Eros act-3 02

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 俺が入院中に話が進んでいた『翔の送別会』と『俺の退院祝いパーティ』が、予定通りに退院した翌週に行われた。
 普段よりお店を少しだけ早く閉め、ある程度の片付けをしている間に厨房の人達が料理を準備してくれて、普段はお客さんが座っているテーブルを皆で占領して、賑やかにパーティが始まった。
 俺が入って初めてだから知らなかったけど、誰かがお店を辞める時には、いつもこうしてお別れ会をやっているらしい。
 今日は休みだった皆や、普段は表に出てこない厨房の人達も加わって、本当に楽しい時間が過ぎていく。
 やっぱり此処は良い所だよな、って実感しながら、今日が最後の出勤だった翔と真ん中に座らされて、皆と楽しく話をしていた。




「あ、そうだ。翔って、自分の店を出す前に仕事するの? 聞くの忘れてた」
 ふと思い出して問いかけると、隣で上機嫌でお酒を飲んでいる翔が、和やかな笑顔を浮かべた。
「おう、もう決まってるぜ。『サテンドール』って売り専。オーナーが麻紀って人のトコ。一稀は売り専クラブに行ってなかったし、どんな所か知らないよなぁ?」
 突然出てきた名前にドキリとして、思わず翔とは反対側の隣に座るジェイの方に視線を向けた。
 顔色一つ変えず、翔の言葉を聞いていたジェイは、グラスを手にしたまま、口元を緩めて翔の方に視線を向けた。


「あの店か。翔、麻紀と知り合いだったのか?」
「いや、全然。半年位前かな……帰りに飲んでたら隣に座ってきてさ。ジェイは麻紀の事、知ってるんだ?」
「まぁな。同じ売り専のオーナーだし、顔見知り程度だが。その後の付き合いはあるのか?」
「入店の話をしてる位かな。俺、結構ああいうタイプ好きだからさ、普通に口説いてみるかなーとか思いながら一緒に飲んでたら、突然『売り専のオーナーだ』って言われてさ。すっげぇビックリしたぜ。全然そんな風には見えないよな」
「確かにな。そこでスカウトされた……って感じなのか?」
「だな。麻紀の方を聞いて、俺が言わないのも何だから『俺は売り専に勤めてる』って白状したら『知ってる』とか言われてさ。何か、引退が近いのも調べてたみたいで『俺の店は25歳までOKだから、ジェイの店を引退したらコッチに来ないか?』って誘われた。本当はもう、ボーイはやらないつもりだったんだけど、せっかく声をかけて貰ったし。この店が一番良いのは分かってるけど、俺は他の店を実際に知らないからさ。逆に、何処が違うのか覚えといた方が、自分が店出す時に役立つかな? って思ってさ」
「色んな店を知っておくのは、良い手段だろう。俺も店を出す前は、客としてだが、全部の店を廻ったからな。今、麻紀と会った時は、入店の打ち合わせについて話すだけなのか?」
 そう問いかけたジェイに、翔は素直に頷いて見せた。
「そんな感じ。色気も何にも無いんだよな、せっかく口説こうと思ってたのに。やっぱ、これから勤める店のオーナーを口説く訳にもいかないだろ? 麻紀もボーイだったら良かったんだけどな」
「なるほどな。まぁ、オーナーを口説くのは止めておいた方が無難だろう」
「だよな……麻紀の店は『ボーイの募集はしない』って言ってたから、あんな風に自分で選んで声かけてるんだろうな。とりあえず1年間だけ勤めてみる事にした。少し休んで、来月の終わり位から勤める予定にしてる。今度から、コッチには客で遊びに来るから、ジェイも暇な時は一緒に飲もうぜ」


 この店では長く勤めてる部類に入る翔だけど、麻紀が昔、売り専だった……って事までは、知らなかったらしい。
 何て話せば良いのか分からず、黙ってジェイと翔の会話を聞いていると、向かいに座っていた中川が、突然椅子から立ち上がった。


「ジェイ、聞いておく事があるのを忘れていた。今、ちょっとだけ良いか?」
「あぁ、大丈夫だ。裏に行くか」
「そうだな。ティコ、一稀の隣に座ってやってくれ。ジェイと仕事の話をしてくる」
 返事をして立ち上がった、俺の隣に座っていたジェイがいた場所に、グラスを持ったティコがゴソゴソと移動してきた。
 ティコがこの街に来たのは、お店に勤める様になってからだし、そもそも、麻紀の事を知らないと思う。
 何の屈託も無く、楽しそうに話しかけてくるティコに応えながら、まだ胸の鼓動が治まってくれなかった。


 一ヶ月前、マンション近くの空き店舗を借りてまで、俺を襲う様にタカを仕向けたらしい麻紀は、そのもっと前に、引退が近い翔にも声をかけていた。
 半年程前なら、ちょうど俺がジェイと一緒に暮らし始めた頃だ……って気付いて、背筋がゾクリと粟立ってくる。
 時期的に考えても、もしかしたら、やっぱり俺がジェイと付き合う様になったのが切欠なのかな、って気もするけど、それなら何で、翔を麻紀の店に呼ぶのか……その意味が分からない。
 何があっても落ち着いている、物静かな印象しか無かった麻紀だけど、逆に今は、それを少し怖く思ってしまう。あの時、俺に絡んできた酔客を平然と引っ張って行った彼は、見た目の穏やかな雰囲気と違って、やっぱり結構強引で強気な性格なんだ……って、それが何となく分かってしまった。
 きっと中川とジェイは、この話をしに行ったんだと思うし、後で聞けば良いって分かってるけど、やっぱりどうにも落ち着かない。
 麻紀は翔をどうするつもりなんだろう……と考えながら、何にも知らず「次の店のオーナーが結構可愛い」とティコを相手に無邪気に喜んで話している翔の言葉に、賑やかな店の中、ジッと耳を傾けていた。






 賑やかな飲み会の喧騒を抜け、中川と二人で事務所に入る。
 先立って中に入り、ボーイの奴等が休憩室代わりに使っているソファに腰を降ろした中川は、煙草を取り出しながら深々と溜息を吐いた。


「麻紀の話か?」
 中川の前に座りつつ、単刀直入に問いかけてみると、彼は静かに頷いた。
「今日は送別会だし、明日の夜にでも相談しようと思っていたんだが。翔の後で募集をかけている所なんだが、応募してきた中に一人おかしな奴がいる。多分、麻紀が送り込んで来たんだと思う」
「へぇ……どんな奴だ?」
「見た感じは普通だ。多分、仕事的には問題は無いと思うんだが『給料を手渡しで欲しい』と言ってきた。本人は『銀行に行くのが面倒だから』と説明していたが、何だか妙な雰囲気を感じた。少し調べさせたら、案の定、偽名だ。ジェイ、見覚えはあるか?」


 そう言いながら立ち上がり、デスクの方に向った中川が、一枚の紙を手渡してきた。
 印刷されている顔写真と、調書の内容にザッと目を通した後、また中川に返しながら、色々な顔を思い浮かべて考え込んだ。


「……いや、ねぇな。本名の方も記憶に無い。別の界隈で売り専だった……と書いてあったな。前の店は当たってみたのか?」
「あぁ。向こうの店長に直接、聞いてみた。ソッチでは本名で勤めていた。勤務態度は極めて真面目だった様だし、問題も起こしてない。只、以前の店では客層が違っていたらしく、あまり客を取れなかったそうだ。本人から『申し訳ないが店を移ってみたい』と申し出があって、それを受け入れた様だな。店長も、むしろ気の毒に思っていたそうだ。見ての通り、容姿的には問題は無い。単純に以前の店に来る客の好みに合ってなかったんだろうな」
「なるほど……その途中で麻紀に掴まっちまったんだろう。まぁ、本人は至って普通な奴の様だし、とりあえず雇ってみるか」
 あっさりと答えてやると、硬い表情を浮かべていた中川も、ようやく少し口元を緩めた。
「やっぱり、ジェイもそう思うか。俺もそのつもりだった。状況次第では直ぐに辞めて貰う事になるかもしれないから、念の為、もう一人は雇うつもりだ」
「それで良いだろう。今が少し足りない程度だからな。二人増えても違和感はねぇだろうよ。こうなってきたら、手元に置いて観察した方が話が早い。翔を引き抜いて行った件もあるからな。お前の方は、翔から何か聞いていたのか?」
 そう問いかけてみると、向かいのソファに座った中川は、煙草の煙を吐きつつ軽く頷いた。
「一稀が入院している間に聞いた。その瞬間は訝しく思ったんだが、あの調子だったからな。特に他意はなく、麻紀が引退後の翔を引き抜いたんだろうと考えていた。それだけなら、此方としても引き止める理由は無い。だが、三上が慶から聞いた話を持ってきたし、偽名で入店しようとする奴まで現れた」
「裏で操っているのは、麻紀で間違いないだろう。アイツに利用されている、その偽名で潜り込んでくるヤツも気の毒だな」
「まぁな……あの調子だと、翔も本当に何も知らないんだと思う。アイツも此処に勤めるまで、この近辺を彷徨いていた様子もない。逆に麻紀の方が、翔から何かを聞きだすつもりなんだろうな」
「俺もそう思う。だが、麻紀にしては荒っぽい手段が多いな。相変らずアレコレと手を打ってやがるが、もう少しは、痕跡を残さない様にしそうなモンだが……」
 中川にそう言葉を返しながら、ほんの少しだけ感じてしまう、違和感の原因を考えてみる。


 同時に幾つもの手筈を整える麻紀らしい出方だとは思うが、彼にしては、あまりにも迂闊過ぎる。
 悪行に慣れているタカの動かし方は、それなりに彼らしさを感じるものの、引き抜く翔に口止めをしている様子も無いし、この街じゃ顔も知らない様な奴を送り込んでくるのに、わざわざ偽名を使わせるなどと、却って不信感を招いている様な物だと思う。
 翔に至っては「口説こうかと思っていた」などと本当に呑気なモンなのに、それに全く気付いてないとは、本当に麻紀らしくない。
 もしかしたら、更なる手段を整えている最中なのかもしれないけど、それにしても、彼らしくない焦りを感じる。
 アイツは一体、何を企んでいるんだ? と考え込んでいると、どうやら無意識に顔を顰めてしまっていたらしく、中川が面白そうに笑い声を洩らした。


「そう深く考え込むな。確かに麻紀らしくないとは思うが、アイツもジェイが絡んでくると、それなりに我を忘れるんじゃないか? あの時だって、最終的には『恋人がダメなら店で雇ってくれ』と言い出して、面接に来ようとしていただろう」
「……まぁ、そうだな。それが麻紀の憎めない所でもある。それが無けりゃ、単に計算高くて嫌味な奴ってだけだ。だが、用心はしておいた方が無難だろう。他の奴等に接触してきた様子はあるか?」
「いや、今の所は無い様だ。翔があんな感じで、呑気に言い回っているからな。冗談を装って『皆で麻紀の店に移ったりしないだろうな?』と聞いてみたが、他に誘われてる奴はいないらしい。人気店だし、あの店と麻紀の存在を知ってる奴は多い様だが、アイツが売り専をやってた事までは知らないみたいだ」
「そうか。じゃあ、ボーイ時代の麻紀を知っているのは、一稀だけか。アイツにも、また教えておいた方が良さそうだな」
 そう呟いてみると、中川が一瞬、動きを止めた。
「……一稀、って。ジェイ、麻紀の事を説明していたのか?」
「あぁ、退院前にな。特に話すつもりは無かったんだが、三上の話を聞いて、アイツにも気を付ける様にと説明しておいた。ボーイ時代の麻紀と一度だけ会った事があるらしい。俺の所に麻紀が押しかけていた頃だろう。本当に偶然で、それ以降の接触は無いそうだがな」
「そうか……確かに、タカを裏で動かしていたのは麻紀である可能性が高いからな。言っておいた方が良いだろう。他の奴等にはどうする?」
「言わなくても良いだろう。翔が妙な疑いをかけられても面倒だし、逆に、アイツとの縁は切らない方が良い。何か聞き出せるかもしれないからな。ティコにだけは説明しておけ。何かしら企んでるヤツを、わざと雇い入れるのは事実だからな。ティコには何の危害も行かないとは思うが、注意だけはしておいた方が良い」
「分かった、今夜の内にでも説明しておく。そろそろ戻るか。少し長くなったな」
 そう言いながら立ち上がった中川に続いて、事務所を抜けて、また店内へと戻っていく。




 皆、程良く酔いが廻ってきたらしく、底抜けに賑やかな笑い声が、沈みそうになる胸の中に心地良く響いてきた。
 何かしらの罠を持っているヤツを、店の中に引き込むのは諸刃の剣だと分かっている。
 只、何処と無く詰めの甘さを感じる今回の麻紀の行動なら、何となく上手く行きそうな気がした。


 今頃になって、こんな手を仕掛けてくる麻紀の気持ちが、どうしても読みきれない。
 アイツは何を考えているんだろう……と、分かる筈も無い事に気を廻しながら、ホッとした表情を浮かべて見上げてくる一稀の隣に、また何事も無かったかの様に、静かに腰を降ろしていった。






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