Eros act-3 13

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「多分、絶対に教えてくれないよな……って思ったんだけど、完全に辞めたのかどうか位は分かるだろうからさ。念の為に、店長に聞いてみて良かった。翔の居場所も分かった事だし、次からはコッチにも来るよ」
 ベッドの上で後始末をしている最中、寝転んでされるがまま上機嫌で話しかけてくる客の言葉に、無意識に口元を緩めてしまった。




 ジェイの店で働いていた頃から、引退を知っていた何人かの常連客には「サテンドールで売りを続ける」と教えていたものの、当然、そう大っぴらには言ってない。
 あの店の場合、客も色んなタイプのボーイを買って楽しむヤツが多いし、『売り専』って仕事自体が、そういうモンだと思っている。
 自分から売り込むのが少々気恥ずかしい……という理由もある事だし、俺個人に入れ込んでるヤツは少ないだろうと思って、定期的に必ず指名してくれていた、数名の『本当の常連客』だけに引退後の消息を教え、静かに最後の出勤を終えて、この店に移ってきた。
 自分の店を出せる程度の資金は確保しているし、無理して稼ぐ必要もないから、サテンドールでの新しい固定客とクラブJ時代の常連とを相手に、身体の負担にならない程度に客を取れれば充分だと思う。
 そう考えて、気侭にのんびりと過ごしていくつもりだったのに、いつの間にか、こうして「教えていなかった客」も、色んな手段を使って自分達でこの店を探し当て、時々遊びに来てくれる様になった。
 どうやら彼の場合は、数ヶ月間行きっ放しだった長期の地方出張中に、俺が引退してしまったらしい。
 戻ってきたら俺がいなくて本当に驚いたそうで、事細かにその時の様子を話してくる男の身体を整えてやりながら、つられて声を出して笑ってしまった。


「大袈裟だな。んなモン、聞いたらいくらでも教えて貰えるって! 俺もあの店にいた頃、引退して別の店に行ったヤツの事を、何度か教えてやった事があるぜ」
「ばか、それはジェイの店だけだろう。他所の売り専だと、ボーイの移動先なんて絶対に教えてくれないからさ。やっぱり『客が流れる』とか思うんだろうな。クラブでの売り上げもあるからだろうけど、ジェイのトコは色んな意味で余裕がある」
「あー、そう言われると分かるかも。あの店ってさ、飲むのと買うので別なヤツを指名する人も多いよな。俺なんかだと、確実に飲み相手としての指名の方が多かったもんな……」
 世間一般の給料日後には、数日先まで『売りの予約』で埋まっている様な、現役時代のティコを筆頭とした売れっ子ボーイ達とは逆に、俺の場合はキャラ的にそうなのか、むしろ「一晩中、飲み明かそうぜ!」みたいなテーブル付の専属指名が多くて、皆と違った意味で日々忙しかった。
 酒は元々強い方だし、それに対して何の不満も無かったけど、冷静に『売り専クラブのボーイ』として考えてみると、やっぱり少しどうかと思う。
 そういう意味では、俺って売り専ボーイには向いてないよな……と冷静に考えつつ、チラリと時計を確認しながら、ベッドの上から立ち上がった。


「まだ時間あるよな。ちょっと飲んでく?」
「あぁ、そうするか……ココに持ってきて貰うのか?」
「それも出来るし、缶モノで良ければ冷蔵庫に色々あるぜ。ドッチにする?」
 そう答えながら部屋に置いてある小さな冷蔵庫を開けて見せると、男はちょっと驚いた表情を浮かべた後、直ぐに楽しそうに口元を緩めた。
「へぇ、色々揃えてるんだな……じゃあ、とりあえず缶ビールで。サテンドールは、部屋にも酒があるのか。便利だな」
「持ち部屋制だからさ。割と自由に使っても大丈夫らしいんだよな。だから、部屋でも軽く飲める様に揃えて貰った。俺を指名してくる人って、何故だか酒好きが多いからさ」
 冗談混じりでそう答えながら、ベッドの上に半裸の身体を起こした客に、冷蔵庫から取り出した缶ビールを手渡した。




 男を買っていく客のタイプは色々あるんだろうけど、俺を買う客の場合、年齢に拘らず、明らかに話好きのヤツがほとんどだと思う。
 何の気負いも無い、あっさりとした挨拶の後、サッサと身体を合わせてスッキリした後は、時間一杯まで色々と他愛のない話をしていくヤツが、何故だか異様に多い気がする。
 クラブJにいた頃だと、そのまま次の指名が来るまではカウンターで一緒に飲んでたし、クラブスペースが狭い此処の店だと、このまま部屋でダラダラと飲みながら、延長していく客が多くなってきた気がする。
 どっちにしても、酔っ払うまで飲んで帰るヤツが多いなぁ……と胸の内で苦笑しつつ、お互いにほとんど裸の状態のまま、ベッドに腰掛けて寛ぎながら、程好く冷えた缶ビールで乾杯した。


 こうして気楽に飲んでいると、本当に売り専的な色っぽさの欠片も感じないけど、多分、皆もそんなモノは、俺に期待していないと思う。
 そういうのは、ティコや一稀みたいな可愛い雰囲気のヤツに任せた方が良いと思うし、無理してそんな事をやってみても、自分に似合わない事は分かっている。
 俺のキャラで考えると、こういう『自分の部屋』っぽい、気楽なのが合ってるかもしれないなぁ……とか考えていると、ベッドに半分横たわってビールを飲んでいた客が、サイドテーブルに缶を置いて、気持ち良さそうに伸びをしたのが横目に映った。


「あー、こういうのも気分的に落ち着いて良いかも。翔の部屋で遊んでるみたいだし、帰る気が無くなってくるな」
 大きなベッドが部屋の大半を占めているのが少々違う所ではあるけど、構造的にはワンルームマンションと同じだし、そう思ってしまうのも分かる気がする。
 とても男を買った直後には見えない位、リラックスした様子で寝転んでしまった彼の姿を眺めながら、また半分笑いつつ缶を煽った。
「皆、そうみたいだぜ。ジェイのトコより安上がりだからさ、3〜4時間は平気で延長して行くよな。この前も『1時間後に起こしてくれ』とか言って、普通に昼寝してった人もいたぜ。テレビも欲しいって言われたから、明日、小さいのを買ってくる。俺ってホントに庶民派な売り専だよなぁ」
「それが翔の持ち味だろ。売り専を買ってる事には違いないんだけどさ。何となく友達っぽい雰囲気だし、色々とカッコつけなくて良いから、すごく気が楽なんだよな。お前、コッチでも常連が多いだろ?」
「あ、分かった? ジェイのトコと比べると、やっぱり人数的には減ってるんだけどさ。その分、一回の時間も長くなったし、こんな感じで部屋でゆっくり話せるからさ。中身はホント色んな意味で、段違いに濃くなったよなぁ」
 以前の慌ただしかった店では今みたいにじっくりと話せてなかったけど、ジェイの店に勤めていた頃から、常連の客とは深い話をする事が多かった。
 もちろん、相手を慎重に選んでの事ではあるけど、単なる売り専ボーイで終わる気など更々無いから、この街での色んな繋がりは確保しておきたいと思っている。
 だから麻紀の話も快諾して、この店で売りを続けて行く事を決めた。
 そう考えてみると、客とゆっくりと交流出来る現在の状況は、本来考えていた意味としても最高の環境だと思えてくる。
 自分自身も本当に気楽だし、皆もこういう雰囲気だと、気を許して色々教えてくれるからな……とか考えていると、勝手にマガジンラックから雑誌を手にとって読み始めた客が、不意に視線を向けてきた。


「ジェイの店はクラブが豪華だから良かったけど、単純に『売り専』ってだけで考えたら、翔にはマンション系の方が向いてるかもな。翔のキャラって、サシでゆっくりと話してみなきゃ分からないからさ」
「言えてる。あーいう形態なら、ティコみたいなヤツが最強だよな。ホント、お世辞抜きで『高級ボーイ』って雰囲気だろ? ティコは色んな意味で、あの店に勤めて正解だったよな」
「あー、確かにそうだな。店長が恋人になったし、今や自分も副店長だもんな。やっぱりさ、ああいうのって『悔しい』とか思うんだ?」
「や、全然思わない。多分さ、他のヤツなら色々と思うんだろうけど。ティコと一稀は別格って感じだな。アイツ等、2人揃ってバリネコだろ? どっちかってーと、普段は『可愛いな』って基準で見ているし、本人等も他人の面倒見るのを好きでやってるから、コッチもそういう意味で安心してるんだろうな。ギラついてないから、すんなりと受け入れられたのかも」
 客に聞かれたから誤魔化した訳じゃなくて、実際に他の連中とも、二人が副店長になった頃には、しょっちゅうこういう話をしていた。


 単純に仕事的な面だけで考えれば、俺や拓実が副店長でも良かったと思うし、他にもそういう役割が出来そうな奴は何人かいる。
 でも、俺達は『副店長』って肩書きが欲しいとは思ってないし、もし、誰か一人が選ばれたとしたら、やっぱり少々のプライドが邪魔をして、素直に従う気にならないだろう。
 一稀やティコの場合、その立場的な印象以上に、彼等の個人的な「好きな人の手伝いをしてやりたい」って気持ちが思いっきり前面に出ているから、きっと本人達が聞いたら怒るだろうけど、こちらから見れば「健気で微笑ましいなぁ」としか思えない。
 恋人に褒められて嬉しそうに頬を綻ばせ、あんなに上機嫌で一生懸命に仕事されたら、こっちも真面目に働くしかないよなぁ……と、何となく皆で話していたのを思い出していると、ベッドに半分寝転んで雑誌を読んでいた男が、ふと思い出した様子で視線を向けてきた。


「あー、それは分かる。やっぱりさ、俺達みたいに両方OKなヤツと比べて、完全にネコの奴等ってギラギラの雰囲気が違うよな。そういう意味だと麻紀もそうなんだよな。アイツも売りやってた頃は、ティコや一稀並みに人気あったしさ。ジェイがアイツを雇わなかったのが不思議だったけど、今は何となく理解出来る。麻紀がいくら売れてても、タイプ的にジェイの店には合わないからだろうな。そう考えると『クラブJ』と『サテンドール』は、正反対で使い易い。客の俺達にとっては、色々と選べて嬉しい限りだ」
 彼自身は何気なく話し始めたらしい、噂話にも似た軽い内容の話を聞きながら、あまりにも意外過ぎて、咄嗟に言葉が出てこない。
 そんな俺の様子に気付いた風もなく、楽しそうに一人で話し続ける男の顔を、思わず真顔で覗き込んでしまった。


「――――ちょっと待った! えっと……麻紀さんってバリネコなんだ? ってか、ボーイやってたんだ?」
「え、翔は知らなかったのか。確かに、翔がジェイの所に勤め始める前の話だけどな」
「全然知らねぇよ! 俺が『サテンドールに入店する』って言った時も、ジェイは何にも言ってなかったし……普通に『オーナー同士としての知り合いだ』とか、それ位の事しか聞いてねぇよ。俺がこの辺りに来たのって、サテンドールが出来た頃だから。なんか全然想像もしてなかった。麻紀さんがジェイのトコに、ボーイで面接に行ったとか……そんな感じ?」
「あぁ、そんな感じだろう。ジェイが店を始めた頃、ちょうど麻紀が勤めていた店が閉店する事になった。麻紀はジェイ個人も気に入ってたし、彼の所で働きたかったらしいな。結局、麻紀は雇って貰えなくて、自分でこの店を出してオーナーになった。その時は『ジェイも勿体無い事を……』と思ったけど、今なら、ジェイが作ろうとしていた雰囲気と麻紀とじゃ、全然傾向が違うからだと理解出来るしさ。それに、麻紀もああ見えて結構歳だからな。自分でも店を持つ、良い機会になったんじゃないかな」


 客も店も――とにかく、人の入れ替わりが激しいこの街では、ほんの数年前の出来事でも、その当時、この街に存在してなければ全く知る術が無かったりする。
 俺がこの街に紛れ込む寸前に起こっていた出来事を、やけに懐かしそうに教えてくれる男の顔を見詰めながら、缶ビールを軽く煽って、何とか気持ちを落ち着けようと頑張ってみた。






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