Eros act-3 11

Text size 




「そうか、あの場所で正解だった様だな…………あぁ、分かった……いや、もう良い。これで終了だ。明日、連絡する」
 見張りを依頼していた調査員にそう告げて電話を切ると、エンジンをかけてハンドルを握り、家路にへと向っていく。




 帰宅時間に差し掛かっている道は混雑していて、周囲に合わせたゆっくりとしたペースで車を走らせ続ける。
 手持ち無沙汰に、聞いたばかりの調査員の言葉を頭の中で反芻していると、何の捻りもないタカ達の行動が簡単に目に浮かんできて、運転を続けながら思わず苦笑いを浮かべてしまった。


 あの街の近辺をフラフラと歩き回っていた奴等は、辺りが薄暗くなってきた頃、予想通りに俺達の住むマンションの方に移動して、一稀を見張っていたと思われる例の空店舗にへと姿を消した。
 もっとも、それ以前の彷徨いていた間に、現在の店舗所有者である麻紀と連絡を取った様子は無かったそうだし、鍵のかかっていない店のドアを開けた時も「ラッキー!」などと騒ぎたて、俺から依頼を受けて見張っていただけの無関係な調査員ですら、その言動に心底呆れてしまったらしい。
 露骨に口に出す事はなかったものの、言外にその感想が滲み出ていた調査員の口調を思い出しつつ、マンションに向う最後の角を曲がった。


 麻紀が店舗を放置していたのは、特に他意がある訳じゃなく、単純に「次の借り手が決まってない」からだと分かっている。
 自分達が闊歩する界隈に徒歩圏内ではあるけど、若干外れの方になるから、同性愛者とは関係のない者達も数多く通りかかる。
 必然的に微妙な位置になってしまう店舗を借りようとする場合、無関係な者達が紛れ込んでも問題のない経営形態を選ぶのが難しくて、あの街で過ごす俺達にとっては、あまり人気のある場所ではなかった。
 最初の目的がアレだし、そういう裏事情もあるから色々と面倒で麻紀も放置していたんだろうけど、鍵をかけていなかったのは完全に彼の不手際だと思う。
 まぁ、そのお蔭で俺の方は楽になったんだがなと、気を取り直して良い方に考えつつ、車を降りてマンションにへと入って行った。


 部屋に戻って荷物を置き、軽くシャワーを浴びて普段着に着替える。
 鍵と携帯だけをジーンズのポケットに突っ込むと、またマンションを出て、クラブJとは反対の方に向って歩き出した。
 ほんの数十秒ほど歩いただけで、目的地に辿り着いてしまう。
 この中にいる連中は、もう二度と此処に近寄らないだろうと分かっているけど、一稀と暮らすマンションのすぐ近くに、こういう場所があるのは気分が悪い。
 俺が『此処を借り上げる』という手もあるな……と考えながら、何の躊躇いもなく、ガタンと大きな音を立てて店のドアを開け放った。






 ドアの開く音を聞きつけ、胡散臭そうに入口に視線を向けてきた奴等が、俺の姿を認めた瞬間、サッと顔色を変えた。
 ダベっていたカウンター席から、慌てて立ち上がる三人の様子を軽く鼻で笑いながら、後ろ手でドアを閉め、ゆっくりと店内に足を踏み入れていく。
 名前を聞いてもピンとこなかったタカ以外の二人は、実際に顔を見ても、何処の誰だか全く思い浮かんでこない。
 しょうもない雑魚は放っておく事にして、タカの前に歩み寄ると、その顔を見詰めてニヤリと口元を緩めた。
「――――お、おい!! 何を……」
「あぁ? そう大袈裟に驚く必要はねぇだろうが。俺を待ってんだろう? 手間をかけるまでもねぇ、俺の方から出向いてやったぞ」
 ジッとタカの顔を見据えたまま、そう低く言い放ってやると、一瞬目を瞠ったタカが、直ぐに怒りの表情を浮かべた。
 答えが返ってくる筈もなく、そのまま三人が一斉に動き始めた。




 10年程前は日常だった、多人数が一気に襲いかかってくる懐かしい光景を前に、無意識に口元が緩んでしまう。
 もっとも、あの貧困街で暮らしていたガキ共の足元にも及ばないレベルである事は、最初の動きを見た瞬間で判断出来る。
 アイツなら片手で捻じ伏せそうだな……と、あの場で本当の意味で最後に目にした、痩せこけたナイフ使いの男の顔をふと思い出しながら、一番手前にいるヤツに向かって軽く一歩踏み出した。


 一稀より身体の大きな俺を襲撃する事を考え、コイツ等なりに色々と策を練っていたらしい。
 それなりに練習でもしていたのか、慣れた手付きで特殊警棒を振り出した男が、ソレを大きく振りかざしてきた。
 背の高い俺の頭部を狙ったつもりなんだろうけど、こんな場所で警棒による打撃を試みるなどとは、ソレを全く使い慣れていないのが、聞かなくても分かってしまう。
 緩慢なその動作を気に留めるまでもなく、自分より背の低い男に合わせ、少し身を屈めて大きく踏み込み、ハイブロックで楽々と男の腕を取る。
 警棒を持った男の腕を左脇に絞め込みながら、男の顎に掌底を放つと同時に右足で男の足元を払い倒す。
 ガクンと頭を揺らして身体が一瞬宙に浮いた男の肩口を押し、勢い良くカウンターに叩きつけても、男はぐったりと伸びたままで、呻き声さえ上げる事はなかった。
 軽い脳震盪を起こしただけだと、掌底を打った俺は分かっているけど、傍で見ていただけのタカ達は、きっと何が起こったのか分かっていない。
 声を上げる余裕すらなく、一瞬でグッタリと伸びてしまったヤツの代わりに、彼の真後ろで一部始終を眺めていた男が、大きな叫び声を上げた。


 ピクリとも動かない姿を見て、コイツは俺に殺されたと思い込んだのかもしれない。
 気が狂った様に喚きながら、男が近くに転がっているビール瓶に手を伸ばすのと同時に、コチラは床に落ちていた特殊警棒を拾い上げる。
 コイツ等もせっかく用意してきたんだろうし、一度位は使ってやるか……と考えつつ、何年前から其処に転がっていたのか分からない、埃まみれのビール瓶を振り上げてきた男の頭上に向かって、身体を斜めに背けたまま、バックハンドで弧を描きながら警棒を振り抜いた。
「――――う、うわぁ!!」
 叩き割られた衝撃で、手から離れたビール瓶の口元が床に落ちて割れる音と、頭から破片をモロに被った男が上げた悲鳴が、ほぼ同時に聞こえてきた。
 大きな破片を拾って反撃する程の気概は持ってないらしく、慌てて羽織っていたシャツを脱ぎ捨て、バタバタと身体に残る破片を懸命に振り落としている男を尻目に、顔を強張らせて立ち尽くしているタカの方に、ゆっくりと歩を進めた。




「三人もいれば楽勝だと思っていたんだろうが、残念だったな。お前に聞きたい事がある」
「……何だよ。俺は何も……」
 当初の勢いがあっさりと消え失せ、ジリジリと後退りながら答えるタカの様子に、思わず鼻で笑ってしまった。
「そうだな……まずは、此処に戻って来て、俺を襲おうと考えた理由を聞こうか。金でも巻き上げるつもりだったのか?」
「――お、おい。何言ってんだよ……ジェイが勝手に入り込んできたんじゃねぇかよ。俺達はフツーに遊んでただけで……」
 若干強張っているものの、数年前と変わらない卑屈な笑みを浮かべて言い募るタカの顔を、心底冷めた気持ちでジッと見詰める。
 何年経っても変わる様子のないコイツは、自分が何をやってるのか分かっていない。
 このまま何も理解しないまま老いぼれていき、本人だけは立派に生き抜いたつもりで、上機嫌で死んでいくんだろうと思うと、まともに相手をして腹を立てるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。


「へぇ。わざわざ俺のマンション付近に忍び込んで、こっそりとパーティでもやるつもりだったのか? 金なら一稀を襲った時に、麻紀から貰った報酬があるだろう。もう使っちまったのか?」
 半笑いでそう言い放つと、タカの顔色が変わった。
 ドアの方に向って走り出したタカを追い、腕を伸ばして逃げる襟元を掴んで力任せにカウンターに叩きつける。
 派手な音を立ててカウンターにぶつかったタカの横で、気を失っていた男が微かな呻き声を上げた。
「おい、起きろ! 早く!!」
 髪についたビール瓶の破片を落とすのに必死だった男が、カウンター席の呻き声に気付き、慌ててその方に駆け寄っていく。
 俺に首根を掴まれ、カウンターに張り付かされているタカには目もくれず、意識を取り戻したばかりのフラフラなヤツを引き摺って逃げ出す男の後姿に視線を走らせ、思わずククッと笑ってしまった。




「てめぇ、友達を選んだ方が良いんじゃねぇか? 簡単に見捨てられたな」
 バタンとドアが閉まる音を聞きつつ声をかけると、タカの顔が屈辱に歪んだ。
「うるせぇ! 直ぐに戻ってくる。誰か呼びに行ったんだ」
「あぁ? てめぇ等を助けるヤツが、この街にいる訳がねぇだろう。麻紀に泣きつくつもりなら失敗だな。アイツが何の利益もなく、誰かに手を貸す筈がねぇ」
「――ま、麻紀なんか……何も関係ない……」
 そう言い逃れようとするタカの髪を掴み、顔面をカウンターに叩きつける。
 そのままグッと髪を持ち上げ、鈍い音と共に悲鳴を上げた顔を上に逸らせ、横から覗きこんで睨みつけた。
「そうかよ。言いたくないのならそれでいい。だが、お前が麻紀に頼まれたからじゃなく、てめぇの意思で一稀を襲ったんなら、また話は違ってくるな」
「――――麻紀だ。アイツに『一稀を襲ってくれ』と頼まれた。でも、大した額じゃねぇよ。最初から『少々怪我を負わせるだけでいい』って言われてたから。本当だ!」
 無い頭を懸命に働かせ、しらを切るのと、金で動いた事を認めるのと、どっちが自分の得になるかを量りにかけて考えたらしい。
 あっさりと白状したタカの顔を、またカウンターにへと叩きつけた。
 絶叫するタカの声を聞きつつ、更に先を続けたくなる自分の衝動を必死に堪え、肩を押さえつけていた手を離して、逃げた男が放置していったシャツに腕を伸ばす。
 鼻から流れる血を吸い込んでしまい、もう反抗する気力も無くして咳き込んでいるだけのタカの手首に、シャツをきつく巻きつけていった。


 祖母との本当に静かだった暮らしの中や、一稀と過ごしている時には全く感じる事のない、残虐な欲望が自分の中に眠っている。それはもう、充分に理解している。
 まだ幼くて刺激を眩しく思うガキだった頃は、この欲望に心底酔いしれ、それが全てだった時期もある。
 でも、もっと手強くて御し難い欲を知ってしまった今となっては、こんなヤツを相手に本気で腹を立てても無駄だと、何処か冷静な自分が頭の中で囁いていた。




「一稀を襲った後、姿を晦ませて正解だったな。俺も少しは冷静になれた。直後にてめぇを見つけていれば、さすがに俺も激昂していただろうよ。この程度で済んで、ありがたく思うんだな」
「……充分だろ。まじで痛ぇよ……」
「いや、まだだな。甘ったれた事をほざくんじゃねぇよ。一稀はもっと酷い怪我を負った。金に目が眩んでアイツに手を出した、てめぇの浅はかさを嘆くんだな」
 そうタカに話しかけつつ、カウンターに伏せっている身体の背後から手を伸ばして、バックルに指をかける。
 そのままチャックを開けて、下着ごとジーンズを引き摺り降ろされた瞬間、ぐったりと苦しげな息を吐いているだけだった身体が、急に勢い良く起き上がった。
「――や、止めろ。ジェイ! た、頼むから……」
「あぁ? 俺から金を巻き上げて、売り専にでも行くつもりだったんだろうが。まぁ、俺のモノは突っ込まないから安心しろ。お前にはコッチの方がお似合いだからな」
 カウンターに身を捩じらせ下半身丸出しの姿で、ズルズルと覚束ない足元で逃げようとする姿を冷ややかに眺めながら、脇のテーブル席に乱雑に置かれているゴミの中から、栄養ドリンクの小さなビンを拾い上げた。


 麻紀から貰っていた報酬も、既に使い切りつつあるのかもしれない。
 簡単にヤラれてしまった一稀の件で味を占め、今度は闇に紛れて俺を襲撃して、持っている金を強奪するつもりだったんだろう。
 馬鹿もココまで来ると大したもんだ……と心の底から呆れながら、膝下に絡むジーンズを引き摺って必死で逃げようとしているタカのシャツを掴み、またカウンターに捻じ伏せた。
「こんなモンで精を付けてまで、随分とやる気満々じゃねぇか。タマってんのか?」
「違う、俺じゃねぇ。ホントだ……なぁ、ジェイ。『一稀に謝れ』ってんなら、皆で本気で謝るから。マジで止めてくれ」
「てめぇの上っ面だけの謝罪なんか要らねぇよ。アイツもそんな事は望んでいない。もう二度と、俺達の前に顔を出すな。男が欲しけりゃ、てめぇ等同士で突っ込んでろ」
 そう吐き捨てながら、タカの腿の間に膝を入れ、押し広げた尻に向って小さなビンをブッ挿した。
 大声で叫ぶタカの尻の穴が、意外にも何の抵抗もなくスルリとソレを受け入れ、逆に少々拍子抜けしてしまった。
 言葉の綾で吐き捨てただけなのに、案外、それは当たっていたのかもしれない。
 確かに、肉欲だけで同じ奴とばかり掘り合ってりゃ、お互いに飽きてくるだろうな……と、他人事で考えながら、喚いているタカに背を向け、ドアに向って歩き出した。




「ジェイ、もういいだろ! 頼むから、手だけでも外してくれ……」
 背後から懇願してくるタカの声に、チラリとその方に視線を向けた。
「直ぐに戻ってくると言ったのは、お前の方だろうが。アイツ等に助けて貰えばいい」
「冗談だろ!? ジェイ、マジで謝るから」
「謝らなくても良いと言っている。お前達は一稀に恨みがある訳じゃなく、金が欲しかっただけなんだろう? お前の尻が好きな奴に、埋まったビンを抜いて貰えばいい。太さも丁度、同じ位なヤツの様だな」
 まだ俺にボコボコに殴られたり、尻を掘られて精液をブッかけられた方が、コイツも納得出来るのかもしれない。
 妙な所でプライドの高い所のあるコイツにとって、こんな姿を誰かに助けられる事が一番の屈辱だろうと、それは充分に分かっていた。
 血だらけの顔面で悲壮感を漂わせているけど、無傷な下半身を晒して尻からビンを生やしている姿を見れば、あっさりと見捨てて逃げた奴等も、コイツにかける言葉を探すのに苦労するかもしれない。
 少々腰を退いてビンを突き出した滑稽な姿で、呆然と立ち尽くしているタカを残し、静かに店の外に出てドアを閉めた。




 何事も無かったかの様に、本当に静かな気分で店に向っていく。ずっと何処かに引っかかっていた重いモノが、確かに少しだけ軽くなっていた。
 普段と何も変わった様子のない、賑やかな街を歩きながら、ポケットに突っ込んでいた携帯を取り出した。
 アイツの番号は以前から知っていたけど、俺の方から連絡を入れた事はない。
 最後の詰めを打つ為に目的の番号を呼び出して、無言でディスプレイを見詰めた後、発信ボタンを押して耳に当てた。






BACK | TOP | NEXT


2009/7/10  yuuki yasuhara  All rights reserved.