Eros act-4 10

Text size 




 もう数ヶ月が過ぎようとしているのに、こんな報告しか出来ない事実に、彼自身が戸惑っているのが伝わってくる。
 ここまで進展が見えない事案なんて初めてだろうし、既にもう、打つ手が無くなりつつあるのかもしれない。
 苛立ちを懸命に抑えた口調が目立った前回と違い、むしろ淡々と、内容に変化のない報告を続けている姿を見詰めながら、彼と同じく戸惑いを感じた。




「場所すら見つからない……か。空き店舗自体は存在しているんだな?」
「はい。実際に足を運んで、物件そのものは数ヶ所確認しています。ですが、その後の交渉すら出来ない状態です。まだ該当の人物は判明してないのですが、どうやら仲介屋がいるらしい事は掴んでいます。恐らく、ソイツが『無断で転がすな』と」
「その可能性が高いな。いずれにしても組関係の奴だろう。小林は、その筋の知人が多いだろう。調べは付かないのか?」
「今現在も情報収集には動いてますが、もう少し時間は必要かと。勿論、極道連中も街中に入り込んでますが、いずれにしても個人単位が多い様で、組織的にあの界隈を仕切っている団体はありません。基本的に男の同性愛者しかいない界隈ですから。あの街の場合は特に、職種云々よりも、そういった嗜好の奴等が集まって、個々の得意分野で稼いでいる状態です。何から何まで単独で動いている奴等ばかりですし、その中にいる何人かを捉まえた所で、誰とどう繋がっているのかが……それに『同性愛風俗』という面から考えても仕方ない事ですが、パーソナルな部分を伏せている者がかなり多い様です。一個人として存在はしていますが、お互いの素性を知らないまま、交流を続けている部分も多いらしく……」


 言葉を続ける小林の話を聞きながら、無意識のうちに顔を顰めていた自分に気付く。
 確かに、言われてみれば当然至極だと思うものの、そこまでは考えが及ばなかった。
 その事実が判明した時、彼も同じ気持ちを抱いたに違いない。
 男ばかりの極少数の、限られた者達だけで形成された集団が、ここまで頑なに部外者を拒むとは、全く予想だにしていなかった。




 先月からほとんど進展の無い報告を終えた後も、眉間に皺を寄せたまま無言で考え込んでいる彼の能力が、決して劣っている訳ではない。
 実際、今現在も順調に展開し続けている風俗系店舗の約半数は、小林が場所や人材の選定から開店までを手掛けたものだ。
 やり手な飲食店専門の経営コンサルタントとして名を馳せていた小林は、俺の元に身を移し、その活動の場を風俗店コンサルティングに変えてからも、充分にその手腕を発揮している。
 その彼が途方にくれた表情を浮かべ、こんなに苦戦している姿なんて、今まで一度も見た事がなかった。


 もっとも、何の情報も得る事が出来ぬまま、問答無用で任を解かれた前任者達と違い、冷静に状況を分析出来ただけでも評価すべきだと思える。
 彼が手をかけているのに暗礁に乗り上げている事案など、他に任せ得る人物は思い浮かばなかった。




「正攻法で向かう必要はない。此方側から、あの界隈にまで通じている者はいないのか? 慶みたいな立場でも良いだろう。そこから何か糸口が掴めるかもしれない」
 コレ位の事は考えているだろうと思うものの、念の為、言葉にして問いかけてみた。
 先日、彼の報告を受けた際に伝わってきた苛立ちと同様、思い通りに進まない事柄に我を忘れている瞬間は、案外、本当に簡単な事が頭に浮かんでこなかったりする。
 そう考えて発した問いに、小林は苦笑しつつ首を振った。
「お気遣い、ありがとうございます。幾人かは心当たりがありまして、既に働きかけていますが。皆一様に口が重く……基本的に公言したくない様ですね。特に、あの界隈に関する情報となると、ほとんど何も出てこない状態です」
「そうか。組織的に仕切っている団体が無いと言っていたな。逆に、此方から送り込むのも手段かもしれない」
「はい。それも考えましたし、実際に他のゲイタウンでは、団体が仕切っている所も存在しています。只、その方が珍しいパターンな様ですし、あの界隈は正直な所、ヤクザも大掛かりな介入を嫌がる傾向があります。揉めた場合の落とし前の付け方が、少々変わっているそうなので……さすがに腰が退けてしまうらしく」
 微妙に口篭った彼が、言いたかったであろう内容を想像した瞬間、思わず頭を抱えてしまった。


 肉欲の相手までもが男だけの世界というのは、本当の意味で未知の領域なのかもしれない。
 その嗜好を持つ者ならともかく、見るからに他人に恐怖心を与えてなんぼの商売な極道者が、いくら「これは落とし前だ」という前提があったとしても、風俗嬢への見せしめよろしく男に尻を犯されるのは、かなりの精神的ダメージを受けるに違いなかった。


 この目前に在り、確かに存在している筈なのに、知れば知るほど分からない事ばかりが増えてくる異界に対し、困惑している……としか表現出来ずにいる。
 実態の把握が難しいのは、どんな夜の商売でも同じだろうが、男だけで独自の掟で形成されている閉鎖社会に関しては、いくら此方側の世界から調べてみても、未だ不鮮明にしか見えてこなかった。




「――――……引き続き、街の事を調べろ。急いでいる訳でもない。時間的な事は気にするな。近いうちに、慶を呼んで話をするつもりだ。その時点で分かった事があれば連絡する」
 今まで散々話を聞いているし、今後、本当に界隈に進出した場合、営業形態によっては慶の商売敵になる可能性もある。
 そう考えてしまう部分もあって、何となく今まで連絡も取らずにいたものの、結局、実際に同性愛者として身を置いている慶の情報に頼るしか術が無い気がしてきた。


「分かりました。ボス、差し出がましいようですが……どうしても、あの街でなければならない理由があるのでしょうか?」
 本当は男で、しかも風俗界で稼いでいるとは到底想像もつかない、清楚な雰囲気を漂わせる慶の姿をぼんやりと思い返していると、そっと声をかけられた。
 チラリとその方に視線を向けると、真剣な面持ちの小林と目が合った。


「此処と通りを隔てただけの界隈ですし、そういう利便さは理解しています。ですが、正直な見解を述べますと、あの周辺には何か独特の、容易に立ち入ってはならない影が見え隠れしているのも事実です。先程の報告にもありましたが、他のゲイタウンと比べて極端に情報が少ない。誰一人として詳細を話そうとしない。私には想像も付かない、極道や黒社会とは別の、何か大掛かりなコミュニティが存在しているとしか思えません。その素性が判明しない場合、無理に入り込むのは避けるべきだと考えます。別の界隈でしたら極道連中が仕切っている街もあります。そちらなら私も顔が効きますし、今直ぐにでも進出可能です」
 真顔で言い募る小林の言葉を、只、無言で聞いた。
 思い通りに進まない案件に焦れて、逃げの姿勢に入った訳じゃないのは分かっている。
 実際に界隈を探り続けている彼の感覚が、何か不穏な気配を感じ、これ以上、先に進むのを拒絶しようとしていた。


「……話は分かった。その辺りも含め、慶に事情を聞いてみよう。撤収を決めるのは一瞬で終わる。無理をする必要はないが、もう暫く情報収集に当たってくれ」
 彼の言い分は理解出来たものの、どうしても、今直ぐの撤退を決断する気にはなれない。
 半ば時間稼ぎとも思える指示を告げると、無言で頷いた小林が、静かにソファから立ち上がった。


「もう一度だけ言う。無理をする必要はない。それと、お前のプライドを傷つけるつもりもない。もし、今回の件が無駄足に終わったとしても、今までの評価に変わりは無い。それだけは言っておく。お前にとっても、何かしらの糧になると思う。俺にとっても同じ事だ。そう考えて続けてくれ」
 硬い表情を浮かべていた小林が、その言葉を聞いて、ほんの少し口元を緩めた。
 普段通りの佇まいに戻り、深々と一礼をして去っていく後姿を見詰めながら、頭の隅で自問自答を繰り返していた。






 全てを構築していた祖父から受け継ぎ、初めから成功が約束されていた政界との係わりと違い、風俗界を中心としたビジネスの世界は、自分自身のノウハウで進めていく面白さがあった。
 当然、自分自身が一から始めた事だから基盤も無く、そういう意味でも、俺より遥かに経営手腕に長けている小林を筆頭にした数名の者達に対しては、同じ目線の半ば同志的な気持ちを持っていた。
 小林の意見を軽んじるつもりはないし、道を極めている彼の自尊心を傷付けてまで、強引に進めるべきではないのかもしれない。
 そう分かっているものの、何故だかあの界隈が気になり、どうしても諦める気になれずにいた。




 従来は飲食店専門のコンサルタントだった小林は、唯一手掛けている同性愛寄り店舗の、ニューハーフばかりを集めた店で働いていた慶を、その当時から誰よりも高く評価していた。
 顔を覚えきれない程の大人数で賑わうホステスの中から、偶然見かけた女装ホステスの慶を気に入り、「彼は飲食店の経営者として、稀有な才を持っている」と、常々口にして誉めていた。
 その評価通り、ゲイ相手の風俗店がひしめく界隈で極々普通のスナックを出店した慶は、今ではかなりの人気店にまで名を上げているらしい。
 あの時、慶を手放したのは失敗だった……と、唯一で最大の反省点として、今でも心の底から悔やんでいた。


 向こう側の界隈で「男だけしか入店出来ない店を出したいから」と、退職を申し出てきた慶と初めて話をした時、その聡明さに舌を巻いた。
 ありきたりな三面記事程度の世間話から、スポーツや芸能関係の話題、果ては俺が生業としている政治絡みの専門的な会話に至るまで、慶はどんなネタでも平然とこなし、和やかに話題を繋いでくれる。
 どんな分野でも、相当に深い所まで理解していると思えるものの、彼自身はそれをほのめかす様子もなく、あくまでも相手の会話レベルに合わせて、程好い部分で話を弾ませてくれた。
 女性ホステスとは全く異質の心地良さは、彼が本来は男であるが故の、心配りを計算し尽くされた上での産物なのかもしれない。
 亡くなった祖父から相手に本心を悟られぬ術を叩き込まれ、それを知り尽くしている筈の俺から見ても、慶の底が何処にあるのか、全く想像も付かなかった。


 いずれにしても、小林が慶を褒め称えていた意味が、ほんの5分程の会話で充分に理解出来た。
 だから、小林が事前に提案していた通り、自分の店を持ちたがっている慶をママに据えて、以前から気になっていた、あの界隈に店を出すつもりでいた。
 そう考えて慶を口説こうと思っていた俺達は、他ならぬ慶自身から、見通しの甘さと同性愛に対する無知さ加減をキッパリと指摘された。




 結局、自分自身の力で店を出した慶を、引き止める術も無く見送ってしまったのは、やはり『同性愛者』という者達を理解しきれずにいる、少々の躊躇いがあるんだろう。
 あれから色々と調べてきた筈なのに、結局、未だ独特な世界に入り込めずにいる。
 だったら潔くあの界隈からは手を引いて、他の進出しやすい街に目を向ければ良いのに、ズルズルと話を引き摺っていた。


 無理に撤収を勧めてこなかった小林も、踏ん切りのつかない俺と同じく、もしかしたら今でも、とっくの昔に手元を離れてしまった慶の才能に未練が残っているのかもしれない。
 何とかして慶を宥め、参入の準備が整うまで、他の店舗でも任せて押し留めておくべきだったと、彼の事を思い出す度に変わらぬ後悔を感じ、彼のいる街に自然と目を向けていた。






「――――深水、ソコにいるのか?」
 溜息を一つ吐いて気を取り直し、視線を向けずに問いかけると、隣室に続くドアが微かに開いた。


「はい。戻られますか?」
「そうだな……少し飲んで帰ろう。付き合ってくれ。他の者は戻って良い」
 静かに開いたドアから深水が出てくると同時に、向こう側が少しだけ賑やかになった。
 ボソボソと聞こえてくる話し声を背中に、無言で背後を守る深水と共に、年単位で押さえているホテルの一室を後にした。




 表向きは実体の無い存在であるから、当然、社名を上げたオフィスは無く、逆に、俺が存在する痕跡を残してはいけない。
 他人名義で数ヶ所押さえているホテルや、マンションの一室を不定期に転々とする間は、深水を始めとした数名の者達が、数メートル離れた背後から監視してくれているだけで、基本的に身軽に済ませる様にしている。
 人数が増えるほど人目に残る可能性が強くなるし、元々の性格的にも、大人数での行動は好みじゃない。
 ボディガードを連れ歩くのも必要最低限にしている中で、こうしてプライベートな時間にまで付き合せる、数少ない人物の一人に深水がいた。


 身体の大きな彼はボディガード代わりになるし、深水には普段、政治方面を担当させている。
 ビジネス方面には関わってないから、風俗関係で顔を知られている事もないし、無口な彼を連れ立って、二人で飲みに出る事も多かった。
 余計な口を挟んでこない深水は、考え事を纏めながら飲みたい時、時折相槌を打つだけの、良い話相手になってくれる。
 二人で歩く時に不自然にならないよう、普段通りに隣に並んできた彼に時々話しかけつつ、すっかり夜の帳が下りている繁華街を、のんびりと歩いていく。




 静かに飲める店を決め、そこに足を向けている途中、あの交差点に差し掛かる。
 此方側と何も変わらない様に見えるあの界隈に、今でも何となく、足を踏み入れる切欠が持てずにいた。
 慶を訪ねるのを口実に、いくらでも足を運べると思うものの、何故だか、俺も小林もそれが出来ない。
 こうして通りの奥まで見渡せる街なのに、確かに見えない壁がある。
 理屈じゃなく、肌で直接感じる拒絶感の理由が、どうしても分からなかった。


 賢くて勘の鋭い慶だから、俺が参入しようとしている気配なぞ、既に察しているかもしれない。
 それならそれで、逆に話も早そうだが……と、珍しく弱気な事が頭を過ぎった。
 ――――慶が話していた「ジェイ」という男が、この界隈に広がる謎のコミュニティの主謀者なのか?
 不意に頭に浮かんできた、その名前を思い出しながら、今日も足を踏み入れる事のないまま、無言で交差点を横切って行った。






BACK | TOP | NEXT


2010/04/22  yuuki yasuhara  All rights reserved.