Eros act-4 05

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「社長。先程の方は、もうお帰りですか?」
 聞き慣れた声に呼びかけられ、いつの間にか足元に落としていた視線を上げた。
 今日は知人の少ないパーティだし、思わぬ情報を手に入れ、つい色々と考え込んでいたらしい。
 秘書同士で談笑している場を離れて、心配そうな表情を浮かべて歩み寄ってくる田上を、こんな場で一人無言で佇んでいるのを見れば、確かに色々と気になるだろうな……と自嘲しつつ、苦笑いで出迎えた。




「あぁ。他の場にも呼ばれていて、どうやら時間になった様だな。お前の方は良いのか?」
「私達の方は、単なる世間話ですから。ところで、お知り合いの方ですか? 随分と話が弾んでいた様ですが」
 父が会社を仕切っていた頃から、連れ立ってこういう場に頻繁に顔を出し、こうした空き時間には秘書同士の情報交換に励む田上でさえも、やはり彼の顔は知らなかったらしい。
 仕事上は共に行動している事がほとんどだから、プライベートな知人だと思ったのか、軽く問いかけてきた田上につられて、もうとっくの昔に藤原が立ち去ってしまったドアの方に、何となく視線を向けた。


「いや、初対面だな。藤原という名の男だ。今は風俗業に力を入れているらしい。お前も名前位は聞いた事があるだろう」
 そう簡単に答えてやると、まだドアの方を見詰めている田上は驚いた様子で、此方に顔を戻してきた。
「え、そうなんですか? そりゃあ、名前だけは……こういう交流の場には、あまり姿を見せないと聞いていたんですけど」
「あぁ、俺もそう聞いていたから驚いた。本人の話だと、政界者主催のパーティには頻繁に顔を出してるそうだな。財界人はお気に召さない様だ」
「なるほど……確かに、向こうで今日の参加者を教えて貰った時、彼の名前は出ませんでしたね。むしろ、皆に社長の事を聞かれて、私が質問攻めにあってた位ですから」
 本日「初めて顔を見せた者」と言われれば、確かに、この場では知人がほとんどいない俺の方が、物珍しい存在だろう。
 よほどアレコレと聞かれたのか、苦笑しながら答える田上にあわせて、また少し口元を緩めた。


「俺の場合、初お目見えに等しいからな。そうなるだろう。その場でアイツの名前すら出なかった……って事は、俺が聞いた通り、此方側のパーティでは頻繁に見かける顔なんだろう」
「多分、そうなんでしょう。風俗業界の実力者だと思ってたんですが、本当は政界に強い方なんですね」
「そうらしいな。何のパーティに行ったのかは聞いてないが、次に呼ばれていったのも政界関係の可能性が高い。色々と予想外の事が多いヤツだ。しかも、次は『売り専』に手を出そうと考えているらしい」
 それなりに興味を持ったらしい田上に、聞いたばかりの少々面倒な話を教えた瞬間、グラスを手にしていた彼も、微かに顔を顰めて動きを止めた。


 とても風俗業に携わっているとは思えない雰囲気と同じく、藤原は本当に不可解な事柄が多過ぎる。
 グラスを片手にその場所を陣取ったまま、田上に藤原の話を伝えていると、不意に肩をポンポンと軽く二、三度叩かれた。




「何だ、爺さんか。いつ来たんだ?」
 その方を振り返り、少し低い位置にある見慣れた顔に問いかけると、彼は楽しそうに頬を緩めた。
「ジェイが藤原と話している真っ最中だ。やけに楽しそうだし邪魔をしては悪いから、先に他の奴等に挨拶を済ませてきた」
「そうか。それで、爺さんはアイツを知っているのか?」
「藤原は元々は政界主体の人間だ。財界でより、よっぽど名が知られている。それより、やはりアイツとは気が合う様だな。まぁ、似たもの同士ってヤツなんだろう」
 そう言いながらククッと軽く笑う初老の男性に、田上が軽く会釈を返す。
 軽く片手を上げてそれに応える姿を見詰めながら、今聞いたばかりの言葉に考え込んだ。




 幾つかの大臣を歴任していた武内代議士とは、もう何年も前、俺が大学に入学して父の仕事を手伝い始めた頃、あの街で偶然バッタリと出会って、付き合いが始まった。
 それまでにも何度か顔を合わせる機会はあったものの、直接言葉を交わした事はなかった。
 お互いに同性愛者だとは知らなかったから本当に驚いたけど、意外と気さくな人柄の彼とは、その日以来、かなり親しく付き合っている。


 俺から「爺さん」などと呼ばれる程の年齢じゃないものの、本当の祖父以上に何かと懇意にしてくれる彼を通じて、案外多い政財界の同性愛者達とも、自然と付き合いが広まった。
 そういう彼等の意向を尊重して、これまでに無かった「超高級クラブと売り専を兼ね備えた店」として、売り専クラブ『J』の傾向を決めた部分も確かにある。
 あえて庶民的な部分を外し、全てに高級志向を取り入れて客層を絞ったのも、彼等が色んな意味で「本当にリラックスして遊べる場所が無い」と愚痴っていたのが、頭の隅に残っていたのかもしれない。
 特に武内代議士には様々な意見を貰って取り入れたから、結果的に彼好みの店になったクラブJをかなり気に入ったらしく、頻繁に通ってくれている。


 一般の風俗店には全く顔を出さない事もあって、厳格で堅物な人だと評判になっている様だけど、実際の彼は、若い男を多数はべらせて遊ぶのが大好きな、予想外に陽気で飾り気のない人柄だったりする。
 一稀の入院に付き添っていて、その現場を直接見れなかったのが残念だけど、お気に入りだったティコが引退した時も、かなり本気で悔しがって大騒ぎになり、皆で宥めるのに一苦労だったらしい。
 「相手が中川の息子じゃなきゃ、絶対に別れさせるんだけどな……」と、名残惜しそうにブツブツとボヤいていた姿を思い出しながら、まるで別人の様な端然とした雰囲気で佇んでいる姿に問いかけた。


「元々は政界主体の……と言っていたが。俺の知っている範囲では、彼が政界に身を置いていた時期が分からない。彼がもっと若い頃に数年程度なのか?」
「いや、そうじゃない。彼は政治家として活動している訳じゃない。立ち話も何だし、少し座って話そう。僕は夕食を取ってないし、少し腹も減ってきたな。何か食べながらにしよう」
 自身の秘書を何処に捨て置いてきたのかは知らないけど、一人でふらりとやって来た武内代議士は、勝手にそう決めると田上を手招き、スタスタとケータリング料理の置かれている方に向かっていく。
 まるで自分の秘書の様に田上をこき使い、あれこれと料理を持たせる姿に苦笑しながら、片隅に置かれているテーブル席を一つ陣取り、皆で腰を落ち着けた。






*****






「さて、何から話そうか。色々と聞きたい事があるんだろう?」
 白身魚とゆり根を使ったフィンガーフードに箸を伸ばしつつ、そう問いかけてきた武内代議士の方に視線を向けた。
「そうだな……とりあえず、彼の正体から聞かせて貰おう。俺は、風俗業界の黒幕なんだろうと思ってたんだが。どうやら、それだけじゃなさそうだ」
「まぁな。黒幕ってのは当たってるが、風俗界は一角に過ぎない。彼は本来、政界で暗躍していた人物だ。分かり易く説明すれば、政界フィクサーってトコだろうな」


 先程の「政治家ではないけど政界主体」という言葉を聞いて、何となく予想していた答えが、やはりそのまま返ってきた。
 彼もそれが分かっていたのか、さらりと話を流しながら、美味しそうに料理を楽しんでいる武内代議士の姿を眺めつつ、溜息を一つ吐いて少し気分を落ち着かせた。


「ある意味、予想通り……ってトコだな。実力者なのか?」
「事実上、彼の意向で政治が動いていると言ってもいい。現在、最も影響力を持つ男だろう。金も持っているし、家柄もある。だがアイツの最大の武器は、本人の素質だな。祖父の血を受け継いでいるし、その教えを忠実に守っている。だから極力、表に顔が出ない様に気を使っているし、一般的には名前が出る事すら拒む。自分の意思で表舞台を捨て去り、裏社会で生きる事を選んだ男だ」


 会食の穏やかな雰囲気を保ったまま、話だけはドス黒い方にへと向かっていく。
 平然とそれをこなしてしまう武内代議士の姿に、政治家独特の処世術を感じながら、到底彼一人じゃ食べきれない分量の料理に、ゆっくりと箸を伸ばした。


「祖父の血を……と言ったな。彼は家系的にも裏社会に通じているのか?」
「そうだな。家業とでも言うべきかもしれない。母方の祖父が政界寄りの実力者だ。だから苗字は違っているが、彼が直系で間違いない」
「話は分かるが、そう簡単なモノじゃねぇだろう。世襲制でもあるまいし、能力の無い者は潰される」
「もちろん、その通りだ。彼の祖父には息子もいるが、ソイツ等は極普通の一般市民として平凡な生活を送っている。祖父が自分の跡目に選んだのは、嫁に出した娘が産んだ、孫にあたるアイツだった。当時は中学生だった彼を手元に呼び寄せ、付っきりで帝王学を叩き込み、持っている人脈を受け継がせたそうだ」
 政治の世界で頂点に君臨する者達にとって、藤原の存在は、もう当然の物になっているのかもしれない。
 よどみなくスラスラと説明を続ける武内代議士の話を聞きながら、大きく溜息を吐いて、少し気持ちを落ち着かせた。


「俺の勉強不足……ってトコか。風俗界だけに身を置いてるヤツだと、少々甘く見過ぎた様だな。藤原自身の意思で手を広げたのは風俗界だけなのか?」
「それで正しいが、ある意味、それだけでは済まない……って感じだろう。アイツの祖父は、政界と極右との橋渡しで暗躍していたが、彼はそれを受け継いだ後、風俗界と警察関係にまでパイプを伸ばした。風俗産業と警視庁は、切っても切れない仲同然だからな。両方でセット販売になっている」
「異性間の風俗は、どうもそうなってるらしいな。俺達にとっては無法に等しい、穴だらけの法律だが」
「まぁな。日本の風俗関係を定める法律は、全て異性間の交渉が前提だ。おかげで僕も法を犯す事無く、心ゆくまで気楽に遊べる。ともあれ、あの界隈に手を出した関係で、藤原は極道連中とも繋がりが出来た。風俗店でシノギをやってる連中が多いからな」
 金で買った表向きだけの嫁を持つ、根っからのゲイである武内代議士にとって、異性愛者の風俗で稼ぐ奴等の事など、対岸の火事程度なんだろう。
 他人事で淡々と話し続ける声を聞きつつ、つられて頬を緩めてしまった。


「なるほど。向こう側の界隈は賑やかだな。あの辺りはアジア系マフィアも多いだろう。チャイニーズ・マフィアはどうなんだ?」
「当然、藤原と繋がっている。風俗界絡みでもあるし顔が利く。日本人嫌いの連中も、彼にだけは一目置いているんだろう。中国マフィアを軽く見ているチンピラ共が、あの街で騒ぎを起こして拉致された時も、藤原が間に入って命だけは助けてやったと聞いている」
「黒社会にも顔が利く……か。上海マフィアにも通じているのか?」
「らしいな。上海、北京、福建の三大グループを筆頭に、方々と繋がりがある。特に、今では旧勢力になった台湾マフィアの首領とは、かなり懇意にしていると聞いている。随分と昔から旧知の仲で、藤原も首領の奨めで風俗業に手を出す気になったらしいな。彼が実力行使に出る時には、台湾マフィアの奴等が実行役になる事も多い。表向きは外国人マフィアの仕業で終わらせた事件も、裏で藤原が糸を引いている場合が多々ある。まさしく『闇の権力者』ってヤツだ。全ての黒社会に名が通っている、唯一の日本人だろう」


 そう教えてくれる武内代議士の声を聞きながら、ふと頭の隅を、知り合ったばかりである藤原の姿が過ぎっていく。
 一見して分かる洗練されたスマートさとは真逆の、あの言い様の無い威圧感の意味が、今、ようやく理解出来た。




 藤原が実行役に使っているらしい台湾マフィアは、日本で暗躍する外国人マフィアの中でも、特に面倒な連中かもしれない。
 ガキの頃に過ごしていたスラムでも、チャイナタウンを拠点に活動する、様々な中国系マフィアの冷酷無比さは話題になっていたし、実際に何度か目にした事もある。
 それが本当なのかどうかは分からないものの、台湾マフィアは仲間内の抗争でも、全員が死ぬまで殺しあう……という噂までもが、洋の東西を問わず、まことしやかに流れている。
 手段を選ばぬ荒っぽさがあり、日本の警察や暴力団でも介入を躊躇う連中との繋がりがあるとすれば、本当に厄介なのは考えるまでもない。


 何か応えようにも、あまりにも予想外過ぎた藤原の正体の凄まじさに、咄嗟に言葉が出てこない。
 少し考えを纏めようと軽く頭を振った瞬間、軽く笑い声を上げた武内代議士が、俺を慰めているつもりなのか、勢い良く背中を叩いてくれた。




「今現在、藤原と肩を並べるヤツはいないだろう。彼絡みで一人や二人消えたとしても、何の支障も無い。アイツを咎める事が出来るヤツなど、現段階では存在しない」
「だろうな……だが逆に、一般人に顔や名前すら知られていないのは、何かと不利になるんじゃないのか?」
「その程度の事が足枷になる様じゃ、まだまだ実力不足ってトコだ。藤原の場合、あらゆる部門のトップクラスの人間にだけ、その存在を知らしめれば充分だろう。庶民の不利益を握る人間関係など、お互いにその顔が見えるレベルの、本当に小さな社会だからな。彼が直接、そのレベルに手を下す必要は無い」
 とりあえず言ってみただけで、武内代議士が諭してくれた話程度は、もう充分に理解している。
 それは彼も分かっているらしく、さらりと便宜的に応えただけで、楽しそうに料理を吟味し箸を伸ばしている姿を、ぼんやりと目の端で追った。


 ビジネスとしても風俗業界に力を注いでいる藤原が、その役に立ちそうな財界人の集まる場に顔を見せないのは、口が軽くて品位の薄い、後ろ盾の無い成り上がりの連中も多い経済界に、若干の警戒心を抱いているのかもしれない。
 それとは逆に口が重く、自分の利益の為なら平気で嘘を吐ける政界の重鎮達や、金と権力で全てを掌握出来る暗黒街の者達との付き合いの方が、彼にとっては気楽なものなんだろう。
 藤原の名は、本当に一般的には知られていない。
 政界でも恐らく中央に属する者しか通じてないだろうし、それは経済界でも同じで、その名前と存在が話題になっているものの、それを知っているのは会長などのトップクラスに限られている。
 真の『藤原弘嗣』を知る者は、彼と同じく、あらゆる世界に顔を出せる、極少数の人間に限られている。
 俺なんかでは、その正体すら知らないうちに、彼は事実上の敵さえも見つからない、巨大な存在になっていた。




「予想以上の大物だな。爺さんも、アイツに何か弱みを握られているのか?」
 何とか気を取り直して問いかけると、料理を口に運びつつ、武内代議士は軽く首を振った。
「いや、僕は何も無いぞ。実直な清潔さがモットーの、本当にクリーンな政治家だ。むしろ、僕はジェイの方には頭が上がらない。あんなに快適で楽しく、本当にリラックスして遊べる店を作って貰ったからな」
 藤原の存在を気に留める必要の無い彼にとっては、マフィアに命を狙われる心配より、クラブJで若いボーイ達から受けるサービスの方が、何倍も重要なんだと思われる。
 冗談めかした口調で話しながらも、意外と真剣にそう思っているのかもしれない、やけに嬉しそうな武内代議士に向かって、苦笑しつつ手を振った。


「ばか、俺なんか大した人間じゃねぇよ。親父から受け継いだ会社を動かして、売り専クラブを一つやっているだけだし、スラムでガキの喧嘩に明け暮れていた程度だ。どの部分を比べてみても、藤原の足元にも及ばねぇな」
 謙遜なんかじゃなく、本心からそう思う。
 知り合ったばかりの『藤原弘嗣』という男は、俺が予想もしていなかった位の、桁外れな化物だった。


 ある意味、気軽な親近感さえ覚えてしまう、彼の余裕綽々な雰囲気は、自分に対する自信の表れなんだと思う。
 政財界に極右、暴力団に警察、黒社会……彼の息がかかっていない場など、もう何処にも無いのかもしれない。
 想像を絶する膨大な力を誇る彼の姿に、今教えて貰ったばかりの逸話を、一つずつ重ね合わせていった。






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