Eros act-3 22

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「へぇ、一稀がタトゥか……あまりピンとこないな」
 少々意外な事を言われ、正直な感想を伝えてみると、電話の向こう側のジェイが、大きな溜息を吐いたのが聞こえてきた。


『俺もそう思うから言ってみたんだが、あまり説得力は無い様だな。何故だか店で流行っているそうだし、それが問題になる様な仕事に就く訳じゃない。アイツも、皆の真似したくなったんだろうよ』
「あぁ、確かに……ジェイの店は若くて派手な子が多いから、何となく分かる気がする。ウチの連中は落ち着いてるから、ソッチ系は全然流行ってないけど。翔が一番、派手なくらいだから。そういえば、ジェイも大きなタトゥを幾つか入れてたよな。ソッチの仕事上では平気なのか?」
『ばか、見える所には入れてねぇよ。それに、基本的にスーツだろうが。此方の仕事上、人前で服を脱ぐ事はありえない』
「そう言われれば、そうなんだけどさ。一稀もジェイみたいにデカいタトゥを?」
『いや、それはさすがに反対した。そう簡単に消せるモンじゃねぇし、そもそも、アイツは結構痛がりだ。だから「途中で我慢出来ずに中断したら、かなりみっともない出来になる。薄着になっても見えない所で、煙草の箱程度の大きさにしろ」と言い聞かせてある。今朝の話じゃ「とりあえずお試しで、腰辺りに小さなのを入れてみる」とか話してたな』
 幼い子供の悪戯に困り果てている父親みたいなジェイの口調に、思わず笑いそうになるのを、必死になって我慢した。


 まだ充分に若いジェイだけど、実年齢より大人びてしっかりしている。逆に、彼の恋人である一稀はまだ10代の少年だし、年齢より幼く見えるタイプだから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
 最初に彼等の話を聞いた瞬間は驚いてしまったけど、ジェイの気質を考えれば、一稀みたいに子供っぽくて無邪気な性格の子を好むのも、何となく理解出来る。
 その光景が思い浮かぶなぁ……と、仲良く朝食を取りつつ話し合う、ジェイと一稀の微笑ましい様子を想像して笑いを堪えていると、ブツブツと愚痴っていたジェイが、思い出した様に受話器の向こう側から問いかけてきた。


『それより、一稀に何の用だ? 数日前、麻紀が店に来たから携帯番号を交換した……とか聞いた気がするが』
「あぁ、そうだ。一稀の携帯を鳴らしたんだけど、繋がらなくてさ。特に用事が無さそうなら、夕食でも一緒にどうかなぁと思ったんだ。今日はジェイと一緒?」
『いや。俺の帰りが遅くなるから、今日の夕食は別々だと話してある。俺の方からは問題ねぇよ。この時間帯なら、ちょうど施術の最中かもしれない。拓実も一緒に行ってる筈だが、アイツの携帯は知ってるのか?』
「拓実なら分かる。じゃあ、そっちにかけてみるか」
『その方が早いだろう。それもだが、突然一稀を夕食に誘うとか珍しいじゃねぇか』
 例の事から日も経ってないし、ジェイも少々警戒しているのかもしれない。
 訝しげに問いかけてきたジェイの声を聞きながら、携帯を耳に当てたまま、軽く口元を緩めた。


「そう怪しまなくても大丈夫だ。あの後、中川に色々と相談に行った時に『一稀と颯太には色々と迷惑をかけたんだから、メシ位は奢ってやれ』って言われたからな。一昨日、ティコと颯太を連れて食事に行ってきた。今日も時間が空いたから、一稀の予定はどうだろう? って思ってさ」
『へぇ……てめぇにしては、随分と良い心掛けじゃねぇか。アイツも麻紀と話したがってたし、ゆっくりしてくれば良い。まぁ、一稀をメシに誘うんなら、ついでに拓実や橋本もくっ付いて来るだろうがな』
「俺は全然構わないけど。でも、変に思われないかな? ジェイの店の子ばかりを沢山連れて、俺が食事に行ってもさ」
『何か聞かれたら「スカウトがてらだ」とでも答えてやればいい。俺の店の引退年齢が、他の店より早いのは周知の事実だ。翔と同じ様に、引退後に麻紀の店に移っても不思議じゃねぇよ。実際、その気になるヤツもいるかもしれないし、拓実にでも動向を聞いてみればいい。それに、麻紀の所みたいに落ち着いたヤツばかりならともかく、若い奴等は一緒になって遊んでやる方が俺達に気を許してくれるし、そのノリで仕事にも集中出来る様だな。麻紀は、そういう陽気さがねぇからな。たまには若い奴等と一緒に遊んで、少しは一稀の可愛気と元気の良さを見習うといい。じゃあな』
 返事をする間も無く、唐突に切られてしまった携帯を、思わず耳から離して見詰めてしまった。


 翔や中川から軽く聞いただけで詳細は知らないけど、確かに、ジェイが昼間にやってるらしい仕事の真っ最中を邪魔したんだろう……とは予想がつく。
 だからって、あそこまで一方的に自分の考えを話すだけ話して、返事も聞かずに電話を切るってのはないと思う。
「……ホント、すっごい生意気だよな……」
 無意識にそう呟きながらも、とりあえず、ジェイに教えて貰った通りに拓実の携帯を鳴らそうと、番号を探し始めた。




 つい最近恋人になって一緒に暮らし始めた翔も、ジェイと同じ歳の強気で生意気なヤツだけど、ジェイに比べたら本当に可愛らしいモンだと思う。
 何より、俺の話をきちんと最後まで聞いてくれるし、あんなに上から目線で好き勝手な事を言ったりしない。
 そう考えると「ジェイって色んな意味で、マジで最強だと思う」と、真顔で話す彼の気持ちも、何となく分かる気もする。


 まだ大学生だと聞いて真剣に驚いてしまった、数年前に出会った頃と全く変わる様子のない、傍若無人なジェイの言動に関しては、もう今更何も言う気はないし腹も立たない。
 それよりも、いくら可愛い恋人をさり気なく自慢したいからと言って、20代も後半に差しかかった男に向って、まだ10代で若々し過ぎる一稀の元気の良さを見習えとか、無理難題にも程がある。
 俺だって若い頃があったのになぁ……と、よく考えると何気に失礼なジェイの言葉を思い返しつつ、探し当てた拓実の携帯番号を選んで、通話ボタンを押した。






 ジェイが教えてくれた通り、拓実は一稀と一緒に行動していて、やっぱり一稀は施術の真っ最中だったらしい。
 一足先に終わって暇を持て余していた拓実に、夕方からの予定を聞いてみると、やっぱり皆で夕食に行くつもりだったらしくて、快く申し出を受け入れてくれた。
 一稀の返事を聞かずに決めて大丈夫かな? と気になったけど、拓実曰く「ジェイがOK出したんなら平気だ」と、あっさりと答えてくれた。
 あの時、実際に目にした二人の様子や翔からの話を聞いて、一稀がやたらとジェイに懐いているのは分かってたけど、拓実にまでキッパリと言い切られてしまうと、ほんの少し呆れてしまう。
 ジェイと一稀って、一体どんな日常生活を営んでるんだろう……? と、もはや予想もつかない位にベタベタと仲の良い二人の暮らしぶりを想像しつつ、待ち合わせた時間までに自分の仕事を終わらせていった。






*****






「あ、麻紀! コッチだぜ」
 約束の時間より少し早めに着いたつもりだったけど、彼等の方がちょっとだけ先に到着していたらしい。
 待ち合わせた喫茶店の片隅、寄ってきた店員に飲物を頼みつつ、リラックスした様子で座っている一稀の隣に腰を降ろした。


「早かったんだな。待った?」
「ううん、全然。俺達も来たばっかりだぜ。ちょっと早過ぎたかなって思ったけど、丁度良かったみたい」
「そうだな。タトゥ入れてきたんだんだろ? もう平気なのかな」
「ん、もう何ともないぜ。小さいヤツだから1時間もかかんなかったし。思ってたより簡単だった」
 拓実と電話で話している時、ついでに一稀の様子を聞いてみたら「ちょっと痛いみたいで、ぎゃあぎゃあ喚いてる」と聞いたのに、喉元過ぎれば……ってヤツらしく、もうすっかり忘れてしまったらしい。
 澄ました顔で答える一稀の向かい側、必死で笑いを堪えているっぽい拓実の方に視線を向けると、ふと、彼の隣に座っている子に気付いた。


「――あぁ、確か『裕真』だったよな。ジェイに一稀と一緒にいる子を聞いた時、『拓実と橋本が……』とか言ってたからさ。橋本って誰だろう? とか考えてたんだ。裕真の事なのか」
 ジェイに聞いた時から「そんな名前の子、ジェイの店にいたかな?」と気になっていた、その相手がようやく分かった。
 何となくスッキリした気分で、実は見慣れていた橋本に話しかけてみると、彼は不満気に顔を顰めた。
「え、やっぱり麻紀さんにも、その呼び名で説明したのか……理由は分からないんだけど、ジェイって何故だか俺だけ苗字呼びなんですよ。別に嫌じゃないんだけど、店の中でもフツーにそれで呼ぶからさ。お客さんにまで本名フルネームで知られてるのって、俺だけじゃないかなぁ?」
「あ、裕真も本名なのか。それなら確かに、フルネームがバレバレだよな……」
「絶対にNGとかじゃないから、別に良いんですけどね。ホント、苗字で呼ぶのってジェイと一稀だけなんだけど」
 特に不都合がある訳では無さそうだけど、やっぱり若干不満に思っているらしい。
 恨めしそうに説明してくれる橋本の言葉を聞きながら、運ばれてきたオレンジジュースに手を伸ばした一稀は、相変らずな素知らぬ顔で美味しそうに一口飲んだ。


「だって、ジェイが『橋本』って呼ぶからさ。俺も同じにしとかないとダメじゃん」
「何でだよ! 別にこんな事までジェイと同じにしなくても良いだろ? 俺、一稀のフルネームとか知らないしさ。ジェイなんか、アレが本名なのかどうかも聞いた事ないぜ。俺だけフルネーム全開って不公平じゃね?」
「ジェイも本名だぜ。他の日本人っぽい名前もあるけどさ。俺もちゃんと苗字はあるけど、今はジェイと一緒に住んでるから。ジェイと同じ苗字が良いなぁ」


 最初に会った頃から、一稀は割とツンツンした、可愛らしいけどちょっと生意気な雰囲気があったけど、それは今でも変わってないと思う。
 逆に、俺様気質な同居人の影響なのか、以前よりパワーアップしてる気さえしてくる。
 控えめな抗議を続けている橋本と、年上の彼を相手に微妙に噛み合っていない答えをマイペースで返している一稀の話を、ちょっと面白く感じつつ聞いていると、俺と同じく楽しそうに二人の様子を眺めていた拓実が、不意に視線を向けてきた。


「麻紀さん、翔は来ないのかな?」
「仕事だ。最近、バーの方に出てる事が多いから。俺が出る時も、客の相手をしていた」
「へぇ、頑張ってるんだな。もう、売りの方は止めたんだ?」
「完全じゃないけど、徐々にそうしているみたいだな。長い付き合いの常連も多いし、まだボーイを続けるって事で店を移動したから、突然止める訳にも……って感じなんだろう。新規は取ってなくて、常連の指名が入った時だけ相手をしている。元々、翔はクラブの接客の方が好きだし、今のペースが丁度良いみたいだな」
 特に隠すつもりは無いし、翔も仲の良い何人かには、それとなく話をしているのかもしれない。
 俺の方からは話してないけど、そういう事情を知っているらしい拓実と思わせぶりな会話を続けていると、此方の様子に気付いた一稀が、嬉しそうに頬を緩めた。
「あ、そうだった! 麻紀は翔と一緒に暮らし始めたんだよな。仲良くやってる?」


 ニコニコと無邪気に笑いながら、ストレートに問いかけてきた一稀の言葉に、一瞬、答えに詰まった。
 そんな此方の態度を気にする様子も無く、楽しそうに頬を緩めてジッと答えを待っている一稀の姿を、ほんの少し眩しく思う。
 単純に「まだ若いから」ってだけじゃなくて、きっと彼は、根っからこういう真っ直ぐな性格なんだろうと改めて感じる。
 それが本当に可愛く思えて、ジェイが一稀に執着する気持ちが分かるな……と、そんな事を考えながら、苦笑いを浮かべている拓実を横目に、しっかりと頷いてやった。


「あぁ、仲良くやってる。翔から聞いたのか?」
「そんな感じ。すっげぇ嬉しそうに教えてくれたんだ。俺も、翔と麻紀は仲良くなれるだろうなって思ってたからさ。やっぱりな! って思った」
「そっか、ありがと。今日は仕事だから、翔は来れないんだけど。次は連れてくるかな」
「うん、それが良いな。翔がいると話が弾むし、面白くなるからさ。でさ、今日はドコに行くの?」
 スパスパと小気味好く話しかけてくる、一稀のこういう屈託の無さは、数年前のあどけない彼の印象と変わらない。
 それがやけに嬉しく思えて、自然と気持ちが穏やかになってきた。




 一稀がタカ達に負わされた怪我の程度を知った瞬間の、あの気分を思い返すと、今でもそわそわと落ち着かなくなってくる。
 今更そんな言い訳をしてもしょうがないけど、本当に「そんなつもりはなかった」としか言いようがない。でも結果として、あんな事になってしまったのは事実だし、真剣に申し訳なく感じていた。
 一稀は「ちょっと怖かったけど、もう大丈夫」とだけ話して、特に責めてくる事はないけど、入院中に怯えていたらしい彼の様子は、翔や中川から充分に聞かされている。
 だから今、こうして極普通に接してくれる一稀の態度を、本当にありがたく思ってしまう。
 きっとこの先、何年もの時間が経ったとしても、一稀があの時の事を持ち出して、非難めいた言葉を言い放つ事は無いだろう。
 一回や二回くらい、食事を奢る程度じゃ全然足りないよな……と自嘲しながら、上機嫌で答えを待つ一稀に向って、ほんの少し考えてみた。




「そうだなぁ……今日は皆も一緒だし、拓実達の好みも入れて決めた方が良いんじゃないかな。俺の気に入ってる店には、また今度連れて行ってやる」
「あ、それもそうだな。じゃあ、やっぱり焼肉かな?」
 あっさりと納得した一稀がそう呟いた瞬間、目前に座る二人が当然の面持ちで頷いた。
「だな。麻紀さんの奢りだし、やっぱり焼肉だよな。タトゥ入れて、ちょっと体力使ったしさ」
「そうそう。この人数なら丁度良いし。酒が飲めないのだけが残念だよなぁ」
「あ、確かに……でも、海鮮って気分じゃねぇし。俺は肉が良いな」
「うん、俺も焼肉が良いな! この前、ジェイと一緒に行ったお店、すっごい美味しかったぜ。今日もソコにする?」
 特に選択肢も無いまま、やけにすんなりと『焼肉』に決まったらしい。
 そのまま店の選別に入ってしまった三人の会話を聞きつつ、思わず深々と溜息を吐いてしまった。


「何なんだ、お前達は……タトゥだけじゃなくて、焼肉も流行ってるのか?」
「え、別に流行ってはないけど。どうして?」
「一昨日、ティコと颯太と一緒に食事に出かけた時も、二人共、迷う事無く『焼肉!』と叫んでいた。ティコなんかひたすら食べるだけで、自分では全然焼かないのにさ」
 店でチラリと見た時は、やたらと面倒見が良かった気がしたティコなのに、何故だか、焼肉の最中だけはジッとしてて、颯太が焼いて皿まで入れてあげていた。
 何だかちょっと不思議だった光景を思い返しつつ答えてやると、一稀がちょっと小首を傾げた。
「あー、ティコは生肉がダメだからなぁ。焼肉行った時だけは、ティコは『食べる専門の人』なんだよな。もう皆も慣れてるし、他の事はティコが色々やってくれるからさ。焼肉の時くらいは、皆もティコの分まで焼いてあげるから平気だぜ。麻紀は焼肉嫌い?」
「いや、嫌いじゃないけど。他の選択肢は無いのかな? ってさ……」
「うーん、何回か続いたら違うのにするけど。初めての面子で出かける時は、最初はやっぱり焼肉だな」
 さりげなく他の食事も勧めてみたけど、どうしても選択肢は『焼肉』しか無いらしい。
 一稀だけじゃなく、どうやら同じく焼肉しか頭に浮かんでいない拓実と橋本も一緒になって、また再開してしまった店選びの会話を、少々呆れつつも無言で聞いた。




 自分の店に勤めている皆とも、気が向いた時に何人かでふらりと食事に出かける事もあるけど、ここまで全員一致で焼肉しか選ばない事なんて、年に一度も無いと思う。
 ジェイに言われた通り、一稀の愛らしい素直な所なんかは、ちょっとは見習いたいな……とは思うけど、こういう部分は無理かもしれない。
 やっぱり、ジェイの店は色んな意味で猛々しいよな……と実感しながら、サテンドールのボーイ全員集合時よりも賑やかな三人の会話を、半ば傍観者の気分で眺めていった。






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