Eros act-4 09

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 賑やかに話しながら事務所を後にする皆の背中を、ジェイの隣でソファに座ったまま、かける言葉も見つからず、只、無言で見送った。


 パタンと音を立ててドアが閉まるのを見届けても、まだ気分がソワソワして、どうしても落ち着いてくれない。
 隣に座っているジェイも、腕を組んで前をきつく見据えたまま、無言で何かを考え込んでいる。
 思わずそんな彼の横顔をジッと見詰めると、それに気付いたジェイが、穏やかに微笑んでくれた。
「どうした、一稀。何か気になる事でもあるのか?」
「ん……そうなのかな。『気になる』って言うか、すごく落ち着かない感じ……」
「そうか。今までには無かったパターンだし、落ち着かないのは仕方ないが。一稀が直接、何かしらの被害を被る事はねぇよ。心配するな」
 普段と変わらない口調で、キッパリと言い切ってくれたジェイが、そっと肩を抱き寄せてくれた。




 彼が大丈夫と言ってくれるだけでも安心出来るけど、こうやって直接身体で触れ合う方が心地良いし、何となく気持ちも安らいでくる。
 ジェイの肩口に頭を乗っけて、ぼんやりと事務所の中を眺めていると、空いたソファに並んで腰を下ろし、ティコとボソボソと話し合っていた中川が大きな溜息を吐いた。


「深水と言う名前に関しては、俺は心当たりが全く無い。ティコも聞き覚えが無いらしい。慶が話していた通り、本名は使ってない可能性が高いだろう。顔を見れば分かるかもしれないが、名前だけでは見当もつかない」
「少なくとも俺が持ってた常連さんに、そういう名前の人はいなかった。偽名を名乗ってるのかもしれないし、他は通称とか、あだ名で呼ばれてるのかも。誰かの紹介で来た人だと、その人が呼んでる言い方で覚えちゃうからさ。本名を知らないお客さんって、改めて考えてみれば結構多いんだよなぁ」
 俺は忙しい時に料理を運ぶ手伝いでしか表に出ないし、ジェイが個人的に仲の良い人達が来た時に、ボックス席で一緒に飲んだりする程度だから、お店に来る普通の客と接する機会なんて、ほとんど無いに等しい。
 だから「深水」って名前も、聞き覚えが無いんだろうなと思っていたけど、それはティコや中川も同じだったらしい。
 彼等が名前だけで思い浮かばないんなら、俺が幾ら考えても思い出す筈がない。
 ジェイを相手にボヤいている二人の会話を聞いていると、無言で考え込んでいたジェイが中川の方に改めて視線を向けた。


「慶の話じゃ周囲にも隠しているそうだし、此処でも用心して偽名を使っているんだろう。いずれにしても、同性愛者だと公言していないのなら、今回の件に絡んでいる可能性は低い」
「確かにそうだな。藤原の側近なら進出話も聞いてるだろうし、身内に見つかるのを警戒して、今はもう、この周辺に顔を出してないかもしれない。深水に関しては、あまり詮索する必要は無いか」
「今の所、頭の隅に留めておく程度で良さそうだな。必要となれば、慶にソイツの隠し撮りでも頼めば良い。ついでに藤原の様子も探ってきて貰おう。藤原については、何か情報を持ってないのか?」


 中川自身は此処の店長で、毎日、店と自宅との往復ばかりだけど、彼の実家は警察官とか、そういう類の人達が多いと聞いた事がある。
 俺が怪我した時も、タカ達の事を色々と調べてくれたそうだし、彼の実家にもよく遊びに行くティコによると、他の兄弟達は皆、とても優しいけど真面目そうな人達ばかりだと言っていた。
 初めて聞いた時は少しビックリしたけど、俺からすれば中川も充分真面目な人だと思うから、直ぐに納得してしまった。
 その兄弟達から何か聞いてないか? って事なのかなぁ……と、ジェイの質問の意味を、彼に寄りかかったまま考えていると、俺と同じ様に考え込んでいた中川が、何かを思い出した様な表情を浮かべた。


「もう随分と前だが……チラリと会話に出てきた気がする。何となく聞き覚えがある名前だと思ったが。多分、台湾マフィアの件だろうな。兄貴から聞いたんだろう」
「そうか……一応、名は挙がってるのなら、やはり注意した方が良さそうだ」
「近いうちに確認して来よう。確か、向こうの風俗店での揉め事に台湾の連中が絡んでいて、それで『此方の界隈はどうだ?』って感じの話だったと思う」
「なるほど。爺さんが話していた通り、連中を実行役に使っているのは間違いなさそうだ」
「俺達とは無関係だと思っていたからな……そう答えた筈だし、詳細を聞いた記憶も無い。兄貴にも奴等の動向に注意する様に伝えておく。今後は何をしでかすか、まったく予想もつかないからな」
 そう話し続ける会話を聞いているうちに、無意識に力が入ってしまったらしい。
 ジェイの服をギュッと握り締めていた拳を、彼に優しく撫でられて初めて、自分がそうしていた事に気付いた。


 彼の傍にいるから平気だけど、それでもやっぱり、気持ちがどうしても静まってくれない。
 自分でもハッキリと理解出来ない不安感に戸惑いながら、話し続けている二人の会話を、ジェイに静かに寄り添ったまま、ずっと無言で聞いていた。






*****






 ベッドに入ってきたジェイの身体に、自分からギュッと縋りつく。
 普段から彼に触れてるのが一番好きではあるけど、いつもと少し違う気持ちで、彼と抱き合う瞬間を待ち侘びていた。
 それを軽く受け止めてくれたジェイにキスを強請ると、彼は一瞬、ほんの少し驚いた様な表情を浮かべた。
 でも、それは直ぐに消えて、いつも通りに深いキスで応えてくれるジェイに抱きつき、彼の背中に腕を廻した。


 はっきりと言葉で伝えなくても、俺の気持ちは彼に伝わったらしい。
 唇を貪りながら服を剥ぎ取り、脇腹を滑っていく彼の掌から施される、すっかり肌に馴染んでしまった愛撫を感じた瞬間、ほんの少しだけ、浮き足立っていた気持ちが落ち着いてくる。
 あんな気持ちのままで眠りにつくなんて嫌だから、こうして肌を合わせて、頭の中を大好きな彼で一杯にしてしまって、普段と同じ幸せな気持ちで、ジェイと一緒に眠りたい――――
 家に戻ってきてからずっと、その事ばかりを考えていた。






 ジェイから受ける愛撫に不満を持った事なんて、今まで一度もなかった。
 いつも気持ち好くて暖かくて、彼と抱き合ってる最中に「こうして欲しいのに……」とか考えるなんて、そんなの想像すらした事がない。
 それなのに、今、身体の上を辿っていくジェイの愛撫が、本当にもどかしくてしょうがない。
 時々ふざけて俺に意地悪する時みたいに、頭の中が空っぽになる位、荒々しい愛撫で激しくして欲しいのに、それとは全然反対の行為ばかりで、どうしようもなく苛立ってきた。


 穏やかな愛撫も好きだけど、それだけじゃ、あの気持ちが治まってくれそうにない。
 本当に丁寧な、じれったい位に穏やかな愛撫に痺れを切らして眸を開けた瞬間、ずっと顔を覗き込んでいたらしいジェイと、真正面から視線が合った。




「――――……ジェイ、……」
 絶対に、俺が何を思っていたか気付いている筈なのに、彼は怒る所か、むしろ哀しそうな表情で黙り込んでいる。
 初めて目にする彼のこんな様子に戸惑いながら、そっと小声で呼びかけると、ジェイがベッドから抱き起こしてくれた。
 そのまま無言で俺の身体を支えていた彼が、膝の上に座らせてくれる。
 素直にそれに従い、彼と向き合って座り込んで、もう一度ジッと顔を見詰めてみると、軽く頬を緩めた彼が、大きな身体で柔らかく、でも、しっかりと抱き締めてくれた。


「悪かったな、一稀。お前を怖がらせるつもりはなかった。いずれにしても、一稀にも知らせておく必要があるし、皆と一緒に聞いておいた方が良いだろうと思ったんだが……」
「……ジェイ?」
「家に帰ってゆっくりと、要点だけを話すべきだったな。全部を聞かせ、驚かせてしまって悪かった。だが、一稀は何も心配しなくていい。お前に危害が及ぶ事はねぇよ。不安に思わなくても大丈夫だ」
 腕の中にしっかりと抱き締め、いつもと同じ様にゆっくりと背中を擦りながら、ジェイがそう耳元で囁いてくれる。
 暖かな彼の身体に包まれて、穏やかで優しい声を聞いているうちに、何故だかポロポロと涙が出てきた。


 唐突に泣き出してしまった俺を見ても、彼は驚いた様子もない。
 頬を伝う雫を指先で優しく拭ってくれている、涙で歪むジェイの顔を見詰めながら、俺は怖がっていたんだ……と、ようやく自分でも気が付いた。




「――――ジェイは悪くない……だって、皆だけ集まってるのに、俺だけ呼ばれなかったら……それは嫌だって、思うから……」
「そうだな。俺もそう感じたから、一稀も一緒に……と思った」
「俺、……ちょっとビックリしただけ……だから、聞いたのは悪くない……」


 本当にジェイは何も悪くないし、逆に、皆が話し合っているのに俺だけ呼ばれず、仲間はずれにされたら、ソッチの方が寂しくて嫌だと思う。
 だから、その気持ちを彼に話しておかなきゃと思うのに、喉が勝手にヒクッとして、全然上手く話せなかった。
 子供みたいで情けないと思うけど、ジェイは笑ったりする様子もなく、優しく髪を撫でてくれる。
 いつも通りの掌の動きを感じて、また余計に涙が出てきた。


「学校に登校する時は、俺か田上が車で送り迎えをしてやる。此処から店に向かう時も、必ずティコか中川と一緒になる様に頼んでおく。二人の都合が悪い時は、三上に頼む様にしよう。いつも誰かが傍にいるから、お前が外で一人になる時間はない。それなら安心だし、怖い事もないだろう? だからもう心配するな」
 ジェイがそう言ってくれるから、ちゃんと返事をしたいのに、泣きじゃくってて声にならない。
 だから何度も頷いたら、楽しそうに笑った彼が、また頬の涙を拭ってくれて、目元に軽くキスしてくれた。




 全然自覚は無かったけど、無意識にタカに襲われた時の事を思い出して、頭の中で「怖い」と感じてしまったのかもしれない。
 それとも、マフィアとかお店を潰すとか……そういう今まで聞いた事のない、思いがけない話に驚いたのかもしれないけど、自分で「俺は怖がってるんだ」と気付いた瞬間、もう、そんな気持ちは完全に消えようとしていた。
 俺自身が気付いてなかったのに、「一稀は怖がってるんだな」って気付いたジェイは、本当に凄いと思う。
 すごく優しくて、何でも知ってて、俺の気持ちまで全部分かってる彼に抱かれて、急に胸の中がスッと軽くなってきた。






 ようやく涙も止まってきた身体を、ジェイがベッドにへと横たえてくれた。
 一緒に寝転んでくれた彼に抱き付いて、いつも眠る時にやってるみたいに、大きな胸元に甘えてみた。
 ギュッと抱き返してきて、頬に沢山キスしてくれるジェイの体温に包まれていると、本当の意味で普段と同じ様に、気持ちがスッと落ち着いてきた。


 嫌な事を忘れる為に、がむしゃらに抱き合って疲れ果てて眠るより、こうして本当に落ち着いた気持ちで眠る方が、何倍も良いに決まっている。
 強引な俺の誘いを理解して、全部分かって一番安心出来て落ち着く事をしてくれたジェイの気持ちに、別の意味で涙が出そうになってきた。




 優しく背中を擦ってくれていた彼の掌が、ゆっくりと前の方に廻ってくる。
 いつの間にか、また力を無くしてしまっていたモノを、そっと優しく握り込まれ、思わず軽く喘ぎ声を溢した。
 胸の奥につかえていたモヤモヤも無くなり、大きな掌から施されるいつも通りの愛撫が、本当に心地好い。
 直ぐに元通りに硬く勃起してしまった、俺の一番敏感な部分を弄りながら、楽しそうに微笑んだジェイが、軽くキスを落としてくれた。


「嫌な事を忘れる目的でも良いが、せっかく二人でやる事だからな。楽しい方が良いだろう」
「うん、俺もそう思う……やっぱり、コッチの方が良いな」
 穏やかに諭してくれるジェイの言葉に素直に頷き、また抱きついてキスを強請った。
 それに応えてくれる彼と、深く舌を絡ませ唇を重ねたまま、勃ち上がった俺のモノを弄っている彼の同じ部分に、指先を伸ばしてそっと触れた。


 激しいのも穏やかなのも、どっちにしても、ジェイと抱き合ってれば安心出来るし、怖い事なんて何も無い。
 だから、こうする時間がある限り、俺は何にも心配しなくて大丈夫なんだな……と改めて思いながら、快感に硬く猛ったお互いのモノを愛撫し合い、沢山のキスを重ねていった。






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2010/04/13  yuuki yasuhara  All rights reserved.