Eros act-2 24

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 一稀の退院を明後日に控えた金曜日、珍しく三上が昼間に電話をかけてきた。
 「少し話をしたい」と言う三上の言葉に、病室に戻る前に喫茶室で聞く事を告げて、仕事終了後に待ち合わせた。




 喫茶室に向うと、もう三上が待っていた。コイツと会うのも久しぶりだな……と思いながら、のんびりと中庭を眺めている彼の前に腰を降ろした。
「久しぶりだな。元気だったか?」
「おう、当然。もう少し見舞いに来てやりたかったんだけど、慶の店が一人抜けて忙しくてさ。元から病弱だったヤツなんだけど、急に辞めちまったんだよな」
「あの男がやってる店か。お前、まだ続いてるんだな。すぐ別れるんじゃねぇかと思ってたんだが」
「まぁな。意外と相性良いみたいだぜ。慶は優しいからさ、俺がフラフラしてても怒らねぇし。世話になってばかりだから、忙しい時くらいは真面目に手伝ってやるか、って感じだな」
 普段通りの飄々とした態度で話す彼の姿に苦笑しつつ、煙草を取り出して火を点けた。


 もう何年も前、二人で偶然入ったクラブのオーナーである『慶』と言う男を気に入った三上は、速攻で口説き落として恋仲になった。
 とは言え、こういう彼の行動はもう何度も見ていたから、さして気にも留めなかった。
 どうせ、また直ぐに別れるんだろうと思っていたのに、それからずっと今でも、何故だか上手く続いているらしい。
 自分の恋人になった後も生活態度を改める事なく、適当なツマミ食いを止めない三上を、慶は取り立てて咎める事もせず、悠然と見守っている。
 随分と太っ腹なヤツだなと、割と嫉妬深い所がある一稀と無意識に比べてしまって、思わず頬を緩めてしまった。


「何、笑ってるんだよ。俺、面白い事でも言ったか?」
「いや、そうじゃねぇよ。俺がお前みたいに遊び回ってたら、一稀は真剣に怒るだろうなと」
「一稀は怒るだろうな。アイツ、すんげぇ独占欲強いし。そういう意味でも、ジェイと一稀は相性が良さそうだよな。上手く纏まるモンだな」
「そうだな。ところで話は何だ? 慶の店が忙しいって愚痴じゃねぇだろう」
 珈琲が運ばれてきたのをきっかけに、そう三上に問いかけてみると、彼は珈琲を一口飲んだ後、ゆっくりと視線を向けてきた。


「まず、タカの行方についてだ。結局、まだ分かっていない。一稀にもある程度は、見舞いに来た連中が話しているらしい。だから、一緒に聞かせても別に問題は無いんだが。まぁ、改まって三人で話をすると、アイツが少し緊張するかと思ってさ」
「確かに。一稀には何て言ってるんだ?」
「そのまんまらしいな。『何処にもいないから安心しろ』って伝えてるそうだ。実際は『いない』と言うより『もう此処を離れた』って感じだろうけど」
「それが正解だろうな。戻って来るかどうかは何とも言い難いが、少なくとも、今現在はこの近辺にはいないだろう。まぁ、それが良いのかどうかは分からねぇがな」
 三上にそう答えつつ、それでも何となく溜息を吐いてしまった。
 中川が速攻で隠密に探りを入れたらしいが、それでも発見出来なかった……と聞いている。彼が手配して見つからなかったのであれば、本当に一稀を襲った当日にでも、既に行方を晦ませたんだと思っている。
 だから逆に、一稀が襲われたのは、タカの意思では無かった事が証明出来た。
 単純に実行犯が逃げた程度で、誰がタカを動かしたのかが判明していない以上、本当に安心して良いのかどうかは分からない。
 暫くの間は、常に誰か二、三人と行動させた方が良いな……と考えている最中、中川に調べる様に頼んでいた件を思い出した。


「中川に、コンビニからマンションの間に空き店舗があるかどうかを調べて貰った。結局、一軒だけ所有者不明の物件が見つかった。その話は聞いているか?」
 一稀から聞いた話だと、タカ達は突然、姿を現したも同然だったらしい。だから恐らく空き店舗にでも潜んでたんだろうと見当をつけたが、それはどうやら当たっていた様だ。
 只、そこまでが判明しただけで、その物件が現在、誰が占拠しているのかが分からなかった。
 少し独特な風習の残るあの界隈は、法的に言えば無法地帯も同然だし、『金さえ手に入れば良い』が常套手段で、平気で又貸しも行われている。
 物件の所有者と借主、実際に使っている者が違うのは日常茶飯事で、間に四、五人が入っているパターンも珍しくない。
 口約束での転貸に次ぐ転貸が続けば、もう実態を確認するのは困難になってくる。
 地道に聞いて廻るしかないだろう……と、とりあえず三上に問いかけてみると、待ち構えていた三上がニヤリと頬を緩めた。
「話の本題がソレだ。今現在はどうだか確証は無いが、慶がチラリと小耳に挟んだ話がある」
「慶が……店で何か聞いていたのか?」
「客から聞いた話だが、数ヶ月前、麻紀が『あの店を借りたい』と言って、その当時の所有者を探していたらしい。ジェイ、麻紀を覚えているか?」
「……あぁ、覚えている。確かにアイツなら、俺に恨みを持っていてもおかしくねぇな」
 半ば忘れかけていた名前を告げられ、無意識に眉をひそめてしまう。確かにアイツならやりかねないだろう……と、その性格を思い出した。




 店の開店準備を進めていた頃、その実態を探りにあちこちの売り専クラブを覗いていた時に、その中の一軒で売り専ボーイとして働いていた麻紀と出会った。
 その店で彼を指名したのは、単純に「その店のボーイの中では、一番自分好みの容姿だったから」程度で、特に深い意味は無い。
 実際に麻紀本人を目にした時も、取り立てて何の感慨も無かったし、必要以上に親しい言葉を交わしたつもりもない。
 麻紀と寝た時も、そのサービスの流れや内容の方に気を取られていて、麻紀自身についての事なんて、まったく記憶に残らなかった。
 そう考えていたのは俺だけで、麻紀はどうやら、そうではなかったらしい。
 俺が麻紀を買う以前からアイツはこちらの事を知っていたらしく、実際に会って彼と身体を合わせた俺は、随分と気に入られてしまったらしい。
 その後はお決まりのパターンに突入した挙句、結局は何とか逃げ切れはしたものの、その時に感じた彼の執拗な性格には、本当に閉口してしまった。


 一見、物静かで大人しい雰囲気の麻紀は、裏を返せば執念深く、胸に一物ある薄暗さがある。それだけなら単純に突き放せば良いけれど、彼はそれを見破る勘の良さも持ち合わせていた。
 かなり頭の良いヤツだと、その辺りについては純粋に評価はしているものの、少なくとも自分の恋人にしたい性格ではない。
 自分の方から惚れ抜いて強引に恋人にしてしまった一稀とは、まったく正反対の雰囲気を持つ麻紀には、嫌悪感はないものの、どうしても並以上の好感は持てなかった。




「麻紀が所有者を探していた店舗は、売り専クラブをやるには狭過ぎる。慶にその話を溢していた客も『売り専クラブは止めて、普通のクラブにするつもりなのか?』と、その辺で不審に思っていたらしいな」
 そう話す三上の言葉に頷き、珈琲を一口飲んで気を落ち着かせた。
「タカを差し向けたのは、麻紀で間違いないだろう。だが、問題はその理由だな。アイツも今は自分の店を持っている。俺の所ほどでは無いが、かなり評判も良いし、客も入っていると聞いている。俺に対しての恨みか、店絡みか……それとも、一稀の存在に対してなのか。どの理由かで、次の手段が変わってくるだろうよ」
「確かに。それが分からない事にはな……どれを考えても、そう不思議じゃない所が厄介だな。ジェイには呆気無くフラれてるし、店も順調だがジェイの所には敵わない。麻紀が今でもジェイに気があるとしたら、一稀に対しての恨みだろうからな。少し探るか?」
「そうだな。だが、何も出てこないだろう。今回みたいに、偶然それを見聞きした連中が情報を洩らさない限り、不用意に情報が表に出る所で動くヤツじゃねぇ。タカに関しては今回限りだろう。既に違う手段で動いている筈だ。今、押しかけて問い詰めても、あの性格だからな。上手く白を切られて終わりだ。アイツの真意が分かるまでは、様子を見ながら泳がせておくのが得策だろう」
「やっぱり、そうなるか。アイツも裏で行動するタイプの奴だからな。まぁ、俺も暫くの間は慶の店を手伝っている。来た客にそれとなく、麻紀の話題を出して探ってみるつもりだ」
 そう語る三上の声を聞きながら、もう随分冷めてしまった珈琲を飲み干した。


「それは助かるな。中川にも伝えておく。お前、今日も店の手伝いに行くのか?」
「いや、今日は店が休みだ。慶が出かけてたんで暇だから、ついでに伝えておこうと思ってさ。そろそろアイツも帰ってくる時間だな」
「それなら、慶を此処に呼べるか? 一稀も普通に動ける様になっている。院内の料亭だが充分に美味いし、あの店で一緒に晩飯にしよう」
「あ、それ良いな。アイツも一稀の回復具合を気にしてたから喜ぶと思うぜ。じゃあ、俺は此処で慶を待つか」
「分かった。来たら連絡してくれ、直ぐに降りる」
 そう言い残して席を立つと、一稀が待つ病室にへと向った。


 何年も前に終わった話だと思っていた麻紀の名が出てきた事に、ほんの少し、気が重くなってくる。
 味方であれば心強いであろう麻紀は、敵に廻せば本当に面倒な相手になってしまう。冷静で幾重にも策を巡らすタイプの麻紀が次に取る手段を予想していくのは、意外と困難な事だった。
 一稀を襲った時の手際の良さを考えると、裏で操っている張本人は、彼でほぼ間違いないと思われる。
 只、この話を一稀にも伝えておくべきか……その判断に迷ってしまった。
 麻紀との間に起こった件を一稀に話す事には、何も後ろめたい気持ちはない。それより、不必要に一稀を怯えさせてしまうんじゃないか……と、その方が心配だった。
 それが気掛かりではあるけど、麻紀が何を考えているのか分からない以上、一稀本人にも注意を促しておいた良いのは確実ではある。
 どう説明するべきだろう? と考えながら、一稀の待つ病室にへと向かって行った。






 三上達との食事が終わり、上機嫌な一稀と病室に戻ってきた後、麻紀の話を切り出した。
 ソファに並んで座って無言で話を聞いている一稀は、特に怯えている様子もなく、それにホッと胸を撫で下ろした。
 麻紀との接点は無いだろうと思っていた一稀は、意外にも彼と話をした事があるらしい。名前を告げただけで「麻紀なら知ってる」と頷いた一稀に、大まかな話をした後、その事に付いて問いかけてみた。


「うーん……でも、大した話はしてないんだよな。ずっと前、クラブで飲んでた時にカウンターで隣同士になってさ。その時にちょっと話をした程度かな。その時も、俺が変な酔っ払いに絡まれて、麻紀が『売り専買いたいなら、ちゃんと店で買った方がいい』って、自分も売りやってた店にソイツを引っ張って行ったからさ。途中で話が終わった感じなんだ」
「あぁ、麻紀がまだボーイだった頃なのか。それなら、多分、俺との件で騒いでたのと同時期かもしれねぇな。絡んできたヤツは?」
「俺を買おうとして断ったヤツ。その前に声をかけられた時、あんまり好みじゃなかったら適当に断ったんだけど、その時だけだと思ったらしくてさ。また見つかって誘ってきたんだ」
「なるほど。それで麻紀が、自分が勤めてたクラブに……って訳か」
「そんな感じ。飲んでる時はお互いにそんな話はしてなかったし、麻紀が売り専だって知らなかった。だからちょっとビックリした。でも、そんなに悪いイメージはないんだよな。確かに、ちょっと怖そうな雰囲気はあるけど、別に嫌いなヤツじゃない」
 そう呟いて考え込んだ一稀の肩を抱きながら、彼の言葉に頷いた。


「そうだな。俺も人間的には嫌いなヤツじゃねぇ。アイツの店が流行っているのも頷けるからな。だが、アイツは計算高い所がある。何かしらの利益があると思えば、自分の感情を捨てて、平気で相手を切れる所があるからな。一稀が怪我をする事によって、それがアイツの得になると思えば、それを平然とやってのけるだろう」
「それは分かる気がするな。だから俺の予想だけど、俺がジェイの恋人になったから……って理由じゃない気がする。少し話をした程度だし、本当の所は分からないけどさ。そういう理由で怒るタイプじゃないと思うな」
「まぁな。とりあえず、注意だけはしておいた方が良い。そのうち、アイツの真意も分かってくるだろう……一稀、怖くないか?」
 隣に座っていた一稀を膝の上に抱えつつ、一番心配している、その事を問いかけた。
 ゴソゴソと身体を動かして素直に膝の上に座ってくれた一稀は、少し高くなった位置から見下ろしながら、ニコリと頬を緩めてくれた。


「大丈夫、ジェイがいるから。全然怖くねぇよ」
「良い子だ。俺も色々と手を廻すが、一稀自身も注意してくれ。落ち着くまでは一人で行動するな」
「ん、分かった。誰かと一緒にいる様にする」
 素直に頷いてくれた一稀の身体を抱き寄せ、軽く頭を撫でてやると、嬉しそうな表情を浮かべた彼が、肩口に顔を埋めてきた。
「あと一日かぁ……早く家に帰りたいな」
「そうか? 此処も案外、居心地は良いだろう」
「うん、凄く良いと思うけどさ。でも、やっぱり家の方が落ち着くかな」
 軽く眸を閉じたまま、そう穏やかな声色で呟く一稀の髪を、のんびりと撫で続けていく。ゆったりと流れる二人だけの時間は、何よりも大切で心地好い時間だと思う。


 何の躊躇いもなく、無条件に信頼を寄せてくれる一稀の姿を、本当に愛おしく思っている。
 裏の無い、真っ直ぐな気持ちでぶつかって来る一稀と過ごしていく時間は、見返りを気にせず沢山の愛情を注いでくれた祖母と過ごした時間と、何となく似ている気がしていた。
 言葉を交わす事無く、見ただけの一稀を気に入ってしまったのは、無意識に祖母と同じ雰囲気を、一稀の姿に感じ取っていたのかもしれない。
 心の底からの安らぎを覚える、一稀との時間を護っていかねば……と硬く誓いながら、取り戻した穏やかな日常を守る術を、頭の中で考え続けていた。




      Eros act-2 《The end》






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