Eros act-4 08

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「それは当然だろう。顔も見せずに店を出そうだなんて、馬鹿にしているとしか思えない。認めるとか受け入れるだとか、それ以前の問題だな」
 実際に藤原に会った事のない麻紀にとって、文字通り「それ以前」なレベルの不快感なのは当然だと思う。
 もっとも、彼と面識があるのは、俺や慶など本当に限られた極一部の者達だけで、ほとんどの連中は彼の名前すら知らない。
 そう考えると麻紀や一稀が示す警戒心の方が、この街で過ごす皆がこの話を耳にした場合の、大方の反応になるだろう。
 感情もあらわに憮然と言い切った麻紀の様子に、慶が苦笑しつつ彼を見詰めた。


「麻紀の気持ちは分かるけど、その部分に関しては怒らなくても大丈夫だよ。僕達を軽く見てるつもりは無いと思うな。向こうの町でも顔を出した事はないし、それが彼の中では当たり前の事なんだよね。だから、僕達みたいに客やボーイ、オーナーを問わず、全員の距離が近い関係ってのが、多分、理解出来てないんだと思う」
「まずソレだな。今までと同じ考えじゃ、絶対に無理だろう。しかも今まで聞いた話から考えると、そのまま一店舗のみで終わるとは思えない。あちこちに手を広げて侵入し、向こう側の街でやってるのと同じく、裏で全てを自分の手中に治めたいんだろうな」
 自分が一番上でないと気に入らない性格で、実際に街の中枢に陣取っている麻紀にとって、余所者からそういう気配を感じるだけで不快な事に違いない。
 何とかして宥めようと説明を続ける慶の言葉にも耳を貸さず、ひたすらに不機嫌さ全開な麻紀の姿を眺めながら、何故だか急に、この場の雰囲気とは不似合いな、穏やかな気持ちになってきた。




 ある一定の線を越えてしまうと、途端に冷静さを欠いて感情的になってしまう麻紀の性格は、唯一で最大の欠点ではあるけど、逆にそれが憎めなくて、可愛らしく思ってしまう部分でもある。
 そんな麻紀の怒りを静めようと、あれこれと説得する慶の姿も、今ではもう、すっかり見慣れた光景になってきた。


 微笑ましささえ感じてしまう、こんな光景が持つ意義を、きっと藤原は知らない。
 長い付き合いがあるらしい慶や武内代議士にさえ、あんな表現をされてしまう彼の姿に、ほんの少しの物悲しさを感じながら、賑やかな二人のやり取りを暫し眺めた。
 藤原が仕切る通りを隔てた向こう側の世界では、こんな光景なんて考えられない事なんだろう。
 良い所も悪い所もお互いに隠す気なんて更々無く、慶が言っていた通りに客や経営者を問わず、この街で過ごす全員が本気の感情をぶつけ合い、毎日を過ごしている。
 藤原がこの関係性に気付いた時、今と同じ様に興味を持ってくれるのか。
 それとも、生温いと嫌悪感を抱くのだろうか――――
 ふと、そんな疑問が脳裏に浮かんでくるのを感じながら、二人の方に視線を向けた。




「良い悪いは別にして、藤原が界隈を支配しようと考えて乗り込んで来るのは当然だろう。アイツが思う物事の価値観が、ソコに在るだろうからな。この街では『それは通用しない』と、先ず教えなきゃだろうが……一番の懸念は、痺れを切らして実力行使に出てこないか? って事だ」
 麻紀の気持ちも分かるけれど、彼の気が治まるまで愚痴を聞いている余裕は無い。
 とりあえず話を進めようと話しかけると、案外あっさりと非難の矛先を収めた彼が、真剣な面持ちで頷いてきた。
「確かにそうだな。話を聞いた限りでは、そういう手段を用いる事に抵抗を感じない奴だと思える。潰しにかかってくる可能性が大きいだろうな」
「今の状態のままだと、そう出てくる確率は高い。慶の店が成功してるのは調査済だろうし、今回は彼も自信を持っての進出だろう。早く結果を出し、一気に手を広げたい筈だ」


 ビジネス的な戦略として様々な手段が考えられるものの、いわゆる口コミ的な要素が強い風俗業では、物珍しさで皆が興味を持ってくれている間に一気に手を広げた方が、有効なパターンが多い。
 元々は売れっ子の売り専ボーイだった麻紀や、自分の店を出す前にあちこちで散々遊び倒して、皆にも顔を知られていた俺はともかく、慶は彼自身の人間的な魅力と話術を武器に、性的なサービスを一切行わない穏やかで居心地の良い店を出し、瞬く間に人気店にのし上がった。
 自分自身を客観的に分析出来る、慶ならではの成功劇ではあるけど、彼をよく知る藤原は、恐らく第一に慶の店を参考すると思われる。
 藤原の店で接客業のノウハウを覚えた慶だから、彼の目から見ても、ある意味、店の戦略的にも理解しやすいだろうし、俺達が気付かないだけで、向こう側の接客業に通ずる部分もあるかもしれない。
 だから、いきなり人気店へと名を上げた慶の手法に近い物を考えている――――とりあえず、それを念頭に置いておく必要があった。


「昔のよしみもあるし、売り専クラブを出すつもりなら、慶の店には手を出さないだろう。ターゲットとして考えられるのは、俺かジェイの店だろうな」
 そう呟いた麻紀の言葉に、考えるまでもなく頷いた。
「恐らく、そうなるだろうよ。売り専で真っ先に名前が上がってくるのは、この店かサテンドールだ。どの形態を考えてるのかまでは聞いてないが、まぁ、俺達のいずれかが邪魔になってくるのは間違いない」
「表向きは真逆だからな。彼がどちらを選択するかも予想が付かないし、今の状態では対処の仕様がない。それより問題なのは、彼がどう動くタイプなのか? だよな。出店する前に邪魔者を先に潰しにかかるタイプだと、少々厄介だと思う」
「まぁな。その辺りに関しては、俺の方で調べておく。無許可の店舗に関しての調査は時間が必要だが、届出がある店舗の場合、単純に動きを見るだけでも状況は掴めるだろう」
「言えてる。同種の撤退が相次いだ後に藤原絡みの店が開店していれば、やっぱり何かあるんだろうからな」
 自分には全く関係の無い世界の噂話だと思っていたから、藤原の話題が出たとしても、あまり真剣に聞き入った事はない。
 とはいえ、調べれば直ぐに判明する程度の事だし、そもそも今は、この程度しか判断材料が無さそうに思う。
 あの時、もう少しだけ彼と話が出来ていれば、せめて店の傾向程度は掴めていたかもな……と残念に思っていると、無言で考え込んでいた慶が、ふと視線を向けてきた。


「藤原さんが実行役で使ってるのって、台湾の人達だっけ?」
「そうらしいな。爺さんの情報だから確実だろう。アイツ絡みで心当たりでもあるのか?」
「いや、全然。僕が会ってる最中には、そういう雰囲気の人達は来なかったからさ。きっと、僕の知らない取り巻きも沢山いるんだろうな。僕のお店にくるお客さんで、台湾出身の人が何人かいるんだ。彼の事は知らないと思うけど、一応、それとなく聞いてみようかな……」
 パーティ会場で目撃した藤原の様子と同じく、やはり普段から強面をガードに置いている訳じゃない様で、何度も彼と話をしている慶でも、この件については感知していなかったらしい。
 神妙な面持ちで、やたらと幅広い知人の中から、何か情報を持ってそうな人物を探し出そうと考え込んでいる慶の方を見詰めながら、それまで黙って話を聞いていた祐弥が、楽しそうに頬を緩めた。


「あ、それなら俺が聞いてくるよ。多分、皆が聞いて廻るより色んな裏情報も入手し易いと思うな。コレに関してだけは、慶さんより情報通だからさ。ソッチ方面は俺が調べてくる」
 台湾系に関しては、かなり得意分野であるのか、キッパリと言い切った彼の言葉に、つい軽く笑ってしまった。
「何だ、随分と自信満々だな。そんなに知人がいるのか?」
「まぁな。知人が多い……っていうか、同胞だからさ。俺も台湾出身なんだよな。すっげぇガキの頃にコッチに来たし、ほとんど日本人同然なんだけどさ。学校だけはアッチ系のに通ってたから、今でも台湾人の友達が多いんだ。意外と狭い世界だし、多分、ほとんど行き当たると思うな」
「なるほど、それで麻雀が好きなのか。翔から聞いたが、暇つぶしはソレばっかりだそうじゃねぇか。やはり遊び慣れているのか?」
 彼が台湾人だったとは初耳だけど、特に隠している訳じゃなさそうだし、そもそも、見た目だけで混血だと分かる俺を相手に、話すのを躊躇う内容でもない。
 気負った様子も無く、さらりと教えてくれた祐弥に問いかけると、彼は楽しそうに笑い出した。


「ひでぇな、ジェイ! それ、すっごい偏見だぜ。『アメリカ人は一日三食、ジャンクフードばかりを食べている』ってのと同じ位、強引な理屈だと思うな。ってか、翔も最初に話した時に、似たり寄ったりの事を聞いてきたしさ」
「そうか? 確かに、それは凄い偏見だな。しかも、翔と同じってのは気に入らねぇな。撤回しよう」
「まぁ、間違ってないんだけどさ。家族で遊んでたから、自然と覚えたのも事実だし。一番好きな遊びなのも確かだから、やっぱりイメージ通りかも」
 元々が個人的な事柄を詮索しない場所ではあるし、外国人が珍しい界隈でもない。
 俺と違って一見では分からないアジア系の外国人だし、率先して話す事でもないから今まで聞いてなかっただけで、もしかしたら周知の事柄だったのかもしれない。
 自分の得意分野で役に立ちそうな事を見つけ、満足気な祐弥の隣で、麻紀も軽く頬を緩めた。


「翔は接客中で酔っ払ってるし、全然役に立ちそうにないから、代わりに祐弥を連れてきたんだけど。こういう話なら丁度良かった。俺から頼む手間が省けたし細かい話まで分かっただろうから、良い情報が出てくるんじゃないかな」
 そう話す麻紀に向かって、慶も安心した様子で頷いた。
「本当にそうかも。やっぱり、僕達が聞いて廻るよりかは、皆も話してくれるだろうしさ。それより、翔の『接客中なのに酔っ払ってる』って何の事?」
「指名されて戻ってきた後、今度はバーで一緒に飲み始めてさ。ジェイの店から翔を追っかけてきた連中って、皆、そんな感じなんだよなぁ。金払いは良いし別に問題は無いけど、もうベロベロに酔い潰れるし、身体は大きいし……で、家まで連れて帰るのが大変。ちょっとは限度を考えて欲しいよな」
「へぇ、そうなんだ。個室制だし、酔いが醒めるまでお店に泊まらせておけば?」
「それも考えたけどさ。翔も一緒に帰りたがるし、やっぱり放置するのも気が引けるんだよな。週に一度あるかどうかな程度だから、一応、何とか連れ帰ってる」


 翔がこの店で勤めていた頃と同じ光景が、麻紀の店でも相変わらず繰り返されているらしい。
 もっとも、ソコまで泥酔状態になるのは翔と彼の常連客だけで、他の奴等がそこまで飲み明かしている光景なんて、滅多に見かけないと思う。
 この店で勤めていた頃は、仮に酔い潰れたとしても、別荘にまで拓実や橋本達が連れ帰っていたから、その名残があるのかもしれない。
 上機嫌な酔い方だから問題はないけど、小柄な麻紀じゃ確かに手に余るだろうな……と少々気の毒に思いながら、それとない非難の視線は無視して、祐弥の方に視線を向けた。




「友達ってのは一般人なのか? マフィア絡みの話が欲しいが、その方面はどうだ」
「問題なし。台湾マフィアに知り合いがいるんだ。あいつ等、日本のヤクザみたいに看板出してねぇだろ。多分、馴染みの無い日本人が見ても、区別出来ないと思うな。皆、表向きは普通に大人しくしてるからさ」
「言われてみればそうだな。この界隈に出入りしてると告げる事になるだろうが……それは平気なのか?」
「大丈夫。台湾人って元々同性愛に寛容なんだよ。だから皆も、俺がゲイでココで働いてるってのは、もう既に知ってる。逆に、香港の奴等は偏見持ってる場合があるから、相手を見て話さなきゃだけどさ」
「そうなのか? そういう事情は知らなかった。のんびりと調べている余裕も無いし、お前に任せるのが一番良さそうだ」


 アメリカとカナダの区別がついていない日本人が多いのと同じで、さほど変わりなく思えるアジア諸国も、細かな違いがあるらしい。
 そもそも、マフィア連中からして出身地に拘って細かく分裂している位だから、余所者の俺達が何かを問いかけた所で、そう簡単に気を許してはくれないだろう。
 偶然だけど適任者が見つかりホッとした所で、慶と三上を相手に、酔いどれた翔の事をブツブツと愚痴っていた麻紀が、ようやく此方に視線を向けてきた。


「コッチの方は、とりあえず祐弥の情報待ち……って感じだな。俺の方では仲介屋に話を付けておく。詳細が判明するまで、容易に入り込んで欲しくない。先ず、出店する場所が無ければ、少しは時間稼ぎになるだろう」
「おでん屋台のオヤジか。そういや、アイツも極道者だったんじゃないか?」
「元々はね。コッチの界隈の方が肌に合うみたいで、すっかり居座ってるけど。翔の酔い醒ましがてらに、帰りにでも立ち寄って話をしておこう」
 法的な手続きなど崩壊しているこの界隈では、各部門に顔利きが存在していて、不動産関連では、麻紀が顔馴染みの「元ヤクザ者な、おでん屋台のオヤジ」が一番幅を利かせている。
 自らもゲイだったその男は、若い頃は他所の不動産関係で稼いでいたものの、この界隈の居心地の良さを気に入ってしまって、結局、そのまま居ついてしまった。
 不動産関連に強いんだから、好条件な場所で店を構えれば良いのにと思うけど、逆にああいう場の方が、皆も気軽に飲みに来るから情報を得やすいらしく、今でも呑気に屋台のおでん屋をやりつつ、空き店舗を転がして界隈で遊ぶ金を稼いでいる。


 彼等の存在意義は全く無いけど、又貸を重ねている物件の所有者を探し当てるのは面倒だし、何かしらのトラブルが生じた場合も、結局、その道のプロな彼等に任せた方が楽でもある。
 それに彼等みたいな連中は、この界隈で稼いで、この街の何処かに金を落としていくから、皆もさほど気にしていないらしい。
 あのオヤジを抜きに、界隈の空き物件を探し当てるのは困難だし、麻紀の言う通り、少しは時間稼ぎになるかもしれない。
 その間に、彼の出店傾向を探らねば……と考えていると、慶と三上が静かに立ち上がった。




「今日、決められるのはココまでかな。僕の方でも、何か動きがあれば連絡するね。向こうの友達にも訊ねてみる」
「そうだな。悪かったな、意外と時間を取らせてしまった」
「大丈夫、僕達の街が関わってくる話だから、重要な事だもんね。あ、そうだ。本当は藤原さんのゲイの知り合いって、僕一人じゃない。もう一人、彼の部下に『深水』って人がいるんだけど、彼も完全に同性愛者なんだよね。でも、本人が必死で隠してるから。きっと、今でも知らないんじゃないかな?」
 ふと思い出したらしく、立ち上がったまま手を止めて話し始めた慶を、ソファに座ったまま見上げた。
「まぁ、よくある話だろうな。藤原に近い人物なのか?」
「そうだと思う。色々と動いてるみたいだけど、基本的には秘書扱いなのかな。身体の大きな人だし、緊急時のボディガードも兼ねてるんだと思うな」
「側近の一人か……慶はソイツとも交流があるのか?」
「全然。お互いに顔を知ってる程度かな。さすがに僕の店には顔を出し難いみたいで来ないけど、ココや麻紀の店では遊んでると思う。街中でも結構、見かけるからね。この街で本名を名乗ってるかどうかは分からないけど、多分、顔を見れば、ジェイと麻紀も分かるんじゃないかな」
 そう話し続ける慶の言葉を聞きながら、麻紀と祐弥も立ち上がった。
 其々の店が営業中の時間帯に呼び出したから、あまり長時間引き止める訳にもいかない。
 お互いに調べる事を確認しつつ、帰る支度をしている彼等を眺めていると、バッグを肩にかけた慶が、楽しそうに微笑んだ。


「藤原さんも察しの良い人だと思うけど。近くに同性愛者がいても、意外と気付かないんだろうね。僕みたいに女の子っぽくしてたら分かりやすいんだろうけど」
「それは仕方ないだろうな。理解しているつもりでも、同性愛者なんてほんの一握りの少数派だと思い込んでいるんだろう」
「そうかもね。藤原さんも実際に街の中に入ったら、本当に驚くんじゃないかな? 知り合いが沢山いてさ。武内先生に、ジェイや政財界にも大勢いるし。自分の部下だってそうだから。それに気付いたら、少し考えも変わるだろうね」
 そう話した慶の言葉を、思わず苦笑いで受け止める。部屋を後にする皆の後姿を眺めたまま、また暫し考え込んだ。




 藤原の進出を完全に拒否してしまうのか、それとも、彼を受け入れるのか――――未だに本心では決めかね、色々と迷っている。
 それは慶や武内代議士もそうだし、話を聞いて内心焦りまくっているだろう、藤原の腹心で隠れゲイな深水という男も、きっと同じだと思われた。
 とはいえ、このままいつまでも迷っている訳にもいかない。
 何かと賑やかではあるけど、それなりに平穏だった街に降りかかった問題について考えながら、皆の反応を一つ一つ、丁寧に頭の隅に置いていった。






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2010/03/22  yuuki yasuhara  All rights reserved.