Eros act-3 06

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 今日はもう、客に買われる事は無いだろうと思っていたのに、それから食事休憩を挟んで1時間もすると、また何故だかご指名されてしまった。
 予想外の出来事に驚きつつ売りに廻って相手をした後、もう来ないだろう……とは思いながらも、念の為に『売りはやらない』方の制服に着替えていると、更衣室に顔を覗かせた店長の中川が楽しそうに笑い出した。
「なんだ。今日はもう、お手上げか?」
「はい。面接の時にも言ったけど、俺、全然売れてなかったんで。一日2回とか初めてかも……今日は初日だし、指名なんて来ないだろうなって油断してた。結構、ビックリしてるんですけど」
「そうか。まぁ、2人は普通にあるだろう。逆のパターンでやってる奴もいるな。最初はホールの仕事だけで、後半の数時間程度を売りに廻すヤツもいる」
「あ、なるほど……それでも良いんですか?」
「売りに廻るヤツが一定数いれば、店としては問題は無い。さすがに誰もいなくなると、単なる『クラブ』になってしまうから困るけどな。その辺りの配分に関しては、他の連中に相談してみると良いだろう」
 そう話す中川に連れられ、また店内にへと戻っていく。




 先程相手をした客が、まだ帰らずに飲んでいるらしく「ちょっと相手をして欲しいそうだ」と伝えてくれた中川の言葉に従って、客の隣に座ってみた。
 以前勤めていた所は売りだけの店だったから、こんな風に客と飲んだ記憶はない。
 ちょっとだけ緊張しながら、カウンターで上機嫌に飲んでいる客の相手をして話していると、チラリと背後に視線を走らせた客が、珍しそうにその方を見詰め続けた。


「ジェイが出てきたな。久しぶりに見た気がする」
「え? ジェイって、オーナーの?」
「そうだ。最近、全然コッチに出て来なかったんだけどな。今日は飲む気になったんだろう」
 そう教えてくれる客の視線を追って、同じ様に振り返ってみると、店内をゆっくりと横切っている長身の男が目に飛び込んできた。
 明らかに混血と分かる容姿もだけど、それ以上に雰囲気的にも、彼が出てきただけで店内の様子が変わってきたのが分かってしまう。
 何だかやけに目立つ人だな……と、多分、自分とそう変わらない位に若そうなジェイの姿に、純粋に感心してしまった。


「へぇ……ココのオーナーって、ああいう人なのか」
 思わずそう呟いてみると、隣にいる客が呆れた視線を向けてきた。
「何だ? 颯太は店のオーナーを知らなかったのか?」
「面接の時は店長だけで、ジェイには会ってなかったんですよ。俺、この辺りに来た事もなかったし……」
「なるほど……ジェイも味見をしなくなったらしいし。今から入るボーイは、ジェイに会わずに入る子も増えるんだろうな」
「味見……って、ジェイが?」
「以前は彼自身が一度寝てみてから、雇うかどうかを決めてた。一稀を恋人にしてからは、それも止めたらしいけどな」
 その一言で、面接時の様子を聞いた麻紀が、怪訝そうな表情を浮かべたのが理解出来た。
 やっぱり、この店も最近になって色々と体制が変わったんだなと納得しつつ、また背後に視線を向ける客につられて顔を向けると、少々急ぎ足の一稀がジェイの所に向っていた。
 個室に向う入口とは反対側にある、仕切られていて見えない席を覗き込んで何やら話し込んでいるジェイの隣に立って、同じ様に話し始めたらしい一稀の様子に、何となく首を傾げた。
「……何だろ。知ってる人でも来てるのかな」
「挨拶してるんじゃねぇのかな。あのボックスを使うのは、政治家や芸能人、企業の会長とか、そういう奴等が多いからなぁ。今日は政治家のヤツが入って行ったな。俺は政治に興味が無いから名前を忘れたけど、ニュースで良く見かけるヤツだ」
「――え? そんな人達が来るんだ。凄いな……」
 客も普通の一般人ばかりだった、極々ありふれた大衆店だった以前の店と比べてしまって、その違いに驚いてしまう。
 政治家にゲイがいて、売り専に男を買いに来る事にも驚いてしまうけど、というか此処は『そういう奴等が出入りする店』なんだ……と呆然としていると、隣の客がククッと笑った。
「そのうちご指名が来るんじゃないか? 今日、あそこに入って行った政治家さんは、ティコをお気に入りだったからな。彼が引退してからは、似たタイプのヤツを取っ換え引っ換えして、次のお気に入りを探している最中だ。颯太もティコに似たタイプだし、そのうち声がかかるだろう」
「うーん、見た目は同系統だけど。でも俺には、指名なんて来ないと思うな。前の店でも全然売れっ子じゃなかったし……」
 客から奢って貰ったカクテルを握り締めたまま、何だか色々と自信が無くなってきて、そう答えながら溜息を吐いた。


 麻紀に頼まれたから面接を受けて入店したものの、何となく、此処は俺が勤める様な店じゃなかったんじゃ……と、今頃になって本当に不安になってきた。
 確かに店長とオーナーの恋人である、ティコや一稀と似た系統だと、自分でもそう思う。
 だから多分、気に入って貰えるだろうから……と、麻紀もそう考えて俺に声をかけたんだろうけど、見るからに華やかな雰囲気がある彼等と違って、随分と普通だし地味に思える。
 そう考えると他の連中も其々に個性的だし、ますます「俺、本当に大丈夫なのかな?」って心配になってきた。
 きっとこの人も、どっかの会社で偉い人やってるんだろうな……と隣に座る客の姿に思いながら、結局、立ち話をしていたボックス席に入り込んで、一緒に飲み始めたジェイと一稀の姿を、遠く離れたカウンター席から見送った。


 今、隣で飲んでるお客さんもどっかの社長位やってそうな感じだけど、でも、あんなボックスの中に呼ばれたりしたら、絶対に緊張し過ぎて気持ち悪くなりそうだし、俺はカウンター席で飲んでる位の気安い相手の方が良いと真剣に思う。
 以前の店で貰っていた倍額のチップを、ポンと軽く渡してくれた隣に座るスーツ姿の男性客に、弱気になった気持ちを色々と慰められつつ、ちょっと喧騒も落ち着いてきた雰囲気の店の中、何とか初仕事をこなしていった。






*****






 颯太が入店して数日後、もう一人の新しいボーイも入店してきて、また店が賑やかになった。
 彼らの様子も落ち着いてきた頃、久しぶりに色んな用事が同じ位の時間に片付いて、四人でブラブラと歩きながらマンションに帰る事になった。


「そういえばさ。颯太って、ホントに『麻紀』って人から、何かを頼まれてるのかな? 全然、そんな感じは無いんだけど」
 ふと思い出した様子で、不思議そうに呟いたティコの言葉に、隣を歩きながら頷いた。
「俺もソレ考えてた。すっげぇ普通だよな。俺が掃除してる時も『腕は大丈夫か?』って聞きながら手伝ってくれるし」
「だろ? 俺の方も、色々と声をかけてくれるしさ。普通に働きに来てる様にしか見えないんだけど」
「逆に一生懸命だよな。バレない様に何か仕掛けたりしてるのかな? って気がしたから、机の下とか潜ってみたけど。盗聴器とか隠しカメラも無かった」
 何気なく今日調べてみた事を呟いてみると、前を歩いていたジェイが、呆れた顔をして振り返ってきた。


「お前……何をゴソゴソしてるのかと思えば。そんな事を調べてたのか?」
「だって普段の行動見てても、変な所が全然無いからさ。もう隠したのかな? って思ったんだ」
「ばか、テレビの見過ぎだ。それに、そんなモノを仕掛ける位なら、最初から潜り込ませたりはしねぇだろうよ。閉店後に潜り込んで、あちこち貼り付けて廻れば良いだけだ」
「やっぱりそうだよな……俺も盗聴器とかの本物見た事ないから分からないんだけどさ。でも、変なのは無かったから大丈夫! 多分、何も仕掛けられてないと思うな」
 歩きながら振り返って話しかけてくるジェイに、掃除をしながら調べた事を答えていると、中川とティコがククッと小声で笑っているのが聞こえてきた。
 何で笑ってるんだろう? と思いながらも、ジェイと二人で話していると、ようやく笑い止んだ中川が、またコッチを振り返ってきた。


「まぁ、目的が分からないからな。もしかしたら、店のNo.1になって乗っ取って来い……の可能性だってある」
 楽しそうに話しかけてきた中川の言葉に、ティコが真顔で考え込んだ。
「それはあり得るけど。でも、もしそれが正解だとしたら、颯太を送り込んだのは失敗だよな。彼自身は人気出てきたけど、性格的にビビってるからさ……」
「そういえば、ティコの常連が結構流れたみたいだな。何か言ってるのか?」
「うん、何かすっごい慌ててる。そりゃあ、外の世界じゃ偉い人かもしれないけど、店では単なるお客さんなんだから。普通にしてれば良いと思うんだけどな」
「ティコの常連は上客が多かったからな。まぁ、焦る気持ちも分かる」
「そうなのかな? 俺はあんまり気にしてなかったからさ。颯太にも『普通に接客してれば大丈夫』って、励ましてるんだけど」
 すごく怖がりでホラー系や生肉が苦手なティコだけど、相手が生きてる人間だったら平気みたいで、見るからにヤバそうな組系の人や、テレビのニュースで見かける政治家の人達とかでもまったく気にせず接客して、皆から可愛がられていた。
 今でも飲むだけの時はティコが相手をする時もあるけど、彼も副店長の仕事があるから、しょっちゅう相手をしている訳にもいかない。
 相手が生霊やゾンビでも普通に会話しそうな位、世の中に怖いモノ無しのジェイに連れられ、俺も時々、そういう人達がボックス席で飲む時の相手になる事も増えてきたけど、やっぱりちょっと緊張する。
 俺はどっちかというと、ビビってる颯太の気持ちの方が理解出来るなぁとか考えているうちにマンションに着いて、エレベーター内で彼等と別れて其々の部屋に戻っていった。






「そういえば、そろそろ翔も出勤じゃねぇのか?」
 とりあえず一休みしようと珈琲を淹れている最中、リビングの方から問いかけて来たジェイの言葉に、それを話してなかった事を思い出した。
「明日から出勤だってさ。夕方頃、携帯にメールきてた」
「そうか。アイツが出勤して麻紀の方の状況が判明すれば、もう少し、何か分かってくるかもしれねぇな。翔は元気そうだったか?」
「うん。丸々一ヶ月って、ちょっと休み過ぎたんじゃないかな……ほとんど遊びにも行かなかったみたいで、色々と元気過ぎるみたいだぜ。『今なら一日5人は客をとれるぜ!』とか書いてあった」
 飲物を持ってリビングに向いつつ、翔から来てたメールの内容を教えてあげると、ジェイが深々と溜息を吐いた。
「まったく……相変らず能天気な野郎だ。アレが落ち着けば、もっとマシになるんだがな。黙ってりゃ男前なんだが、話すと段々とボロが出てくる」
「うん。まぁ、翔らしいなって思うけどさ。見た目とのギャップが大きいよな……」
 いつもの嘆きを繰り返すジェイの話に頷きつつ、のんびりと淹れたばかりの珈琲を味わった。


 背が高くて精悍な顔付きだし、シリアス系の映画の主役とか似合いそうな翔だけど、どうやら根がお笑い系であるらしく、長い時間を話してると段々とおかしな事になってくる。
 見た目がシリアス系だから、その印象の反動が物凄くて、お店で働いてる頃からしょっちゅう、ジェイに「重要な場面になったら、てめぇは話すな」と怒られていた。
 もっとも、本人はあまり気にしてないみたいで「またジェイに怒られたなぁ」と平然としていたし、皆が『ジェイと三上さんを足して、2で割ったら翔になる』って言うのも、ものすごく納得出来た。
 それが翔の良い所ではあるし、皆から慕われてる所でもあるけど、彼が目標にしている通りに自分の店を出したら……と思うと、少しだけ心配になってくる。
 ビックリする位に頭も良いし、そういう部分では問題無いとは思うけど、店長が翔になる店の雰囲気がどうなるか? と考えると、何となくジェイが心配する気持ちも分かる。
 何だか闇鍋みたいな店になりそうだなぁと、アレコレと頭の中で想像していると、隣に座ってるジェイが、そっと肩を抱き寄せてきた。




「とりあえず、颯太のヤツも直接的な行動に出る事はなさそうだな。安心したか?」
「うん、その辺りは大丈夫そうだよな……あのさ、颯太が本当に麻紀に頼まれて、何か企んでるって分かったら、やっぱり辞めてもらうの?」
 ずっと気になっていた事を問いかけると、ジェイが微かに頬を緩めた。
「その内容に依るだろう。アイツ自身の意向もあるだろうし、今の時点じゃ何とも言えねぇな。気になるのか?」
「少しだけ。だって、本当に真剣に働いてると思うからさ。もし、麻紀に頼まれてるのが大した事じゃなかったら、それがきちんと解決した後は、普通に一緒に仕事したいな……」
 ジェイの肩に寄り添ったまま、そう自分の気持ちを話してみた。


 まだ骨折のリハビリ中だと聞いて、それを色々と気遣って助けてくれる颯太は、少なくとも、この怪我の原因は麻紀かもしれないって事を知らないんだと思う。
 そう考えると、お店の仕事も頑張ってるし、きっと麻紀に頼まれてる事も、大した事じゃないんじゃないか……って、そんな気がしてしょうがない。
 そんな考えは甘い、って言われればそうなのかもしれないけど、やっぱり、今一緒に働いてるヤツを切り捨てるかもしれない……って考えると、そわそわと落ち着かなくなってくる。
 もしかしたら演技なのかもしれないけど、今見ている颯太は本当に良いヤツだと思っているし、これからも仲良くして行きたいと、俺は思う。
 俺は絶対に店長とか出来そうにないな……と、どうしても感情に流されてしまう自分の気持ちを抑えながら、優しく抱き寄せてくれるジェイの温もりに甘えたまま、色んな気持ちを話していた。






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