Eros act-4 04

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 賑やかな話し声が方々から聞こえるパーティの席にも、もうすっかり慣れてきた。
 いつの間にか顔見知りになっていたヤツと軽く言葉を交わした後、場の片隅で一息吐きながら、ふと昔の事を思い出した。




 父に連れられて日本に来たばかりだったガキの頃は、大きな屋敷内で頻繁に行われるパーティが、本当に嫌で嫌でしょうがなかった。
 そもそも、まだ日本語も理解していない時期だったし、微妙な立場になる俺の扱いに戸惑っているのか、向こうも腫れ物に触る様な態度で、色んな意味で居心地が悪い。
 基本的に座って食事をするだけで終わりだけど、こんな立場なのに参加して良いのかどうかも分からないし、もし、いなくても済むのなら、出来る限り参加したくない。
 話をする相手もいなくて本当に退屈だし、雰囲気でしか分からないけど、あまり歓迎されてない気がする。
 そもそも、周囲も俺の取り扱いに悩んでしまって、とりあえず参加させているだけなのかもしれない。
 その気持ちを父に告げると「まだ日本語も分からないし、無理して顔を出す必要はない」と、あっさりと不参加を認めてくれた。


 面倒な事柄が一つ減り、子供心にも少しだけ気楽になったのを、今でもハッキリと覚えている。
 父の許可を得て、正々堂々と不参加を貫いていたパーティなのに、大学に入って父の手伝いをする様になり、何かしらの仕事紛いの事をする様になった途端、「他に用事が無い限りは参加した方が良い」と言ってきたのは、他でもない父本人だった。


 彼とほとんど同じ背丈に成長してから、初めて親子として対面した背景もあるし、互いの性格的に依存し合う関係でもないけど、父の事は人間的な意味も含めて尊敬している。
 自分の言った事を忘れる様な人じゃないし、何より、父の助言で間違っていた事は一つもない。
 だから、きっと何かそれなりの理由があるんだろうと納得して、数年ぶりに父に連れられ、今までとは少々違う趣のパーティにへと参加する様になった。




 もう今更、こういう場で話相手がいなくても戸惑う様なガキじゃないし、面倒な事を聞かれたら適当にあしらう術も覚えている。
 そう考えて参加し始めたパーティだけど、ほんの数回それに参加しただけで、父が何故、これを勧めてきたのかが理解出来た。


 一口に「パーティ」と言っても、それに参加している者達の顔触れで、随分と意味合いが違っている。
 女子供が主体だった、賑やかに話し合って料理を楽しむだけのパーティと違って、父が参加を勧めてきたパーティは、基本的に大人の男しかいない。
 中には男性以上に豪傑な女性経営者や、場を華やかにする為のレセプタント達は見かけるものの、基本的には男性ばかりで、自分が参加を躊躇い、父も不参加を認めてくれたパーティとは全然違っていた。


 最初の頃こそ、皆も俺の噂だけは聞いていたのか、物珍しそうに色々と問いかけられたりしたものの、それも初めの数十分程度で、俺が普通に色々な会話が出来ると分かると、そちらの方に話題が移っていく。
 良い意味で打算的な所がある者達ばかりだから、今の俺自身に交流を持つ価値があると判断されれば、出生に纏わる醜聞など、大して意味の無い事なのかもしれない。
 父の添え物的な目で見られたのも最初のうちだけで、直ぐに俺個人との交流を取ってくれる者も増えてきて、想像以上に快適な場になってきた。
 大人な彼等との話題の内容も、まだ本来は大学生な俺にとっては役立つ話ばかりで、退屈どころか、逆に時間を惜しんで話し込んでしまう事すらある。
 同じ「パーティ」でも、随分と目的が違うもんだなと感心しながら、父が助言してくれた通り、特に重要な用件の無い限りは出来るだけ断る事無く、参加を心がける様になっていた。




 財界人の割合が多い、普段参加しているパーティとは少しだけ雰囲気の違う、年齢層も少々高めな周囲の様子を見回してみる。
 急用で来れなくなった父の代理でやってきたものの、意外と初めて目にする者も多く、久しぶりに少々戸惑ってしまった。
 こういう場に顔を出す様になって数年は過ぎているから、今ではすっかり顔馴染みになった連中がほとんどだけど、今日の参加者達みたいに政界人がメインの場では初対面の者も数多い。
 両方に通ずる者も多いから、今日も全く知人がいない訳ではないけど、お世辞にも場慣れしてるとは言えないだろう。
 やっぱり俺はまだ、父には程遠い所で足掻いてるんだな……と自嘲していると、傍を通り掛った顔見知りの会長に声をかけられ、少しだけ立ち話をした。


 政治の世界には全く手を出していないものの、大企業と呼べる所のトップにいる初老の会長は、政界に身を置く者達にもそれなりに顔が通っているらしい。
 今日は父の代理で来た事を告げると、「次からは代理じゃなく、自分から顔を出せば良い」と和やかに言いつつ、彼は忙しそうに去って行った。
 確かに、今日の参加で知人も増えたと思うし、意外と興味深い人間や話題も数多い。
 今では別行動がほとんどだし、こういうパーティ位は父と一緒に来るのも悪くないだろうと考えていると、何となく視線を感じて、その方に無意識に顔を向けた。




「へぇ、君が『ジェイ』か。色々と噂を聞いて、一度会ってみたいと思っていた。予想以上に男前だし、単なる経営者じゃ勿体無い位だ。やっぱり日本名より『ジェイ』の方が、雰囲気的にも似合うんだな」
 和やかな笑みを湛え、かなり親しげに話しかけてきた、俺よりは随分と年上に見える壮年の男を、さりげなく観察してみる。
 こういう場では実年齢の差を問わず、初対面時はお互いに儀礼的な言葉を交わして、場を繋ぐ事がほとんどだから、いきなりの気安い挨拶に内心少々戸惑ってしまう。
 もっとも、秘書の田上と同年代の30代後半辺りかと思われる男の態度からは、特に嫌味な部分は感じられない。
 彼より随分と若輩者の俺を小馬鹿にしている風もないし、逆に親しみを持ってくれたんだろうか? といった雰囲気を感じる。
 洗練された雰囲気とは裏腹の、くだけた口調が妙に心地良く思えて、自然と口元を緩めながら真正面に向き直った。


「ありがとう。褒め言葉として受け取っておこう。失礼だが……」
「悪い、俺の自己紹介がまだだったな。名を言っても分からないと思うが『藤原』だ。藤原弘嗣(ひろつぐ)と言う名だ」
 彼に合わせて楽な口調で答えてみても、やはり彼は、それを咎める様子もない。
 極自然な態度で、サラリと自分の名を教えてくれた男の顔を、思わず目を瞠ってジッと見詰めた。




 聡明さと育ちの良さが滲み出ているし、てっきり二世の若手代議士か何かだろうと決め込んで、あれこれと色んな顔を思い浮かべてはみたものの、目前の男に該当しそうなヤツはいない。
 地方議員には見えないが……と考えつつ、失礼ながらも訊ねた問いの思いがけない答えに、本気で少々驚いたまま、ようやく止まっていた口を開いた。


「いや、知らない筈がないだろう。当然知っている。俺の方こそ、一度顔を見たいと思っていた。こんな所で出会うとは驚きだな。パーティの類には、ほとんど参加しないと聞いていたんだが」
「そうか、ジェイに覚えて貰っていたとは光栄だ。確かに、財界人の多い会合には顔を出さない。どっちにしても、俺の存在が馴染まない事は分かっているからな。呼ばれて参加するとなれば、コッチの方が多いだろう。俺としては、この雰囲気の方が気楽に感じるからな」
 勝手に想像していたのは全く違う、上品そうな彼の姿を興味深く見詰める。
 きっと彼の方も、同じ気持ちで俺の事を観察しているんだろうけど、それを忘れてしまう位に、目前の存在に驚いていた。




 その名前だけは誰でも一度は耳にしているものの、実際に顔を合わせ、言葉を交わした事のある者が極端に少ない『藤原』と言う名の男が、いわゆる「普通の風俗業界」を独占していると、かなり前から噂だけは聞いている。
 もっとも、その姿同様、表向きはマネージャーやオーナーが置かれていて、その名が直接出てくる事はない。
 ただ、売り上げの良い人気店を調べてみると、背後に必ず、彼の存在があるらしい。
 そうやって意識して考えると、様々な形態を持つ風俗業種のトップ店ほとんど全てに、藤原の影が程度の差はあれどチラついている。
 公然とそこまで判明しているのに、当の本人が滅多に姿を見せないから、余計に話が広まっているのかもしれない。
 その名が表には出てこないだけで、事実上、異性愛者向けの現在の風俗業界全てが、彼の手中に収まっていた。


 只、単純に「風俗業界の首領」程度では、いくら名を馳せていようと、この場に呼ばれる事は無い。
 何か裏があるんだろうな……と考えながら、静かに次の酒を選んでいる彼の動きを、何気なく目で追った。




「俺の方でも色々と噂は聞いているが、本来の本職は何になるんだ? 俺が実際に聞いてるのは風俗業だけだが、それだけじゃなさそうだな」
「まぁ、色々あるが。それが本職で良いだろう。今、一番興味を持っている業界だ。風俗業界を口悪く言うヤツも多いが、俺はビジネスとしても、あの業種に魅力を感じている。知れば知るほど面白く感じるし、意外と奥が深いものだ。かなり力を注いでいるし、もっと手を広げたいと考えている」
 普段は彼がどう答えているのか、それを確かめる術は無いけど、少なくとも俺に対しては、適当に話を逸らせるつもりはないらしい。
 穏やかな笑みを浮かべ、あっさりと認めた藤原に促されるまま、軽く視線を合わせてグラスを掲げ、二人だけで乾杯の挨拶を交わした。


 風俗界を手中に収めているヤツなど、きっと極道崩れみたいな厳つい風貌なんだろうと勝手に想像していたのに、彼はむしろ真逆と言っても良いだろう。
 噂によると、かなり粗暴で強引な手段を用いる事も多いらしいが、目前の藤原から、そんな印象は感じられない。
 滅多に表舞台に顔を出さない真意が、一体何処にあるのかは不明だけど、この印象の差は色んな意味で有利だと思う。
 それでも、単に洗練された雰囲気だけじゃなく、やはり独特の凄みの効いた存在感があるし、只者ではないのは理解出来る。
 強いて例えるなら、インテリヤクザか企業マフィアって所だろうな……と考えながら、随分と上機嫌で飲んでいる藤原の方に視線を戻した。


「手を広げたい……と言っていたな。何か狙っているのか? 俺が聞いている分だと、既に完全制覇に近いんじゃないかと思うが」
「あぁ、そうだな。通常の風俗界では、それに近い所まできたと自負している。俺がメインに動かしている界隈があるが、次は、ソコから通りを挟んで向こう側にある、同性愛者が仕切っている界隈に店を出したいと思っている」


 唐突に聞こえてきた、あまりにも予想外の答えに、口元に近づけようとしていたグラスを止めた。
 彼が風俗店を多数抱えている界隈が何処だか、それは予め知っている。
 少々面倒な話になったな……と内心苦々しく思いながらも、彼の話に乗る振りをして、彼の方に顔を向けた。




「そうか、同性愛者ねぇ……その趣味があるのか?」
「いや、全く無い。だから話を聞いた程度だし、実際に界隈の中に足を向けた事も無い。一般的に『ソープランド』と称される場が、向こうでは『売り専クラブ』と呼ばれているそうだ。クラブやバーなど、飲むスペースが併用されている店舗が多いそうだし、随分とシステムが違う様だな。未知の世界だが、却ってそれが面白い」
「そうか。それで、その『売り専クラブ』に手を出すつもりなのか?」
「あぁ、そのつもりだ。だが、どうも一筋縄じゃいかないみたいだ。あの街には『ジェイ』と呼ばれる男がいて、界隈を牛耳ってるらしいな。そういえば、お前も『ジェイ』だな。あの街を仕切っているのも、お前と同じハーフの男らしいが。割と多い通称なのか?」
 当の本人にそんな事を聞いてきた藤原は、俺が同性愛者である事や、あの街で売り専クラブを経営している事までは知らないらしい。
 その二人が目の前にいる同一人物だと、全く予想もしていない彼の問いを聞きながら、頬を軽く緩めたまま、手にしていたグラスを少しだけ煽った。


 ゲイである事を隠しているつもりは無いけど、此方が驚く程に、その情報は広がっていない。
 噂を聞きつけて問われれば、ありのままの真実を答えているし、それは父も同じだけれど、そもそも、その噂自体が出回ってなくて、滅多に問われる事がない。
 確認した事はないけど、おそらく父以外の周囲が動いて、その情報を揉み消していると思われるが、本当にご苦労な事だと毎回鼻で笑っている。
 そんな感じで普段は同性愛者である事を隠してないけど、今は何故だか咄嗟に、適当に誤魔化す方を選んだ。


「そうだな。よくある名だ。珍しい呼び名じゃねぇよ。それで、店を出す話は、どの辺りまで進んでいるんだ?」
「いや、まだ全然だな。今から本格的に取り掛かるって所だ。俺はアチラの趣味は無いが、随分とシステムが違うらしいってのは聞いている。それを調べている段階だ」
「なるほど。あの界隈に知人でもいるのか?」
「いない訳じゃないが、彼に詳細を聞くつもりはない。一人の情報に頼るのは危険だし、そもそも、最近は顔も合わせていない。もし聞いたとしても、街の雰囲気を問う程度だろう」
「それが賢明だな。だが、同性愛者の嗜好を知らずに店を出して、それで上手くいくのか?」
「問題があるとすればソレだろうな。いずれにしても、一度は界隈を覗く予定にしている。俺に理解出来る世界かどうかは分からないが。まぁ、難しい案件ほど、何かと興味も出てくる様だな。まだ本当に企画段階にも入っていない程度だし、もっと準備が必要だろうな」
 饒舌なその口調からも、彼が今、本当に興味を持っている事柄なんだろうと伺える。
 楽しげに「俺達の街」への進出予定を話している藤原の元に、一人の男がスッとさり気なく近付いてきた。
 軽く此方に会釈を送ってきた男は、多分、藤原の御付で待機していた者だと思う。
 ボソボソと二、三言、男と言葉を交わした藤原が、ほんの少し顔を顰めながら、此方に視線を向けてきた。


「話の途中で悪いが、どうやら時間になった様だ。もう一つ、呼ばれているパーティがある」
「そうか。俺の方は気にするな。もっと話したいが、時間ならば仕方ない」
「あぁ。悪いな、ジェイ……最初にも言ったが、此方のパーティには顔を出す機会が多いし、近いうちにまた会える筈だ。俺もジェイの意見を聞いてみたい所だし、今度はゆっくりと話をしよう」
 名残惜しそうに話す彼は、どうやら本当に時間の余裕が無くなっているらしい。
 数名の男達に取り囲まれて、慌ただしく去っていく藤原の後姿を見送りつつ、思わず軽く苦笑してしまった。




 何故だか、やたらと彼に気に入られてしまったらしいけど、少なくとも、俺の方も、彼に対して悪印象は持っていない。
 もっと話をしてみたいと思うのも本心ではあるけど、でも、あの街への進出話だけは、そう簡単に聞き流す訳にはいかなかった。


 ノンケの部外者が簡単に売り専クラブを経営出来るほど、恐らく彼が考えている以上に、あの街は甘い界隈ではない。
 一種独特な、あの街ならでは風習を、異性愛者の街で権力を持つ彼が理解出来るかどうか……それがまだ、ほんの少し会話を交わした程度では、今ひとつ予想が立てられずにいた。
 今の彼があの考えそのままで進出してきたとなれば、色んな意味で少々厄介な存在になってしまうだろう。
 一歩間違えれば大きな火種になりそうな話に戸惑いながら、また一人になった会場の片隅で、今聞いたばかりの話を、頭の中で反芻していった。






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