Eros act-4 16

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 眠りにつく前の一時、二人でこうしてゆっくりと過ごす事は、もうすっかり当たり前になっている。
 背中から抱き締めてくれる彼の温もりに包まれたまま、いつの間にか、半分だけ夢見心地でウトウトと微睡んでいた。




 翔との同棲を決めた時、新しいマンションを買おうと思った。
 俺だけならともかく、彼は身体も大きいから手狭だろうし、実際に彼の荷物を運び込んだら、処分する物は幾つかあるだろうけど、ますます狭くなるのは分かっている。
 此処は一人暮らし用で考えて買ったマンションだから、俺の好みで部屋が一つしかないおかげで、彼の個人的なスペースも作れそうにない。
 金に困っている訳でもないし、世間一般の二人暮らしと同じく、せめて2LDK位は必要だろうと何度も言ってみたのに、翔は「此処で良い」と言い張って、頑として譲らなかった。


 最初から必要最低限の物しか揃えてないし、売り専ボーイの間だけの仮住まい程度で考えていたから、いつでも引越しで処分出来る様に、そんなに上質な物は揃えていないらしい。
 あまり物欲がある方でもないから、運び込む荷物もほとんど無いし、自分の部屋も必要無い。
 それ以上に、この部屋を凄く気に入っているから、このまま麻紀と一緒に此処に住みたい……と、子供みたいに駄々を捏ねる翔に根負けして、このワンルームで同棲生活を始めた。
 今は俺の荷物しか無いから広く感じるけど、実際に二人で暮らしてみたら、翔から見ても色々と不便な所が出てくるだろう。
 それから話し合って、丁度良さそうなマンションを探せば良いかなと考えていたのに、とりあえずで始めたワンルームでの同棲生活は意外な程に心地良くて、俺の方が本気で驚いてしまった。


 自分で言い張っていた通り、翔がこの家に持ち込んだ荷物はビックリする位に少なかった。
 ジェイの店にいた時から、彼等の言う『別荘』を始めとして、自分の部屋には帰らずに皆の所をフラフラと泊まり歩いていたそうで、やっぱり基本的に物品に対する所有欲ってモノは持ち合わせていないようだ。
 俺の荷物をちょっと片付けただけで簡単に納まった、少々の荷物と一緒にやってきた彼は、そういう添え物とは全然違って、家の中でとても大きな存在感を持つ様になっていった。


 翔がこの家を気に入っている理由の一つに、「何処にいてもお互いの姿が見えるから」と言うのがあった。
 別に大きな屋敷を構える訳でもないし、翔はホントに大袈裟だなぁ……と、そう言われてもピンとこなかった理由の意味が、実際に彼と暮らし始めてみると、ようやく少しずつ分かってきた。
 二人で別々の事をやっていても互いの気配を感じられて、顔を向ければ直ぐに姿が見えるってのは、意外と安心出来る事なんだと初めて知った気がする。
 料理好きな慶みたいに手際良くは出来ないから、マイペースでのんびりと食事の準備をしている最中も、キッチンからチラリと視線を向けた先に在る翔の姿に、何故だかやたらと気持ちが落ち着くのを感じていた。


 同棲を始める以前から、翔は頻繁に泊まりに来ていたものの、何の躊躇いも持たずに受け入れるには、俺は気侭な一人暮らしをしていた時間が、あまりにも長過ぎた。
 今はお互いに気持ちが盛り上がっているけど、その気持ちが永遠に続く訳じゃない。
 そのうち落ち着いて二人でいるのが当たり前になってきたら、一人身の自由さ加減を思い出して鬱陶しく思うんじゃないか……と、その辺りを自分では少し心配していたけど、それは全くの危惧で終わった。
 むしろ今では、彼が祐弥と飲みに出かけて家にいない時なんかは、一人で過ごす部屋が妙に広く感じられて「早く帰ってこないかなぁ」とすら思ってしまう。
 一人で過ごしていた頃以上に、快適で本当に穏やかな時間を、同棲を始めてからずっと、翔と二人で過ごしている。


 翔が今まで使っていた物の中で、すぐに処分するには少々勿体無い、まだ新しい家具や電化製品などを、彼は当然の如く平気な顔で『自分の部屋』に運び込んだ。
 確かに、売り部屋の管理は各自に任せてあるし、以前から「好きに使って良い」とは言っているけど、ここまで物品の充実した部屋は初めて見た気がする。
 生活感溢れ過ぎる売り部屋は如何なものか……? と注意すべきか本気で悩んでしまったけど、それを気にしたのは俺だけで、翔の常連達からは意外にも大好評を得ているらしい。
 やっぱり翔の常連は変わった人が多いよなぁと考えながら、小さな欠伸を一つ吐いた。






 寝転んだまま眺めているテレビを見て、ククッと小さく笑っていた翔が、俺がウトウトと半分眠りつつあるのに気付いたらしい。
 そっと抱え直してくれた腕の中、また彼の温もりが伝わってきて、思わず安堵の溜息を洩らした。


 ゆっくりと時間をかけて愛し合った後、何となくつけたテレビの深夜放送で、彼の好きな映画をやっていた。
 「もう何度も見たから、ストーリーも分かってるんだけどなぁ」とか言いつつ、また見入っている彼の腕に抱かれながら、テレビから小さな音で流れている声を子守唄に、のんびりと眠りにつく前の一時を過ごしていく。
 もし、俺が最初に主張していた通りにベッドルームが別々の家だったら、こんな時間は過ごせなかったかもしれない。
 そう考えれば、ワンルームに二人で暮らすのも悪くないな……と、夢見心地でぼんやりと考えていると、サイドテーブルに置いてある俺の携帯が、小さな着信音を奏でているのに気付いた。




「麻紀、慶さんだ。珍しいなぁ、こんな時間にさ」
 腕を伸ばして携帯を取ってくれた翔が、ディスプレイを眺めつつ、不思議そうに呟いた。
「……え、慶が? 確かに変だな。まだ営業中でもおかしくない時間だと思うけど」
「だよな。よっぽど急用なんだろうな。一応、出ておいた方が良いかも」
 半分眠りかけている俺を気遣ってくれたのか、翔がそう促してきた。
 通話ボタンを押してくれて話が出来る状態にしてある携帯を、彼の腕に抱かれたまま半分眠っている頭で、何気なく受け取った。


「……ごめん、半分寝てる…………ん、何とか……――――え、何だって!?」
 電話の向こう側から聞こえてきた慶の話に、一気に眠気なんて吹き飛んだ。
 いきなりガバッと身を起こした俺を見て、不思議そうな表情を浮かべた翔を残して、とりあえずベッドから飛び起きた。
 翔にも説明をする必要はあるけど、話を全て聞いてからでは遅過ぎる。
 携帯を片手に、普段よりもかなり早口な慶と話を続けながら、ベッドの脇に脱ぎ捨てていた下着類を拾い集めて、翔の方に放り投げた。
 ボーッと此方を眺めていた翔も、それで取り急ぎの状況は察してくれたらしい。
 携帯で話を続けながら、片手で身支度を整えていく俺の隣で、翔も慌てた様子で外出の準備を始めてくれた。


 今現在、判明している状況を詳細に伝えてくれる慶の話を聞きつつ、頭の中で色んな段取りを整えていく。
 まだ店に残っていた従業員の若い子を連れて、偶然遊びに来ていた橋本と一緒に、これからマンションに戻って連絡を待つ……と、自分の動向を教えてくれた慶から全ての話を聞いて、とりあえず一旦、此処で通話を終わらせた。




「麻紀、どうしたんだよ? こんな時間から出かけるとかさ。何か大変な事が起こったとか?」
 話が終わった携帯を放り出し、やっと服を着始めた俺に向かって、外出の用意がほとんど準備が終わってしまっている翔が、怪訝そうに問いかけてきた。
「あぁ、大事件だ。ジェイが刺された。四人揃って店から帰る途中、何者かに突然襲われたらしい。三上は現場に直行して、ジェイと一緒に病院に向かうそうだ。一稀も一部始終を目撃してショック状態になっている。中川とティコが現場に残って警察の対応をしていて、拓実も現場に向かっている。俺は病院に行くから、翔はソッチに向ってくれ」
 一刻を争う事態だから、事細かに説明している余裕が無い。
 要点だけを掻い摘んで話をすると、手を止めて目を瞠っていた翔が、大きな溜息と共に頭を振った。


「何だよ、それ……四人で帰ってる最中に襲われるとか、ありえねぇぜ……」
「そうだな。何か裏があるのは確実だけど、今はジェイの安否と状況把握が先だろう。明日は店を閉める。ウチの方は祐弥に連絡を廻して貰おう。多分、ジェイの店もそうするだろうから、翔は中川を手伝ってくれ」
「あぁ、分かった。ティコは免疫が無いからな、アイツも相当、混乱状態だろう」
「目前で身内が刺されたも同然だからな。パニックになって当然だ。それから『誰かにジェイの事を聞かれても何も答えるな』と、知ってる限りの全員に連絡を廻してくれ。俺の名前で……だ。とにかく、それだけは大至急で広めて欲しい。可能ならば、街が落ち着くまで立ち入らない方が無難だろう」
「それも伝えるけど……『誰かに』って誰だよ? 事件についてを聞いてくるんなら、きっと警察のヤツだろ。協力しといた方が、犯人も早く捕まるんじゃねぇのかな」


 少々不満気に問いかけてきた翔の声に、思わず手を止め、彼の方に視線を向けた。
 俺が告げた言葉の意味を「警察への捜査には協力するな」と受け止めてしまったらしい。
 どうしても納得いかないらしく、本気で顔を顰めている翔の姿に、俺の方こそ少々驚いてしまった。


「……翔。やっぱり、ジェイから何も聞いてないのか?」
「ジェイからって、何をだよ? 特に変な話を聞いた記憶は無いけど」
「そうか……別に隠している訳じゃ無さそうだけど、声高に言う話でもないからな。ジェイが混血なのは見ての通りだけど、その父親が普通じゃない。日本最大級の財閥である東郷一族、その本家で現在頂点に立っているのがジェイの父だ。彼は正妻との間に娘しかいない。ジェイは愛人が産んだ子になるけど、日本に来た直後に正式に認知され、東郷家の一員になっている。東郷グループの次期総帥を継承する御曹司『東郷雅章』が、ジェイ本来の姿だ」
 現在の日本で財閥と言う形態が消滅していたとしても、その程度で地盤が揺らぐ訳もなく、東郷一族は今でも日本最大級のコンツェルンとして、経済界に君臨している。
 表の世界にいる間のジェイは、東郷家の正統な後継者として、既にその位置を確立していた。


 彼の生い立ちがどうであれ、彼自身の企業家としての実力を目の当たりにすれば、本音としては苦々しく感じていても、周囲の者達も認めざるを得ない。
 ジェイを蔑ろに扱った挙句、もし、彼と敵対する事になったとすれば――――その結果を考えてしまう位、ジェイは異質な血と共に、東郷一族直系としての能力も、正統に色濃く持ち合わせていた。




「マジ? じゃあ、ジェイが昼間やってる仕事は東郷グループの……ってか、何で麻紀がソレを知ってるんだよ!?」
 呆然と聞いていた翔が、ようやく正気を取り戻してくれたらしく、慌てて問いかけてきた。
「ずっと前、翔が『ジェイは他にも何か、社長的な仕事をやってるらしい』って教えてくれただろう。中川に聞いたら適当に話を逸らされてしまったけど、一稀に聞いたらすんなりと教えてくれた。今では幾つかのグループ企業を仕切っているそうだ。それは父から受け継いだ企業になるけど、近いうちに自分でも新規に立ち上げる予定だと聞いている」
「そうなのか……何となく、良いトコのご子息なんだろうなって雰囲気はあるし、サラリーマンの息子とかじゃねぇなとは思ってたけど……想像以上だ」
「まぁ、想像出来るヤツの方が少ないだろう。とにかく、俺や翔が刺された所で何の話題にも上らないだろうし、せいぜい三面記事で数日ほど騒がれて終わりだ。でも、ジェイの場合はそうじゃない。日本では確実に片手の中に入る、世界規模な大富豪の御曹司が、実はゲイで風俗店を経営し、男の恋人と二人きりでゲイタウンで暮らしているなんて、こんなスキャンダルは滅多に無い。マスコミには格好の餌食だ」
 ゆっくり説明してあげたいけど、そうしている時間もない。
 このまま病院に泊り込む可能性もあるし、二、三日は過ごせそうな手荷物をバッグに放り込みながら、翔の疑問に答えてやった。


「なるほど……分かった。そういう意味の『何も答えるな』か。とにかく、この街に出入りしているヤツ以外には、ジェイの事について何も教えるな、って事だな」
「そうだな。でも、ジェイだけじゃない。三上や竹内代議士みたいな……そういう『普通じゃない人達』がいる事実こそ、この街の存在意義そのものだろう。彼等を理解し受け入れつつも、俺達は卑屈にならずに『共存していく事』……それがこの街の掟だと教えられた」
 いつ頃から、あの界隈がそんな特異性を持つようになったのかは分からない。とにかく、俺が身を沈めた時にはもう、そんな関係性が出来上がっていた。




 歴史にも名の残る旧家の子息であるジェイを筆頭に、三上の場合、名前と顔が世間一般に知られていて、認知度はジェイよりも遥かに高い。
 日本を代表する役者を両親に持っているし、ゲイを公言している本人が慶との生活を最優先に考え、積極的に仕事を入れてこないだけで、小遣い稼ぎ程度にやっている俳優業では、どの出演作もかなりの高評価を得ている。
 ジェイや三上、政治家として名を馳せている竹内代議士を始めとして、同性愛者かどうかを問わず、あの街には各界の著名人が数多く遊びに来ている。


 彼等が俺達を信頼出来ず、偽らない姿で闊歩出来ないのなら、何の特異性もない他所のゲイタウンと変わりない。
 誰もが仮面を脱ぎ捨て、本音だけで過ごしていける――――そんな男だけの楽園として、この界隈は存在していた。




「麻紀。ジェイの素性とか……ある程度、皆にも説明した方が良いかな? 俺が知らない位だから、颯太とかは絶対聞いてないと思うぜ」
 荷物を選んでいる様子を見て、説明しなくても何の事だか理解したらしい。
 部屋のあちこちから必要な物をかき集めて、連泊の準備を手伝ってくれつつ、翔がそう問いかけてきた。
「いや、その必要はない。明日になれば日本中に知れ渡ってしまう事実だ。嫌でも耳に入るだろう」
「……そうだな。スキャンダルもだけど、実際にジェイは刺されて病院送りだからな。もう隠しようがねぇよな」
「この街のジェイは裏の顔だ。この街でやられたから、狙われたのは裏のジェイだけど……これで、表と裏が重なってしまった。あと少しでマスコミが大挙して押しかけてくる筈だ。当分は街が正常に機能しなくなるだろう。だから落ち着くまで、この界隈には近寄らない方が良い。暫くは黙秘を続ける方が賢明だ」
 ジェイが狙われた理由を考えそうになる頭を、今は必死で押し留める。
 そんな事を探るより、今は目の前にある問題を片付けていく方が先決だった。


 この街で生きている奴等なら、皆、改めて説明などされなくても、こういう時にやるべき事を、きっと肌で感じ取っているに違いない。
 あまり歓迎されるべき事ではないけど、常日頃の結束の固さが、本当の意味で発揮される時が来た。
 この界隈で見せるジェイの姿を、他の奴等に一言も洩らしてはいけない。
 それはジェイだけでなく、彼最愛の恋人である、一稀の存在についても同じだった。




「――――翔、何処に電話してたんだ?」
 荷物を纏めて準備を終えた頃、翔が何処かに電話をかけているのに気付いた。
 部屋の奥側にいるから内容までは聞き取れないけど、何となく、街の誰かにかけている口振りじゃなさそうな気がする。
 携帯を切った翔に問いかけると、彼が軽く口元を緩めた。
「タクシー呼んどいた。麻紀、まさか歩いて病院に行くつもりかよ?」
「あ、そうだな……それは頭に無かった。俺も落ち着いてるつもりだけど、それなりに慌ててるんだろうな」
 本気で頭に無かった自分自身に、ほんの少し驚いた。
 もっとも、あの界隈に出入りしていて「ジェイが刺された」と聞いても平然としているヤツなど、まず存在しないと思う。
 自嘲しつつ立ち上がると、翔に掌を掴まれ、突然強く引っ張られた。


 抗う余裕もなく抱き寄せられた腕の中が、本当に心地好い。
 素直に翔の背中に腕を廻して、軽くキスを交し合った。
「大丈夫だ、翔。心配するな。俺は平気だ」
「分かってるけどさ……やっぱり少し心配だよな。コッチで何か動きがあれば、直ぐに携帯の留守電にでも入れておく。明日は病院の方に直接行くから、その時に必要な物があれば持って行くぜ」
「あぁ、そうしよう。俺の方でも、ジェイの容態は逐一、報告を入れる様にする。翔の方が、直接、現場に向かうし危険だろう。気をつけろよ」
 心配性な彼だし、きっと内心では、俺も慶と同じ様にマンション待機で、外には出て欲しくないと思っているに違いない。
 でも、そう言って引き止められない事も、俺が出かけていく理由も、きっと誰よりも理解していた。




 暖かな腕の中を、暫くの間、堪能する。
 ジェイの容態がいつ安定するかは分からないけど、その時が来るまで、翔とのこうした時間は少しの間、お預けになってしまう。
 だから少しの時間しかないけど、こうして気持ちを静める時間が必要だった。
 そう感じれば尚更、こんな時間を経て覚悟を決める事すら出来ず、唐突にジェイが傷を負う瞬間を目撃してしまった一稀のショックが、手に取るように理解出来る。
 だから、次にジェイが目覚める瞬間まで、一稀を支えていかなければ……
 それだけを考えながら、タクシーがやって来るまでの僅かな時間、翔の温もりに包まれていた。






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2010/06/05  yuuki yasuhara  All rights reserved.