Eros act-3 19

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 途中で寄ったコンビニへは、麻紀も一緒に入ってきてくれた。
 どうやら家から一番近い所で彼も頻繁に利用しているらしく、通い慣れた様子で先に立って、アレコレと足りなさそうな物を言ってくれる。
 あんまり生活感の無い彼だけど、意外と家で過ごす事が多いそうで、飲物や食料品は、今買わなくても揃っているらしい。
 服の替えは『自分の部屋』に予備があるから、とりあえず必要な物だけを買い込んで、コンビニ袋をぶら下げながら、麻紀の部屋にへと向かって行った。




「此処だ。店からは少し歩くけど、まぁ、充分に徒歩圏内かな。気分転換にもなるし、毎日歩くには丁度良い位の距離だと思う」
「だな。全然余裕で歩けるぜ。意外と広そうだな……この造りだと、ワンルームじゃないよな?」
 自分達が闊歩する界隈の目と鼻の先で暮らしている、ジェイ達のマンションには敵わないものの、予想外に近距離のマンションの前で、麻紀が足を止めた。


 ジェイの家に負けず劣らず、やたらと高級そうなタワーマンションに入って行く麻紀に続きながら、そう声をかけてみる。
 俺の場合、確かに「開店資金を貯めよう」って目的があったし、大学にも真面目に通っていたから、ソッチに近い郊外の安い部屋を選んだっていう、それなりの理由はある。
 でも、それが無い場合には、こういう所を選ぶかどうか? と聞かれれば、もうちょっと古くて貧相な、庶民的な所を無意識に選んでしまいそうな気がする。
 やっぱり、こういう所に平然と住める様な感覚が無ければ、派手な水商売系の店長やオーナーなんてやっていけないのかな? と考えつつ周囲の様子を観察していると、オートロックを開錠した麻紀がチラリと視線を向けてきた。


「いや。他の部屋がどうなってるのかは知らないけど、俺が住んでる所は、ワンルームって事になるかな。部屋は別れてないけど、一応20畳程度はある。でも、ジェイや中川のマンションと比べたら、そう大したもんじゃない」
「アイツ等のマンションと比べるなって! ホテルみたいなフロントやフィットネスルームがあるし、あんなマンション、一般人的な感覚じゃ暮らそうとも思わないだろ……まぁ、ココ見てもそう思うけどさ」
「そうかな? 都心だし、この辺りで広めのワンルームを探せば、こういう物件が多いんじゃないかな。部屋の中だって、多分、翔が考えてるより普通だと思う」
「そりゃあ、自分で選んで住んでるんだから、麻紀にとっては普通かもしれないけど。でも、俺んちなんか、ユニットバスや玄関まで入れても、絶対に20畳いかないしさ。一稀だってジェイと暮らし始めた直後は『自分の家なのに、部屋に入るまで緊張する』とかボヤいてたぜ」
 マンションの雰囲気に不釣合いなコンビニの袋をぶら下げたまま、麻紀と他愛のない会話を続けながら、エレベーターに乗って、彼の家にへと向かっていく。


 もっとも、今では、すっかりあのマンションにも慣れてしまい、こんな感じで、平気でコンビニやスーパーのビニール袋を片手に出入りしている一稀やティコと同じ様に、日々の事になってしまえば、意外と普通になってしまうのかもしれない。
 売り専ボーイをやってる今は、買いに来る客に近い庶民的な雰囲気が売りでも大丈夫だけど、経営者側に廻った場合は彼等の様に、こういう高級感溢れる場でも気後れする事のない、浮世離れした神経が必要なのかもと思えてくる。
 やっぱり麻紀が言う通り、俺も店長とか目指す以前にコッチにちゃんと引っ越してきて、こういう生活に慣れた方が良いのかなぁ……と真剣に悩んでいる間に、かなりの高層階にある彼の家に辿り着いた。




 前に立って鍵を開けている、麻紀の見慣れた細身な身体を、いつも通りに背後から見守っていく。
 今は麻紀がこうしてるのを眺めているけど、ほんの数ヶ月前までは、俺はずっと先を歩くジェイの背中を眺めていた。
 同じ歳の友達ではあるけど、ジェイの事は本当に尊敬しているし、いつかは彼の様になりたいと憧れている。
 そんなジェイと同じ雰囲気を麻紀も持ち合わせているって事に、話し合う彼等の姿を眺めながら、そう気付いた。


 身体的にも大柄で独特の威圧感を持つジェイとは違って、麻紀はむしろ、かなり小柄な方だと思う。
 実年齢よりもずっと幼く見えて可愛らしい面持ちの彼なのに、俺は素直に麻紀の言葉に従い、店の連中だって何気に彼を頼っている。
 あの店で働いている誰よりも小柄で、外見的には皆を見上げて話している麻紀の事を、俺を含めたサテンドールのボーイ達は『自分達のボス』だと認めて、無条件に信頼を寄せている。
 何より「麻紀は自分一人で充分にやっていける」と、事も無げに言い切ったジェイの一言が、あの街における麻紀の立ち位置を、雄弁に物語っていた。


「……どうした、翔? 急に黙り込んで」
 ドアを開けつつ振り向いてきて、ちょっと心配そうに問いかけてきた麻紀に向って、軽く口元を緩めた。
「うーん、ドアも立派だなぁ……とか考えてた。それと、麻紀と一稀って、外見的には何となく似てるかも? ってさ」
「その事か。それは自分達でも思っている。昔、一稀と二人で飲んだ時も、お互いに『少し驚いたな』って話した位だから」
「あ、やっぱり? 別に、親戚とかじゃないんだよな」
「さぁ、どうだろう。それを聞く相手が俺も一稀もいないし、実際にどうなのかは全く分からない。そういえば、翔が聞きたがっていた、俺とジェイの話だけど。彼が売り専クラブを廻っていた時に、ボーイで働いてた俺を指名したのが最初の出会いだ。だから、俺は外見的にはジェイ好みだろうし、やっぱり一稀に近いと思う。聞いた事はないけど、ジェイもそう考えてるんじゃないかな」
 自宅に戻ってきて、気分的にもリラックスしたのか、普段より穏やかな表情を浮かべた麻紀が、少し楽しそうに答えてくれた。
 こんな姿は、やっぱりマジで可愛いんだけどな……と改めて思いながら、強く抱き締めたら折れてしまいそうな華奢な背中を追って、彼の部屋にへと入っていった。






*****






 確かに、ジェイ達が暮らすマンションと比べたらかなり庶民的なんだろうけど、普通のワンルームと比べれば、これはワンルームとは言えないと思う。
 小さな部屋にユニットバスがくっ付いただけの自分の家と違って、むしろ、高級マンションの数部屋をブチ抜いてデカくした感じの、麻紀曰く『ワンルーム』の部屋内を、思わず呆然と眺めてしまった。


「……麻紀、コレって賃貸?」
「いや。賃貸でも入れるけど、俺は分譲スペースを買った。別に賃貸でも良いんだけど、保証人がどうのとか、色々と面倒だから好きじゃない。買うんなら現金で支払ってしまえば、それでもう終わりだからな」
「マンションを現金払いかよ……もしかして、麻紀ってジェイ並みに金持ち?」
「あの界隈で水商売やってる連中の中じゃ、持ってる方になるかもな。でも、ジェイとは比較にならないだろうけど。翔と同じで『そのうち自分で店を出そう』と決めてたし、ずっと真面目に働いてたからだと思うな。それにギャンブルもやらないし、ちょっと飲みに行く位だろ? 気が付いたら結構稼いでたな、って感じだ」
 一応、「部屋の片隅」って言い方になる、意外と広いキッチンスペースに向ったまま、麻紀がそう答えてくれた。
 どうやら簡単な食事も作ってくれる気でいるらしく、何やらゴソゴソと冷蔵庫や、カウンターの下にあるストック棚を漁っている麻紀の姿を、勝手に座ったローテーブルの前から眺めているうちに、何だかちょっと嬉しくなってきた。


 此処に来るまでの雑談の中で「飲みに行かない時は真っ直ぐ家に帰る事が多いし、大体が自炊している」と聞いてたから、ちょっとだけ期待はしていたけど、まさか本当に作ってくれるとは思わなかった。
 初めて料理を作ってくれるのに、好き嫌いを聞いてくる素振りすらないのが、物凄く麻紀らしい所だけど、それ以前に、彼が作ってくれた料理なら、砂糖と塩を間違えられてても「美味い!」とか言って全部食べそうだなぁと、自分でも思う。
 俺のこういう所を見て、ジェイは「てめぇは能天気過ぎる」と怒ってるんだろうな……と分かってるけど、そんな自分の事は嫌いじゃない。
 床暖房の効き始めたフローリングに座って、テキパキと動く後姿を見詰めたまま、無意識に緩みそうになる頬を、必死で我慢して引き締めた。




「なぁ、麻紀。何か手伝おうか?」
「別にいい。座ってろ。勝手に色々と触られるのも嫌だし、いちいち置き場や作り方を説明するより、俺がやった方が早いに決まっている。大体、翔が料理をする様なヤツだとは思えないんだけどな」
 一応、全部やって貰ったら悪いなぁと考えて聞いてみたのに、基本的にストレートな物言いが信条の麻紀が、言葉をオブラートに包む事無くバッサリと切り捨ててきた。


 一稀も悪気は無さそうだけど、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出すタイプだし、話す内容と傾向は全然違うけど、こういう所も似てるかもしれない。
 二人共、マジで可愛らしい外見なんだから、もうちょっと穏やかな物言いをすれば良いのになぁ……と、余計なお世話を考えつつ、慣れた手付きで料理を続ける麻紀の姿を、彼に言われた通り、手伝う気もなく見守った。


「まぁ、当たってるかな。基本的に、一人で家にいる時はコンビニ弁当だしさ。でも、珈琲とか紅茶なら自信あるぜ。麻紀に全部やって貰うのも何だし、ソッチは俺がやるからさ」
「……まぁ、それ位なら、翔に任せても良いかも。それより、やけに嬉しそうに見えるけど。お腹空いてたのか?」
「そんな感じ。麻紀に晩飯作って貰うとか、すっげぇ嬉しいよな」
「分かった。翔は身体も大きいし、やっぱり、俺よりは沢山食べるよな……もう一品増やすか」
 妙な所で自分なりに納得してしまったらしい麻紀は、そう呟いて、また冷蔵庫にへと手を伸ばした。
 コレがジェイなら、偉そうに座ったまま口煩く注文を付けそうだし、そもそも、一稀はジェイの好みを聞かずに料理を作らないだろう。
 こういう光景一つ取っても、やっぱり随分と違うもんだなぁと感心しながら、マイペースで料理を続ける麻紀に時々話しかけつつ、秘かに恋人気分を満喫していた。






 結局、この場から立ち上がる事も無いまま、麻紀が全部の支度をやってくれた。
 強引に部屋に押しかけた挙句、夕食まで準備して貰って、コレは本当にどんな物が出てきても、何も文句は言えないなぁと思っていたのに、出された料理も普通に美味しくて色んな意味で驚いた。
 コッチの意見なんか全然聞いてこない麻紀だけど、そんな事をしなくても、彼が自分なりに考えてくれた物事で、俺は何もかも、充分に満足している。
 やっぱりジェイとは違う意味で、麻紀もすごいヤツだよな……と改めて実感しながら、案外、不快な素振りは見せない麻紀と二人で、少し遅めの夕食を食べ始めた。




「あ、そうだ。ジェイの店についてだけどさ、まだ他にも、何か企んでたのかよ?」
 ふと思い出して問いかけてみると、向かいで食事を続けている麻紀は、極自然な面持ちで頷いた。
「そうだな。荒っぽい手段じゃないけど。税理士とか、そういう類のヤツを突撃させようかと考えてた。でも、俺も詳しい方じゃないから、結局どんな奴に頼めば良いのか分からなくて、それを調べてた所だった。颯太からの話を聞く限りでは、何となく、中川がそういう細かな事務処理をやっている様には思えなかったけど、あのジェイがオーナーだ。売り専クラブとはいえ、法的に穴がある様な経営はしていないだろう。だから、本当に潜り込ませて……と言うより、むしろ、どういう対応をしてくるのか、見てみようと考えたんだ。既にそういう奴等に頼んでいるのなら、そういう答えが返ってくるだろう。それに俺もオーナーだけど、こういう事には疎い方だから。自分の勉強がてらに、色々と調べていた所なんだ」


 仕事熱心な経営者である麻紀にとって、こういう事を考えるのは、特別苦痛な話ではなく、むしろ、楽しんでいるのかもしれない。
 サラダに伸ばそうとしていた箸を止め、真剣な表情を浮かべて説明してくれる麻紀の姿を見詰めながら、思わず口元を緩めてしまった。


「公認会計士とか……そんなの、もうとっくの昔からやってる。俺がボーイで入った時には、もうソッチ系の人達の出入りがあったぜ。それにマジで重要な処理系は、あの店内ではやってねぇよ。少し前だったら、ちょっとした書類系の処理はやってたけど。今はもう、完全に無くしてる。だから、ホントに経営的な核の部分は、ボーイで働いてる位じゃ、見聞き出来ないと思うな」
「やっぱり、そんな感じなのか。少し前は……って事は、最近変わったんだ?」
「ティコが副店長になって、ちょっとだけ替えたんだ。アイツ、シスアドの資格も持ってるし、PC系統にすっげぇ詳しい。だから、ティコが副店長になってから、事務処理系のシステムもかなり変えたみたいだな。紙作業を極力減らしてるっぽいぜ」
「あぁ、なるほど。それでジェイが『現在の動かし方に関しては、ティコに……』って言ってたのか。何で中川じゃないんだろう? って、ちょっと不思議に思ってたんだ。颯太の話じゃ、しっかりしてて色々と仕事の出来る子らしいし、中川も随分と楽になったんだろうな」
 納得顔で呟いた麻紀が、やけに嬉しそうに微笑んだ。
 そのままサラダにへと手を伸ばす姿を眺めながら、お茶代わりに一本だけ出して貰った缶ビールを、軽く煽った。




「ハッキリと聞いた事ないけどさ、多分、ジェイは他にも仕事やってるんじゃないかな? 経営的な部分に関しては、ソッチの人と店長でやってるんだと思う」
 そう話しかけると、麻紀がまた食事の手を止めて、視線を真っ直ぐに向けてきた。


「やっぱりそうなのか? 颯太の話じゃ、ジェイが店にいない時間が多いし、一稀と別行動を取ってる事も多いみたいだからさ。店に出てない時間とか、そこまでプライベートを調べるのは気が退けるから、そのままにしてたんだけど。でも、何をやってるんだろうな……とは思ってたんだ」
「俺も詳しくは知らないけどさ。ジェイが『田上さん』って言うノンケのオッサンを、時々店に連れて来るんだ。その人が、ジェイの事を『社長』とか『ボス』って呼んでる。あの街で、ジェイの事をそういう呼び方する奴なんていないだろ? それに、店長ともコソコソ話してる事が多いし、一稀ともすっげぇ仲良くしてるんだよな。だから、ジェイが他にも社長的な仕事してて、ソッチの方の偉いさんなのかなーってさ」
「へぇ、そういうヤツが来るのか……社長って呼ばれてる位なら、そうなのかもしれないな。ジェイも『聞いていい』って言ってくれたし、少し中川に質問してみよう」
 そう呟く麻紀の声色が、何となく弾んでいる気がして、彼の方にチラリと視線を向けた。


「質問……って、ジェイがやってるっぽい他の仕事が、そんなに気になるのか?」
「それも少しはあるけど。それより、ティコが変えた部分とか『田上』ってヤツの方が気になるな。ジェイや翔は、そういう勉強をしていたらしいけど、俺は高校も卒業してない。経営的な事に関しては、今まで働いてた店の店長に聞いたりとか、見様見真似で覚えた程度だ。でも、この街の売り専経営者の知識だからな。とても『経営』と呼べる様なやり方じゃないのは、自分でも分かっている。これじゃダメだと思うから、少しずつでも覚えていかなくちゃだろう」
 静かに話してくれる麻紀の言葉を、彼が作ってくれた暖かい食事を取りながら、無言で聞いた。


 麻紀のこういう部分があるから、やっぱり、彼が一稀を怪我させた張本人だったと知っても、どうしても彼の事を嫌いになれない。
 あの場で話を聞いていたのに、全く怒った様子の無かった一稀も、きっと同じ気持ちを持ったに違いなかった。
 外見は一稀と似ているけど、中身は全く違うんだと改めて思う。
 一見、気の強そうな一稀は意外と臆病で、ジェイが傍にいないと不安になる位に寂しがり屋なのに、麻紀はその反対に、常に前向きで誰にも頼らず、全ての物事を自分の力だけで動かしていた。




 自分では「これじゃダメだ」と言っているけど、麻紀は正真正銘、ジェイが認めた位に立派な経営者になっていると思う。
 本当に色んな意味で大好きで、ずっと一緒にいたいなと思う麻紀だけど、やっぱり彼はジェイと同じく、とても近い距離にいるのに、まだまだ追いつけそうにない。
 自分自身と麻紀との差を、嫌って程に痛感しながら、意外と楽しそうに色々と話しかけてくる彼と二人で、のんびりと穏やかな夕食の一時を過ごしていった。






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