Eros act-3 01

Text size 




 日曜の午前中に退院だったのに、ティコがまだ少しだけ病室に残っている荷物を運び出す手伝いに来てくれた。
 仕事前に悪いなぁ……と思ったけど、「今日は早く上がるから大丈夫」と元気なティコの言葉に甘えて、少しだけ手伝って貰う事にした。
 と言っても、もうほとんど先に持ち帰って貰っていたから、ちょっとだけの手荷物を三人で数回、車に運ぶだけで済んだ。最後に、長い入院生活で仲良くなっていた、看護師さんや喫茶室の人達にお礼を言って、ようやく無事に退院する事が出来た。


 マンションに着いてからも、ティコはそのまま部屋に残ってくれて、リビングに置きっ放しだったジェイの荷物を片付ける手伝いもしてくれた。
 お昼前には中川も顔を出してくれて、何だか本当に申し訳ないけど、ちょっと嬉しかったりもする。
 二人共、今日は八時頃には帰る予定にしてくれているらしく「夕食は四人で何処かに食べに行こう!」と約束して、このまま仕事に出かける二人を見送った。




 今日は一日中、荷物の整理だけで終わるなって思っていたのに、もう全部片付いてしまった。
 久しぶりに戻ってきた家の中、「お前は座ってろ」と言って珈琲を淹れてくれている、ジェイの後姿を眺めながら、何だか少し不思議な気分になってきた。
 此処でジェイと一緒に暮らす様になって、まだ数ヶ月しか経ってないのに、本当に「帰って来たなぁ」って気持ちになる。
 ジェイと一緒に過ごしている時間そのものは、すごく短く感じるんだけど、色んな思い出が沢山出来た。
 こんなに短期間で、自分の気持ちや環境が変わったのは初めての事だと思う。そして、その変化は何となく、ジェイの雰囲気に似てる気がした。
 彼の事は結構分かってきたつもりだけど、知れば知るほど、ジェイって不思議な人だなって思えてくる。
 いつまで経ってもよく分からなくて、見る度に違う面が出てくる彼と一緒に過ごしていくのを、今ではとても楽しく感じる様になってきた。


 店にいる時のジェイからは想像出来ないけど、二人だけで過ごす家では、彼は色んな事をやってくれる。
 どちらかというと朝が苦手な俺と違い、ジェイはどれだけ寝るのが遅くなっても、朝八時過ぎには起きてゴソゴソと仕事の準備を始めている。
 会社が休みの日は、もう少し遅くまで寝てたりするけど、彼が昼間にやってる仕事がある日には、実際に会社に出かけなくても、その時間には起きている事が多い。
 だから俺も一緒に起きる様にしているけど、やっぱり少し寝過ごしてしまう事がある。
 そういう時には、ジェイが朝御飯を作ってくれる事が多くて、最初に作って貰った時には真剣に驚いてしまった。
 何だかちょっと申し訳なくて「寝坊してゴメン……」と謝ると、ジェイは逆に「何で謝るんだ?」と不思議そうな顔をしていた。
 こんな感じで飲物を作ってくれる事も多いし、俺が御飯を作るのを手伝ってくれる事もある。
 ジェイって本当に何でも出来るよな……と感心しながら、二人でこうしてのんびりと過ごすのを、かなり楽しみにしていた。
 それとなく中川に聞いてみたら、彼等は恋人同士じゃないから当たり前だけど、同じ所に住んでいても其々に勝手に過ごしていて、ジェイが中川に飲物や食事を作ってあげた事はなかったらしい。
 そういえば、ジェイが病室で林檎の皮を剥いてるのを見て驚いてたもんな……と思い出すと、何だか楽しくなってきた。




「どうした? 随分と上機嫌だな」
 珈琲を二つ持ってリビングの方に廻って来て、そう言いながら隣に腰を下ろすジェイを見詰めて、軽く頷いた。
「だって、ようやく帰って来れたから。それにジェイが珈琲淹れてくれたし」
「それが嬉しいのか? まぁ、暫くは両手でカップを持てないだろう。当分の間は俺がやろう。まだ無理するんじゃねぇよ」
 そう言って微笑んでくれたジェイと二人っきりで、約一ヶ月ぶりな家の雰囲気を楽しみながら、ゆったりと寛いだ。


 病室でも二人で過ごしている事が多かったけど、やっぱり家でのリラックスした雰囲気とは随分と違っている。
 実際にそうなんだけど、気持ちの上でもいつの間にか「此処が俺の帰る場所だ」って、自分でも気付かぬうちに、自然とそう思っていたらしい。
 二人で家にいる時だけは、飲物や料理を作ってくれるジェイも、きっと同じ様に考えてくれてると思う。
 自分だけが知っているジェイの一面がある事を、本当に嬉しく感じていた。
 隣に座っているジェイの肩に頭を乗せると、腕を伸ばしてきて優しく髪を撫でてくれる。それが当然の様な自然な手付きな彼の仕草に、何だかちょっと安心してきた。


「ジェイ。晩御飯食べに行くの、何かすっげぇ楽しみだな。四人で行くのは初めてかも」
「そうだな。今日の感じだと、アイツ等も案外上手くやってる様だな。少し茶化してやるか」
「あ、面白そうだな。ティコは絶対に照れまくるだろうなぁ。中川さんはどうだろう?」
「アイツは意外と平気な顔してるんじゃねぇか。真顔で色々と答えてくれそうな気がするな。そういう部分は、割と真面目なヤツだし、ティコには似合いの相手だろう」
「お店的にも良かったよな。ティコは面倒見が良いから、皆とも仲良くやれるし。このまま中川さんと一緒にお店で働くんなら、お店で御飯も食べれるから料理もしなくて良いしさ」
 そう話していると、ジェイが何だか不思議そうに顔を向けてきた。
「料理……って。ティコは苦手なのか? 得意そうに見えるんだが」
「あ、作るのは上手だぜ。でも、ティコは肉とか生魚がダメなんだよな……火を通して料理してあるのは食べられるんだけど、生のヤツを素手で触るのが気持ち悪いんだってさ。だからティコの作る御飯って、肉と魚が絶対に入ってないんだ。俺が食べた時は、肉の代わりに薄切りの厚揚げが入ってた」
 以前、ティコの家に遊びに行った時、彼に作って貰った晩御飯を思い出しつつ、そうジェイに教えてあげた。


 味はすごく美味しかったし何の不満も無かったけど、毎日、野菜中心の料理じゃ、ちょっとだけ寂しい気もする。ティコ本人も「肉とか食べたい時は、外に食べに行く」って言ってたしなぁ……と思い返していると、ジェイが必死で笑いを堪えてるのに気がついた。


「……何か面白かった?」
「まぁな。肉の代わりに厚揚げか……ティコも必死で考えたんだろうな」
「そうみたい。お店に入ってからは、食事も好きなの食べて良いから楽になったらしいけどさ。普通のバイトで生活してた時は、お金も無いからそんなに外食出来なかったらしいぜ。色々探して実験した、って」
「なるほど。それ以前に野菜料理だけじゃ体力も持たないだろう。裏方と言っても、意外と体力勝負な仕事だ。普段の食事は店の厨房で作って貰えば良いんじゃねぇか」
「その方が良いよな。中川さんと一緒に仕事してたら、ホント長時間になるしさ。ちょっと働き過ぎだよなぁ」
 いつも当然の様にお店にいて、ほとんど休みも取らずに仕事をしている姿を思い出して、思わず顔を顰めてみる。
 まだ何にも出来なかった俺が、一応『副店長』の名目で手伝いに入っただけで「かなり楽になった」と喜んでいた中川は、ジェイと同じ位に少々働き過ぎだと思う。
 ティコは頭も良いし気が利くヤツだから、お店の方はティコに任せて、俺はジェイの手伝いが出来る様にならなきゃ……って、それはまだ本人に内緒のまま、二人っきりの家の中、のんびりと過ごしていった。






*****






 翌日、部屋まで呼びに来たティコと一緒に向ったお店で、久しぶりに皆と会った。
 まだあんまり仕事も出来ないし、夜になってジェイが迎えに来てくれるまでの短い時間だけど、やっぱり賑やかな雰囲気が楽しくてしょうがない。
 皆と一緒に動いていると、左手の方も自然と動かしてしまうから、家に一人で篭ってリハビリをしてるより、治りも何となく早い様な気がする。
 ジェイは少し心配そうにしてたけど、やっぱりお店に来てる方が楽しいなって実感しながら、無理せずに出来そうな事を選んで、ちょっとだけ皆の仕事の手伝いをした。


 ティコは予想通り一ヶ月の間に、事務関係の色んな事を把握していた。だから店長でもある、ティコの恋人の中川とも相談して、仕事的には『俺がティコの手伝いをする』って感じに変えて貰った。
 これでようやく解放されるな……って状況を確認してから、ジェイに「副店長じゃなくて、普通の『従業員』にして欲しい」って頼んでみた。
 ジェイは「そんなモン、名前だけなんだから気にするな」と呆れていたけど、やっぱり、ずっとソレが気になっていたし、もう仕事もちゃんと出来るティコがいるんだから、俺が副店長じゃおかしいと思う。
 だから「ティコを副店長にして、俺はバイトとかが良い!」って駄々を捏ねたら、苦笑いを浮かべたジェイが、時給計算のバイト扱いに変えてくれた。
 給料としては減ってしまうけど、元から生活費はジェイが全部支払ってくれているし、俺は自分で使う分だけあれば良いから、コレ位で丁度良い。
 その代わりにティコが副店長になったから、彼は大騒ぎしているけど、ティコはその名前が付いても大丈夫な位の仕事が出来るし良いと思う。
 皆は「何で今更?」と笑いながら、俺の時みたいにして、今度はティコをからかって遊んでいる。
 「皆から『副店長』って呼ばれて嫌がってた、一稀の気持ちがやっと分かった……」と、嘆いているティコと二人で分担して、少しだけ楽になった事務の仕事を仲良く一緒に進めていた。






BACK | TOP | NEXT


2009/4/9  yuuki yasuhara  All rights reserved.