Eros act-3 15

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 麻紀が翔を連れて来た本当の理由は分からないけど、明るくて話し上手な彼がいると、場の雰囲気が少し和らぐ。
 何となくジェイの隣に座ったままでいるうちに麻紀達が来てしまって、ちょっとだけ失敗したな……と思っていたから、翔も一緒に来てくれて助かった。
 もっとも、ちょっとマシかな? って程度でしかないし、やっぱり話し合ってる真っ只中に座って聞いてる事になるから、お世辞にも居心地が良いとは言えない。
 サッサとティコ達の方に行っとけば良かったなぁと、今更ながらに後悔しながら、心配そうな表情を浮かべてコッチの様子を観察しているティコと颯太の方に、チラチラと視線を向けた。


 頬を冷やしながら座っているから、歯でも痛くなったのかな? と思っていた颯太は、ティコと揉み合いになっていた所を、中川に思いっきり叩かれてしまったらしい。
 話を聞くより咄嗟に手が出たそうで、それは恋人のティコが相手だったから仕方ないかな……って気はするけど、それにしても強過ぎだと思う。
 確かに言われてみれば赤く腫れていて、随分と痛そうだなぁと気の毒に思いながら、麻紀がやって来るまでの間に、颯太から少しだけ話を聞いた。


 まだ話すのも痛そうにしているから簡単にしか聞いてないけど、ジェイや中川が予想していた通り、やっぱり颯太は麻紀に頼まれて、この店に入って来たらしい。
 でも、それは最初のきっかけがそうだっただけで、今はそんな依頼を簡単に引き受けてしまった事を本当に後悔している……とボソボソと話す颯太の姿を、ちょっとだけ安心しつつジェイの隣からジッと見詰めた。
 実際に彼と一緒に働いている店長である中川や、無言で聞いていたジェイがどう思ったのか分からないけど、俺的には、その言葉だけで充分だと思う。
 これで色んな事が全部片付いて、また颯太と一緒に、落ち着いて仕事が出来るようになれば良いな……と、今後の事に思いを巡らせた瞬間、目前に座る翔が煙草を消しつつ、ジェイの方に視線を向けるのがチラリと見えた。




「――――で、今日は何の話? 別に雑談をする為に集まったんじゃねぇんだろう。俺が此処にいた時、ジェイが麻紀さんを呼んだ事なんて無かっただろ。だから俺としては、それにもちょっと驚いてるんだけどさ」
 そう話す翔の言葉を聞いた瞬間、胸がドクリと音を立てた。
 別に俺が翔に説明する訳じゃないけど、何故だかやたらと緊張してくる。無意識に隣に座っているジェイの顔を見詰めた瞬間、麻紀がクスリと小声で笑った。


「そうだな、そろそろ始めるか……ジェイ、タカ達を1人で追い払ったそうだな。彼等がもう一度戻ってくるとは思ってなかったから、『助けてくれ』と連絡が入った時は驚いた」
「まぁな。逃げ出した連中は、やはりお前に助けを求めに行ったか」
「いや、正確に言うと『来た』訳じゃない。俺の所には電話がかかってきただけだ。そもそも今回の騒動については、俺には何の関係も無い。助ける義理もないから、アイツ等をずっと探し続けている奴に連絡をしておいた。直ぐにあの場所に向かった様だな」
 ククッと笑いながら答える麻紀の様子に、ジェイも楽しそうに口元を緩めた。
「あぁ、奴等に金を持ち逃げされた店長か。今度は連絡してやったのか」
「前回は俺が呼び戻したから黙っていたけど、今回は無関係だ。ジェイから電話がかかってくる前に知らせておいたんだけど、此処に来る途中に、折り返し電話がかかってきた。翔が追いつく前だな。ジェイも、随分と面白い事をやってきたそうだな」
 相変らず楽しそうな口調で話し続ける麻紀とジェイを交互に眺めていると、向かいに座っている翔が露骨に顔を顰めたのが見えた。


「――ちょっと、麻紀さん。『前回は俺が呼び出した』って、何の事だよ。麻紀さんも、一稀がタカに襲われたってのは知ってんだろ。それ以前の話?」
「その話もだが。ジェイ、タカ達を追い払った……ってのは何だ。アイツ等が戻ってきたらしいと連絡してきたのは、つい数時間前の話だろう。居場所が分かったのか?」
 翔が麻紀に問いかけたのに続いて、横手にある事務デスクの方にいる中川が、俺を通り越してジェイに向って言葉をかけた。
 矢継早に問いかけている翔と中川の言葉を聞きつつ、彼等と違って咄嗟に言葉が出てこない自分が、本当にもどかしくてしょうがない。
 二人が聞きたい事も確かに気にはなるけど、俺だって色々と言いたい事は沢山ある。
 隣に座ったままのジェイの服を握り締め、思わず顔をジッと見詰めてみたら、それに気付いた彼が優しく頭を撫でてくれた。
「一稀も聞きたい事がありそうだな。それから答えるとするか」
「ありがと、ジェイ。あのさ、此処に来るまでのジェイ1人でいる時に、タカ達が襲ってきた……って事? やっぱり、アイツ等全員で近くにいたの?」
 家で二人だけで過ごしている時と同じ様に、優しい眸で話しかけてくれたジェイに、一番気になっている事を問いかけた。


 俺と違ってジェイは喧嘩も強いから、大人数を相手にしても一方的に袋叩きにされる筈がない。
 奴等は麻紀に助けを求めに行ったらしいし、実際にジェイは今こうして隣に座ってるから、大丈夫だってのも分かっている。
 ――――でも、アイツ等の名前を聞くと、未だに自分が襲われた瞬間の記憶が蘇ってきて、身体が強張り、胸がギュッとしてしまう。
 だから気持ちがどうしても落ち着かなくて、彼の服を握り締めたまま少し早口で問いかけてみると、穏やかな微笑を浮かべたジェイが、宥める様に肩をそっと抱き寄せてくれた。


「とりあえず、お前は何も心配しなくていい。それだけは確実だ。一稀がこれ以上、怖い思いをする事は絶対にない。だから、そんな顔するんじゃねぇよ」
 肩を抱いたまま顔を覗き込んできて、ジッと目を見詰め、俺に言い聞かせる様に話してくれるジェイを見上げて、素直にコクリと頷いた。
 病院でずっと付き添ってくれていた時と同じ様に、彼が傍にいて「もう大丈夫だ」って言ってくれるだけで、急に気持ちが落ち着いてくる。
 掌を握ってくれたり、こうやって肩を抱いていてくれたり。身体で感じるジェイの温もりがあれば、怖い事なんて何もなかった。
「分かった。ジェイが大丈夫って言うんなら、俺は全然平気……それで、アイツ等は近くに来てたんだ?」
「俺の仕事が終わる間際、奴等がお前を襲った時に待ち伏せで使っていた店に、再度潜り込んだと連絡があった。アイツ等が戻って来た目的は、一稀じゃなくて俺だ。ハッキリとは聞いてねぇが、あの調子だと、俺を襲撃して金を奪うつもりだったんだろう」
「え? じゃあ、あの時の俺と同じ様に、ジェイも仕事帰りを待ち伏せされて……」
「いや。まだ人通りのある時間帯だし、アイツ等は深夜まで待つつもりだったんだろう。だが、居場所は分かっていたからな、俺の方から出向いてやった。お前を怪我させた件についても話してきたし、完全に追い払ってきたから心配するな。もう二度と、俺達の前に顔を出す事は無いだろうよ」
 その時の様子を思い出したのか、ククッと軽く笑いながら、ジェイは楽しそうに教えてくれた。
 余裕綽々なジェイの腕に抱かれたまま、思わずちょっと顔を顰めつつ、彼の話してくれた内容を頭の中で考え直した。


「……ホントに? それはすっげぇ嬉しいけど、何もジェイ一人で、しかも自分から行かなくても……そりゃあ、ジェイは喧嘩も強いって分かってるけど。やっぱり俺だって、ちょっと心配になるからさ」
「ばか、そう怒るんじゃねぇよ。だが、お前が心配する気も分かるな。次からは少し考えよう」
「ん、その方が良いな。俺を襲いに来た時は素手だったけど、いつもそうだとは限らないしさ。他の危ない奴等だって、色々と持ってたりするだろ。ジェイが怪我でもしたら、ホントに大変だからさ」
 俺がいちいち怒らなくても、ジェイの方が何かと考えて行動してるんだろうってのは分かっているけど、ソレとコレとは別だと思う。
 随分と楽しそうなジェイにぴったりとくっ付いたまま、俺の方が心配になるから『一人で危険な真似はしないで欲しい』って頼んでいると、彼の向かい側で話を聞いていた麻紀が、深々と溜息を吐いた。




「……まぁ、噂には聞いていたけど。本当にいちゃいちゃと仲が良いんだな。確かにこれなら一稀が退院するまで、ジェイが店を放り出して、病院で付きっきりになってた理由も分かる」
「店の事だけなら、俺が頻繁に顔を出す必要はねぇよ。店長として中川が纏めてくれているし、働いてる奴等も自分達の考えで動ける奴等ばかりだ。オーナーの俺が細かく口を出す必要はない。それを調べるのが、アイツ等に一稀を襲わせた目的だったのか?」


 隣に座っている俺の肩を抱き締めたまま、ジェイが静かな声色で、麻紀に向って問いかけた。
 その口調とは裏腹の、ジッと睨み付ける様なジェイの視線を真正面から受け止めた麻紀は、特に驚いた様子もなく、軽く口元を緩めて笑ってみせた。


「そうだな。その理由で間違いない。ジェイが一稀を猫可愛がりしているのは分かっていたからな。一稀が店に行けない事になれば、当然、ジェイも暫くは顔を出さないだろうと考えた」
「いや、それだけじゃねぇだろう。俺を店から遠ざけるのが目的なら、もっと手っ取り早くて、確実な方法が幾つもある。この店とは無関係な一稀を、わざわざ巻き込んだ理由は何だ?」
 肩に廻っているジェイの腕に、ギュッと力が入ったのが分かる。
 努めて冷静さを保とうと、あえて静かな雰囲気で話しかけるジェイの姿を、麻紀は平然と、真っ直ぐに見詰め返してきた。
「無関係とは言えない。実際『ジェイが一稀を囲ったらしい』って噂を聞いたのが、今回の切欠でもある。それでジェイと、この店の事を思い出したからな。只、唯一の誤算はタカを使ってしまった事だ。アイツは本当に考えが無さ過ぎる。一稀に関しても、あんなに酷い怪我をさせるつもりはなかった。俺としては一週間程度で完治する、軽い打撲程度で良いと頼んでいた」
「そんな端的な説明じゃ、全く意味が分からねぇな。俺と一稀の関係と、店に対しての事柄は別件だろう。俺への嫌がらせのつもりで一稀を襲った……って事か?」
「そうだな、否定はしない。俺自身は自覚もなかったけど、確かにそういう気持ちがあったんだろうな。翔からも『ジェイの方が一稀を気に入って声をかけた』と聞いたし、少しジェイを困らせてみたかったのかもしれない。でも、ちょっと行き過ぎた様だな。一稀には、本当に悪い事をしてしまったなと思っている」
 変に言い訳をする事も無く、淡々と答える麻紀の言葉を聞いて、彼の隣に座っている翔が露骨に眉間に皺を寄せた。


「――おい、麻紀! 一体どういう事だよ。お前がタカを使って一稀を襲わせた……って事なのか? あれで一稀がどれだけ怯えてしまったか、それ位は分かるだろ!? 確かに俺もジェイや一稀の事を話したけど、普通に雑談程度じゃねぇか。麻紀が一稀やジェイの事を嫌っているとか、そんなの一言も聞いてねぇし、知ってたら何も話さねぇ。ふざけんじゃねぇよ!」
 唐突に自分の名前が出てきて、しかも思いがけない話題だから、翔も内心焦っているのかもしれない。
 身体ごと麻紀の方に向き直って睨みつけ、真剣に怒っている翔の姿に怯む事無く、麻紀は彼の方に視線を向けて、ほんの少し考え込んだ。


「初めから説明した方が良さそうだな。ジェイが一稀を囲ったらしい……って噂を聞いて、この店に関する事を思い出した。別に完全に忘れていた訳じゃないけど、自分の店を軌道に乗せるまでは、それなりに必死だったからな。それで、ようやく思い出したこの店の事を、少々調べてみようと思った。今、俺の店より勢いがある筆頭は、やっぱりクラブJだろうってのは認める。クラブJの内部事情を知りたいと思って調べ始めたら、ちょうど引退が近い、翔の存在に行き当たった。それで翔の行動範囲を調べて、一人で飲んでいる所を狙って声をかけた」
「――――それじゃあ、引退後の俺を自分の店に入店する様に誘ったのは、最初からソレを聞き出すのが目的だったのか? ボーイとしての価値じゃなくて……」
「いや、そんな事はない。実際に店で働いて貰うんだから、俺の基準に勝るヤツじゃないと困る。それに翔の事を調べた時に、中川の代理を務める程の腕があるとも聞いた。そういう使えるヤツなら、この店の情報云々を抜きにしても『俺の店に是非欲しい』と思ったから、翔を俺の元に誘った。それに情報を聞き出すだけなら、勤め続けているヤツの方が何かと便利だし、リアルタイムな話が聞けるだろう。そういう理由で、翔の後に颯太を潜り込ませて、色々と聞き出そうと考えた」
 最初は翔を利用しようと考えていたけど、今ではもう『自分の店に務めている身内』だと思っているのかもしれない。
 ジェイを見ている時とは明らかに違う、穏やかな表情を浮かべて翔に話しかけている麻紀を眺めながら、ジェイは俺の髪を軽く撫でている。
 彼にこうされているだけで、本当に気持ちが落ち着いてくるけど、ジェイも俺に触れていると、同じ様に落ち着くんだろうなって、最近気付いた。
 指先に俺の髪を絡めて弄びつつ、麻紀の様子を伺っていたジェイが、翔との会話が途切れるのを見届けて、徐に口を開いた。


「翔と颯太に関する事は分かった。二人に何かをさせるつもりはなく、単純に情報収集が目的だった……って事だな。それで一稀に怪我を負わせて、俺を店から遠ざけようとした理由は何だ?」
「ジェイを抜きにした場合、この店がどの程度、通常通りに運営されるのかを知りたかった。まだ引退前の翔から話を聞いている時、意外とジェイが口を出してない事を知って驚いた。俺はもっと、ジェイが細かく店のアレコレに口を挟んでいるんだろうと思っていたからな。それで、一稀と一緒にジェイも休んで貰って、店の様子を見てみようと考えたんだ」
「そういう理由か……それで知り得た情報に、てめぇは満足したのか?」
「まぁな。俺の役に立つし、色々と興味深い事が判明した……でも、その情報を得る手段を、俺は完全に間違えていたらしい。昔、色々とあったからな。ジェイに言われるまで気付いてなかったけど、俺も少し感情的になっていた様だな。いずれにしても、一稀に会ったらまず謝ろうと思っていた。一稀。怖い思いをさせてしまって、本当に悪かった」
 数年前、初めて出逢った時と同じ様に、麻紀が真っ直ぐに此方を見詰めて静かに話しかけてくる。
 あの時に感じた印象と、全く変わらない彼の姿に、もう忘れかけていた色んな事を思い出した。






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