Eros act-3 07

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 横から聞こえてくる賑やかな話し声に耳を傾けつつ、パラパラと雑誌を捲っていく。
 ジェイの店に勤めている時は、こうして情報を集める時間にも事欠いていたのに、此処だとほんの一週間もすれば、普段読んでいる程度の雑誌なら読破出来る。
 この分なら、もう忘れそうになっている大学で覚えた事も、色々と復習出来るかもしれない。
 以前から「俺も勉強しようかな」と話していた一稀も、メールで「通信制の高校に入る事にした」とか書いてたし、俺も何かやろーかなぁ? と考えながら、仕事中なのにやたらとのんびりとした時間を過ごしていく。


 クラブを兼用していた『J』と違って、それらしき場所はあるものの、サテンドールには大勢のボーイが必要な位の、飲むスペースは存在しない。
 マンションを改造して売り専クラブにしているサテンドールは、一番手前が小さなクラブっぽい造りになっていて、そこで一杯飲みながら、客は今日の相手をしてくれるボーイを選ぶシステムになっている。
 いわゆる『マンション系売り専』というヤツで、慌ただしく入れ替わりがあり、誰がどの部屋を使うか決まってなかったJと違い、此処はボーイが其々の個室を持っていた。
 一応、こうしてクラブの奥に皆で集まるスペースはあるものの、此処には顔を出さずに『自分の個室』で客が来るまで待ってるヤツも多い。
 空き時間は皆で雑談をしていたり、売りをやっていない時は、飲む方の接客をして客と話をしている事の多かった店に慣れているから、どうにも「仕事中」って気分にならず、客が付くまでの時間は本当に何もする事が無くて、少々時間を持て余していた。
 此処の皆はコレが普通だから、各自好き勝手に過ごしていて、あまり横の繋がりは無さそうな気がする。
 賑やかなジェイの店と比べて何かちょっと寂しい気もするけど、他のヤツに聞くと、案外こういう形態の売り専は多いそうだ。
 むしろ、ジェイのトコが特殊だったんだろうな……と考えながら、特に熱心に読み込むでもなく、何となく雑誌の記事を目で追っていく。
 店の中で見聞きした事を絶対に口外しないのは不文律ではあるけど、店内はオープンな雰囲気で気軽なクラブJとは違う意味で、こういう閉鎖的な売り専も人気がある。
 誰がどのボーイを買ったか、店内にいれば丸分かりなクラブ系の売り専を嫌い、本当に誰の目にも留まらぬよう、ひっそりと男を買いたいヤツが、こういう店を選んで足を運んでいるんだろう。
 だからココも人気があるんだろうなぁと、見た目は普通のマンションと変わらないサテンドールで働く様になって、妙に納得してしまった。


 飲む目的だけでも利用出来るクラブJは、女性客の入店利用は完全に断っているものの、男性で、常連である誰かの紹介さえあれば、同性愛者じゃなくても利用出来る。
 自分がゲイである事を伝えている知人を連れて飲みに来る客も多く、ソイツが店を気に入って常連になって……という風に、ノンケなのに頻繁にやってくる者も結構いた。
 別に同性愛に興味がある訳でもないのに、男しかいない店で飲んでて楽しいのかな? と、根っからのゲイであるコッチからすれば不思議に思うけど、彼等に言わせると「ホステス相手に飲むより、男同士の方が気を使わなくて楽しい」らしい。
 そこからいつの間にか両刀に転んでしまう場合も多いし、店としても断る理由はないから、普通に受け入れて接客している。
 もっとも、若い男に接客されて「楽しい」とか思う時点で、本人に自覚が無かっただけで、それなりに同性愛の気質があるんだと思う。
 クラブJで遊ぶようになって同性愛に目覚めたヤツも多いだろうなぁと、あの店に勤めていた数年間の出来事が、ふと頭を過ぎっていった。


 限りなく会員制に近くて、客として中に入る時には厳しいチェックが入るものの、やっぱり少々開放的過ぎると感じる者がいるんだろうって事も、サテンドールに勤め始めて、何となく理解出来るようになってきた。
 だから、クラブ系売り専の頂点が『J』で、マンション系が『サテンドール』なんだろうって、今ではそう考えている。
 それはどちらが正しいとかではなく、単純に狙っている客層が違うんだと思う。
 この辺りにオーナーの性格が出るんだろうな……と、其々の店のオーナーの顔を思い浮かべると、妙に納得出来てしまった。
 其処に立っているだけでも人目を惹いてしまうジェイが、あの開放的で賑やかなクラブ系を選ぶのは当然だと思うし、雰囲気的に落ち着いている麻紀が、こういう隠れ家みたいなマンション系の売り専を経営するのも分かる気がする。
 そう考えると、店の経営って怖いモンだよな……と、雑誌を眺めながら、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
 自分の性格を考えると、ジェイが選択したのと同じ「クラブ系」だろうと思うけど、この店の居心地も悪くはない。
 若いボーイの多かったジェイの店よりも、少しだけ平均年齢を高めにして、どっちかと言えばクラブ色の方が強い売り専、ってのも良さそうだな――などと、ぼんやりと想いを巡らせていると、部屋の隅に置いてある電話が鳴った。


 クラブの方で飲んでいる客が気に入ったボーイを指名すると、裏で待機している此処に電話がかかってくる事になっている。
 近くにいたヤツが腕を伸ばして電話を取って、仕事の入ったボーイの名前を聞き出してくれた。
 どうやら俺ではなかった様で、麻雀をやって遊んでいたうちの一人が立ち上がって、店の方にへと向っていく。
 そろそろ雑誌にも飽きてきたし、次は俺に指名欲しいなぁと思いつつ、何気なくその姿を見送っていると、彼と一緒に麻雀をしていたヤツが、チラリと視線を向けてきた。




「翔ってさ、麻雀できる?」
「おう、大丈夫。雀荘に行く程じゃねぇけど、普通に遊ぶ位なら」
「それで充分。アイツが戻ってくるまで一緒にやろうぜ。翔もいい加減、暇だろ」
「そうだな……雑誌も飽きたし。金は賭けてねぇよな?」
 冗談交じりで答えて立ち上がりつつ、コイツの名前は何だったっけな……と、まだ数回しか顔を合わせていない、ボーイの名前を思い返す。
 客に指名して貰いやすい様に簡単な名札みたいな物があったクラブJと違って、此処では表に出て接客する必要が無いからそんな物も無いし、どうにも名前を覚え難い。
 交流が無さ過ぎるのも何だし、たまにはこういう遊びに参加するのも良いなと考えながら、あっさりと山を崩して新たに組み始めた卓に近寄り、空いていた席に座った。


 牌を並べつつ、麻雀のルールを思い出すのと同時に、声をかけてきたヤツが『祐弥』という呼び名だった事を思い出した。
 横の繋がりが薄いと不満を感じていたけど、俺の方からもあまり歩み寄ってなかったんだな、って秘かに反省しながら、久しぶりな仕事場の奴等との交流に、少々気分が良くなってきた。




「そういえばさ、翔がシーツの事を麻紀さんに言ってくれたんだよな。ありがとな」
 真剣な顔で考え込みつつ唐突に声をかけてきた祐弥の方に、ジッと牌を見詰めていた視線を上げた。
「おう。余計な事かな……って悩んだんだけどさ。あの方が良いと思ったんだよな」
「だよな。俺達も楽になったし、すげぇ助かる。ジェイのトコってリネン屋に頼んでたんだな」
「そうだぜ。俺はあの店しか勤めてないから、アレが普通だと思ってたからさ。コッチで最初に聞いた時、逆にすげぇ驚いた。自分等で洗濯する店が多いって、ホントに予想外だったぜ」
 数年振りの麻雀に頭を悩ませつつ、和やかに話しかけてくる祐弥と、ゆったりとした会話を交わしていく。


 一回客を取る毎に、新しいシーツと交換して指定された場所に置いておけば、後はリネン屋が回収に来て洗ってくれるのが当たり前だったクラブJと違い、サテンドールは自分達でシーツやタオル類の洗濯物を洗っていた。
 空いてる一室に洗濯機と乾燥機が完備されているし、放り込むだけだから手間って程じゃないけど、やっぱり自分達の洗濯では仕上がりも違うし、面倒だと思うヤツはシーツを取り替えない可能性もある。
 実際に聞いてみると、やっぱり手間がかかると思って毎回は取り替えずに、適当に皺を伸ばして誤魔化してるヤツも多いみたいで、他人事ながら心配になった。
 ボーイ1人ひとりの持ち部屋制だから、それに気付いた客はソイツを指名しなきゃ良いだけだし、其々の自己責任と言われればそれまでだけど、やっぱり長い目で見れば店の評判にも繋がってくると思う。
 それなりに金のかかる事だし、強制は出来ないけどな……と悩みながらも、それとなく麻紀に話してみると、即座に提案を聞き入れてくれた麻紀は、数日中にその手配を整えてしまった。
 とりあえずシーツだけではあるものの、その迅速さには本当に驚いたし、「他のボーイの意見も聞いて、この方が良さそうだったらタオル類の手配も進める。他にも以前の店の方が良さそうな点があれば、遠慮なく言って欲しい」と、麻紀はそんな約束までしてくれた。


「掃除の回数が増えるのは面倒だけど、その分、洗濯が無くなった方が楽だしさ。麻紀さんに聞かれたから『俺もこの方が良い』って返事しといた。やっぱり毎回新しい方が、俺等も気持ち良いもんな」
 嬉しそうに話しかけてくる祐弥の言葉に、目前の勝負に真剣に頭を悩ませつつ頷いた。
「アレに慣れるとなぁ。使い回しとか気持ち悪くて嫌になるぜ。でも、麻紀さんが聞き入れてくれるとは思わなかったな。『余計な事に口を出すな』とか、怒られるかなーって気がしてたんだけど」


 実際に勤め始めるまでは、普通に飲んでた時の感覚で『麻紀』って呼び捨てにしてたけど、どうやらボーイの皆は『麻紀さん』と呼んでいるらしい。
 だからそれに習って何気なく言ってみると、向かい側に座っている、初めて見る顔のヤツが頬を緩めた。
「あんな風にしてるけどさ、麻紀さんって意外と色々やってくれるぜ。俺も頼んでる事があるし、フットワークは軽い方だよな。顔も広いしさ」
「あ、それは分かるな。何か頼んでるんだ?」
「入店の時にな。俺、親と同居だから風俗系はマズイんだ。無いとは思うけど、急用が出来たとかで会社に電話かけられたりしたら困るだろ。給料の事とか、そんなのも聞かれるからさ。それで誘われた時も最初は断ったんだけど、麻紀さんが『理由がそれだけなら解決策はある』ってさ。普通の仕事してる客に頼んで、ソイツの所に勤めてるって事にして偽装してくれてるんだ。それだと昼間がメインで深夜まで入れないのが難点だけど、でもすげぇ助かってる」
 その話を聞いた瞬間、それで今までコイツとは会ってなかったのかと納得した。


 慣れるまでは……と思って、深夜に近い時間帯ばかりに連続して入れて貰ってたから、もしかしたら、まだ会ってないヤツもいるのかもしれない。
 色んな規約が厳しいジェイの店では、そういう『バレた時に揉めそうな事情のあるヤツ』は、そもそも最初から雇ってなかったから、そういう手もあるんだなと、単純に驚いてしまう。
 同じ売り専でも全然違うモンだなと、変な所で感心しながら、彼の方にチラリと視線を戻した。






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2009/5/31  yuuki yasuhara  All rights reserved.