と言えど、彼の怒りに触れて何事もなく終わる筈がなかった。


 俺としては、おかげで新しい情報を手に入れたから、今後を考えると放置する気にはなれないものの、本当の命を奪うほどでもない。
 ルポライターとしての命が終わってしまった若い男は、次は、スキャンダルをも売名行為に利用する逞しい芸能人を相手に、丁々発止の暴露合戦を繰り広げれば良いだろう。
 俺の周囲を嗅ぎ回る事さえなければ、あの男が何処で何をしていようと、俺には一切、興味の対象にすらならなかった。






 一人の記者の暴走によって、半ば中止状態で終わった記者会見を眺めながら、手に入れた情報の取捨選択に取り掛かる。
 沢山の情報を纏めていっても、結局、最後には以前から感じているのと変わらない、一つの感情に行き当たってしまった。


 東郷家の圧力だけとは思えない何かが、ジェイの周囲を強固なまでにガードしている――――
 それが一体何であるのか、現時点では全く見えてこなかった。


 何処かに潜んでいる慶と連絡が取れない以上、一稀に関する情報は得られそうにない。
 ――――あの街を訪れていれば、ジェイの恋人にも逢えていたんだろうか……?
 答えが分かる筈もない、そんな事をふと考えながら、新しく届いた小林からのメールに、無言で視線を走らせていった。





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2010/07/25  yuuki yasuhara  All rights reserved.