Eros act-4 06

Text size 




「今現在のジェイと藤原を、単純に比較しても全く意味が無いだろう。年齢も違い過ぎるし、周囲の環境もだ。何より、目指している立ち位置が全く違うからな」
 黙り込んでしまったのを見て、俺が気落ちしていると思ったのかもしれない。
 唐突にそんな事を言い出した武内代議士の声につられて、また彼の方に視線を向けた。


「大丈夫だ、卑屈になってる訳じゃねぇよ。確かに、現状を比較しても意味の無い話だ」
「出発点から違うからな。藤原が祖父の知識を学び始めた頃、ジェイはようやく日本に来たばかりだろう。そこから言葉を覚えて、大学生で自分の店を出した。それで充分だろう。今の一稀と同じ位だったか?」
「そうだな。だが、それはあまり言って欲しくねぇな。特に一稀の前では……だ」
「あぁ、それは良いが。一稀が嫌がってるのか?」
 俺の話なら何でも喜んで聞きたがる一稀に対し、「それは話すな」と言われて不思議に感じたらしい。
 悪い方に捉えたのか、心配そうな声色で早口に問いかけてきた武内代議士に向かって、頬を緩めて首を振った。


「いや、逆だ。色々と気にし過ぎているから、そういう話は聞かせたくない。アイツも本当に頑張っていると思うが、仲の良い友達が年上ばかりだからな。ティコや麻紀達と自分とを比べて、少々焦っている様だ」
「へぇ……一稀は、いつもそんな事を考えているのか。それで高校にも通い始めたのかな?」
「らしいな。俺が店を出した時の年齢は一稀も知っている筈だが、周囲から言われるのとでは、また少し意味合いも違ってくる。改めてそんな話を聞いてしまえば、アイツもまた余計に慌ててしまうだろう」
「なるほど、そういう意味か。それにしても、一稀は本当に健気で可愛いヤツだ。お前の足を引っ張らない様にと、色々と考えているんだな」
 理由が分かって安心したのか、途端に頬を緩めた武内代議士は、いつもの様に一稀を手放しで誉め始めた。




 一稀は何故だか年配の男性に好まれるタイプであるらしく、彼に御執心の父同様、武内代議士もやたらと一稀を気に入っている。
 一人で売りをやっていた一稀を買った事は無かったらしく、初対面時に「俺の恋人」として顔を合わせたからだと思うけど、他のボーイ達やティコと接する時とは全然違う純粋な意味で、一稀が可愛くてしょうがないらしい。
 一稀は小柄で童顔な方だし、むしろ孫を可愛がっている気分に近いんだと思う。
 上機嫌で一稀の近況を問いかけてくる武内代議士に答えながら、ふと、数日前の一稀との会話を思い出した。


 朝から「今夜はティコと飲みに行くから」と言っていた日、偶然電話をかけてきた麻紀も一緒に、慶の店に飲みに行ってきた……と、随分と嬉しそうに教えてくれた。
 皆が揃ったのは珍しいんじゃないか? と思って聞いてみると、やっぱり初めての事だったらしい。
 仲の良い皆と沢山話をして満足した様で、やたらと楽しそうに事細かに報告してくれた最後は、やっぱりいつも通りに「俺も皆に負けない様に、もっと頑張らなきゃ」と大真面目な顔で呟いていた。
 一稀のそんな姿を見て、そう無理をしなくても……と少々気がかりに思っていたけど、本人の気持ちとしては、意外と前向きに考えてるのかもしれない。
 俺が今、藤原に対して感じている、何とも表現し難い微妙な気持ちは、きっとああいう時の一稀の感情に似ているんだろう。
 今は全然敵わないと素直に畏敬の念を抱きつつも、無条件で服従するつもりは更々ない。
 何となく理解出来た一稀の気持ちを頭の隅で考えていると、彼の話にひとしきり没頭していた武内代議士が、思い出した様に、此方に顔を向けてきた。




「また今度、一稀も一緒に飲む時に続きを話すか。それはそうと、藤原はジェイの好敵手ってトコだろう。良家の御曹司のくせに風俗界に手を出す、破天荒ぶりもそっくりだ」
「あぁ……そういえば、藤原も家柄があると言っていたな。立ち居振る舞いでもそれが分かる」
「裏社会を生業としていた祖父の血筋もそうだが、母が嫁いで行った先にしても、それなりに裕福な実業家の家だ。表向きの藤原は、それを自身の地位として利用している。彼の素性を知らない者達は、親の財産で悠々自適に暮している、おぼっちゃまな道楽息子だと思ってるらしいな。訳知り顔の小物連中が、アイツに世の厳しさを説いているのをよく見かけるが、あれはかなり滑稽で面白いぞ」
 割と頻繁にある光景なのか、武内代議士は話しながらククッと笑い出してしまった。


 その続きを聞かなくても、涼しい顔でありがたく説法を聞いている藤原の姿が目に浮かんできて、思わず此方まで口元を緩めてしまう。
 中途半端な自尊心の持ち主なら、それに腹を立ててしまうだろうけど、彼はむしろ、自身の隠れ蓑に皆が騙されきっているのを見て、内心ほくそ笑んているに違いない。
 もう随分と昔に中川から教えて貰った、うつけ者を装って相手の反応を確かめ、虎視眈々と周囲の動向を探っていたとされる、日本の戦国武将の逸話を何となく思い出していると、ようやく笑い止んだ武内代議士が、また視線を向けてきた。


「まぁ、その辺りはジェイが此方の世界にやって来れば、直接目にする事になるだろう。あの界隈にある風俗界を牛耳ってる部分は同じだし、後はジェイの政界進出だけだな」
「俺は牛耳ってねぇよ。この外見で目立つから、そう見えるだけだろう。それに政界にも全く縁が無い。今日も一人で戸惑ってばかりだった。金を稼ぐ算段を考えている方が、俺の性に合ってる」
「それはどうかな。現に僕とも付き合いがあるし、他にも多数いるじゃないか。親父さんも、ジェイがその気になるのを待ってるんじゃないか? こういう場に代理で寄越す位だ」
 政界での地盤固めも兼ねているのか、以前からそれとなく誘いをかけてきていた武内代議士は、今日、俺がこのパーティに姿を見せた事が、どうやら嬉しくてしょうがないらしい。
 いつもの調子で話を乗せてきた姿に苦笑しつつ、とりあえず手元のグラスを掲げて、喉を軽く潤した。


「まぁ、親父が何を思ってるのかまでは分からねぇな。そういう意味じゃないが、今後は親父と一緒に顔を出そうと思っている。案外、此方も楽しい世界だ」
「そうか。気に入ってくれて何よりだ。本気でジェイが進出してくれば、もっと楽しい事になるだろうな。それに、藤原もお前をかなり気に入っている」
「そうなのか? まぁ、話は弾んだし、印象も悪くはなかった」
「藤原本人がジェイを好意的に見ているからな。その印象は藤原の方も同じだろう。もう随分と前になるが、ジェイについて聞かれた事がある。僕達が親しくしていると噂を聞いたらしい。お前は彼にとって、かなり気になる存在である事は間違いない」
「やはりそうか。直接話をして、それは感じられた。『また会おう』とまで言ってたからな。だが、この先はどうだか……次は俺達の街に手を出すつもりらしい。売り専に進出する計画があるそうだ」
 機嫌良く飲んでる時に悪いとは思うけど、聞いたからには黙っている訳にもいかない。
 核心だけを先に告げると、料理を口に運ぼうとしていた武内代議士も、やはり少し顔を顰めてチラリと視線を向けてきた。


 瞬時に、いつになく真剣な表情にすり替わった彼は、紛れもなくあの街の住民だった。
 今までの他人事な雰囲気も消え失せ、険しい表情で箸を止めてしまった武内代議士を相手に、先程、田上に聞かせたのと同じ話を、また詳細に伝えていった。






*****






「そういう話になっているのか。僕は何も聞いてなかった。まぁ、同性愛者だとは知らないから、当然なんだろうが……」
 話を聞き終わった彼は、微妙な表情でそう呟き、また黙り込んでしまった。
 藤原とは結構親しくしているらしい雰囲気はあるし、政界の中核にいる武内代議士と藤原とは、そういう付き合いも多いんだと思う。
 何やら考え込んでしまった姿を見詰めながら、グラスに残っていた酒を飲み干した。


「彼の進出自体を阻むつもりは無いが、今の状態で進出した場合、色々と問題があるだろう。彼自身は異性愛者で、街の者達にも知られていない。ひとつ出方を間違えれば、皆の反感を買うだけだ」
「だろうな。ノンケが金目当てで入り込んできた……と、そう捉えられるだろうし、実際そうなんだろうな」
「まぁ、それでも悪くないと思うが。一番の問題は、彼が現状と同じく、あの界隈を支配しようと考えているかどうかだ。ほんの少しでも、そういう素振りを皆の前で見せたら終わりだ。それが理解出来るかどうかが鍵だろう。アイツの性格的に、その辺りはどうだ?」
 かなりの切れ者だというのは、実際に話して肌で感じたから分かるものの、細かい性格的な部分までは判断しかねる。
 俺より数倍も藤原と親しい武内代議士に問いかけると、苦笑いを浮かべた彼は、グラスの酒を一口煽って、中断していた箸を握り直した。


「僕が知っている藤原は、この世界の裏を操る姿だけだ。それを離れたアイツは、ジェイと同じく、僕と気の合う楽しいヤツで、それ以上でも以下でもない。個人的に親しくしている贔屓もあるし、そんなに独裁的なヤツじゃない……と、今は、その程度しか答えようがない。何か動きでもあれば、役に立つ話も出来るだろうがな」
「確かに、もう少し様子を見てからの判断になるだろう。それまでに実力行使に出なきゃ良いんだがな。それもだが、何故、急に進出を考えたんだろうな?」
「あぁ……それなら、慶に話を聞いてみるといい。彼が今の店を出す前、藤原の店に勤めていた。慶も昔のアイツを知っている一人だし、同性愛者に対する彼の態度も、自分自身で体験している。風俗業界内での藤原に関しては、僕より何倍も詳しいだろう」
 ふと思い出した様子で顔を上げた武内代議士が、ようやく普段通りに戻ってきた口調で答えてきた。


 少しは手掛りになりそうな事を思い出し、ちょっとは気が楽になったらしい。
 安心した様子で頬を緩める武内代議士の声を聞きながら、もう何年も前から見慣れている、穏やかな顔が頭を過ぎった。


「なるほど、慶か。そういえば、あの界隈の観光バーにいたと言っていたな。アイツの店だったのか」
「そうだ。今にして思えば……の話になるが、元々ゲイの風俗界にも興味を持っていたのかもしれないな。ニューハーフを集めた店を出す位だ。慶から同性愛者についての情報を得ていた可能性もある」
「それは間違いない、知人が一人いると言っていたからな。多分、それが慶なんだろう。最近は顔を合わせていないそうだから、今回は慶が絡んでの進出じゃないと思う」
「時期を見ての判断だろう。昔からその気があったのなら、慶が店を辞めた時点で、誘いをかけていてもおかしくない。あの街で店を出すつもりなのは聞いていた筈だ。まぁ、その辺りの詳細についても、色々と聞いてみると良いだろう。明日は店に遊びに行くから、その時にでも慶の話を教えてくれ」
 そう言いながら立ち上がった彼は、見送ろうと腰を浮かせた田上を片手で制し、ひらひらと手を振って上機嫌で歩き出した。


 何とか話も纏まって、武内代議士も少々安心したらしい。
 広いパーティ会場の中、ようやくフットワークの軽過ぎる御大を探し出し、少し離れた場所に困り顔で佇んでいる秘書の元に悠々と戻っていく後姿を眺めながら、ずっと無言で話を聞いていた田上が、楽しそうに口元を緩めた。




「武内先生を『爺さん』なんて気軽に呼ぶのは、きっと社長くらいでしょうね」
「まぁな。それなりの愛情表現だ。実の祖父より慕っているからな。それよりも、爺さんの御付きの人は大変そうだな。糸の切れたタコと同じで、探し出すのに一苦労だ」
「良い意味で身軽な方ですから。私達は付いて行くので精一杯ですよね。ところで、この後はどうされます?」
「とりあえず、俺は店に戻る。慶から話を聞きたいし、麻紀にも知らせておいた方が良いだろう。一声かけて皆が動くのは、俺じゃなくて麻紀の名だからな」
 まだ手付かずで残っている料理に箸を伸ばしながら、田上が軽く問いかけてきた。
 もう答えは分かっているけど、念の為に確認を……って所なんだろう。
 リラックスした様子で料理を楽しむ田上につられ、何となく料理に箸を伸ばしながら、問いかけてきた彼と同じく軽い口調で答えを返した。


 確かに、性格的には勝気で計算高い所があるし、色々とアレな面もあるものの、あの街で得た『身内』を本当に大切にする麻紀は、結局、皆が一番信用している男だし、何かと頼りにされている。
 10代半ばで街に来た一稀とそう変わらぬ歳の頃から、一人きりであの界隈に身を寄せ、今でもずっと留まり続けている彼は、不文法な街の掟が身体の芯まで染み付いていた。
 誰よりも生真面目で義理堅く、街の決まり事を忠実に護り続けている麻紀も、俺とは全然違う意味で、あの界隈の象徴だと思っている。
 そしてそれはある意味、人当たりの穏やかな慶も同じだと、誰に言われるまでもなく、自然とそう思っていた。
 スナック形式では断トツの売上を誇る店を構える慶は、三上経由の芸能関係者や政財界関係、そういう上客から庶民派まで常連客を多く抱え、驚く位に顔が広い。
 あの界隈に留まらず、昔働いていた異性愛者が集まる繁華街にも数多くの知人を持ち、裏情報的なモノなら慶が一番、色々と顔が利いて入手している。
 それが当然で、お互いに認め合う関係だから、あの街には頂点に立つ者など存在しない。
 其々の持ち味を自分で理解し、自身の立ち位置を持っている俺達は、意見を取り纏めて導く者など必要無かった。


 普段は皆、バラバラに好き勝手な事をやっていて、自分が一番だと思っているけど、何かあった時の団結力はかなりある。
 『同性愛者』という、少々特異な共通点を抱える者達だけの結束心が、突然やってくる藤原に対してどう動くのか――――そして、彼がそれを理解出来るか。
 それが一番の懸念だった。




「分かりました。後は私が引き受けておきます。適当な所で引き上げるので、此方の事はご心配なく」
 普段と変わらぬ口調で答えてきた田上は、やっぱり気負った雰囲気なんて欠片も無い。
 田上が我を忘れて慌てる事なんてあるんだろうか……?と、そんな事を考えつつ、最後のピンチョスに手を伸ばした。
「悪いな。誰か、話相手になりそうな知人はいるのか?」
「それなりに……って感じですかね。それよりも、先ずは武内先生のお相手でしょう。此処には可愛いボーイがいませんから、きっと苛々してますよ。相手がオッサンなのは不満でしょうけど、女性がお酌をするよりはマシだと思うので。ちょっとご奉仕してきます」
 楽しそうに答える田上の言葉に、思わず本気で笑ってしまう。
 盛ってきた料理を平らげ、満足気な田上と軽く明日の事を打ち合わせると、二人一緒に立ち上がった。


 一刻を争う事態じゃないものの、こういう話は早めに皆の耳に入れ、意見を聞いておいた方が良いと思う。
 とりあえず、麻紀は本気でかなり嫌がるだろうな……と、容易に想像出来るソレだけは確信しながら、武内代議士を探しに行く田上と別れ、ドアの方にへと向かって行った。






BACK | TOP | NEXT


2010/02/08  yuuki yasuhara  All rights reserved.