Eros act-3 03

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 入院中に大体調べていた事を、退院して家に帰ってきてからも、また詳しく調べてみた。
 途中で俺の気持ちが変わったりしたら、色んな人に迷惑をかけてしまうからと、何度も自分に確かめてみたけど、やっぱり心配なさそうな気がする。
 むしろ、俺が色々と頭を悩ませながらやっと覚えた仕事を、あっさりと引き受けてしまったティコの姿を目にしているうちに、ますます気持ちが固まってきた。
 きっと大変だろうなって思うけど、今なら頑張れる様な気がする。
 とりあえず、今夜にでもジェイに相談してみよう……って考えながら、ジェイが迎えに来てくれるまでの間、事務所の片隅に広げたノートパソコンで再度確認しつつ、ネットで見つけた色んなページを「お気に入り」に追加していった。






「ジェイ、ちょっと相談したい事があるんだけど……」
 お風呂から上がってリビングで寛いでいるジェイに声をかけると、まだ濡れたままの髪をかき上げながら、彼がチラリと視線を向けてきた。
「どうした、やけに改まってるな。珍しいじゃねぇか」
「うん、今日は真面目な話。俺、学校に行きたいんだ。自分でも色々調べたんだけど、ジェイも良いって言ってくれる所にしようと思ってさ」
「学校? 行きたい専門学校でもあるのか」
「違う、高校なんだ。俺、中学までしか行ってないからさ。皆も普通に高校までは卒業してるだろ。俺も遅くなったけど、やっぱりそれ位の勉強までは覚えとこうかなって」
 最初は素っ気なく茶化してきたジェイも、『高校に行きたい』と言ったら、ちょっと真面目な顔になってくれた。
 ちゃんと向き直ってくれたジェイの隣に座りながら、持ってきたノートパソコンの電源を入れた。


「高校ねぇ……皆、お前より年下になるぞ。一稀の同級生は、もう卒業してしまってるだろう」
「あ、普通の高校じゃねぇよ。通信制か定時制なんだけど……でも定時制だと、毎晩学校に行かなきゃダメみたいなんだ。だから、通信制が良いかなって思うんだけど」
「なるほど、ソッチなのか。まぁ良いんじゃねぇか。通信制なら通学の手間もねぇしな」
「お店の手伝いもあるし、やっぱり毎日は難しいよな。でも、ちょっとは登校しなきゃいけないみたい。それが週一回くらいの学校と、旅行みたいな感じでまとめて何泊かするってトコとあって、すっげぇ迷っちゃってさ」
 そう言いながら色んな通信制高校のページを見せてあげると、ジェイは真顔になって、意外と真剣に考えてくれた。
「へぇ……俺も知らなかったが、色んなタイプの学校があるもんだな。確かに、こうも違うと一稀が迷う気持ちも分かる。お前はドッチが良いんだ?」
「ちょっと面倒だけど、俺は週一回とかの方が良いかなって思うんだ。やっぱり、全然知らない人達と旅行に行くのって、ちょっと勇気がいるからさ……」
 少々苦笑いを浮かべながら、ジェイには正直に、自分の気持ちを話した。




 きっと定時制の方が普通の高校に近いんだろうな……ってのは、何となく分かったけど、色々と考え始めてしまうと、やっぱり少しだけ足が竦んでしまう気がする。
 夜間に学校があれば、ジェイと過ごす時間が少なくなるからってのもあるけど、それ以上に、今でもまだ『普通の人達』と一緒に過ごすのを、何となく嫌だと思う。
 普段から沢山話すのが下手で、仲良くなるのに時間がかかる方だし、それが学校に通って生徒同士でとなると、余計に中学に通っていた時の気持ちを思い出してしまう。
 友達も出来ずに教室の隅で一人でポツンと過ごしていた頃を思い出すと、同時に家に帰っても一人だった当時の事を思い出して、胸がギュッと痛くなってくる。
 今は大好きなジェイと一緒にいて、お店の皆とも楽しくやっているから、余計にそう考えてしまうのかもしれない。
 中学を出たばかりのガキの頃から、この狭い街の中だけでずっと過ごしている俺は、もう色んな事を覚えたと思うけれど、やっぱり外の世界に出るのを、今でも少しだけ怖いと思っていた。


 入院した時や遊びに行く時みたいに、誰かと一緒なら知らない所でも平気だけど、一人だけで交流を持つのには戸惑ってしまう。
 ジェイは普通の仕事をしているし、付き合ってみれば案外大丈夫なのかもしれない。でも、やっぱりちょっと嫌だな……って、そんな気持ちの方が先にあった。




「一稀がそう思うのなら、あまり無理はしなくていい。少しの時間だけ、何度も通う方が気分的にも楽なんじゃねぇか? そうやっている方が慣れるだろうし、変に気負っていたら、続くモンも続かねぇだろうよ」
 穏やかな笑みを浮かべ、そう言ってくれたジェイに、素直に頷いて見せた。
「やっぱりそうしようかな。ソッチの方で考えてみる……あのさ、通信制なら10月から入学のトコもあるんだ。ギリギリ間に合いそうだから、明日、中学の先生の所に行って、色々聞いて来ようかなって思ってる。拓実に聞いたら、まだ俺達の頃と同じ先生が残ってるらしいんだ」
「そうか。同じ中学だったと言ってたな。確かに、卒業証明書など必要な手続きもあるかもしれねぇし、直接聞いた方が早そうだ。一人で行くのか?」
「うん、ちょっと緊張するけど。俺がまだ中学にいた時、先生がそんな話をしてくれた事があったんだ。先生は母さんとの事しか知らなかったから、『バイトしながらでも行ける高校はあるから』って勧めてくれてた。それでこういう高校の事を思い出したからさ」
「それなら早い方が良いだろう。希望を伝えれば、他にも一稀が探しきれなかった分も出てくるかもな」
「だよな。俺がネットで調べるより、やっぱ先生に聞いた方が早いかも……それでさ、もし、本当に中学の先生にも相談するとしたら、今の生活の事を言わなきゃいけないかもしれないんだけど……」
 学校に通う事を考え出して、やっぱり、どうしても最後に行き当たってしまう、一番の悩み事をジェイに伝えた。


 中学の先生には言わずに書類だけ出して貰ったとしても、やっぱり入学する事になる高校には、ある程度の事は伝える事になると思う。
 そう考えると、何処まで話せば良いのかな……って、考え出したら分からなくなってきた。
 俺の方は自分の気持ちに問題があるだけで、話す事自体に支障は無いけど、一緒に暮らしてるジェイの事も聞かれてしまうかもしれない。
 ジェイの仕事的に、そういうのって大丈夫なのかなぁと悩みながら打ち明けると、隣に座っているジェイが肩を抱き寄せ、頬に軽くキスしてくれた。


「なるほど。お前、それを心配してたのか?」
「だって、ジェイは普通の仕事もしてるだろ……一緒に暮らしてる人は誰か? とか、そういうのを聞かれたら、あんまり変な事も書けないだろうしさ」
「俺の方は大丈夫だ。一稀が必要だと思えば、全部正直に話せばいい。店の仕事が問題なら、お前は何も仕事はしていなくて、俺と一緒に暮らしてる、とだけ伝えれば良いだろう。保証人が必要なら俺でも充分だと思うし、何なら親父を借り出しても良いだろうな」
「え、そこまで大袈裟にしなくても良いって! 普通の高校に入学するより、色々と簡単みたいだから大丈夫だと思うぜ」
 ちょっと慌てて答えながらも、胸の中では、やっぱり嬉しくなってくる。
 きっとジェイなら、こう言ってくれるだろうと思っていたけど、彼から直接聞いてみると本当に安心出来た。
「……あのさ、お店の事は必要だったら……にするけど、ジェイと一緒に暮らしてるのは言うかも。ちゃんと伝えといた方が、何で定時制はダメなのかとか、旅行は嫌なのかが分かると思うんだ」
「そうだな。一稀が負担に思わないのなら、それなりに伝えておいた方が良いだろう。それが分かっていれば、向こうもそれなりの配慮をしてくれるだろうからな。それより、何でいきなりそんな事を考えたんだ? お前が行きたいのなら止めるつもりはないし、俺が言うのも何だが、高校での勉強がさほど役に立つとは思えねぇが」
 そう言いながらも、何だか少し楽しそうに話しかけてくるジェイの横顔を、頬を緩めながら見詰めてみた。
「俺もそう思う。皆もそう言ってるけど、でも、やっぱり皆と同じ事をしといた方が良いかなって思ったんだ。そのうち俺より年下のヤツが入ってきた時、俺がバカ過ぎたら笑われるから。それにジェイと話すのだって、俺がもっと色んな事を知ってる方が楽しい気がするんだよな」
「俺は今のままでも、充分に楽しいと思っている。だから気にする必要はないが、色々と考えるのは良い事だろうな。まぁ、俺に分かる範囲の勉強なら教えてやるが、高校で教わる授業なら、ティコの方が覚えているかもな」
「あ、そうだな! まだ大学に行ってる子もいるし、皆にも教えて貰おうかな。仕事の合間で暇な時に聞いてみるとかさ」
 もう痛みも治まってきて、かなり動く様になってきた左手を優しく握り締め、労わる様な手付きで撫でてくれるジェイに、弾んだ声で答えを返した。




 俺が今から高校に行って、どれだけ真面目に頑張ったとしても、ジェイがやってる仕事を全部覚えるのなんて無理だ、ってのは分かっている。
 でも、ティコが好きな人がやってる仕事を覚えて、色々と手助けしてあげてるのと同じ様に、家にいる時のジェイの手伝いくらいは出来る様になりたいな……って、ずっとそう考えていた。
 だから、本当は必要ないかもしれないけど、皆が普通に知ってる事くらいは覚えておきたい。


 ずっと一人で好き勝手にやっていたから、今までは何の問題も無かったけど、お店の手伝いをする様になって、俺は何かを『覚える』って事に慣れてないんだと気付いた。
 言われた事は理解出来るし、それに関しては問題ないとは思ってるけど、他の皆より随分とモタモタしてるのは自覚してるし、言い訳は出来ない。
 中学の時から叱ってくれる母さんはいなくなっていたし、本当に勉強なんかせずに、適当に過ごしていた。
 それが悪かったのかなぁ……と、今頃になって少し反省しながら、だから高校に行ってみようかなって自分で決めた。
 本当の高校に比べたら、きっと触り程度の簡単な勉強なのかもしれないけど、今の俺にはきっと、それだけでも覚える事があり過ぎるくらいだと思う。
 三年間頑張って勉強して、その後はジェイの手伝いをしながら少しずつ彼の仕事を覚えて、そのうち彼のお父さんとも、色んな話が出来る様になれば良いな……
 そんな日が本当に来る事を夢見ながら、ジェイと一緒にパソコンを覗き込んで、どんな学校が良いかなぁ? って、ずっと楽しく相談しあっていった。






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