Eros act-4 11

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 基本的に下っ端の奴等が詳しい事情を知らないのは、国や年齢など関係なく、どこでも似たような物だと思う。
 おかげですっかり出遅れたな……と、少々肩身の狭かった最近の気分を思い返しつつ、ようやく晴れ晴れとした気持ちで、通い慣れた道筋を辿って行く。




 ジェイから話を聞いた翌日、早速、かなり親しくしているマフィアのNo.1、2の所に出向いたのに、何故だか二人して台湾に帰国している真っ最中だった。
 以前もこういう事があったから、念の為に「知り合いがいる」程度で説明しておいたのは、本当に正解だった。
 大口叩いて「仲が良い」とか言っといて、いざ訪ねたら帰国中とか、考えただけでも恥ずかし過ぎる。
 頻繁に連絡を取る訳じゃないから仕方ないけど、こういう場合にソレって格好悪いもんなぁ……とか思いながら、ようやく日本に戻って来てくれたNo.2がやっている店にへと向かった。


 彼自身はゲイじゃないけど、ずっとこの近くに住んでいて、普段の彼は、此処から一番近い駅前で台湾料理店をやっている。
 台湾の料理は油っこくない和食に近い物が多いから、そのままでも日本人の口に合うだろうし、彼等が材料を吟味して一から作る料理は本当に絶品だなと思っている。
 一回連れて行くと大体皆も気に入るし、それ以降は自分からも食べに行ったりするそうで、「いつ行っても、すごく美味しい」と感想を教えてくれた。
 お昼時にはランチの他に、持ち帰り弁当も販売しているから、一稀は学校に向かう前に電話で取り置きを頼んでおいて、駅に行く途中に買っていく位に、かなり気に入っているらしい。
 冷凍食品を詰め込んだだけの中華弁当と違って、お店で出してるのと同じ料理を使ってるから、弁当とはいえ、他の店とは比べ物にならない位に美味しいと、無邪気にベタ誉めしてくれた。


 そんな感じで、皆も台湾料理屋の店長として彼の事をよく知ってるけど、彼が台湾マフィアの実力者だとは、全然気付いてないらしい。
 もっとも、それで良いと思うし、今後も彼の正体を皆に教えるつもりは無い。
 彼は「美味しい料理屋の店長さんだ」って認識されてる方が幸せだと思うし、自分には何の関係もない店だけど、彼がこの仕事も真面目にやってるのを見てるから、やっぱりそれなりに嬉しく思う。
 話が終わって時間があれば、ついでに飯食って帰ろうかな……と考えながら、久しぶりに会う知人の店に辿り着くと、裏口のドアを開けた。




「トミー、いる? 今、入っても大丈夫かな?」
「あぁ、祐弥か。ちょうど夜の仕込が終わった所だ。俺に用事があるんだって?」
 奥の方にいるから姿は見えないものの、聞き慣れた声が直ぐに返ってきて、ようやくホッと一息吐いた。
 台湾には昔から、正式な本名以外に英語圏風な通称を勝手に名乗る風習があり、彼は「トミーと呼んでくれ」と自分から推している。
 中国圏の言語は発音が難しいから、外国人相手の場合は特に、わりと普通に行われてる事ではあるけど、一体ドコから「トミー」なんて名前が出てきたのか見当もつかないし、そもそも彼は、トミーが似合う様な風貌ではない。
 でも、そう呼んでやらないと真剣に怒るからなぁと諦めつつ、声が聞こえてきた厨房の裏手にある休憩室に向かった。


 何にしても、これでようやく詳しい話が聞けるし、ジェイや麻紀にも報告出来る。
 彼等に少々出遅れた分、役に立ちそうな話を仕入れて戻らなきゃ……と気を引き締めつつ、部屋の中を覗いてみると、トミーの向かい側にある席に、予想外の顔を見つけた。




「え、阿公も戻って来てたんだ? もう少し先だろうって聞いてたんだけど」
「先程、到着したばかりだ。此方に来たがってる若い子達を迎えに行くついでに、向こうでの用事を済ませた程度だし、直ぐに戻ってくる。私にも何か話があると聞いたから、昼食がてら、此処で待ってた方が早いだろうと思ってな。トミーへの話と同じ内容なのか?」
「そうなんだよな。阿公が戻ってきたら、また別口で話さなきゃと思ってたんだ。二人の意見を一緒に聞けるんなら、その方が絶対良いぜ」
「丁度良かったな。そろそろ戻るかと思って、日本に電話をしてみたら『二人が戻ってくるのを、祐弥が待ち侘びている』と聞いたからな。随分と急いでる様子だったと話してたから、早めに戻る事にした」
 とてもマフィアの首領とは思えない位、穏やかな微笑で頷く阿公を見詰めながら、やっぱり俺の方まで元気になってくる気がした。


 当然、本当の祖父ではないけど、皆からも「阿公(注:台湾語「おじいちゃん」の意)」と呼ばれて親しまれている彼は、改めて聞いた事はないけど、在日台湾人の中でも年長者の部類だと思う。
 日本統治が終了する前後辺りで産まれたらしい阿公は、新しい政策に馴染めず、慣れ親しんだ日本の統治時代を肯定する年代の人達に囲まれ、そんな話ばかりを聞きながら大人になった。
 かなりの親日家として育った阿公は、結局、頻繁に遊びに来ていた日本の方が、いつしか活動拠点になってしまった。
 今ではもう、何度も繰り返し聞かされて記憶に残っている「誇り高き日本人」は少なくなってしまったけど、それはそれで今の日本人と暮らす日々も、阿公は楽しく感じているらしい。
 荒っぽい奴等も阿公の言付けなら素直に守る位、本当は冷酷で怖い所もあるんだろうなと分かってる。
 でも俺にとっての阿公は、物知りで誰に対しても面倒見が良く、色んな悩み事の相談も嫌な顔一つしないで聞いてくれる、血の繋がった祖父同然の優しい印象しか持っていない。
 トミーも頼りがいのあるヤツだけど、やっぱり、阿公が与えてくれる大きな安心感とは全然違っていた。


 下っ端に聞いて廻ったものの、結局、誰からも詳しい話を聞けず、速攻で其々に手を廻した麻紀達に遅れてしまって、心底申し訳なく感じていたけど、これで何とか情報も出揃う気がする。
 逆に、阿公達にも俺等の考えを伝えなきゃなぁ……と、それも忘れずに話の中に織り交ぜながら、ジェイから仕入れてきた話を、帰国したばかりの二人に事細かに伝えていった。






*****






「確かに、藤原さんからの依頼で動く事は多い。あの人から直接、連絡が入る時もあるし、部下の奴等が話を持ってくる事もある。でも、どっちにしても、あの界隈に関しての依頼は聞いてない。阿公の方には?」
 少しだけ顔を顰めながら聞いていたトミーが、そう話しつつ、阿公の方に視線を向けた。
「私も直接は聞いてない。不在時に何かあったのか?」
「いや。多分、何も……幾つか依頼はあったみたいけど、向こうの風俗店絡みで、妙な客の追い出しを頼まれたのと、残りは全部、政治の方面だと聞いたぜ。祐弥がいる辺りで何かやったとか、そんなのは全然聞いてない」
「だろうな。皆も、祐弥が働いてるのは知ってるし、そこでの揉め事を頼まれたら、それなりに話は上がってくる筈だ。トミーや私に無断で、皆が勝手に動く事は無いだろうし、やはり『何も話は来てない』と考えて大丈夫だろう」
 俺の話を真剣に聞き入っていた二人は、色々と意見を交わした後、最後にそう結論付けた。


 下っ端の連中も「そんな話は全然聞いた事もない」と言っていたし、何となく予想していたけど、阿公からお墨付きを貰うと、ようやく本当の意味で気持ちが落ち着いてきた。
「良かった。皆からも『そんな話は聞いてないから、気にしなくてもいい』とは聞かされてたんだけど。やっぱり阿公やトミーからも直接聞かないと、本当に安心出来ないからさ」
「今の所……って言い方になるだろうが、心配は無さそうだな。今後も実際に話が来たら、祐弥にも知らせてやろう」
「ありがとう、阿公。でも、当分は心配無いかな。ジェイが調べてくれたんだけど『多分、最終手段みたいな位置付けになってるんじゃねぇか?』って言ってたしさ。出店前にライバルになりそうな店を潰して廻るとか、そういう手段を取っている気配は無さそうだってさ」
「あぁ、それは当たっているだろう。私達も、そういう目的で動いた事はない。それにしても、そんな話になってるとはな……店長の中川にでも、色々と様子を聞きに行くか」


 穏やかな微笑を浮かべたまま、楽しそうに呟いた阿公の言葉に、一瞬、返事を止めて考え込んだ。


「――――え、中川店長にって……阿公も俺達のトコに来てんの? ゲイじゃないのに?」
「ジェイの店にだけ出入りしてる。もっとも、普通に飲みに行く目的だがな。あの辺りに詳しい知人に『飲むだけでも利用出来る、面白い店がある』と招待されて、実際に気に入ったから自分でも行くようになった。飲み屋としても良い店だな」
「へぇ、そうなんだ! そんなの、初めて聞いたぜ。だいぶ前から?」
「数年前からだ。確か、一稀がジェイの恋人になって、店を手伝い始めたのと同じ頃だったと思う。今ではついでに、働いてる連中に精力増強剤などを売りに行ってる。とても良く効くと好評で、ボーイ達から『纏めてお店まで持ってきてくれ』と、しょっちゅう呼ばれる様になった。皆、明るくて楽しい子ばかりだし、本当に良いお得意さん達だ」
 そう教えてくれて微笑む阿公を見詰めながら、内心、本気で驚いてしまった。




 表向きの仕事は「漢方薬局」をやっている阿公は、ソッチの方も順調で、店舗自体は一つだけしかないけど、かなり有名な漢方薬屋として知られている。
 阿公は中医師の資格も持っている位、すごく頭が良くて漢方にも詳しいけど、日本で必要な資格は取っていない。
 だからお店の方は、日本人の薬剤師さん達が中心になって動いてるけど、阿公は此処でも皆の相談役として、色んなアドバイスを送っている。
 表側の世界でも人望が厚く、いつも楽しそうにお客さんを相手に、漢方薬の事を教えてあげている阿公の様子を思い返している最中、ふと、ある事に気が付いた。


「あれ? それじゃあ、ジェイや中川店長も、もしかして阿公の事を知ってるのかな?」
「顔は当然知っているが、台湾人だとは知らないだろう。入口の警備員連中には、当然、身分を明かしてるが、中に入ったら偽名でも良いと最初に言われたからな。基本的に日本名で通している。だから多分、話してなかったと思う。彼等にとっては『家業は薬屋をやっている、ノンケな普通の客』って所だ」
 ジェイの店は、入り口の所に必ず何名かの警備員がいて、入店前に身元の確認をやっている。
 勿論、顔だけで通れる位の常連になれば別だけど、最初はかなり厳しいチェックがあって、初めて行った時は本当にビックリした。
 もっとも一番最初に説明される通り、店内とは完全に別管理になっていて、実際に勤めていた翔も話してたけど、ソコでチェックされる個人情報に関しては、ジェイや中川店長も含めて一切入手不可能になっているらしい。
 あの場所でのチェックは、単純に怪しい奴は入店させないのと、何か犯罪的な問題があった時に足が付く様、別口で情報管理をしているんだと思われる。
 それ以前に、何か後ろめたい事情がある奴の場合、厳しいチェックがある事実だけでも、何となく入店する気が無くなるだろうなぁと考えながら、また阿公の方に視線を向けた。
「へぇ、そんなに頻繁に行ってるのか。じゃあ阿公は、ジェイや中川店長とも話した事があるとか?」
「世間話程度だが、話はしょっちゅうしている。店内で薬を拡げて……って訳にもいかないだろうし、『妙な物をボーイ達に売りつけてる』と、誤解されて訝しがられても困るからな。ジェイと中川店長には、最初に説明をしておいた。だから今は、裏口から入って事務所で皆に渡している。いわゆる『薬売り』ってヤツだな。裏で漢方薬を販売して、その金を持って表に廻って、そのままジェイの店で飲んでいる」
「そうなんだ。ちょっと楽しそうだな……あ! もしかして、翔が持ってる漢方薬って、阿公から買った薬なのかな?」


 珍しく客が続いて疲れた時、翔がいつも、彼秘蔵の漢方薬を勿体ぶって分けてくれる。
 それが驚く位に良く効いてくれるから、出所はドコなんだろうな……と少々疑問に感じていた。
 漢方薬そのものは、飲み慣れてる俺が見ても、かなり上質で怪しい類の物ではないから安心して貰ってたけど、その出所が不思議だった。
 アレが阿公が調合してくれた漢方薬なら、あの効き具合も納得だし、何も不思議に思わない。
 翔に聞いたら「クラブJに飲みに来る、漢方専門の薬屋から買っている」と言ってた記憶があるし、ほぼ間違いないと思いつつ確認すると、阿公も直ぐに頷いてくれた。


「多分、そうだろう。アイツがクラブJを辞めてからは顔を合わせてないが、ティコから『翔に頼まれた』と言付かった分も合わせて、いつも薬を配達している。翔が祐弥と同じ店に入ってたとは、全く聞いてなかった」
「俺だって、まさか阿公がジェイの店に出入りしてるとか、全然考えてもなかった。じゃあさ、ウチの店にも売りに来れば良いのに。ジェイの所に通ってて、翔とも以前から顔馴染だったら、断られる事はないと思うな。麻紀さんに話しとくよ」
「あぁ、それは構わないが。祐弥の店は、私が出入りしても大丈夫なのか?」
「全然平気。翔も、阿公は漢方薬屋だと思い込んでるだろうから、一緒に言ってくれる様に頼んどく。最近だと、翔はあんまり客を取ってないんだ。麻紀さんと付き合う様になったからさ。もうちょっと経って落ち着いたら、翔が店長になるんじゃないかな」
 ちらほらと出始めている噂話を教えつつ、話し合っていた席から立ち上がった。


 とりあえず、現在の状況としては落ち着いている様だし、良い知らせが手に入って嬉しく思う。
 このまま何も起こらなきゃ良いんだけどな……と改めて思いながら、椅子に座ったまま見送ってくれている、二人の方に視線を戻した。


「街の皆も、絶対に進出を拒んでるとか、そういう意味じゃないんだよな。俺達が新しいヤツの様子を見るのと同じで、どんな奴だか全然分からないから、ちょっと警戒してる……って感じなんだ。だから、もっと詳しい情報が増えてきたら、皆の態度も変わってくると思う」
「あぁ、その気持ちは理解している。あの街は色々と複雑だし、特にその傾向が強そうだ」
「そんな感じ。藤原って人もさ、阿公みたいに、先に皆と顔見知りになってれば良かったんだけどな。他の世界がどうだか分からないけど、俺達からすれば『姿が見えない』ってのが、一番嫌だなって感じるんだよな……」
 阿公が藤原に伝えてくれるかどうかは分からないけど、とりあえず、最後に皆の気持ちを伝えておいた。


 もっとも、詳しい情報が増えたからといって、進出を受け入れるとは限らない。
 内容によっては、むしろ、より一層拒絶感を強める可能性だってあるけど、何にしても、その姿が見えない事には、俺達も判断の下し様がなかった。
 阿公みたいに、ノンケなのにスルリと街に入り込んでくる人もいれば、藤原みたいに警戒心を抱かれて、皆が壁を作ってしまう人もいる。
 この違いは何なんだろう……? と考えながら、頼もしい二人に軽くお礼を返して、また店にへと戻って行った。






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