Eros act-3 17

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 唐突にドアが開く音が聞こえてきて、皆で一斉に視線を向けた。


「おい、颯太。マジで大丈夫……ってか、翔が来てんのか。それに麻紀さんと、ジェイと一稀までいるし。何か問題でもあった?」
 ドアを開けて覗き込んだ途端、皆の注目を浴びてしまって、拓実も少々気が退けてしまったらしい。
 事務所の中には入って来ず、入口前でそう口走って不思議そうに首を傾げる拓実に向って、ずっと黙り込んでいた麻紀が軽く笑いかけた。
「ジェイに少し用事があったからね、ついでに翔も連れて来た。もうすぐ帰るけどさ。店は忙しい?」
「え、もう帰るのか……週末だし、結構忙しいかな。でも、もうちょっと早く気付いてれば雑談くらいは出来たのにな。翔から色々聞いてるし、麻紀さんとも一度ゆっくり話してみたいからさ。それもだけど、颯太が戻ってこないから、ちょっと様子を見に来たんだけど。ソッチは大丈夫かよ?」
 ドアから半分だけ身を乗り出してきて、そう言いながら奥の方に視線を向ける拓実につられて、同じ様にティコと颯太の方に視線を向けた。


 そんなに長時間が過ぎているつもりはなかったのに、俺が自分で思ってる以上に真剣になって聞いていたらしく、確かに意外と時間が経っている。
 無言の麻紀が考え込んでいる間に、店の方も落ち着いてきたみたいで、皆が休憩にやって来る時間になってしまった。


 話しかけてきたのは同じ店で働いている拓実なのに、また一瞬、颯太は驚いた様な表情を浮かべた。
 反射的に見上げてくる颯太に笑いかけながら、ティコは冷やしてあげている頬の様子を、またチラリと確認した。
「最初は歯が痛くて、それを我慢してたら頭まで痛くなったんだってさ。もう大丈夫そうだし、そろそろ戻れるんじゃないかな。皆も休憩だよな」
「おう。落ち着いてきたから交代で廻そうかな、って感じ。だから颯太もその間だけ、入れ替わりで戻って貰いたいんだよな。無理っぽかったら休んで良いからさ」
「そうだな。俺もホールに一緒に入るし、大丈夫じゃないかな。拓実と交代?」
「いや、俺は予約が入ってるから後にする。他の空いてるヤツから順番で……だな。様子見て廻し始めるから、誰か来るまでは颯太もまだ休んでて良いぜ」
 ティコが咄嗟に話した理由に対して、拓実は特に不信感を持たなかったらしい。
 颯太に向って和やかに話しかけた拓実が、またバタンとドアを閉めた瞬間、麻紀が軽く苦笑いの表情を浮かべた。




「意外と長居してしまったな……俺達はそろそろ帰るか。皆の休憩が廻ってきたら、ココじゃ話も続けられないだろうし」
「あぁ、他の奴等には聞かせたくない話だ。拓実を見て分かっただろうが、ウチの連中は今の所、お前に対して妙な印象は持っていない。翔が現在勤めている店のオーナーだからな。だが、てめぇの真意が何であれ、一稀や颯太の件を聞けば変わってくるだろう。先程も言った通り、俺達の方では今まで上手くやれていたと思っているし、事を荒立てるつもりはねぇ。もっとも、お前の今後の出方次第だがな」
 ここまで話が進んだから、ジェイとしては今日のうちに、完全に解決させておきたいんだと思う。
 帰ろうとする麻紀に向って、そう言い放ったジェイを見詰め返しながら、麻紀が諦めた様子で片手を上げた。
「あぁ、分かってる。今後一切、一稀に危害を加える様な事はしないし、颯太についても同じだ。でも、少々意外だったな……ジェイは多分、俺を潰しにかかってくるんだろうと思ってたのに」
「馬鹿か、てめぇは。何でも自分基準で考えるんじゃねぇよ。麻紀が何をやろうが、俺達に危害が及ばない限りは知った事じゃない。お前の好きにやれば良い。そもそも、麻紀は自分一人で充分にやっていける。俺と手を組む必要なんて全く無いだろうが」


 聞いてないから俺の勘でしかないけど、何となく、ジェイは麻紀の事を『決して嫌いじゃないんだけど、ちょっと苦手なヤツ』だと思ってるんじゃないかな……って気がする。
 俺の肩にしっかりと腕を廻したまま、少々うんざりした口調で話すジェイの言葉を聞いて、ずっと黙り込んでいた翔が、麻紀の方に視線を向けた。


「俺もジェイの言う通りだと思う。今の状態が一番良いし、どっちかが上に立つとか……そういう問題じゃないと思うぜ。一緒にやれないから『敵だ』ってのも、少し間違ってるんじゃねぇかな。俺は最初にジェイの所にいて、今は麻紀の所にいる。麻紀の基準で考えたら『すっげぇ裏切り者』って事になるよな? それに、俺だっていい歳だから、ずっと麻紀の所でボーイをやれる訳じゃない。麻紀の店を辞めた俺が、自分の店を出したら……俺も麻紀の敵になるのか? 麻紀は俺の店も、こうやって潰しに来るつもりかよ」
 いつもの半分ふざけてる様な口調じゃなく、本当に真面目な顔で問い質す翔の言葉を、麻紀は少し目を瞠ったまま無言で聞いている。
 ジッと見詰めてくる彼の視線に怯む様子もなく、半ば言い聞かせるみたいに淡々と話し続ける翔の隣で、麻紀がちょっと楽しそうに口元を緩めた。


「翔に関して、そんな風に考えた事はなかったけど。確かに言われてみれば、そうなってしまうのか。おかしな話だな」
「だろ? 麻紀もちょっと落ち着けって。店の皆は麻紀の事を慕ってるんだし、客だって沢山付いてるんだからさ。もう充分だろ。それに、クラブJとサテンドール、両方通ってる奴も多いぜ。店の傾向が全然違うから、その時の気分でドッチか選んでるんだと思うんだよな。それがジェイの言ってる『共存』って事なんじゃねぇの?」
「そうだな。ジェイに言われるまで考えた事も無かったけど、今の状態が自然とそうなっているんだろう。確かに俺が動かない限り、何も問題は無さそうだ」
「一稀はそんなに怒ってないみたいだけど、普通、ここまで執拗にやらないだろ? 麻紀をよく知らない奴がこの話を聞いたら、真剣にドン引きすると思うぜ。もう、マジでこういうのは止めた方が良いって。俺も『ジェイと麻紀。ドッチに付こうか?』とかさ、そんなの考えたくもねぇよ。俺はドッチの事も好きだからさ。それに、周囲から嫌われる麻紀の姿も見たくないんだよ」
「あぁ、分かってる。もう二度とジェイの店を裏で探ったりしない。翔にも色々と迷惑かけたな。本当に悪かったと思ってる」
 ジェイに言われた時は答えなかった麻紀も、翔が真面目に説得したら、それなりに納得してくれたらしい。
 本気で心配そうな翔に向って、素直に謝っている麻紀の姿を眺めながら、ジェイが本当に呆れた表情を浮かべて溜息を吐いた。


「そういう話の続きは、てめぇらの店でやりやがれ。俺からの話は終わりだ。この店について、現在の動かし方に関しては、ティコに聞けば詳しく教えてくれるだろうし、もっと経営的な事で相談があるなら中川が相手になる。コソコソ探る必要はねぇよ」
「分かった。何か知りたい事があれば、彼等に聞く事にする。颯太はどうする?」
「今日はこのまま働いて貰う。彼も頭数に入っているからな。今後の事は話し合ってからになるだろう。本人の意向もあるだろうし、それを聞いてからだ」
「そうか。もし、颯太にココに残る意思が無くて、次に行く場所がないんなら、俺の店に来ると良い。まぁ、颯太が考えてるほど、俺は怖いヤツじゃないと思うけどな」
「あぁ、俺も一つ言い忘れていた。タカ達が見張りに使った空き店舗があるだろう。俺があの店を借り上げる。ああいう場がプライベートを過ごす場所の近くにあると不愉快だ」
 顔を顰めて呟くジェイの言葉に、言われた麻紀より、聞いている俺の方が驚いた。


「――え!? ジェイ、あの店を借りるの?」
「そうだ。麻紀の件はともかく、どっちにしても放置状態の空き店舗があるのは少々物騒だろう。他の奴等が忍び込む可能性もある。俺が管理しておくのが一番確実だ」
「言ってる事は分かるけど……またお店を出す予定があるとか?」
「いや、そんなモンは何もねぇよ。しばらくは倉庫代わりに使ってりゃ良いんじゃねぇか? そのうち、また引退する奴も出てくるだろう。売り専は無理だろうが、飲むだけの店にするなら充分な広さがある。誰かそういう場所を借りたい奴の為に、確保しておくのも悪くない」
「あー、そういう意味かぁ。ビックリした。またお店が増えて、ジェイが忙しくなるのかと思ったからさ」
 今でも普通の仕事にクラブ経営で人並以上に忙しいのに、もっと仕事が増えるのかな? って心配したけど、どうやらそういう予定では無さそうで安心した。
 ホッと胸を撫で下ろした向こう側で、麻紀が満足気に頷くのが目の端に止まった。
「俺が探した時には、所有者との間に何人か入ってたんだけど。全員に話を付けて、今は俺が正式に直接管理している。ジェイに名義変更しようか?」
「いや、麻紀のままで構わない。鍵は勝手に変えるぞ」
「好きに使ってくれ。ジェイを相手に稼ぐ気はないし、俺が払っている分に少々色を付けてくれれば、それで充分だ。この件もあるし次は俺の方から連絡する。翔、帰ろう」
 そう言い残しながら、麻紀がサッサと立ち上がった。


 とりあえず話が纏まったからなのか、それとも、言いたい事を全部ぶちまけてスッキリしたのか――――
 その真意は分からないけど、随分と上機嫌な麻紀は、声をかけた翔の準備を待つつもりは無いらしい。
 隣でゴソゴソと煙草を仕舞っている翔を置き去りにして、スタスタとドアの方に向う麻紀と、ジェイに軽く挨拶しながら慌てて麻紀の後を追う翔が部屋の外に消えた瞬間、ジェイが心底疲れた様子で大きな溜息を一つ吐いた。




「……ジェイ、何かちょっと疲れてる? 大丈夫かよ」
 あんまり見た事のないジェイの様子に色々と心配になってきて、彼の腕に抱かれたまま問いかけてみると、ジェイは思いっきり顔を顰めた。
「あぁ、確かに疲れているな。アイツと話をしているだけで、何もしなくても真剣に疲れ果てる。お前、よく麻紀と普通に会話が出来るな……」
「そうかな? 前に話した時も、すっげぇ優しくしてくれたぜ。でも、ジェイが麻紀を苦手なのは、何となく分かる気がするかも」
「だろうな。アイツはお前と正反対だからな。俺は麻紀と話をするより、一稀と話している方が数百倍楽しい」
「あ、俺もジェイと話してる方が楽しいけど……って、ジェイ! ちょっと痛いってば!!」
 溜息混じりのジェイに腕を引かれて、膝の上に座らされた。
 そのままギューッと抱き締めてくるジェイの腕の力が強過ぎて、ジタバタしながらもがいていると、楽しそうに笑ったティコが勢い良く立ち上がった。


「ジェイが頑張って話してくれて、無事に色々と解決して良かった。俺と颯太は仕事に戻るか。それにしても麻紀さんって、結局、本当は何が目的だったんだろうな?」
 颯太の頬を冷やしていた保冷剤を冷凍庫に戻しつつ、不思議そうに呟いたティコの言葉に、相変らず机に座ったままの中川がククッと軽く声を出して笑った。
「遊んで欲しかったんじゃないのか? 自分の店も軌道に乗って、ちょっと余裕も出てきただろうし。ジェイと一稀が仲良く遊んでいるのを見て、麻紀も仲間に入りたくなったんだろう」
「あぁ、なるほど……でも遊びにしちゃ、随分と過激だよな。一稀は全身打撲に骨折で、一ヶ月入院の重傷だぜ?」
「色々と加減を間違えたんだろう。そういう意味で不器用なヤツだしプライドも高い方だから、自分の気持ちを上手く表現出来ないんだろうな。とにかく今回の件で一番の被害者は、一稀と颯太なのは間違いない。二人共、麻紀にメシでも奢って貰うといい」
 冗談混じりで話す中川のを聞きながら、颯太はまた、ちょっと困った表情を浮かべた。


「あの、本当にすいません。麻紀さんから頼まれた時に、俺がちゃんと断っておけば……」
「お前が気にする事じゃない。もし、颯太がアイツの話を断ったとしても、他の別な奴に頼んだだろう。いずれにしても、誰かが話を受けるまで探し続けるのは分かっている。一番最初に引き受けてしまった、お前もある意味、被害者だろうからな。俺はお前個人に対して嫌悪感は持っていない」
 申し訳なさそうに呟く颯太の言葉を遮って、膝の上に抱き上げた俺の身体に半分顔を埋めたまま、ジェイがハッキリとそう言い切った。
 ジェイが放してくれないから、とりあえず彼に抱き締められたまま、目前のジェイと、遠くに座っている颯太を交互に眺めながら聞いていると、颯太が少しだけ安心した表情を浮かべた。
「ありがとうございます……でも、本当に迷惑をかけてしまって」
「そう思うんなら、この先は真面目に働けば良いだけの話だ。麻紀も言っていたが、颯太はこの店に合っていると思うし、アイツの件が無くても採用になっていただろう。今後どうするかは、今日の仕事が終わってから中川とティコと話し合えばいい。結果がどうであれ、俺は二人が決める事に異存ねぇよ」
 そう話すジェイの言葉を聞いて、俺の方まで何故だか急に胸の奥が軽くなってきた。
 颯太は絶対に「店に残る」と言ってくれると思うし、ティコも彼と仲良くなっているから、辞めさせたりはしないと思う。
 何とか上手く落ち着きそうで良かったなって安心しながら、ようやく普段通りの表情になった颯太と、彼と仲良く話しながら一緒にホールにへと向っていくティコを見送っていると、腕を伸ばしてきたジェイがそっと髪を撫でてくれた。


「颯太の件はともかく、一稀は実際に怪我を負わされたからな。冗談で済ませるレベルじゃねぇし、俺としては、そう簡単に麻紀を許せる気分じゃないが……一稀本人が気にしてない様だからな」
「だって、麻紀は俺にちゃんと謝ってくれたしさ。タカ達だってジェイが追っ払ってくれたから、もう俺の所に来ないだろ。それに『これ以上、変な事をしないように』って、今頃、翔も説得してくれてるんじゃないかな?」
「そうだな。麻紀もアイツの言う事なら素直に聞き入れる様だし、翔も麻紀を気に入っているからな。後はアイツ等で好きにやってりゃいい。とにかく俺はこれ以上、麻紀の騒動に巻き込まれたくないんだがな」
 麻紀とのやり取りを思い出してしまったのか、ジェイがまた、不快気に顔を顰めてしまった。
 ムスっとしているジェイの膝の上に座ったまま、今度は俺がジェイの頭を撫でて宥めていると、急にドアが開いて拓実が顔を覗かせてきた。




「ジェイ、三上さんが呼んでるぜ。慶の店が休みだから、今日は珍しく二人で来てる」
「またアイツか。今日はこれで帰ろうと思ってたんだが……俺に何か用事でもあるのか?」
「さぁ? 何かよく分からないんだけど『どうせならビール瓶にしとけば良かったのに』って、ジェイに伝えてくれ……ってさ。それで話が伝わるって言われたんだけど。何の事?」
 不思議そうに問いかけてきた拓実の言葉に、ジェイが楽しそうに笑い出した。
「もう、アイツにまで伝わってるのか。随分と情報が早いな。拓実も気になるんなら、一緒に飲んで聞いていけば良いだろう」
「だから俺は『予約』が入ってるんだって! ってか、もう客を部屋で待たせてるからさ。コレ終わったら聞きに行くから、それまで帰るなよ!」
 どうやら売り部屋に向う途中で三上に捕まってしまい、ジェイにそれだけを伝えに戻って来たらしい。
 慌てた様子で去って行く拓実が消えたドアの方に向いながら、ふと思いついて、隣を歩くジェイを見上げた。


「あ! 情報が早い、って……もしかして、タカ達を追っ払った時の話?」
「まぁな。麻紀がアイツ等の話を聞いて『金を持ち逃げされた店長に連絡した』と言ってたし、タカを発見した店長が、面白半分で言いふらして廻ってるんだろう。アイツ等はますます、この街に居辛くなった様だな」
「そっかぁ。それはすごく安心だけど、ジェイ、ホントに何やってきたんだよ? 何かビンを使って追っ払ったの?」
 とりあえず、タカ達の事なんだってのは分かったけど、その話に、どうしてビール瓶が出てくるのかが理解出来ない。
 ワインの瓶でも振り上げて、逃げるタカ達を追いかけ回して来たのかな? とか想像しながら、ようやく普段通りの表情に戻ったジェイと一緒に、久しぶりにホールで飲みに向かって行った。






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