Eros act-4 13

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 何となく気になり、時々電話をかけて話をする事もあったものの、お互いに自分の時間が忙しくて、最近は少し間隔が開いていた。
 いずれにしても電話でのやり取りばかりだったから、直接こうやって顔を合わせて話をするのは、恐らく数年ぶりの事だと思う。
 もっとも、そんな年月の流れがあった事すら忘れてしまう位に、目前で和やかな笑顔を浮かべて話している慶は、いつ会っても昔と全然変わっていない。
 それどころか、むしろ、今の方が綺麗になったんじゃないか? とすら思いながら、軽い挨拶の後、とりあえず互いの近況など話していく。


 流行のメイクで華やかに着飾り、ミニスカートからスラリとした足を伸ばしていた若い頃より、ほぼノーメイクで肌の露出なんてほとんど無い目前の姿の方が、何ともいえない色気を感じる。
 ニューハーフを集めた店をやってて言うのも何だけれど、正直な所、女装寄りな風貌が似合うのは、せいぜい20代前半までだろうと考えている。
 冷静に考えても、まだ中性的な魅力を持ち合わせている少年ならともかく、20代後半に差し掛かった男が女性の真似を続けるなど、かなり無理のある事なのは確かだ。
 事実、店で人気があるのは常に入れ替わる若い奴等ばかりで、慶と同時期から勤めている中の数名の者達は、既に裏方専門の管理職に移動していて、表に出て接客する事も少なくなってきていた。


 慶は以前から「身体を売る訳じゃないんだから、年齢や外見は関係ない」と主張し続けているけど、実際、やはりどうしても人気的な部分では、それなりの雰囲気が作れて新鮮味の在る、若いヤツには負けてしまうものらしい。
 だからきっと、三十路近い慶が目的の客で賑わう店を持つ、彼の方が特別なんだろうと思いながら、心地良い会話を続けている姿に視線を向けた。




「美人になったな、慶。あの頃の方が着飾ってたんだろうが、今の方が数倍は綺麗に見える。店も順調にいってるそうだが、きっと慶が目当ての客が多いんだろう」
「そうかな? でも、ありがとう。相変わらずお世辞が上手だね」
「いや、お世辞ではない。もう随分と前だが、恋人が出来たと聞いた。上手く行ってるようだな」
 いつもこんな事ばかり言っているから、慶は俺の事を、内心、口先だけの軟派なヤツだと思っているんだろう。
 相変わらずな表情で苦笑している慶に向かって、結構本気で話しかけた。
 実際の所、本当にそう思うから正直に言ってるだけで、慶の機嫌を取っているつもりはない。
 普段からプライベートで飲みに出かけた先にいる女相手に、例え相手が誰であろうと、こういうお世辞を言った事も無かった。


 その気がなくても、何故だか慶と話をするのは本当に心地良いし、彼の店が繁盛している理由も分かる。
 同性愛の気なんて全く無い俺がそう感じるのだから、そういう奴等から見れば本当に色っぽい男だろうし、彼に恋人がいる云々なんて関係ないのかもしれない。
 こうして慶と楽しく話をしていたい気分だけど、お互いに忙しい身だし、話し合う時間も限られている。
 少々名残惜しく思いながら、柔らかく微笑んでいる慶に視線を向けた。


「こうして会うのも久しぶりだ。ゆっくり話をしたい所だが、それは次の機会にしよう。急に呼び出したのに、特に驚いた風じゃなかったな。俺から電話がかかってくるのを予想してたのか?」
「そうだね。そろそろ連絡が入るだろうな……とは思ってた。だから、お店の子達にも『呼び出されたら直ぐに出かけると思う』と話をしていたし、予定に入ってたかな」
 あっさりと認めた慶が、和やかに話しながら頷いた。
 相変わらずな彼の態度に苦笑しつつ、テーブル上のカップを手に取り、軽く喉を潤した。


「なるほど。あの界隈の連中には、やはり既に話は伝わっている様だな。以前、話をしていた『ジェイ』と言う男が皆を仕切って、俺達の侵入を拒んでいるのか?」
「いや、それは違う。話は皆に伝わっているけど、それを聞かされた全員が自分の考えで動いているだけだよ。僕は中立を守る事にした。藤原さんにお世話になったし、同じ街に出入りするのを拒むつもりは無いからね。だから今日も、こうしてそれを説明しに来たんだ」
 急に声色が変わった慶の様子に、逸らしていた視線を向けた。




 先程までの穏やかな表情と打って変わった、真剣な面持ちの慶を、無言でジッと見詰め返す。
 それに怯む様子もなく、真正面から見詰め返してくる彼の強い視線に根負けして、軽く口元を緩めて目を逸らせた。


「首謀者はいない……か。だが、子供同士の集まりじゃない。指揮を取る者がいない状況で、あれ程まで強固な纏まりが取れるとは思えない」
「指示を出す様な人が存在しないだけで、皆の結束は固いんだよね。残念だけど、僕みたいな中立を決め込んでる人の方が少ないのは事実だ」
「まぁ、大体の様子は分かった。慶以外は皆、拒絶しているって事なんだな。それで、慶の話ってのは何だ。俺が同性愛者ではないから、出店は無理だろうって事なのか?」


 俺の手元を離れ、一人きりであの街に行ってしまった慶は、あの時も俺に向かって「何も分かっていない」と言っていた。
 あれから長い時間をかけ、彼の気持ちを理解しようと努めてきたつもりなのに、どうやら今でも受け入れて貰えないらしい。
 苛立った気分のまま憮然と問いかけると、慶が溜息交じりで頭を振った。


「そうじゃない。あの中でも異性愛者なのにゲイ相手のお店を出していたり、普通に遊びに来ている人達は大勢いる。そういう人と藤原さんとの違いは、実際に皆と顔を合わせているかどうか……なんだよ」
「それは関係無いだろう。慶みたいに表に出る奴ならともかく、俺は単に、資金を出しているだけの経営者に過ぎない。今、出店に関して動いている小林はゲイじゃないが、店長や従業員達は、全員、同性愛者を揃える予定だ。特に店長などの管理職に就く者に関しては、実際にあの界隈で遊んでいる男を必須条件に選ぶ様、小林にも指示している。お前達のしきたりを軽んじているつもりはないし、逆に、俺が何者であるかは関係の無い話だろう」
「言ってる事はわかるし、それも重要な事なんだけど……でも、それだけじゃダメなんだ。他の街なら、それでも大丈夫なのかもしれない。あの界隈だからこそ、藤原さんが直接、皆の前に姿を見せて、何をしようとしているかを話す必要がある。それが出来ないのなら、僕が手伝える事は何も無い」
 俺が人前に出る事を異常なまでに嫌っているのは、長年の付き合いがある慶だから充分に理解している。その彼がきっぱりと言い切った言葉に、思わず顔を顰めて視線を向けた。


 慶が本気で助言してくれている事は、その表情ひとつとっただけでも分かっている。
 だからと言って、彼の忠告に易々と従い、そう簡単に手の内を晒す事は出来ない。
 あの時と全然変わらず、自分の意見を躊躇う事なく主張してくる慶を相手に、傍から見れば激しい口調で、あの街の事を問いかけていった。






 丁々発止の言い争いになっても、慶は昔から怯む様子を微塵も感じさせた事はない。
 凛とした雰囲気を保ったままの彼と、散々意見を交わしてみても、話は平行線を辿るばかりだった。
 とは言え、やはり実際に慶から話を聞いてみると、何かと判明した事も多い。
 ほんの少し黙り込み、頭の中でその事柄について考え込んでいると、手元のカップから紅茶を一口飲んだ慶が、軽く溜息を吐いた。


「ちょっとしつこいけど、これが一番大事だからさ。もう一度だけ言うけど、とにかく自分から中に入るしかないよ、藤原さん。今までやってたみたいに外から眺めているだけじゃ、あの街の事は何も理解出来ない」
「中にね……俺にも『ゲイになれ』って言うのか? それなら絶対に無理な要求だと思うがな」
「そういう意味じゃないよ。とにかく、一度体感してみなきゃ分からないと思うな。あの街は少しだけ独特なんだ。僕達の街だからさ。以前教えてた『ジェイ』のお店に行きたいのなら、僕が招待してあげても良いよ。もう調べてるかもしれないけど、彼の店は常連の紹介があれば、同性愛者じゃなくても利用出来る。身分確認は本当に厳しいから、それでも良ければ……だけどさ」
 話し合いも山場を過ぎ、また普段通りの雰囲気に戻ってきた。
 先程までとは全く違って、聞き慣れた柔らかい口調で勧めてくれる慶の言葉に、軽く口元を緩めて応えた。


「今、この場で返事は出来ない。もう少し考えさせて貰う。それより、慶。俺がすんなりと街に入り込めるよう、根回しはしてくれないんだな」
「当然。そんな事、元から頼もうとも思ってないくせに。心にも無いのに聞かないで欲しいな。まぁ冗談抜きで、僕がしてあげられる事は何も無いんだ。こうして知っている話を教える位しか出来ないからさ」


 ふと思いついて問いかけた言葉は、あっさりと拒否されてしまった。
 相変わらず、察しの良い慶の態度に苦笑しながら、立ち上がった姿を見上げた。


「慶。もう戻るのか」
「そうだね、名残惜しいけど。今日は僕のお店も営業中だから、あまり遅れるのもね……それにね、彼が途中まで迎えに来てくれる約束してるんだ。『一時間位で話が終わる』って伝えてるから、もうそろそろ待ってると思うんだ」
「途中まで迎えにねぇ……優しい男なんだな」
「うん、そうなんだよ。すごく優しくしてくれるし、僕を本当に大切にしてくれる。彼と出逢って恋人になれた事だけを考えても、あの街でお店を出して良かったなって感じてる。マイペースな人だから、皆は色々と言ってるけどさ。僕にとっては一番好きな人だし、素敵な恋人だと思ってるんだ」


 あの街で店を出して暫く経った頃、年下の恋人が出来た慶は、今では、その恋人と一緒に暮らして、店も手伝って貰っていると、噂には聞いていた。
 その話を聞いても、単純に「幸せそうで良かったな」程度にしか思ってなかったけど、慶にとっては、予想以上に嬉しい出来事だったらしい。
 ゲイではない俺から見ても美人だと思う位だから、彼なら恋の相手に困る事は無いだろうと思っていたけど、意外と難しい事なのかもしれない。
 他の話とは全然違う、弾んだ声色で応えてくれた慶を見詰めながら、少しだけ、昔の事を思い出した。


「そうか……恋人と楽しくやってるんなら、もう、あの街を出るつもりはないんだな?」
「多分。彼が『他所で暮らしたい』って言えば、僕も当然、一緒に行くけど。でも、それは絶対に無いと思うな」
「なるほど。その彼も、あの街を気に入ってる……って事か。それより、慶は良いママになったな。やっぱり、あの時は無理にでも引き止めておくべきだった」
 出店可能かどうかはさておき、既に店長候補を探し始めている小林も、同じ事を嘆いている。
 客を惹きつける人柄や容姿を持ち、尚且つ、店の運営まで任せられる能力を持つ者は数少ない。
 可愛らしくて芯の強い印象だった若い頃から歳を経て、良い意味での貫禄と、大人の色気を感じさせる様になった慶に話しかけると、嬉しそうに微笑んでくれた。


「ありがとう。そう言って貰えると嬉しいな。過ぎた事は分からないけど、もし、あの時に強引に声をかけられていれば、僕は今でも貴方の元で働いてたかもしれない。やっぱり、最初の頃は不安でしょうがなかったし、軌道に乗るまでは大変だったからさ」
「慶にその気は無さそうだが、店を増やすつもりなら相談に乗ろう。ジェイと言う男の店も気にはなるが、あの街に行くのなら、実際に慶の店にも行ってみたい」
「それは喜んで。僕が断る訳無いでしょ。ジェイのお店が無理でも、僕の所なら、いつだって歓迎するからさ。その気になったら直ぐにでも電話してね」


 袂を分かつ事になった今でも、こうして連絡を取り合って意見を交わし、無条件で受け入れの姿勢を見せてくれるだけでも、有難く思うべきなのかもしれない。
 和やかな笑顔で去っていく慶を、ソファに腰を下ろしたまま見送った後、暫くの間、一人無言で考え込んだ。






*****






「深水、話がある」
 慶が消えたドアをジッと見詰めたまま呼びかけると、別の壁側にあるドアが開いた。
 静かに姿を現した深水に、視線だけで向かいのソファに腰を下ろす様に指示を出し、深々と溜息を吐いた。


「――――……あの街に顔を出し、俺が直接、彼等の様子を見に行く。慶にも連絡を取って、アイツと共にジェイの店に行こうと思う。付いて来い」
 一気にそう告げると、深水が驚いた様子で顔を上げた。


「ボス、それは本気で……?」
「真剣に考えている。慶がいい加減な話を持ってくる筈が無い。アイツが主張している通り、一度、実際に確かめるべきなのかもしれない。お前も聞いていただろうが、ジェイという奴の店が一番の人気店らしいし、男を買わなくても利用出来るそうだ。慶が勧める位だから、よほど良い店なんだろう」
「しかし……ボス。慶も話してましたが、身分確認の細かな場所に出入りするのは危険です。とりあえず、慶の店に顔を出すだけでも良いのでは?」
「大丈夫だろう。いくら厳しいと言っても、所詮、風俗店の入店チェック程度だ。普段と変わりない」


 日常生活の中でも、身分証明を求められる機会など、数え切れない位に沢山ある。
 そういう場合の為に、あらかじめ幾つかの身分を用意してあるし、それで切り抜けられない程のチェックがあるとは、到底考えられない。
 ダミー会社を見抜く程の調査能力があったとしても、父の経営してる会社役員としての証明であれば、実際に運営している企業だから、不備を突く場所さえ見当たらない。
 それは彼も充分に熟知している筈なのに……と訝しく思いながら、いつになく慌てた様子の深水に視線を向けた。


「身分証明ごときに気を揉む必要は無いが、歓迎されていないのは事実だ。何が起こるか分からないが、大人数で動く方が返って目立つ。他の連中は腰が引けているし、役に立たないだろう。ボディガード代わりにお前も来い。いいな?」
「――――承知しました。ボス、お一人で?」
「いや、小林も連れて行く。慶と行動を共にするのは、俺と小林だけだ。深水は普段通り、俺と同席でなくていい。近くで周囲の動向を確認して、後で詳細を報告しろ」
「はい……私の方は、一人でよろしいでしょうか」
「その辺りは任せるが、出来る限り少人数の方が良い。二人までだろう。それから、同行者に風俗部門の奴は却下だ。近くの界隈に出入りしている奴だと、顔を知られている可能性がある。お前が風俗部門に顔を出すのは不愉快だろうが、今回の場合、そういう事情がある。せいぜい数回程度だろうから、その辺りは割り切って考えてくれ。近いうちに小林の予定を聞いて、日を決めてからだ。今直ぐではないが、お前の方でも配分を決めておくんだな」


 俺の数少ない直属の一人として、政界部門で動いている生真面目な深水にとって、風俗店への出入りに付き合うなど、予想外の屈辱だと感じたのかもしれない。
 いつになく落ち着かない様子の深水に、そう事情を説明しながら、また慶の姿に思いを馳せた。




 正直な話、慶の言い分について半分も理解していない。
 「顔を見せろ」と言う主張に、一体何の意味があるのか――――いくら考えてみても、全く分からずにいた。
 だからこそ、あの街に直接向かって、街の様子を見るべきなんだろう。
 そう自分に言い聞かせながら、売れっ子だったこの街での地位を捨て、あの界隈にへと身を沈めた慶の言葉を、一つ一つ思い返していった。






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