Eros act-4 14

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「ティコ、まだ何か残ってる? 手伝おうか」
 倉庫の入口になるドアの所から、一稀が顔だけ覗かせて問いかけてきた。
 時間的な事を気にしてなかったし、順番に仕事を片付けていただけで、残りがどれ位だとかは考えてない。
 もしかして、俺、ちょっと遅れてるのかな? と考えつつ、残っている仕事を確認してみた。


「うーん、大丈夫かな。今やってる分が終われば、とりあえず完了。後は明日でも大丈夫だからさ」
「俺の方も全部終わった。じゃあ、今日も一緒に帰れるかな。ジェイが『ティコも終われるんなら、皆で一緒に帰ろう』ってさ」
「あ、そうなんだ。俺の方は大丈夫。コレの不足分だけ数えて、それをメール注文すれば終わりだから……とりあえず事務所で待ってて」
「分かった。じゃあ、後は中川さんの方だな。そっちも様子見て、まだ残ってたら手伝ってくる」
 パソコンは事務所だから、本日最後の仕事は多分、そこで終わりになると思う。
 ちょっとだけ考えつつ一稀に告げると、楽しそうに頷いた彼は、またジェイの所に戻っていった。




 ジェイから色々と話を聞かされた後、実際に揉め事に巻き込まれて怪我をした経験のある一稀は、やっぱりほんの少しだけ怖くなってしまったらしい。
 それに気付いたジェイに頼まれた通り、その翌日から交代で一稀と一緒に行動して、彼が一人きりにならない様に、何かと気を配っていた。
 一稀は「面倒な事を頼んでゴメン」と、ちょっぴり申し訳無さそうに謝っていたけど、俺や店長は全然面倒だとは思ってないし、むしろ、怖くなっても当然だろうと思っている。
 ちょっとした喧嘩ならともかく、何人もに囲まれ袋叩きにされて、挙句に骨折と全身打撲で一ヶ月も入院してれば、その恐怖感を無意識に思い出してしまうのも仕方ないし、ホラー系や暴力映画が凄く苦手な俺としては、その気持ちは本当によく理解出来る。
 だから学校に行く時以外は、俺が出来る限り一緒に行動する様にして、どうしても都合がつかない時には、店長や三上さんが付き添ってあげる事にした。


 いつも傍に誰かがいるのと、一稀に直接関わる様な目立った動きは無かったのとで、最近になって、ようやく安心出来る様になったらしい。
 ずっと漂っていた落ち着かない雰囲気も消え失せ、普段と変わらぬ様子になってきた一稀を見て、皆でホッと胸を撫で下ろした。
 街の方は麻紀や他の皆とか、仕切ってくれる人達が沢山いるけど、不安になった一稀の気持ちを宥めるのは、彼と仲が良い俺達にしか出来ない事だから、落ち着いて良かったなって嬉しく思う。
 それに、一稀を一人にしない様に……と考えると、必然的に仕事の終わったジェイが帰って来るまでは、一稀は店にいるしかない。
 だから一稀と過ごす時間が増えるし、迎えに来たジェイも、今日みたいに翌日の仕事が無くて来るのが遅くなった時は、ついでにそのまま残ってくれて、四人で帰る場合が増えてきた。


 俺が副店長になった頃は、わりと頻繁にこうして一緒に帰る事が多かったけど、ジェイの仕事が忙しくなってきてからは、その機会も減ってきていた。
 それはしょうがない事だとは思うけど、四人で何気ない話をしながら家まで帰るのは、こんな状況だし不謹慎かもしれないけど、やっぱり楽しいなぁと嬉しく思う。
 其々に忙しい日々が続いているから、今回の件が一段落してしまえば、皆で過ごす一時も当分無いんだろうなと感じてしまう。
 一稀もそろそろ落ち着いてきたけど、もう少しだけ、こういう時間が続いてくれると良いなと考えながら、最後の箱をチェックし終えると、在庫倉庫に鍵をかけて事務所の方に向かって行った。






*****






 歩く時に並ぶ順番は、その時によってバラバラだけど、今日はジェイと一稀が前を歩き、俺と店長が彼等の後ろを歩いていく。
 とは言っても、いつもこうして四人で話しながら歩くのは慣れているから、前後に分かれて話していても、別に不自由だとは感じない。
 以前は俺と一稀が並んで……って感じの組み合わせが多かったけど、今回は一稀が怖がっての行動だから、前後が入れ替わる事はあっても、一稀の隣にジェイが並ぶのだけは変えない様にして歩いている。
 いくら俺達が頑張って彼に付き添ってあげていても、やっぱりジェイには敵わないだろうし、一稀が一番安心するのはジェイが傍にいる事だと、もう充分に分かっている。
 ジェイの隣でリラックスした表情を浮かべている一稀を、後ろから微笑ましく見守りながら、皆であれこれと話しつつ、マンションの方にへと歩いていた。




「そういえば、慶から連絡はあったのか? そろそろ詳細が決まる頃だろう」
 ふと思い出した様子で、後ろを振り返って問いかけてきたジェイを見詰めて、店長がほんの少し考え込んだ。
「詳細は聞いてない……確か『来週辺りで』とは決まったと聞いたが、細かな日時までは、まだ決まってないんじゃないか? 忙しい奴等ばかりだから調整も難しいだろう」
「まぁな。夕方以降なら、俺の都合も付け易い。その辺りは伝えてるのか?」
「あぁ、慶には言ってある。その辺りを考えると、多分、慶の店が休みの日になりそうだな。あの店はアイツ目当ての客ばかりだから、営業中に何時間も店を空ける訳にはいかないだろう」
「そうだな。三上も頑張ってる様だが、アイツは客と一緒に楽しんで終わりだからな。まぁ、アイツと飲むのが楽しいのは確かだが、接客という意味では慶の対応とは程遠い。三上じゃ到底、慶の代理にならねぇだろうよ」
 どっちが客だか分からない位に、毎日リラックスして楽しそうに慶の店をウロウロしている姿を思い出したのか、ジェイがククッと笑い声を洩らした。
 それにつられて皆で楽しく笑いながら、先日、嬉しそうに声を弾ませた慶から伝わってきた話が、頭の隅に蘇ってきた。


 ずっと待ち続けていた連絡が入った後、慶は藤原の所に行って、現在の街の状況を説明してあげたらしい。
 でも、いくら慶が一生懸命説明してあげたとしても、言葉だけで街の現実が伝わる訳じゃないのも分かっている。
 だから要点だけを話してあげて、後は「とにかく一度、自分自身で顔を出して見に来るように」と、しつこく誘いをかけてきたそうだ。
 慶本人は若い頃、本当にお世話になった人だから、やっぱり大きな理由も無く拒絶する訳にもいかないし、出来れば「色んな事を理解した上で、僕達の仲間になって貰えれば……」と考えている。
 そんな慶の真摯な気持ちが伝わったのか、話し合った翌日の夜、「お前の所と、ジェイの店へ案内してくれ」と、藤原から連絡が入ってきた。


 ジェイが同一人物だとは慶も説明していないし、当日、ジェイが同席するのも内緒にしておいて、その場で説明するらしい。
 向こうの風俗産業で幅を効かせているヤツだと言う話を聞いただけでも、何となく微妙な警戒心を持ってしまう、実際に藤原に会っていない俺達と違って、ジェイは慶と同じく、藤原に理解して貰って歩み寄る様に話すつもりでいるそうだ。
 どうして直ぐに「ジェイは同一人物でゲイなんだ」って教えないんだろうと、最初は不思議に感じだけど、皆の様子を見ていたら、何となく分かってきた気がする。
 普通の人達でもそうだけど、藤原もやっぱり話を聞いていると、同性愛者なんて特殊な奴等で、自分の身近な所には滅多にいないと思い込んでる感じがある。
 だから突然、ジェイに会わせて驚かせ、同性愛者は意外と普通に存在しているんだなと、本当の意味で実感させたいのかもしれない。


 とにかく、慶とジェイで実際にお店の雰囲気を見ながら話をすれば、藤原も納得してくれるだろう。
 こういう話が進みつつあるから、一稀も安心して落ち着いてきたんだと思う。
 早く皆で話し合って問題を解決して、また一稀が一人で気楽にウロウロ出来る位に落ち着けば良いなと思いながら、ジェイと並んで前を歩いている後姿に視線を向けた。




「ねぇ、ジェイ。何でウチの店に集まるのかなぁ。慶のお店の方が静かだから、話もしやすいと思うけど」
「物珍しいからじゃねぇのか? 一応『売り専クラブ』って区分になるが、飲食面も充実しているし、少し変わった形態なのは確かだろう。それに慶の店で話をすると、アイツと話をしたがる客ばかりだからな。何かと邪魔が入るし落ち着かない」
「あ、言えてるかも。皆で慶の取り合いになるよな。ウチの店でやるんなら、ご飯食べながら話も出来るし、そういう意味では良いかも」
「そうだな。一見して苦手そうでなければ、一稀も顔を出すと良いだろう。自分自身で直接話をした方が、色んな意味で印象が変わるからな。慶も一緒にいるから、そう気まずい雰囲気にならない筈だ」
「うん、分かった。陰から覗いといて、話せそうな雰囲気なら行こうかな。ジェイの隣なら、そんなに自分から話さなくても済みそうだしさ」


 何回か会って慣れたらそうでもないけど、基本的に口下手で人見知りが激しい一稀は、今でも初対面の人と話をするのは苦手に思っている。
 確かに、ジェイがいない時に声をかけられ、ガチガチに固まって緊張するより、彼が同席している時に顔だけでも合わせといた方が、色んな意味で良さそうな気がする。
 仲良くなってからの一稀は、逆にビックリする位に強気なんだけどなぁ……とか、内弁慶過ぎる一稀の性格について考えていると、前を歩いていたジェイが、不意に足を止めた。




「え? ジェイ、どうしたの?」
 それに気付いた一稀が問いかけても、やけに険しい表情を浮かべたジェイはジッと前を見詰めたまま、何も答えてくれなかった。
 彼等の隙間から前の様子を伺ってみると、深夜の薄暗い歩道の向こう側から、男が何人かで歩いてくるのが微かにみえる。
 ……ジェイの知り合いか何かかな? と考えつつ、店長に問いかけようと視線を外した瞬間、前にいた一稀が突然、勢い良く後ろの方に突き飛ばされてきた。


「一稀、ティコ! 下がってろ!!」
 急にジェイに腕を引っ張られ、俺と店長との間に押しやられてフラッとよろめいた一稀を支えてあげた瞬間、ジェイの声と同時に、隣にいた店長が前の方に飛び出していく。
 無言で殴りかかってきた男達を相手に、応戦を始めたジェイと店長の様子に足が竦んだ瞬間、腕をギュッと掴まれた。
「――――……ティコ……」
「大丈夫、一稀。心配ないよ。少し後ろに下がった方が良い」
 不安気な一稀の腕を取ったまま、二、三歩下がって前の様子を伺っていく。
 俺一人なら絶対にガタガタ震えてしまう所だけど、一稀が怖がってるから……と思うと、そんな気持ちも何処かに消えてしまって、急に気分がしっかりしてくる。
 強張った表情を浮かべている一稀の手を強く握ってあげながら、またジェイ達の方に視線を向けた。


 一稀を怖がらせない様にと思っているのは、男達を相手にしているジェイと店長も同じで、どうやら正面から受けて立つ気は無いらしい。
 喧嘩の強いジェイと店長だし、この位の人数なら余裕で相手出来るとは思うのに、何やら相手に話しかけつつ、受け流す方に努めている二人の様子を眺めながら、少しだけ平常心に戻ってきた。




「何だよ……見てるだけじゃなくて、誰か止めてくれれば良いのに」
 苛立った声を上げた一稀の声に気付いて、その方に視線を向けた。
「皆も、ジェイや店長が相手する気は無いって、分かってるんじゃないかな。だから止めなくても大丈夫だろうって感じだと思うな」
「それは分かるけど……でも、どうせ見てるんだから、早めに止めてくれても良いのにさ」
「もう少し経って、向こうが諦めなければ手伝ってくれるよ。だから帰らずに、このまま見物してるんだと思う」
 そう一稀に説明しながら、いつの間にか集まってきている人だかりの方に、チラリと視線を向けた。


 騒ぎに気付き、胡散臭そうに様子を伺いに来た皆も、片方がジェイと店長だと分かると足を止めて、そのまま見物を決め込んでいる。
 皆もジェイと店長が喧嘩に強いのを知っているし、何より、向こうが一方的に殴りかかってきているだけだから、とりあえず見守る事に決めている様だ。
 一稀に話した通り、あまりに長引く感じなら、きっと誰かが止めに入ってくれると思う。
 その辺りに関しては安心しながら、またジェイ達の方に視線を向けた。


 男達に向かって、店長が何やら話しかけているのを見詰めながら、それにしても何だか少し変だよな……と、やっぱり違和感を感じてしまう。
 喧嘩の現場なんて、ほとんど遭遇した事はないけど、そういう経験の少ない俺でも、これは普通じゃない事だけは理解出来た。
 ジェイや店長の呼びかけにも奴等は一切反応しないし、それどころか仲間内の会話さえ、多分、一度も交わしていない。
 襲いかかる瞬間から現在に至るまで、喧嘩の真っ最中なのに一言も声を出さずに殴りかかってくるなんて、普通じゃ到底考えられない行動だった。
 その理由も告げずに突然無言で殴りつけてくるとか、無差別の通り魔か、それでなければ、何か裏があっての行動だとしか思えない。
 単なる通り魔にしては人数が多過ぎるし、やっぱり、何か目的があっての事なのかな……とか考えていると、一稀が先程とは全然別方向に視線を向けているのに気付いた。


「どうした、一稀? 何かあったのかよ」
「うん。アイツ……ちょっと様子が変だと思う。何か少しだけ、他の皆と雰囲気が違うんだよな……」
「え、どの人? 一稀の知ってるヤツ?」
「多分そう。何となく見覚えある」
 一稀が教えてくれた方に視線を向けると、確かに男が一人で立っているけど、少し距離があるし薄暗いから、ハッキリと誰だかは分からない。
 でも確かに、言われてみれば他の野次馬の皆と離れた所にいるし、何となく変な気もする。
 一稀が知ってる奴なら、俺も分かる筈だなと考えつつ、その方向に目を凝らした瞬間、ドンと突然、一稀が倒れこんできた。




「――――……ジェイ! ジェイ!!」
 直ぐにぶつかって来た身を翻し、ジェイを抱きかかえた一稀を、只、呆然と見詰める。
 俺も行かなきゃ……と頭では分かっているのに、何故だか身体が全然動いてくれなかった。




「一稀、三上に電話だ! 此処に呼べ! ティコは兄貴に電話だ。早く!!」
 店長に腕を掴まれ、ジェイから引き剥がされた一稀が、また俺の方に倒れこんでくる。
 ジェイの脇に屈み込んだ店長の背中越しに、逃げていく男達を野次馬の皆が大勢で、大声を出しながら追いかけているのが見えた。
 歩道に半分蹲ったままの姿勢で電話をかけ始めた一稀と並んで、震える手で携帯を取り出し、かけ慣れた番号を探し当てる。
 俺が電話をかけ始めたのと同時に、携帯を耳に押し当てたままの一稀が、またジェイの方に這って行って、彼の手をしっかりと握り締めた。


 こんな光景、普段の俺が目にしてたら、とっくの昔に気絶しててもおかしくないのに、何故だか頭の中が真っ白で、怖いとすら感じない。
 俺もジェイの所に行かなきゃ……と、ようやくそれを思いついて身を起こした瞬間、一稀が携帯に向かって叫び始めた。
 ジェイの手を握り締めたまま、パニック状態の一稀が必死になって、電話越しの三上に状況を説明し始める。
 ほとんど悲鳴に近い一稀の声を聞きながら、反対側にある耳に当てた携帯の呼び出し音を、焦りながら聞き入っていく。
 時間にすれば、ほんの数十秒程度だと分かっているのに、物凄く長く感じる。
 何故だか息をするのが苦しくて荒い呼吸を繰り返していると、ようやく電話の向こう側から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
 二人いる兄のうち、店長に歳が近い方のお兄さんは実家暮らしで、いつも遊びに行った時に話相手になってくれる。
 大好きな彼によく似た、優しい声色を聞いた瞬間、突然涙が溢れてきた。




「兄さん、ジェイが……ジェイが刺された!! 歩道に倒れてて、血が凄く沢山出てて……――――」
 ぼんやりしていた頭の中が、ジェイの状況を声に出して兄に伝えた瞬間、急に現実として襲ってきた。
 まるで映画の中の出来事みたいだとか、そんな簡単な感情じゃない。
 しっかりと目に映っているのに、何一つ理解出来てなかったこの惨状が、本当にジェイの身に起こっている事だと、ようやく自分自身でも認識した。




 もっと色々と伝えなきゃと思うのに、気ばかりが焦ってしまって、全然言葉が出てこない。
 電話の向こう側から大声で問いかけてくる兄の声を聞きつつ、しゃくりあげて涙を拭った。
「ティコ! コッチに電話を持って来い!!」
 声だけで呼んできた店長の言葉に、慌ててその方に這いずって行く。
 ジェイの手当てを続ける店長の耳に携帯を押し当てた瞬間、苦しそうに眉間に皺を寄せた、ジェイの顔が目に飛び込んできた。


 震える両手を必死で抑えて、辛うじて店長の耳元で位置を保っている携帯に向かって、彼が大声で話し続けている。
 俺よりも遥かに的確な状況を伝えている店長と同じ位の大声で、血塗れのジェイの手を握り締めた一稀も、泣き叫びながら三上と話し続けている。
 そこまで頭に入ってきた所で、俺の背後に立っている誰かが、救急車を呼んでくれているのに気が付いた。
 逃げた男達を追撃に行った者ばかりじゃなく、この場に残ってくれた皆も、慌ただしく動き回り、色んな事をしてくれているらしい。
 大騒ぎになってしまった喧騒の真っ只中、あちこちから聞こえてくる皆の大声を聞きながら、店長の耳に携帯を押し当て、苦しそうに歪んだジェイの顔を、ぼんやりと歪んだままの視界で見詰めていた。






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2010/05/23  yuuki yasuhara  All rights reserved.