Eros act-4 07

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「――――不愉快だな。俺達を軽んじるにも程がある」
 ずっと眉間に皺を寄せて不満気な表情を浮かべつつも、口を挟む事無く、黙って俺の話を聞いていた麻紀は、大まかな報告が終わると同時に、吐き捨てる様に呟いた。






 パーティ会場からクラブJに直行する途中、麻紀と慶に電話をかけ、大まかな説明と「詳しい話をするから店に来てくれ」とだけ話をした。
 移動しつつの短時間だったから、本当に大雑把な事しか伝えてないけど、二人とも、それなりに興味を持ってくれたらしい。
 接客中だった翔の代わりに、彼と一番仲が良いボーイの祐弥を連れてきた麻紀と、三上と一緒に現れた慶と、全員ほぼ同じ時刻にクラブJの事務所に到着した。


 中川にも軽く伝えておいたから、ティコも時間を合わせて休憩に入ってくれて、店を手伝いながら俺の帰りを待っていた一稀も、事務所にへと集まってくれた。
 俺がこんな風に皆を集めるなんて、多分、初めての事だと思うし、皆も個々に思う所があったのかもしれない。
 割と真剣な面持ちで集まってくれた皆に、藤原本人の印象や彼が語っていた話、その後に武内代議士から聞かされた彼の素性や、代議士の見解などを、順を追って話していく。
 とりあえず、聞いてきた事実だけを淡々と説明していく俺の話を、皆、無言で聞き入っている。
 大方の部分を話し終わり、ようやく一息吐いた瞬間、予想していた通り、麻紀が真っ先に反応を示した。


 きっとこんな顔をするんだろうな……と、秘かに想像していたそのままの姿で怒っている麻紀の心理が、あんな短い言葉だけでも、充分に納得出来てしまう。
 ムスッと腕を組んで真正面に座っている、仏頂面の麻紀と目が合った瞬間、思わずククッと笑ってしまった。




「……なんだよ、ジェイ。まさか冗談じゃないよな?」
「ばか。冗談なら、もっと楽しい話を考える。全て、今日聞いてきた本当の話だ。そうカリカリするんじゃねぇよ」
「それは分かったけど。じゃあ、何で笑ってるんだ? ジェイのそういう態度も、余計に不愉快さ倍増だ」
「あぁ、悪かったな。麻紀は本気で怒るだろうなと思ってたが、その通りの事を言ってきた。想像していた表情まで同じだったから、少々面白くなっただけだ。別に変な意味じゃねぇよ」
 宥めるつもりで正直に話した言い訳も、余計に麻紀の癇に障ったらしい。
 笑い続けたまま答える俺を見て、ますます顔を顰めていた麻紀が、諦めた様子で気を静めようと、大きな溜息を一つ吐いた。


「今、此処でジェイと喧嘩してもしょうがない。この件が落ち着いた頃に日を改めて、今度こそは、しっかりとカタを付けてやる。ところで、その『藤原』ってヤツだけど。結局、向こうの界隈を制覇したから次は此方に……って感じなのか?」
「そうだな。途中で話が終わった様なモンだし、真意までは聞いてないが。俺と話している限りでは、そう受け取れる口振りだった。だが、武内の爺さんは、元々興味を持っていた可能性が強いだろうと睨んだ様だな。進出に頃良い時期を計っていただけで、それ自体は昔から考えていたんじゃないか……? ってな。その辺りを聞こうと思って、慶を呼んだ。風俗業界内での彼については、多分、慶が一番よく知っていると思われる」


 この街だけで何年も過ごし、顔見知りの仲間達との交流だけが全ての麻紀にとって、いくら藤原が計り知れない力を持っていたとしても、単純に顔すらも分からない余所者でしかない。
 本来は静かな生活を好む麻紀にすれば、そんな彼の進出話など、安息の場を乱す侵入者としか思えないだろうし、不快に感じるのも当然だろう。
 刺々しい口調を隠そうともしない麻紀に答えながら、俺の右手側に並べた椅子に、三上と連れ立って腰を下ろしている、普段と変わらない表情を浮かべた慶にチラリと視線を向けた。




「確かにそうかもね。藤原さんが政界の人で、武内先生とも仲良しだってのは全然知らなかったけど。風俗界的な面だけで言えば、かなり詳しい方だと思うな」
 慶本人は情報通ではあるものの、藤原の「もう一つの顔」に関しては、やはり気付いてなかったらしい。
 それでも、かなり親しくしているという自負はあるのか、特に動じる様子も無く、サラリと肯定してきた慶を見詰めながら、徐に息を吐いた。


「そうか……藤原が言っていた『知人が一人いる』ってのは、やはり慶の事なんだろうな。彼の店に勤めていた頃から、親しくしていたのか?」
「違う、それが全然知らなかったんだよね。店を辞める事になってから、初めて彼に呼ばれて顔を合わせたんだ。それまで『藤原』って名前すら聞いた事は無かったし、勿論、店長やオーナーも別にいたから。呼ばれた時も『誰なんだろう?』って不思議に思った位でさ」
「なるほど。表に名を出さないのは、その当時からなのか。辞める事が決まってから……ってのは、どういう理由で呼ばれたんだ?」
「武内先生の予想に近いかな。店を辞めた後は、此方で完全に男相手のスナックを出すつもりだ……って、当時の店長に話したのを聞いたらしい。その事について色々とね。彼が誰だか知らないまま、先入観なく話をしたってのもあるだろうけど、基本的に『話しやすい人だな』って感じた。その時に連絡先も教えておいたから、時々連絡が入るんだ」
 サラリと臆する事無く、藤原と出会ったきっかけを話してくれた慶が、いつもの優しい表情で楽しそうに微笑んだ。




 慶がこの街に移ってきたのは、確か20代前半の、かなり若い頃だったと聞いている。
 普段は包み込むような穏やかな雰囲気と、本物の女性以上に女性らしい、柔らかな物腰のせいで気付かぬものの、慶は基本的に何事にも動じない、肝の据わった所がある。
 そうでなきゃ、そんな歳で贔屓筋も無いまま、自分一人の力で店を出す器量なんて持ち合わせていないだろう。
 大体、麻紀と親友だって時点でアレなんだから、彼と対を張れて話が出来る、それなりの根性があるんだと思える。
 きっと当時から穏やかな物腰に似合わず、こんな性根の入ったヤツだったんだろうな……と考えていると、慶の隣で話を聞いてた三上が、感心した様子で恋人の顔をジッと見詰めた。


「へぇ……慶、凄いヤツと知り合いなんだな。仲も良さそうだし、そういう立派な男と話が合うんだな」
「そんな事ないって。偶然、彼の店に勤めていただけだよ。そうじゃなきゃ、とても接点なんて無いと思うな」
「でも、ソイツの店に勤めてたって、藤原の事など知らないまま、辞めていくヤツがほとんどだろう? その中で声をかけられて、色々と聞かれた挙句に、今でもずっと付き合いが続いてるんだからさ。やっぱり慶の話を聞いて、何か感じるものがあったんだろうなぁ」
「もう、ちょっと大げさだってば。単純に偶然、彼の耳に話が届いたから、ついでに色々と聞いてきただけだと思うよ」
 言葉だけを取れば妬いてる様にも聞こえなくもないけど、三上の場合、多分、本気で感心していると思われる。
 変に拗ねる訳でもなく、純粋に感嘆しきっている三上の隣で、ちょっと困った様子で苦笑いを浮かべている慶に、話の続きを問いかけた。


「三上の感想で、ほぼ正解だろうな。藤原にとっても、慶の話から得る物が多々あったんだろうよ。俺の印象では、意外と饒舌なヤツだと思ったが」
「あ、僕もそう思っている。同性愛者に対しても、特に偏見は無さそうだよ。当時の僕は女装してたけど、全然気にならなかったみたい。今でも勿論そうだけど、以前から本当に普通に接してくれる」
「その辺りに関しては、爺さんの予想通りかもな。ニューハーフを集めてた様だし、元々それなりに詳しかったんじゃねぇのか?」
「そうだなぁ……ビジネスとして興味はあったんだろうけど。同性愛者については、その当時は、ほとんど知識が無いに等しかったな。最初に呼ばれた時も、街のあれこれというより、それ以前の事を聞かれた。男ばかりを相手で限定して、店として成り立つものなのか? とかさ。『本当に女はダメなのか?』ってのも聞かれたし」
「あぁ、なるほど。頭じゃ理解しているつもりでも、現実面で実感出来ない、ってヤツか」


 慶の説明にあった「店を出す事について聞かれた」ってのが、どうもいまいちピンと来なかったけれど、そう説明されれば納得出来る。
 思わず声に出して呟いてみると、慶が笑顔で頷いてくれた。


「全然思い浮かばなかったみたいだね。だから観光バーをやっていたし、それがゲイ相手の商売としても、普通だと思ってたらしい。『こういうお店の方が珍しいんだよ』って、異性相手の風俗店との違いも教えてあげたし、本当に色々と……って感じだな。そういえば、ジェイの事もチラリと教えたかも。それを覚えてたのかな?」
「やっぱり慶だったのか。言っておくが、俺は界隈を牛耳ってるつもりはねぇぞ」
「ん、分かってるって。でも、藤原さんには、そういう言い方が一番理解しやすいかな? って思ったんだ。他には『あの界隈は、そういうヤツばかりが集まってるのか?』『男役、女役で分かれてるのか?』とかさ。初めて藤原さんと話した時は、そういう質問ばかりだったな」
「確かに、この界隈への進出以前のレベルだな。自分には、同性愛者の知り合いなんて存在しないと思ってたんだろう。それで今まで見送っていたのか」
「それはあると思う。僕の話を聞いて、色んな面で調査不足だと感じたみたい。その時点でも進出を考えてたみたいだけど、『一旦、全て白紙に戻す』って、ハッキリとそう言ってたから」
 あまりにもさらりと言われ、思わず聞き流しそうになってしまった言葉に、一瞬考え込んでしまった。
 反射的に向けた視線が来るのを、ある程度は予想してたのか、彼はいつもの見慣れた笑顔で、悠然と受け止めてくれた。


 予想以上に、藤原と懇意にしている慶の様子に、ほんの少し驚いてしまった。
 武内代議士が考えた通り、もしかしたら店を辞める慶に誘いをかけ、美人で頭の切れる彼をママに据えて、この界隈への出店を考えていたのかもしれない。
 その慶に柔らかく、でもキッパリと見通しの甘さを指摘され、藤原は一旦手を引く事を選んだと思われる。
 彼にそんな決断をさせてしまう、慶の大きな影響力を改めて実感しながら、相変わらずな雰囲気の慶に、また話の続きを問いかけた。


「そうか……何年もかけて情報を仕入れて、今回こそは満を持して……って感じなんだろう」
「多分、そう思ってるんだろうね。藤原さんも忙しいみたいで、最近は全然連絡も取ってないけど。しばらくの間は定期的に会って、街の様子を聞かれたりしていた。かなり興味を持ってるんだろうな」
 最近は会っていないと言いながらも、それで藤原と縁が切れたとは更々考えていないらしい。
 幼い頃からの幼馴染の事を話すような、そんな軽い口調で呟く慶の言葉に、微かに口元を緩めてしまった。


「何だ、随分と余裕だな。連絡を取り合っていないし、自分の知らない情報を聞かされたんだから、もう少し焦ってくれても良さそうな気がするんだが。そんなにアイツとは親しいと自負しているのか?」
「え、違うよ。その真逆だな。知らなくて当然だと思っているから、別に驚かない。武内先生だって知らなかった話でしょ? 僕が何も聞かされてなくても、全然気にならないよ」
 突っ込みに焦る様子もなく、慶は平然と答えてくる。
 やっぱり、風俗界における藤原の立ち位置を、一番良く理解しているのは、慶で間違いないだろうな……と、その一言で確信した。
 それと同時に、知らない事は「知らない」と、きっぱりとそう言い切った慶の姿に、麻紀とは異質の強さを今更だけど感じてしまった。




 海千山千の男達を相手に、日々酒と語らいの場を提供している慶が、単純に見た目通りの、綺麗で優しいだけの人間である筈がない。
 相手が誰であれ、外見や肩書きだけに惑わされる事無く、冷静に人となりを判断し、怯まずに挑んでいける強さがあるから、藤原も慶との縁を切らずに、付かず離れずの関係を続けているんだと思う。
 そんな慶が三上を愛して、彼をいつも傍に置いて養っている気持ちが、ほんの少し分かる気がした。


 慶がいつも相手にしている腹に一物ある者達と違って、三上はある意味、子供の様に真っ直ぐで、自分に正直な所がある。
 大人としては些か問題の残る、彼のそんな純真過ぎる部分が、慶としては心地良く安心出来る所なんだろう。
 傍から見れば、三上が一方的に慶に甘えている様に思える。
 でも本当は、世間体を気にして嘘を吐く愚かさの欠片もない、全てを余裕で受け流せる強靭な精神を持った三上に、慶が甘えているのかもしれない。


 何も疑う必要のない、唯一の存在を大切に想う意味では、俺が一稀に寄せる気持ちと似ている部分もあるんだろう。
 そんな事を考えながら、ふと、黙って隣に座っている一稀の方に視線を向けた。
 普段からこういう場では無口な一稀だし、喋らないのは全然気にしてなかったけど、よく見てみればいつもの楽しそうな表情じゃなく、やけに顔を顰めているのに気付いた。


「どうした、何か気になる話があったのか?」
「そうじゃなくて……何かちょっと秘密主義で、性格の気持ち悪い人なのかな? って気がしたからさ。仲良しなのに『知らない』って。どんな人なのか、全然想像出来ないんだよな……」
 俺達の話を聞きつつ、彼なりに思い付く限りの知人に当て嵌め、アレコレと藤原の姿を想像していたらしい。
 どうやらソレに失敗した様で、何ともいえない表情で呟く一稀の姿に、慶がクスクスと笑い声をあげた。


「確かに、一稀がちょっと不気味に感じる気持ちも分かるな。でも、とにかく自分を出さない人だからさ。こんな感じにしか表現出来ないんだよね」
 確かに、実際に藤原と会って話をした俺でも、似た様な説明しか出来そうにない。
 実体があって、目の前に存在して言葉を交わしているのに、全く掴み所のない彼の印象を思い返し、慶の話に頷いた。
「俺に『説明しろ』と言われても、同じ言葉しか言えそうにねぇな。慶の説明と全く同じ意味の事を、爺さんも話していた。政界を操る姿しか知らない……ってな」
「本当に、そうとしか言い様がないんだよね。本当の彼なんて誰も知らない。武内先生だって知らないと思う」
「そうだな……幻影と話をしている様だ。ますます、この街で受け入れられそうにない奴だな」


 ゲイの世界については色々と調べ上げた藤原でも、やっぱり、この街独特の雰囲気だけは、どうしても理解出来ずにいるらしい。
 店の形態や、同性愛者に対する理解なんかじゃなく、一番肝心な部分が抜け落ちている。
 率直で偽りのない一稀の感想が、多分、この街に藤原が進出してきた場合の、皆の気持ちと同じだと思えた。


「僕もそう思う。何となく興味を持ってるんだろうなってのは、話をしていても感じたけど。あのまま諦めるんだろうなって思ってたから、今でもまだ、本当に進出を考えているとは思わなかったしさ」
「意外と本気だった様だな。もっとも、皆も一稀と同じ感想を抱くだろう。到底、成功するとは思えない。恐らく、彼のビジネスでは初めての失敗例になるだろうよ」
「そうだね。いずれにしても現在の彼が変わらない限り、残念だけど僕達の仲間に入る事は出来ない。あのまま此方に来ても、失敗するのは目に見えている。藤原さんは嫌な人じゃないから、出来れば仲良くしていきたいなって、今でもそう思っているんだ。だから余計に、このままの状態での進出には、僕は賛成出来ないね」
 そう話す慶の言葉に反論する気も無く、素直に頷いてやった。


 彼を拒むつもりは無いものの、どうしても気になる部分が多過ぎる。
 もっとも、そう考えたのは俺だけじゃなかった様で、向かいに座る麻紀も当然といった雰囲気で、慶の方に視線を向けた。






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2010/03/13  yuuki yasuhara  All rights reserved.